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深夜の異世界通販~社畜の俺、商品を買うたび人生が壊れる件~  作者: 雪竹


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8/11

第8話 呪われたイヤホンを課長に使わせたら、俺が愛の告白したことになりました

 その日も会社は平常運転だった。

 つまり、地獄である。


「相川ァ……お前さぁ、ほんと“使えない”よなぁ」


 背後から落ちてくる声は、怒鳴り声ではない。

 もっと嫌な、ねっとりした声だ。

 怒鳴られた方がまだマシだと、人は知ってしまう。怒鳴られたら、終わるから。

 この職場の小言は終わらない。延々と、俺の呼吸を奪っていく。


「はい……」


 返事をした瞬間、課長が鼻で笑った。


「“はい”じゃないだろ。“申し訳ありません”だろ。社会人の基本も分かってないのか?」


 同僚たちは視線を画面に向けたまま、キーボード音を大きくした。

 誰も助けない。助けられない。

 助けた瞬間、次の矛先が自分に向くのを知っているからだ。


(……聞きたくない)


 課長の言葉を、聞きたくない。

 毎日毎日、嫌味を聞き続けて、胃が縮む。

 家に帰っても、声が耳の奥に残っている。


 殴りたいわけじゃない。

 辞めたいわけでもない。

 ……いや、辞めたいとは毎朝思ってるけど、今は考える余裕すらない。


 ただ――


(この人の声だけ、消えてくんないかな)


 その夜。

 残業を終えて、魂だけ持って帰宅した俺は、ふらふらとテレビの電源を入れた。


 ♪テレレレッ♪


「あ、はいはい。来ましたね」


 軽快すぎるBGM。派手すぎるテロップ。

 画面の中央で、ピンク髪の猫耳娘――ミルフィが元気よく手を振っている。


『さあさあ始まりました〜!毎度お馴染み、異世界通販のお時間ですにゃん!』


「どこから来るんだよ、その元気」


『本日は!人間関係の摩擦に疲れた人族さん向けの商品ですにゃ!』


「摩擦しかないよ、日本て」


 ミルフィが掲げたのは、よく見かけるデザインの白いケースに入った小さなイヤホンだった。


『こちら!呪われたイヤホンですにゃ!』


「いや、呪われてるのかよ!!」


 俺は反射でツッコんだ。

 ツッコミって便利だ。危険を理解しているフリができる。


 でもミルフィは、いつも通り笑顔で続ける。


『大丈夫ですにゃ!そんなに害はありませんにゃ!』


「呪いって言ったよな!?害がない呪いって何!?」


『このイヤホンは、使用者の“心が一番聞きたい言葉”に寄せて変換しますにゃ』


「……どういう意味?」


『課長の嫌味は誉め言葉に、愚痴は応援に、罵倒は小鳥のさえずりになりますにゃ!』


「……それは……」


 喉まで「欲しい」が出かかった。

 欲しい。俺の耳に、フィルターが欲しい。

 現実の声を直接受け止めるのが、もうしんどい。


 画面下に、注意書きが流れた。


【※長時間の使用はお控えください】

【※真実が聞こえなくなる恐れがあります】


「真実が聞こえなくなるの、めちゃくちゃ怖いんだけど?」


『大丈夫ですにゃ!嫌なことは聞こえない方が幸せですにゃ!』


「さらっと怖いな!幸せの定義が雑すぎる」


 さらにミルフィが言う。


『装着すると透明になるので、不審に思われることもありませんにゃ!』


「そこだけ無駄に丁寧!」


 俺は悩んだ。悩んだ“つもり”だった。

 でも本当は、もう決まっていた。


 疲れ切った心は、正しさより“楽”を選ぶ。

 俺は電話を取った。


 翌朝。


 イヤホンを耳に入れて出勤した瞬間、世界が変わった。


「相川。昨日の資料、あれ何?」


 課長の声がした。

 ――いつもなら胃が縮む音だ。

 でも、イヤホン越しに聞こえたのは、


(今日も頑張ってるね)


「……え」


「お前、ほんと“詰め”が甘いよなぁ」


(惜しい! あと少し!)


