第9話 猫耳バイヤーが外商に来たのに、餃子ツアーになりました
それは、特別な出来事が起こりそうにない、ごく普通の平日の夜だった。
『次の新月の夜、人間界へ伺いますにゃ』
テレビ画面の中で、ミルフィが妙に改まった声で言った。
「……え、来るのか?」
『はいにゃ。外商ですにゃ』
「外商?」
『優良顧客には、顔を合わせて商品のご提案とヒアリングを行うのが基本ですにゃ!』
どこで覚えたのか分からないビジネス用語を堂々と使っているが、そもそもこの通販、電話一本で異世界から商品を投げ落としてくる時点で、営業の常識も何もあったものじゃない。
「そんな簡単に、こっち来られるもんなの?」
『新月の夜に、星々が一列に並び、次元の膜が薄くなり、魔力の流れが――』
「はいストップ。もういい。分かんない」
途中で遮ると、ミルフィは一瞬むっとした顔をしたが、すぐに「ですにゃ……」と引き下がった。
――そして、新月の夜。
部屋の中央が、いつもの“荷物到着時”と同じように淡く光り始める。
(これ、ほんと慣れないな……)
光が収束した瞬間、そこに現れたのは――
『お邪魔しますにゃ!』
ピンク色の髪、ぴょこぴょこ動く猫耳、しっぽ。
いつもの通販番組そのままのミルフィだった。
「……ほんとに来た」
『来ちゃいましたにゃ!』
軽く会釈するあたり、妙に礼儀正しい。
「で、外商って言うからには、ちゃんと仕事の話聞いてくれるんだよな?」
『もちろんですにゃ!』
「じゃあさ、朝の出勤時間を短縮したくて――」
世界規模じゃなくていい、せいぜい自宅と職場くらいで瞬間移動できる、
どこでもドア的なものを想定して説明し始めた、その途中。
俺は違和感に気づいた。
ミルフィが、全然聞いていない。
視線はあちこちに泳ぎ、足元をもじもじ。
しっぽが、そわそわと落ち着きなく揺れている。
「……トイレ?」
『ち、違いますにゃ!!』
即座に否定された。
『えっと……その……』
しばらく黙り込んだ後、ミルフィは意を決したように顔を上げる。
『薫さんが……よく持って帰って食べているものが気になりまして……』
「?」
『一口サイズで……白くて……表面に焦げ目があって……』
「?」
『金曜の夜に……二十個とか……三十個とか……』
「?」
『黄金の泡の出るお茶でグイッと流し込んで、プハーとやってる……』
「あー」
そこでようやく察した。
「餃子?」
『餃子!!』
その瞬間、ミルフィの目がきらきらと輝いた。
『あれ、ずっと気になってたんですにゃ! 薫さん、あれを幸せそうに食べるでしょう?』
「確かにうんまいけどね。普通の餃子だよ?」
『普通じゃないですにゃ!!』
力説されても困る。
『あれが、どうしても食べてみたくて……それで来ましたにゃ』
「おーい、外商どこ行った」
『次の注文、大幅割引しますにゃ!』
完全に私情だった。
俺は一瞬ためらって、それから肩をすくめた。
「……分かったよ」
『本当ですにゃ!?』
「ただし、目立たないようにな」
クローゼットを開けて、自分の服を引っ張り出す。
「ほら、これ着て。フードで耳隠して」
『……きついですにゃ』
「文句言わない。尻尾は……上着で押さえて」
『しっぽ、感情と連動する仕様なんですにゃ……』
「厄介だな!」
こうして俺は、不審な猫耳少女(必死に一般人風)を連れて、行きつけの町中華へ向かった。
暖簾をくぐった瞬間、にんにくと油の匂いが鼻を直撃する。
『……!!』
ミルフィが、その場で固まった。
「……大丈夫か?息してる?」
『この熱気……まさにここは……戦場ですにゃ……』
「町中華だよ」
焼き餃子と水餃子を五人前ずつ注文する。
俺も食べるから多めに。
「熱いから気をつけろよ、ミルフィ」
皿が置かれた瞬間、ミルフィは、じっと見つめてから無言で箸を伸ばし――
『…………』
「どう?」
『…………!!』
言葉を失ったまま、餃子が消えていく。
『おいしいですにゃ!! 異次元ですにゃ!!』
「異次元っていうか、世界違うだろ」
皮の厚み、肉汁、にんにくのパンチ。
一口ごとに、ミルフィは感動の声を上げる。
『水餃子、優しいですにゃ……』
『焼き餃子、攻撃力高いですにゃ……』
「……十人前ずつ頼んでおくべきだった」
