第72話 聖女は檻を携えて
白い仮面。
帳簿の印を見た瞬間。
レオンの顔から。
音が消えた。
「知っているんですか」
ミミルが聞く。
「いや」
短い答え。
「教会で、この印を見たことはない」
なら。
知らない。
そう思った。
だが。
レオンの手は。
聖剣の柄を握っていた。
「見せる相手を選ぶ印だ」
なるほど。
知らないのではない。
知らされていなかった。
勇者にも。
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回収所は。
古い水路の脇にあった。
石造りの小屋。
窓はない。
扉も。
取っ手がない。
あるのは。
壁に刻まれた三重の円。
帳簿と同じ印だった。
ミミルが。
黒い捕獲具から抜いた感応針を近づける。
針が震えた。
壁の円も。
震えた。
俺の殻も。
震えた。
いや。
俺まで開ける鍵にするな。
不本意だ。
とても。
不本意だ。
石壁の一部が沈む。
冷たい空気が。
地下から吹き上がった。
「記録が戻る場所……」
ミミルが。
暗い階段を見下ろす。
角兎が。
耳を立てた。
とん。
前足が地面を叩く。
下に。
何かいる。
俺にも分かった。
細い振動が。
階段の奥から上ってくる。
一つ。
二つ。
多い。
「下がれ」
レオンが。
俺たちの前へ出た。
聖剣を抜く。
白銀の刃に。
光のひびが走った。
俺の殻も光る。
やはり。
似ている。
嬉しくはない。
聖剣とお揃い。
聞こえはいい。
実際は。
教会に見つけてくださいと光る卵だ。
最悪だ。
階段の下から。
白い光が上った。
結界。
俺の周りに出るものより。
ずっと大きい。
ずっと整っている。
そして。
冷たい。
「剣を納めてください、レオン」
女の声だった。
白い靴が。
一段ずつ上がってくる。
白い法衣。
金糸の刺繍。
胸元には。
三重の円ではなく。
翼を広げた鳥の紋章。
長い金髪の女が。
光の中から現れた。
年は。
ミミルより少し上だろうか。
後ろには。
白い鎧の神官騎士。
四人。
その中央を。
空の檻が浮いていた。
銀の格子。
内側に重なる光の膜。
大きさは。
ちょうど。
俺が入るくらい。
分かりやすい。
とても。
分かりやすい。
「聖女アリア……」
レオンが名を呼んだ。
聖女。
聖なる女。
そして。
卵用の檻を持ってきた女。
俺の中では。
二つ目のほうが重要だった。
「お久しぶりです」
アリアは。
レオンへ頭を下げた。
それから。
ミミルの腕の中にいる俺を見る。
目が合った。
その瞳に。
嫌悪はなかった。
欲も。
たぶんない。
あったのは。
心配だった。
だからこそ。
余計に困る。
「その子が、聖痕を宿した卵ですね」
その子。
素材ではない。
対象番号でもない。
少しだけ。
警戒が緩みかける。
「教会の保護下へ移します」
戻った。
警戒。
全開。
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「断ります」
ミミルが。
即答した。
俺を抱く腕が。
少し強くなる。
「エッグは物ではありません。移すなら、本人の意思を確かめてください」
アリアは。
驚いたように俺を見る。
「意思があることは、報告で承知しています」
「承知していて、檻へ入れるんですか」
「これは檻ではありません」
アリアが。
浮かぶ銀の格子へ手を添えた。
「聖別封護器です。外部からの呪詛、探知、魔力災害を遮断します。内側の聖痕が暴走した場合も、周囲を傷つけません」
長い。
つまり。
檻だ。
「本人が出たいときに出られますか」
ミミルが聞く。
「安全が確認されるまでは、できません」
やはり。
檻だった。
俺は。
ミミルの腕の中で右へ傾いた。
「嫌だそうです」
「恐怖から保護を拒む者は珍しくありません」
強い。
善意が。
強い。
俺の右が。
恐怖に変換された。
「本人が何を選んでも、あなたは保護するんですね」
「災厄から守ることが、教会の務めです」
災厄。
その言葉に。
地面の下の傷が光った。
俺の殻のひびも。
淡く。
同じ形に。
アリアの視線が。
ひびへ落ちる。
「やはり、急ぐ必要があります」
銀の檻が。
俺へ近づいた。
角兎が。
ミミルの前へ飛び出す。
小さな体。
短い角。
勝てる相手ではない。
それでも。
退かなかった。
俺も。
ミミルの腕から降りる。
「エッグ?」
地面へ落ちる。
転がる。
角兎の隣へ並ぶ。
逃げるためではない。
選ぶためだ。
俺は。
右へ。
ミミルの足へぶつかった。
次に。
角兎へ。
こつん。
最後に。
レオンの靴へ。
白銀の檻には。
行かない。
「答えは出ています」
レオンが言った。
聖剣の切っ先を下げる。
だが。
鞘には戻さない。
「彼は、我々と行く」
アリアの眉が。
わずかに寄った。
「あなたは、その判断を保証できる立場ではありません」
「勇者だからか」
「いいえ」
アリアは静かだった。
「あなたは、勇者の地位を自ら捨てました」
レオンの手首で。
追跡印が光る。
アリアは。
そこを見た。
「教会の命令を拒み、聖剣を持ったまま失踪した。現在のあなたは、証人ではなく当事者です」
「だから、俺の見たものは嘘になるのか」
「私情を除いた証言とは扱えません」
レオンが。
一歩出る。
神官騎士たちの槍が上がった。
空気が。
固くなる。
レオンは。
剣を振らなかった。
「廃村を見た」
声だけが。
低く落ちた。
「魔力嵐で滅びた村ではない。教会の術式で記録ごと消された集落だ」
