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「――い、おい、泰智!」
誰かが強く呼ぶ声がして、泰智はハッと目を覚ました。
眼の前には隆がいて、心配そうに覗き込んでいる。その奥には見慣れた天井があり、どうやら自室のベッドで横たわっているようだと理解した。
「えっと、なんで俺はここに?」
「そりゃ、倒れたからだよ。今行くって言うから待ってたら、大きな物音がしてさ。慌てて入ってみたら、お前倒れてるんだもん。本当にびっくりした」
「ご、ごめん……」
どうやら、あの面を嵌めた瞬間に戻ってきたらしい。おそらく、目眩がしたあたりだ。
眼の前にいる隆は自分のよく知る幼馴染の彼だし、家も変わった様子はない。どうやら、皆殺しの危機は回避できたようだ。
泰智は、自分が面を嵌めていないことに気付いて慌てて周囲を見回した。そして枕元に面が置いてある事に気づき、手に取る。
あの小憎たらしい白狐に一言言ってやろうとその狐面を見て、ぴたりと動きを止める。
「……違う」
文様が違っていた。文様だけじゃない。木の質感も、大きさも。ここ数日ずっと観察していたそれとは違っていたのだ。
泰智は思わず、隆に声を掛ける。
「隆、あのさ……俺の面って、こんなんだったっけ?」
彼も一緒に面を眺めていたし、塗り直した後取りに行ったときも一緒に居た。
だから、もし違うならば気付くはずだと思ったのだ。
けれど隆は、泰智が何を言い出したのかわからないとでも言うかのように眉をひそめる。
「そりゃ違うだろ。お前、去年まで使ってたやつ割っちゃったじゃん。ほら、そこの箱に前のが……」
隆は傍にある木箱を手に取った。それは、あの蔵で見つけたものと同じだった。
嫌な予感がして、受け取った木箱をすぐに開く。
そして案の定、そこにはあの白狐が宿っていた狐面があった。
「……俺、どうしてこれ割ったんだっけ」
「うげ、泰智もしかして頭打った? ほら、去年首塚にいったときさ、うっかり石に当てて割っちゃったじゃん」
「首塚に……」
それは、生まれたときに作ってもらった面の話のはずだ。しかもあれはうっかり石に当てたのではなく、面が泰智を守ったからで。
「この新しいのは、蔵で見つけたやつだよ。泰輔兄さんの面を譲ってもらおうと思ってたら、これが出てきたんだろ。あれ、そういえばこの前のやつも蔵で見つけたんだっけ。たしかお前が生まれたときに、おじさんが呼ばれた気がして蔵を見に行ったらこの面が落ちてて、これは何かの縁だってことでお前が使うようになったんだよな。泰智って、もしかして面に呼ばれやすいのかね」
隆が懐かしそうに話している。新しいのと言って手にとったのは、本来は前に使っていて割れてしまった狐面だった。
つまりあのミチヒト命の白狐が宿っていた面と、自分が生まれたときに作ってもらった面が、入れ替わっているのだ。
――付喪神は本体が壊れるまで存在し続けます。
白狐の言葉が脳裏に響く。
――もしそうでも、私は貴方に声はかけません。
彼は、本当に声を掛けなかったのだ。それはきっと、泰智がこの時間軸に戻って来る前に声をかけたところで分かるはずがないと知っていたから。それなら何故、白狐は自分の前に姿を表したのだろうか。泰智が戻ってきたときに、小言の一言でも言われるつもりだったか。
いや、彼は知っていたはずだ。詳細は知らずとも、去年面が割れてしまったことは話に聞いていたはずだから。
白狐は狐面の付喪神だ。その彼ならば、通常は壊れることのない面がどうしたら割れるのか検討が付いていたのかも知れない。
「……文句の一つも聞かないのか」
泰智は、割れてしまった面に声を掛ける。当然返ってくる声はない。この面にはもう、付喪神などいないのだから。
迷惑をかけたからせめて守ろうとでも思ったのか。こうして本来持っていた面を戻して、面との繋がりを断たないようにしてやろうとでも。面と持ち主の繋がりは、人間が思うよりもずっと深いものだから。
本当に、勝手だと思う。散々迷惑をかけて、そのまま逃げてしまうなんて。