そのうち、ミルフィの様子がおかしくなってきた。
『……ゴロゴロ……』
「……え?」
頬が赤い。目がとろんとしている。
『人間界のにんにく……マタタビ級ですにゃ……』
「ちょっと待って」
次の瞬間、ミルフィがフードを脱ぎ捨てた。
『餃子、最高ですにゃん!!』
「ちょっ!!」
ぴょこん、と飛び出す耳。
しっぽも元気よく主張する。
慌てて周囲を見るが――
「可愛いコスプレだねぇ」
「完成度高いなぁ」
(……ありがとう、平和な日本)
店を出た後も、ミルフィは上機嫌のままだ。
『実は……茶色くて……たわしみたいな食べ物も……齧るとさくさく……』
「たわし?うーん、コロッケかな」
『たぶん、それですにゃ!!』
商店街を歩きながら、揚げたてのコロッケを頬張る。
『さくさくですにゃ……』
「あの焼き鳥っていうのは串焼きで、そっちにもあるか?」
「あれはケーキって言って、甘いんだぞ」
『宝石みたいですにゃ……』
あれもこれも説明しながら、俺はふと思った。
――いつぶりだろう。
誰かと並んで、食べて、笑うのは。
家に戻ると、ミルフィは満腹と酔いで完全に電池切れ寸前だった。
『……もう一歩も歩けませんにゃ……』
「さっきまで商店街ダッシュしてたの誰だよ」
『餃子パワーは短期バフですにゃ……』
ソファに沈み込み、しっぽをだらんと垂らすミルフィ。
耳もぺたんと伏せている。
「で?」
俺は腕を組んだ。
「外商は、どうした?」
『……』
「要望のヒアリングは?」
『………………』
沈黙が、答えだった。
「……ミルフィ?」
『すみませんでしたにゃ』
正座した。
ソファの前で、ぴしっと正座。
ぴこっと猫耳が立つ。
『完全に、食べることに夢中になってましたにゃ』
「でしょうね!!」
今日一日を振り返る。
来訪理由:外商
実際の行動:餃子、水餃子、コロッケ、焼き鳥(持ち帰り)、ケーキ(持ち帰り)
「お得意様の要望を直接聞くんじゃなかったのか?」
『一応……にんにくの異世界需要調査は……』
「調査じゃないだろ、ただの爆食い」
ミルフィはしょんぼりしながらも、どこか満足そうだった。
『でも……薫さん』
「なに」
『人間界の“誰かと食べるごはん”、すごくいいですにゃ』
その言葉に、少しだけ胸が詰まる。
『異世界では、食事は効率か栄養補給ですにゃ』
『誰かと笑いながら、寄り道しながら食べる文化……新鮮でしたにゃ』
「……営業向いてないね」
『向いてないですにゃ』
即答だった。
「じゃあ、外商やめたら」
『それはそれで上司に怒られますにゃ』
「上司いるんだ」
『いますにゃ。数字に厳しいですにゃ』
急に現実味を帯びる。
『しかしですにゃ。今回、何も仕事してないように見えて……』
「してないだろ」
『人間界の食べ物が、おいしいことを解明しましたにゃ!』
「……はい?」
『これを活用しない手はありませんにゃ!あちらで餃子を発明して売り出しますにゃ』
「食い意地からの商魂!!」
俺は噴き出した。
『今日のお礼に、次回割引も本当ですにゃ!』
「それは当然」
『次回、餃子関連アイテムが出たら……』
「出すな」
ミルフィはくすっと笑った。
『でも……』
少しだけ、声が柔らかくなる。
『今日は、ちゃんと“人間の暮らし”を見られましたにゃ』
『それも、外商の仕事……ということにしておきますにゃ』
「ずるいな」
ミルフィは、どこか晴れやかな顔をしていた。
両手にはしっかりとテイクアウトした焼き鳥とケーキの袋を下げている。
やがて、部屋の中央がまた淡く光り始める。
『そろそろ帰りますにゃ』
「……また来るのか?」
『はいにゃ』
「外商として?」
『いえ』
にやり、と笑う。
『次は“食べ歩き担当”としてですにゃ』
「役職変わってる!」
光が収束し、ミルフィの姿が消える。
部屋は、また静かになった。
でも。
冷蔵庫の中の餃子と、
胃の奥に残る温かさが、
確かに今日があった証拠だった。
(……誰かと食べるって、こんな感じだったっけ)
一人で生きていると思っていたけれど。
こうして笑った夜が、明日をつなぐ。
この異世界通販は、
相変わらず危険で、非常識で、
営業成績もめちゃくちゃだけど。
たまに、ちゃんと――
人を救う。
少なくとも、今日の俺を。