「えっ」


「ちゃんと考えろ。言われなくても分かるよな?」


(君ならできるよ)


 俺は、思わず笑顔になっていた。

 口角が勝手に上がる。肩が軽い。


「は、はい!」


 返事が元気になりすぎて、同僚がこちらを見る。


「相川さん……今日、テンション高くない?」


「うん。なんか、世界が優しくて」


「え、こわ」


 その日は、信じられないほど仕事が進んだ。

 課長の小言が、全部「励まし」に聞こえる。

 同僚の冷たい一言も、全部「気遣い」に聞こえる。


 褒められて伸びるタイプなんだな、俺。


 ――午後。


 問題が起きたのは、取引先との電話だった。


『今回の依頼、超簡単です。予算も希望通り。よろしくお願いします』


 イヤホン越しに、俺はこう聞いた。

 このイヤホンはほぼ正反対に変換されるから……


(=難しいけど、お願いしたい。予算は渋い。納期も厳しい)


 というワケね。理解。


 資料を見る。

 確かに、無茶な納期だ。

 部署全体で死に物狂いなら、ギリギリ……いや、ギリギリでも危ない。

 死人が出る。


 俺は深呼吸して返事をした。


「申し訳ありません。その条件では、ちょっと難しいかと……」


 電話の向こうが、一瞬沈黙した。


『……そうですか。残念ですが、分かりました』


 その瞬間、背中に冷たい汗が走った。


(え?今の……)


 イヤホンの中では、優しい声だった。

 でも、言葉の端に、わずかな棘が刺さった気がした。


 ――数時間後。

 課長が席から立ち上がり、俺のデスクへ来た。


「相川」


 低い声。

 俺は条件反射で身構える。

 だがイヤホンは、いつも通り“優しい世界”を作ってくれた。


「お前、取引先を飛ばしたって?」


(よく言ってくれたね)


「サンライズ・トレーディング社は、他社にこの条件でOKもらって、ウチとは終わりだそうだ!今後の取引はない、とな!」


 課長の顔は、地獄の鬼みたいに噴火していた。

 眉間の皺が深く、目が血走っている。


 なのに――俺の耳だけは、天国だった。


(あんな取引、断って当然だ)


(縁が切れてせいせいする)


 俺は、背筋がぞわっとした。


(……表情と、音が合ってない)


 怖い。

 笑顔で褒めているのに、目が「殺す」と言っている人間が怖いのと同じだ。

 褒めている“はず”なのに、空気が恐怖そのもの。


 課長が机を叩いた。


「お前さぁ!!どう責任取るつもりなの!?」


(疲れただろうから、今日はもう帰って休め)


 耳が、そう訳した。


 周囲の空気は凍っているのに、俺はイヤホンの中でだけ優しい言葉を浴びている。


 取引先との電話で、今後の取引については何も言っていなかった。

 つまり、正反対に聞こえていたわけではなかったということだ。


(……これ、俺の都合のいいようにしか聞こえてない)


 突然、胸が苦しくなる。

 上司の言葉だけじゃない。

 取引先の電話も。

 同僚の反応も。


 俺が「こうであってほしい」と思う内容に、勝手に変換されている。


(俺が聞いてるのは、現実の反対じゃなくて)


(俺の願望……?)


 怖い。

 このイヤホン、ストレスを減らしてくれるんじゃない。

 現実から俺を切り離して、楽な夢を見せているだけだ。


 課長が、さらに何か言った。

 俺は耳の中の「優しい言葉」と、目の前の「鬼の顔」の差に耐えられなくなって、席を立った。


「……すみません。少し……」


 その瞬間、同僚が小さく息を吐いた。


「相川さん……」


 普段なら冷たい同僚が、ほんの少しだけ目を和らげていた。

 イヤホンは、その声をこう訳す。


(その取引、なくて良かったよ)


 ……え?

 表情と声が合ってる……?

 イヤホン越しでも、ちゃんと温度がある、気がする。

 もしかして、これは本当のことなのか……?

 

 ――イヤホン越しじゃ、分からない!