それでもやっぱりどこか憎めないのは、ミチヒトと白狐の繋がりの深さへの同情と一途さへの感心、そして狐の目を持つがゆえに人ならざるものがどういう存在であるかを分かってしまっているある種の諦めによるだろう。
白狐は泰智の知る世界を守った。それはミチヒトが復讐を望まなかっただけでなく、白狐が泰智の願いを守ってくれたからだ。
ミチヒトとのことだって、その後の話だって、聞きたいことは沢山あったのに。
「祭りはまだ終わってないけど、どうする? いける?」
隆が声をかけてきた。泰智は気を紛らわせるように一度ため息を吐くと、頷いて立ち上がる。
「いくよ。行きたいところもあるし」
落ち込んでいる場合ではない。戻ってきたらやろうと思っていたことがあるのだ。
手に馴染んだ仮面を着けて、鬼灯の提灯を持つ。隆も同じように支度をして、二人で外に出る。
外には、麓の鳥居のすぐあった。神社への道のりは昔から同じ景色が維持されているため、狭まった視界ではまるでタイムスリップでもしたかのような感覚に襲われる。きっともう何百年と、この景色が続いているのだろう。だが、これは過去ではなく現代だ。
石畳ですらない土で作られた階段を登り、神社の鳥居を潜る。神社の前の広場では小さな櫓が組まれ、笛と太鼓の音とともに盆踊りにも似た流し踊りが楽しまれている。地面に座って酒を楽しんでいる大人たちもいるようだった。過去と変わらない景色に、何故か泣きそうになる。
「まずはお参りだな」
隆が言った。泰智は頷いて、彼のあとに続く。
社は清浄な気で覆われていて、お狐様は相変わらず屋根の上で気持ち良さそうに寝ている。一瞬だけ目を開けてこちらを見た気がしたけれど、きっと気の所為だろう。
近づくほど、リュウスケを石棺に入れるシーンが何度も再生された。しかし、そこには罪悪感も恐怖心もない。ずっと抱えていくと思っていたあの感情が、すっかり消えてしまっている。
「魂を抜かれたからってことか」
隆に聞こえないように独り言ちた。
たしか白狐が、魂を神に取られたらどのような影響が出るかわからないと言っていた。
だとすればリュウスケを手に掛けたあの瞬間を、まるで歴史書のページをめくるような気持ちで思い出すのは、その影響なのだろう。
神の優しさか、はたまた偶然か。こんなことをされて、喜べるわけもないのに。
一人の人間を死に追いやった事実に罪の意識を抱えることも出来ない。それがどれほど悲しいことか、きっと人ならざる者はわからないだろう。あの自分を変えてしまいそうな恐怖心は、思い出そうとしても思い出せるものではなかった。きっと二度と知ることはない。
泰智は手を合わせる。流し祭の日に限って、二礼二拍手は必要ない。神を呼び出す必要がないからだ。神は屋根の上で寝ているし、そうでなくても神に何かを祈ると言うより狐の子どもたちが親に挨拶をしに来ているという里帰りのようなものだから。次の一年を祈願するものの、神に届かなくても問題ないのである。
お参りを終え戻ろうとする隆を、泰智は呼び止めた。
「あのさ、付いてきてほしいところがあるんだ」
「いいけど、どこ?」
「社の中」
「は? え? いや、入っちゃ駄目だろ」
「……なら、俺一人で行くから隆は戻ってて」
こちらに戻ってきたら行こうと思っていた場所とは、あの儀式の間だった。
あの場所は生贄の義が執り行われなくなってから、忘れられた場所になっていたはず。おそらくあの時の町人も、まさか石棺の中に居るとは思っていないはずだ。つまり、遺体はまだあの中にある可能性が高い。
神社の改修工事が行われた記録はない。補強等はしていても、根本から立て直すということはしていないようだった。もっとも七百年経っているから、定かではないけれど。
泰智が社の裏に回ろうとしたのを見て、隆がああもうと声を出す。
「分かったよ。俺も行く」
「……ありがとう。一人だとちょっと怖かったから」
隆に付いて来てほしいと思ったのは、その死に向き合う勇気が持てなかったからだった。もしリュウスケが隆の先祖の一人なら、大切な幼馴染の縁者を殺したことにもなる。それは泰智にとって、耐え難いはずだ。
もちろん一人で行くことになっても構わないと思っていたけれど、隆が居てくれたら心強い。




