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深夜の異世界通販~社畜の俺、商品を買うたび人生が壊れる件~  作者: 雪竹


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7/11

第7話 吸水力が強すぎるタオルで、街が救われました

 台風は、来ると分かっていた。


 朝の通勤電車で、すでに人はそわそわしていた。

 車内モニターには「今夜から明日にかけて暴風雨」「不要不急の外出を控えて」といった文字が流れ、スマホの通知も同じことを言っている。


(帰り、地獄だろうな……)


 分かっている。

 分かっているのに、俺の足は会社へ向かう。


 会社の入口に貼り出された「台風接近に伴い安全に配慮して行動してください」という張り紙を見て、思わず鼻で笑った。


「安全に配慮」って、具体的に何を?

 早く帰らせるとか?

 ……そんなこと、するわけがない。


 午前中、課長はいつも通りだった。


「電車止まるかもしれないですよね」


 同僚が恐る恐る言うと、課長はキーボードを叩く手を止めずに言った。


「止まったら止まったで考えればいいじゃん」


(考えるの、俺たちだよな?)


 昼過ぎ、雨音が強くなる。

 窓の外は白く霞み、ビルの間を抜ける風が、ひゅうひゅうと嫌な音を立てた。


 ――それでも。


「相川。今日中にここ、仕上げて」


 課長が資料を俺のデスクに置く。

 台風のニュースを映したモニターの前で、何食わぬ顔。


「今日中……ですか」


「うん。今日中」


 言い方が軽い。

 でも、軽いのは言い方だけで、意味は重い。


(帰れるか?)


 自分でそう考えた瞬間、無性に腹が立った。

 “帰れるかどうか”が、個人の努力の問題になっている時点でおかしい。


 ようやく解放されたのは、夜だった。


 駅へ向かう道は、すでに川みたいになっていた。

 足首まで水。

 風は、前から殴ってくる。


 駅構内に入った瞬間、湿った人の匂いと、濡れた服の冷たさが混ざった空気がまとわりついた。

 床は滑るし、駅員さんは声を張り上げている。


「本日は一部区間で運転を見合わせております!」


(一部じゃなくて、もう全部止まりそう)


 電車は遅れながらも動いていた。

 車内はぎゅうぎゅう。

 濡れた傘同士がぶつかって、水が飛ぶ。


 駅を出た瞬間、台風は本気を出した。


 傘を差した――つもりだった。

 次の瞬間には、傘は裏返り、風に引っ張られて手から抜けた。


「……あ」


 傘が、飛んでいく。

 夜の闇に吸い込まれるように、くるくる回って消えた。


 雨は横殴りで、顔に当たって痛い。

 服は水を吸って重い。

 靴の中で、足がちゃぷちゃぷ鳴る。


「……最悪だ」


 帰宅したとき、俺はすでに「びしょびしょ」を通り越していた。

 体温を奪われて、手が震える。


 玄関で服を脱ぎ、ぎゅっと絞る。

 洗濯機に叩き込み、ようやくタオルを手に取った。


 ……拭いても拭いても、追いつかない。


「タオルの無力さを知る日が来ようとは」


 悲しい発見をしているときだった。


 ♪テレレレッ♪


「……はいはい」


 テレビが勝手につく。

 軽快なBGM。派手なテロップ。

 画面の中央、ピンク髪の猫耳娘――ミルフィ。


『さあさあ始まりました〜!

 お元気ですかにゃ? 異世界通販のお時間ですにゃん!』


「見て、今の俺、見てから言って」


『台風でびしょびしょの人族さん! お困りではないですかにゃ?』


「お困りです」


 即答すると、ミルフィは満足そうにうなずく。


『そんなあなたに! こちら!』


 出てきたのは……タオル。

 白くて、ふわっとしていて、見た目は普通。


『全吸水タオルですにゃ!』


「……ただのタオル?」


『違いますにゃ! 一枚で全身拭けますにゃ!

 髪も! 服も! 床の水も! 全部これ一枚で完璧ですにゃ!』


 俺は濡れた髪を指でつまみ、ぽたぽた落ちる雫を見た。


「……それ、今の俺に一番必要じゃん」


『鞄に一枚入れておけば、突然の雨でも安心ですにゃ!』


(珍しくまともだ……)


