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三方を山、一方を海に囲まれた沢原町は、まだ村だった時代から比較的閉じられた場所だった。
交通機関の発達により簡単に隣町へ行けるようになっても、町は独自の文化を保ち続けていた。
蔵の大掃除で出てきた古い狐面も、その風習の一つである。
「あら、随分と古い流れ面ね」
一緒に大掃除していた母が、荻野泰智が持つホコリまみれの狐面を覗き込んで言った。
狐面は汚れており、色も剥げてきて木の色が見えている。相当古いことは間違いがなさそうだった。
荻野の家は沢原町でも屈指の旧家で、その起源は平安時代まで遡る。その祖先は、都落ちした貴族の付き人としてやってきたうちの一人らしい。
そもそもこの沢原町自体がかなり古く、奈良時代に大和政権から逃れた人々がひっそりと作った村だという話だ。
もっとも、そのどれもが伝承として残っているだけで、真実かどうかは分からないのだが。
少なくとも五百年前くらいのものならあっさりと出てくる家ではあるので、この狐面も出るところに出せば価値が高そうだった。
「泰ちゃん、今年はその面で流れ祭に出たら? たしか壊しちゃったでしょ」
「嫌だよ、なんか曰く付いてそうだし。兄さんの使う」
「せっかくこうしてお外に出たんだもの、使わないとお狐様が泣いちゃうわよ」
「じゃあ母さんが使いなよ」
「私は自分の面があるから使えないわ」
母が両人差し指をクロスさせてバツを作り言ったので、泰智はしぶしぶ納得するように溜め息を吐いた。
この町には古くから狐信仰がある。それは大和政権から逃げた人々を、この閉ざされた場所に導いたからだった。その狐が神の化身というわけだ。そのため、至る所に稲荷神社がある。
この町では、子供が生まれるとその子のために狐面を作る。それはこの町に住む者が皆お狐様の民であるという証である。
狐面は年に一度の祭りで使われ、祭りでは人々は自分の狐面を被る。狐面は人間を狐に変える道具であり、その狐面以外を使ってはならないとされている。
泰智は昨年の祭りで壊れてしまっていたので、町を離れた兄のものを借りる予定だった。
「これだけ古いなら、もう持ち主もいないでしょう? 面倒な儀式をしないで良さそうじゃない」
「そっちが本音か。……はぁ、わかった。これ使うよ」
「そうこなくっちゃ!」
狐面は原則、一生涯に一枚である。そのため、面は持ち主と深い繋がりを持っているとされていた。災厄から身を守るとか命の危機に晒されたときに代わりになるとか言われているけれど、実際のところどのような繋がりがあるかは分からない。
ともかく深い繋がりがあるので、自分のもの以外の面を使うことは避けられている。
ただし、例外もある。木製の狐面は当然、壊れることもあるのだ。泰智の面も、去年壊れてしまった。
その場合は故人のものか、すでに町を離れた者の面を譲り受けることができた。
ただし、町を離れていても狐面との繋がりが無くなっているわけではない。そのため特別な儀式を行い、狐面の持ち主が二人になることを狐面に認識させる必要がある。
だがここ百年の間でそのような事例はなかったので、文献探しのために蔵の大掃除と相成ったわけだ。
それに対し、故人ならばすでに持ち主との繋がりが断たれているため、そのまま使用し始めれば新たな持ち主となることが出来る。蔵掃除に飽きた母がこの古い面を勧めてきたのは、それが理由だ。
ともかく祭りまで時間もないし、蔵の文献を一から洗うのも面倒なのは泰智も同じだったので、仕方なく了承した。
「それにしても、いつのものなんだろ」
「箱に入ってたんだろ? 何か書かれてなかったのか?」
古びた狐面をくるくると回しながら見ていると、山谷隆がマンガ本から目を離さずに聞いてきた。
黒い短髪からはポタポタと雫が垂れ、肩に掛けたタオルに吸い込まれていく。風呂上がりで暑いのか、タンクトップ姿のままだ。人の家だというのに随分な寛ぎようだが、お腹の中にいる頃からの腐れ縁なので今更か。
「それが、何も書かれてなくてさ。まあ、文字が消えちゃっただけかもしれないけど」
「流し祭の直前なのに面移しの儀の資料が見つからず、そのうえその面が現れた。泰智、その面に呼ばれたんじゃない?」
「……お前、そういう話好きだよな」
「そりゃロマンがあるだろ。それにこの町に住んでて、身近にお狐様を感じない奴はいないって。お前もそうだろ?」
「それは、まあ……」
この町の信仰心が強いのは、何も伝承や風習のせいだけではなかった。多くの者が生涯に一度以上、お狐様の奇跡を体験するのだ。
それは交通事故で無傷で助かるとか、急流に足を取られたのに溺れずに助かるとか、状況は人によりけり。けれど、そういうときはいつも狐が傍にいた。
この町は、狐をほとんど見ることがない。山に行けばいるものの、町には降りてこないのだ。それなのに、自分が命を助けられたときは狐が傍にいた。その状況でお狐様の奇跡を感じるのは当然とも言える。
それは泰智も同じだった。そもそも狐面が壊れるに至った理由も、まさに命からがらのところを助けられたからだった。
そのため山谷が、狐面が泰智を呼んだのだと思うのもおかしな話ではない。
「狐面に選ばれるなんて光栄なことだろ」
「でも、もし呪いとかだったらどうするんだよ。狐面の持ち主が非業の死を遂げていて、怨霊が代わりに復讐してくれる人を探してたとか」
「泰智、そういうオカルトっぽいの好きだよな。幽霊とか妖怪とかさ」
「まあ。神様がいるならそういうのだって居てもおかしくないだろ」
「そりゃそうだけど。俺はああいうの、あんま信じてないしなぁ」
たしかに、実際に身近に感じることが出来る神と、まったく検知することのできない幽霊や妖怪の類では、信憑性に差があるのは当然だ。
少なくとも、隆の視点では。
隆は漫画本から視線を泰智へと移すと、肩を竦めて笑った。
「ま、もしお前がその怨霊とやらのせいで暴走したときは、責任持って鎮めてやるから安心しろよ」
「どうやって?」
「そりゃ鎮めるといえば、海だろ」
「沈める気かよ。斬新な殺害予告だな?」
「なんだよ、せっかく話に乗ってやったのに」
拗ねるように口を尖らせる隆を横目に、泰智は何度目かの狐面との対面をする。
薄暗くモヤが掛かっているように見えるのは、気の所為ではない。持ち主が亡くなっているのは確かなようだが、非業の死を遂げていないにしても何かしらの思念は残っていそうだ。着けてみなければ詳しくは分からないけれど。
いずれにせよ祭りの日には被ることになるので、せめて塗り直しくらいしてあげようか。
そうと決まれば明日は面師の坂上さんに会いに行くとしよう。
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