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第108話 完全世界卵オルビス

文字盤の、明かりが、少しずつ、和らいでいく。



 だが、あの、光る線だけは、消えなかった。



 保管領域、という、文字の下から、まっすぐ、奥へ、伸びている。



 俺の中では、まだ、あの一行が、鳴っていた。



 ――正規品:完全世界卵オルビス。保管領域にて孵化待機。



「行くか」



 レオンが、低く、聞いた。



 誰に、向けた言葉かは、分からなかった。



 俺は、右へ、揺れた。



「……エッグ」



 ミミルの声が、揺れる。



「無理は、しなくて、いいんです」



 俺は、もう一度、右へ、揺れた。



 知りたい。



 自分の、正規の姿を。



 自分を、廃棄した、その理由の、続きを。



「決まりだな」



 剣が、俺の背で、掠れた声を、絞り出した。



「知らずに、済ませられる、距離じゃ、ねえ」



 アリアが、地図を、たたみながら、頷く。



「光る線は……この、先です」



 太い管の、さらに向こう。



 俺たちは、光る線を、頼りに、歩き出した。



 管は、奥へ行くほど、太くなった。



 壁の表面が、汗をかいたように、濡れている。



 中を流れるものの、気配が、濃くなっていく証拠だった。



 黒竜が、震える四肢を、引きずりながら、先頭に立つ。



『……この、先の、気配』



 念話が、途切れがちに、届く。



『覚えが、ある……いや』



『覚えが、あるようで……ない』



 言い切れない、迷いだった。



 角兎が、床の匂いを、何度も、確かめる。



 立ち止まっては、また、進む。



 管の分岐が、二つ、三つと、増えていく。



 どれも、同じ方角へ、収束していた。



 途中、壁の隙間から、細かい、光の粒が、幾つも、こぼれ出た。



 小さな、監視の目だった。



 角兎が、真っ先に、体当たりで、叩き落とす。



 残りは、レオンが、聖剣の腹で、まとめて、払った。



 誰も、傷を、負わなかった。



 だが、剣が、低く、唸った。



「……こんな、隅々にまで、目を、光らせてるのか」



「気味が、悪いな」



 やがて、通路の先に、扉が、見えた。



 鉄でも、石でもない。



 乳白色の、滑らかな、表面。



 傷ひとつ、なかった。



 その中央に、掠れずに、はっきりと、文字が、刻まれている。



 《完全世界卵保管領域》



 文字盤から、伸びていた、あの光る線の、終点だった。



 誰も、しばらく、口を、開かなかった。



 レオンが、扉に、手をかける。



 鍵は、なかった。



 軋みもなく、扉は、音もなく、内側へ、開いた。



 中は、広かった。



 これまでの、どの広間より、広い。



 天井は、見えない。



 壁も、遠すぎて、輪郭が、霞んでいる。



 空気は、冷たく、乾いていた。



 音を、立てて歩くのが、はばかられるほど、静かだった。



 ミミルの足音だけが、やけに、大きく、響く。



 角兎が、一度、足を、すくませた。



 これ以上、近づけない、という、合図だった。



 そして、中央に――それが、あった。



 巨大な、卵だった。



 人の背丈の、何十倍もある。



 白く、滑らかに、光を、返している。



 俺は、目を、疑った。



 ひびが、ない。



 どこにも、ない。



 継ぎ目の、一本すら、見当たらない。



 その完璧な表面から、低く、規則正しい、音が、響いてくる。



 どくん。



 どくん。



 殻の奥、罅の疼きが、その音に、合わせて、跳ねた。



 ……知ってる。



 この、音。



 虚無の底で、聞いた、あの、鼓動と――同じだ。



 ひとつも、罅の入っていない、巨大な卵の、鼓動だった。



 名前の分からない、あの、暗闇の中で聞いた音の、正体が、今、目の前にあった。



================


ひび割れ率:19%→21%


================



 殻の奥が、その、完璧さに、共鳴するように、疼いた。



 中枢炉の、心臓のような、音を、思い出す。



 あれも、似た、音だった。



 だが、今、分かる。



 あれは、この鼓動の、こだまだった。



 管を伝って、遠くまで、届いていた、響きの、端っこ。



 本物は、ここに、あった。



「これが……」



 アリアの声が、震える。



「オルビス」



 ミミルが、俺の籠を抱いたまま、恐る恐る、近づく。



 崩壊防止薬の、小瓶を、取り出した。



「……試して、いいですか」



 俺は、右へ、揺れた。



 ミミルが、指先に、一滴だけ、垂らす。



 薄い、緑色の、雫。



 それを、そっと、卵の表面へ、近づけた。



 触れた、瞬間。



 薬は、殻に、染みなかった。



 玉のように、丸く、なって――そのまま、つるりと、滑り落ちた。



 染み込む、隙間が、どこにも、なかった。



「……弾かれた」



 ミミルの声に、戸惑いが、滲む。



「エッグの殻には……あんなに、馴染んだのに」