アリアの目が止まる。
「何を言っているのです」
「白い仮面の神官が、そこにいた」
初めて。
アリアの静けさが崩れた。
ほんの少し。
「そのような派遣記録はありません」
「記録を消す者が、自分の派遣記録だけ残すと思うか」
「教会が集落を消したというのですか」
「ああ」
「根拠は」
「生き残った魔物たち。消された地図。聖剣を誤認させた術式。そして、この卵を殺して再生を観測した白面だ」
殺した。
その言葉で。
ミミルの指が震えた。
俺の殻に触れる。
俺は。
小さく振動を返す。
今は。
いる。
大丈夫ではない。
けれど。
ここにいる。
アリアは。
俺を見た。
次に。
地下へ続く階段。
三重の円。
帳簿。
感応針。
「その帳簿を渡してください」
レオンが笑った。
冷たい笑いだった。
「教会へ戻すためか」
「調査するためです」
「記録が戻る場所へ、証拠まで戻せと?」
「私を、白面の神官と同じだと言いたいのですか」
「知らなかったと言う者へ、すべてを預けられないと言っている」
アリアは。
答えなかった。
知らなかった。
それは。
嘘ではないのだと思う。
でも。
知らなかった者が。
俺を守れると。
どうして言える。
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風が。
水路を抜けた。
銀の檻が。
静かに浮いている。
アリアが手を上げた。
神官騎士たちの槍が下がる。
「即時の封護は行いません」
ミミルが息を吐く。
レオンは。
まだ剣を下ろさない。
「ただし、自由を認めたわけではありません」
やはり。
そう来た。
「三日後、中立評議を開きます」
「評議?」
「教会のみで判断すれば、あなた方は従わないでしょう」
「当然です」
ミミルの答えが速い。
「ですから、教会、冒険者ギルド、領主家、森の諸種族。関係する者を集めます」
アリアの視線が。
俺へ戻る。
「そこで、この子の所有権と管理権を決めます」
俺は。
止まった。
所有権。
管理権。
本人の前で。
本人以外が。
決める。
話が。
最初から。
終わっている。
俺は地面を叩いた。
ごん。
一度。
ごん。
二度。
ひびから。
金色の光が漏れる。
「エッグは怒っています」
ミミルが言った。
「俺もだ」
レオンも言った。
角兎が。
地面を蹴った。
こいつも。
たぶん怒っている。
アリアは。
困ったように俺を見た。
「意思があることと、危険な力を自由にしてよいことは別です」
正しい。
たぶん。
正しい部分もある。
俺の力は。
仲間を巻き込む。
遠くの傷と繋がる。
死んでも。
別のものになって戻る。
俺だって。
自分が安全だとは思わない。
だが。
「危険だから奪うのなら」
ミミルが。
俺の前へ立った。
「それは保護ではありません」
「では、暴走したとき、あなたがすべての責任を負えますか」
「負うとは言いません」
ミミルは。
逃げなかった。
「一緒に止めます。一緒に方法を探します。エッグ一人へも、私一人へも押しつけません」
アリアが。
目を細める。
「それができなかったときは」
「できるまで考えます」
無茶だ。
とても。
ミミルらしい無茶だ。
俺は。
その靴へぶつかった。
右。
賛成。
「三日です」
アリアが告げる。
「その間、封護器は使いません。騎士による拘束も行いません。ただし、所在を隠さず、評議へ出席してください」
「監視は」
レオンが聞く。
「付けます」
「断る」
「では、封護器を」
「監視でいいです」
ミミルが答えた。
早い。
レオンがミミルを見る。
「檻よりはいいです」
それは。
そう。
とても。
そう。
================
決まった。
三日後。
俺を誰が持つのか。
俺を誰が閉じるのか。
俺を誰が使うのか。
それを。
俺以外が話し合う。
冗談ではない。
評議へ行く。
行って。
全部。
断る。
そう決めたとき。
水路の向こうから。
馬の音がした。
一台ではない。
先頭の馬車に。
冒険者ギルドの紋章。
その後ろには。
青い旗。
貴族家の紋章。
「早すぎる」
レオンが呟いた。
アリアも。
馬車を呼んだ顔ではなかった。
反対側の森が揺れる。
黒い外套の男が。
枝の上へ降りた。
額に。
二本の角。
「聖痕を魔族の血で育てたと聞いた」
男が笑う。
「ならば、教会だけのものではあるまい」
さらに。
水路の枯れた蔓が。
一斉に芽吹いた。
緑の葉の間から。
長い耳の女が現れる。
「森の傷に触れた卵を、人の法で量るな」
俺は。
右を見る。
馬車。
左を見る。
魔族。
後ろを見る。
エルフ。
前を見る。
聖女。
囲まれた。
完璧に。
囲まれた。
銀の檻へ入っていないのに。
もう。
檻の中だった。
保護のための檻と、危険でも選ぶ自由が正面からぶつかりました。
次回、エッグを巡る「親権」の席に、それぞれの正義が集まります。
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「続きが気になる」「卵、がんばれ」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆やブックマークで応援してもらえると嬉しいです。感想もひとこと置いていってくれたら、殻にヒビが入るくらい励みになります。
廃棄推奨の最弱卵が世界を孵すまで、どうか見届けてやってください。
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