 混乱したまま、トイレの個室に逃げ込む。

 耳に指をかけ、イヤホンを外そうとした。


 ――外れない。


「……は?」


 引っ張っても、びくともしない。

 スマホの画面が勝手に光り、文字が浮かんだ。


【この装備は呪われています】


「そういう意味でも呪われてるのかよ!!」


 俺は、個室で小声で叫んだ。

 ドン引きされるので叫べない。ブラック企業は、叫ぶ自由すら奪う。


「ミルフィ!!」


 俺は帰宅するなり、テレビに向かって叫んだ。

 リモコンは操作していない。

 でも、こういう時に限って――点く。


 ♪テレレレッ♪


『お困りですかにゃ?』


 ミルフィが、いつも通りの笑顔で手を振っていた。


「外れないんだけど!?解除条件は!?」


『電池が切れたら外れますにゃん』


「最初に言えって!!」


『同梱の説明書に書いてありますにゃ』


「どこに!!」


 説明書の隅に、米粒みたいな文字で書かれていた。


【※電池切れまで外れません(呪い効果)】


「読めるかー!!」


『薫さん、説明書は読まずに使うタイプですにゃ。では、良い人族ライフを〜♪』


 ミルフィが手を振った瞬間。


 ――ぽろり。


 耳からイヤホンが落ちた。

 ちょうど電池切れだったらしい。


「……タイミング良すぎだろ」


 イヤホンを握りしめ、俺は震えた。

 恐怖と怒りと、少しの興味。


(……でも、これ)


(外れないことを利用できる)


 次の日。

 俺はフル充電したイヤホンを持って出勤した。


 課長が、イヤホンで音楽を聴きながら出勤し、昼休みもイヤホンをしているのを知っていた。


(……入れ替える)


 復讐の規模としては小さい。

 でも俺の人生は、小さい復讐でしか回復できないくらい削られている。


 離席した課長のデスクにそっと近づく。

 引き出しのイヤホンを、さりげなく入れ替えた。

 デザインはほぼ同じ。

 

 俺は心の中で、深く頷く。


(くくく、呪われるがいい)


 昼休みから戻った上司が、耳を気にしている。

 何度も耳に触れている。


(……困ってるな)


 午後。

 課長は俺を会議室に呼び出した。


「相川!!」


 鬼の顔。


「先日の件、どう責任を取るつもりだ!!」


 俺は、深く息を吸った。


 もうどうでもいい。


 課長の声をまともに受け止めると死ぬので、俺は言い返す。


「知るかよ!!

 どうせ受けたって“こんな無茶な条件で取ってきやがって”って言うんだろ!

 責任は上司が取るもんだろーが!!」


 課長が、固まった。


「…………」


 そして、気まずそうに視線を彷徨わせる。 


「……あ、相川くん」


 声が上ずっている。


「別に、そういうことに偏見があるというわけではないんだ……」

「……私は、妻と子がいる身で……」


「は?」


 俺は意味が分からず固まった。


「き、君の気持ちは……分かった……」


 ――この人、今、何を受信した?


「しかし、君の気持ちに応えるわけには……」


 俺は秒で察した。

 このイヤホンは装着した人の、都合の良いように変換する。


(この反応……俺が愛の告白をした感じになってる!!)


 課長が、耳を押さえながら立ち上がる。


「取引先と会う約束があった……じゃ……」


 そう言って、そそくさと会議室を出て行った。


 俺は会議室に一人残され、椅子にへたり込む。


「……何だ、これ。相打ち?」


 笑っていいのか分からない。

 でも、笑うしかない。


 翌日。

 上司の嫌味は――体感で5%オフだった。


 ほんの少しだけ。

 ほんの少しだけ、世界がマシになる。


 会社が変わるわけじゃない。

 上司が改心するわけでもない。

 それでも、5%は5%だ。


 俺はデスクに戻り、小さく息を吐いた。


(……この異世界通販)


(やっぱり人間向けじゃない)


 でも、

 俺も俺で、少しだけ賢くなった気がした。


 そして、机の上の充電ケーブルを見て、異世界にも電気はあるんだな、と今更気づくのだった。

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