 アリアが、鑑定板を、掲げた。



================


名称:測定不能

種別:測定不能

危険度:測定不能

食用:測定不能

素材価値:測定不能

状態:測定不能

備考:外部干渉、拒否。


================



「……こんな、表示は、初めてです」



 アリアが、鑑定板を、下ろす。



 次に、両の掌を、そっと、殻へ、伸ばした。



 祈るように、目を、閉じる。



 何も、起きなかった。



 温もりも、光も、返ってこない。



 殻は、ただ、そこに、あるだけだった。



「……祈りすら、届かない」



 アリアの声が、掠れる。



 何ひとつ、外から、受け入れない殻だった。



 黒竜が、震える体を、止めた。



 喉の奥で、息を、詰まらせる。



『……あの日』



 念話が、そこで、途切れる。



『遠く、浮かんでいた……白い卵』



 俺の中で、あの、赤黒い空の光景が、蘇った。



 巨大なひび。



 吠える、影。



 白い仮面の、人影たち。



 さらに、遠くに浮かぶ、巨大な、白い卵。



 ――孵すな。



 あの叫びと、同じものが、今、目の前に、あった。



『……そうか』



『あれから、ずっと、ここに……眠って、いたのか』



 それ以上は、語らなかった。



『……まだ、言わぬ』



 いつもの、言葉で、締めくくった。



 アリアが、俯く。



「聖卵を、孵すことで……世界は、安定する」



「そう、習いました」



「でも……これを、孵すことが……本当に、安定、なんでしょうか」



 誰も、答えられなかった。



 ミミルが、アリアの、肩に、そっと、手を、置く。



「アリアさんの、教えが、間違ってたわけじゃ、ないと思います」



「教えを、都合よく、使った奴らが、いただけです」



 アリアが、顔を、上げる。



「……そう、思っても、いいん、でしょうか」



「思っていいと、思います」



 レオンが、腕を、組んだまま、低く、続けた。



「教会も、あんたも、騙されてた側だ」



「騙されてたって、気づいて、まだ、祈れるなら……それは、弱さじゃ、ねえよ」



 アリアは、しばらく、黙っていた。



 それから、小さく、頷いた。



「……ありがとう、ございます」



 卵の根元に、古びた、小さな、石の柱が、あった。



 文字盤が、埋め込まれている。



 レオンが、身を、屈めて、覗き込んだ。



================


《完全世界卵オルビス》

《正規個体。孵化条件、充足済み》

《起動条件:上位承認》

《現在:承認、待機中》

《承認完了後、実行工程》

《一、オルビス、孵化》

《二、旧世界、破棄》

《三、新世界、再構築》


================



 誰も、しばらく、声を、出せなかった。



「……承認が、下りたら」



 ミミルの声が、震える。



「これを、孵して……今の世界を、壊すって、ことですか」



「壊して……作り直す、つもりだ」



 レオンが、低く、呟く。



「傷の、ない、世界に」



 剣が、俺の背で、掠れた。



「……傷を、無くすために、世界ごと、壊すのか」



「本末、転倒だろう」



 俺の中で、あの、墓場の記憶が、繋がった。



 完全に孵れば、世界の殻も、共に割れる。



 あれは、警告じゃなかった。



 説明書きだったのだ。



 オルビスが、孵化条件を、満たしている、というのは――俺と、違う。



 俺には、まだ、迷いが、ある。



 こいつには、それが、ない。



 完璧だから。



 だから、迷わず、孵れる。



 だから、待っているのは、承認、だけだ。



 俺は、いつも、迷ってきた。



 右か、左か。



 薬を、受けるか、断るか。



 卵のままでいるか、孵るか。



 迷うたび、殻が軋んで、仲間の合図が、それを、支えてくれた。



 オルビスには、その、迷いが、要らない。



 迷いが、要らないものに、「廃棄」の二文字は、決して、付かないんだろう。



 だから、俺は――こいつと、同じには、なれない。



 なりたくも、なかった。



「エッグ」



 ミミルが、俺の籠を、覗き込む。



「怖い、顔してます」



 俺は、右へ、揺れた。



 怖いのは、事実だった。



 アリアが、足元を、指さす。



 文字盤から、伸びていた、光る線が、この、柱の根元で、途切れていた。



「……光る線は、ここで、途切れています」



「地図の線が、終わった、墓場の、さらに、奥……本当の、行き着く先が、ここだった」



「戻ろう」



 レオンの声に、迷いは、なかった。



「承認が、下りる前に、止める、方法を、探す」



 ミミルが、頷く。



「まずは……外へ。今、分かったことを、皆で、共有しないと」



 黒竜が、震える体を、無理やり、支える。



『……承知』



 角兎が、鼻先で、俺の殻に、一度、触れた。



 帰る合図だった。



 俺たちは、扉を、抜け、来た道を、戻り始めた。



 振り返ると、白い卵は、もう、扉の向こうに、隠れていた。



 それでも、あの、どくん、という、鼓動だけは、まだ、聞こえている気がした。



 止める。



 止めなければ、いけない。



 誰かに、言われたからじゃない。



 俺の中から、そう、声が、湧いた。



 管の分岐を、幾つも、抜ける。



 やがて、あの、円形の広間――中枢炉に、戻ってきた。



 太い管が、相変わらず、脈を、打っている。



 どくん。



 どくん。



 こだまに、過ぎない音だと、知った今は、前より、乾いて、聞こえた。



 広間の中央、太い管の陰から。



 白い仮面が、また、滑り出てきた。



 外套の袖は、さっき、噛み千切られたまま。



 だが、動きに、迷いは、なかった。



「……戻ってきた、のか?」



 レオンが、聖剣の柄へ、手をかける。



 仮面が、平らな声で、告げた。



「――座標、再到達を確認」



「防衛、再開します」



 指先から、白い糸が、また、放たれる。



 レオンが、聖剣で、受けた。



「……前より、速い」



 剣が、俺の背で、掠れる。



「あっちも、前の、続きを、覚えてやがる」



 角兎が、跳んで、足元へ、体当たりを、叩き込む。



 だが、仮面は、揺らがなかった。



 黒竜が、震える四肢で、前へ出ようとする。



『……我が』



 言い切る前に、脇腹の傷が、開き、体勢が、崩れた。



 アリアが、感応針を、構えながら、叫ぶ。



「黒竜さん、無理を、しないでください……!」



 仮面が、一歩、退いた。



 攻めあぐねた、というより――違う。



 見切りを、つけた、動きだった。



「――対話、無効。実力行使、非効率」



「上位命令、切り替え」



 仮面が、平らな声で、告げた。



「――試作体の、廃棄を、再実行します」



 円形の広間、四方の空間が、たわんだ。



 光の壁が、幾筋も、床から、立ち上がる。



 網目のように、絡み合い、檻の形を、作っていく。



「――エッグ、離れて!」



 ミミルの、叫びだった。



 俺は、右へ、揺れようとした。



 だが、光の壁は、もう、俺たちを、丸ごと、囲みかけていた。



 ミミルが、俺の籠の紐を、両手で、掴む。



 閉じかけた、光の隙間へ、目を、向けた。



 一瞬の、迷い。



 そのあと。



 ミミルが、俺の籠ごと、その隙間へ、力いっぱい、押し出した。



「――エッグは、逃がします!」



 俺の体が、光の壁の、外へ、転がり出る。



 背の、剣も、一緒に、外へ、放り出された。



 振り返った、視界の先。



 光の網が、音もなく、閉じていく。



 中に――ミミル、レオン、アリア、角兎、黒竜。



 誰も、外へ、出られなかった。



「……エッグ!」



 ミミルの声が、光の壁越しに、くぐもって、届く。



 俺は、地面に、転がったまま、動けなかった。



 光の網の中を、見る。



 レオンが、聖剣で、壁を、斬りつけている。



 刃は、弾かれ、火花すら、立たなかった。



「……硬え」



 アリアが、感応針を、壁へ、突き立てようとする。



 針の先が、触れる前に、弾かれて、床へ、転がった。



 角兎が、体当たりを、繰り返す。



 跳ね返されるだけだった。



 黒竜だけが、動かなかった。



 いや――動けなかった。



 震える四肢が、地面に、崩れている。



『……すまぬ』



 掠れた、念話だけが、光の壁を、透けて、届いた。



 仮面が、こちらへ、顔を、向ける。



「――随伴体、一体、逸脱を確認」



「――再捕捉、実行」



 俺は、殻の中で、力を、集めようとした。



 だが、殻ひとつ、思うように、揺らせない。



 籠から、転がり出たまま、体勢すら、立て直せずにいた。



 空間への干渉も、魔力腕も、応えてくれない。



 中枢炉で、使い切った、ぶんだけ、殻が、空っぽだった。



 光の壁の、向こうで、ミミルが、俺を、見ている。



 声にならない、何かを、伝えようとする、目だった。



 俺は、念話を、絞り出した。



『……ミミル』



 届いたか、どうかは、分からない。



 仮面が、ゆっくりと、俺の方へ、歩き出す。



 ――随伴体、一体、逸脱を確認。再捕捉、実行。



 その、平らな声だけが、円形の広間に、響いていた。

オルビスという名前だけが先行して、ようやくその姿が出てくる話でした。ひびだらけの主人公と、ひとつも傷のない相手を並べたときに、どちらが正しいのかを読者の方にも考えてほしくて書きました。次は檻の中の仲間たちの番です。


お読みいただきありがとうございます!



「続きが気になる」「卵、がんばれ」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆やブックマークで応援してもらえると嬉しいです。感想もひとこと置いていってくれたら、殻にヒビが入るくらい励みになります。



廃棄推奨の最弱卵が世界を孵すまで、どうか見届けてやってください。



▼公式サイト(キャラクター紹介・漫画化などの最新情報)

https://hibiware.akibaground.jp/

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