 そう思った時点で負けだった。


「注文します」


『ありがとうございますにゃ!』


 電話を取る俺の手は、びしょびしょで画面が反応しない。

 イラつく。台風のせいで。


 ――数秒。


 部屋の中央がぼんやり光り、ぽとり、と小包が落ちた。

 開けると、タオルが一枚。

 ふわふわ。いい手触り。


「……これが救世主」


 俺は顔を拭いた。


 その瞬間。


「……っ!?」


 水分が、消えた。

 いや、消えたというより、持っていかれた。


 肌が、つっぱる。

 頬が、痛い。

 唇が、きしむ。


「……乾いた……のか?」


 鏡を見ると、粉を吹いた頬。

 唇はうっすらひび割れ。

 目の周りが妙に突っ張って、瞬きが痛い。


「ちょっと待て、俺の水分まで持っていかれてるだろ」


 髪を拭くと、サラサラじゃなくて……パサパサ。

 静電気で毛先が逆立つ。


「……干し草」


 俺はテレビに向かってクレームを入れた。

 ミルフィが映るのを待つまでもなく、叫ぶ。


「ミルフィ! 吸いすぎ! 加減考えろって!」


 画面が切り替わり、ミルフィが耳をしゅんと伏せた。


『申し訳ございませんにゃ……! 実は手違いで……』


「手違い、って何」


『三千枚のタオルが、薫さんのお部屋に届く予定ですにゃ』


「は?」


『お詫びの品として、そのまま受け取ってくださいにゃ。

 返品は……できませんにゃ』


「できませんにゃ、じゃない」


『では、失礼いたしますにゃ!』


「待て! せめて水分返せ!」


 通信は一方的に遮断された。


 そして、数分後。


 部屋の中央が――いや、部屋の中央どころじゃない。

 廊下の先から、玄関から、どさどさどさっと音がした。


「……え?」


 まず、部屋から出られない。

 ドアの向こうが、白い。


 恐る恐る押すと、むぎゅっとした感触。

 開かない。

 つまり。


「……タオルでドア塞がれてる!!」


 必死に押し込み、隙間から身体をねじ込むようにして玄関まで出た。

 そこにも――タオル。


 タオル。

 タオル。

 タオル。


 天井までみっしり積まれている。

 

「どうしろっていうんだよ!!」


 怒り心頭。

 でも、怒りをぶつける相手がいない。

 タオルしかいない。


 そのとき、テレビのニュースが目に入った。


『河川が増水し、堤防の決壊の恐れがあります。

 付近の住民の方は――』


 画面には、茶色い濁流。

 水位はギリギリ。

 堤防の上を流れそうな勢い。


 ――これ、うちの近所じゃねーか。


 俺は、タオルを見た。

 全吸水タオル。

 全ての水分を根こそぎ吸うタオル。


「……これ、使い道があるじゃん」


 心臓がどくんと鳴った。


(でも、俺が?)


 頭の中で一瞬だけブレーキがかかる。

 だって俺は、ただの会社員。

 ヒーローじゃない。

 むしろ今日も残業させられて、泣きそうだった人間。


 でも、もう一度ニュースを見る。


(誰かがやらないと、溢れる)


 タオルがある。

 俺は、走れる。

 そして――あれがある。


 俺はテレビに向かって叫んだ。


「ミルフィ!! ドラゴンの肉、頼む!!」


 返事はない。

 でも部屋の中央が光った。


 箱がタオルの間に挟まっていた。

 開けると見覚えのある、肉。

 説明書には相変わらず「食べすぎ注意」。


「分かってる。学習した」


 俺は焼いた。

 今度はちゃんと、適量。

 ……より、少し多め。


「今日は“ちょっと多め”でいい」


 口いっぱいに詰め込み、咀嚼し、飲み込む。


 身体の奥から熱が湧く。

 心臓が強く打ち、血が巡る。

 視界が鮮明になる。

 寒さも疲れも、どこかへ押しやられていく。


「よし」


 タオルを抱えた。

 束にして肩に担ぐ。


 ……重いはずなのに、軽い。

 身体が嘘みたいに動く。


「いっちょ行くか、タオル軍団」


 俺は寝巻のまま、頬かむりをした。

 だって雨だし、顔に当たると痛いし、寒いし。

 あと、なんかそれっぽい。


 外へ飛び出す。


 風が殴ってくる。

 雨が刺さる。

 でも俺は、走った。


 台風の日の街は、映画のセットみたいに無人だ。


 堤防に着いたとき、川は吠えていた。

 濁流がうねり、泡立ち、堤防を叩いている。


「うっわ……これ、あと少しで溢れる」


 俺はタオルをばらまいた。

 堤防の際に沿って、一枚、二枚、三枚。

 水が当たる場所に置く。


 タオルが、吸う。

 吸って、膨らむ。

 吸って、重くなる。

 まるで白い生き物みたいに、水を飲んでいく。


「すげー……」


 感心している場合じゃない。

 俺は走って戻った。


 自宅へ。

 タオルを抱えて。

 また堤防へ。


 往復。

 往復。

 往復。


 途中で足が止まりそうになる。

 でも、ドラゴンの肉が背中を押す。


(これ、やりすぎたら寝込むんだよな)


 そんなこと、今はどうでもいい。

 目の前で川が溢れたら、もっと大変だ。


 最後の束を置いた頃、雨は少し弱まっていた。

 風も、さっきほど牙を剥いていない。


 川は――溢れていない。


 タオルの列が、堤防の際でずっしり膨らみ、

 濁流を受け止める白い壁になっている。


「……タオルで治水する日が来るとは」


 俺は膝に手をつき、息を吐いた。

 湯気みたいな息が白く出る。


(助かった……のかな)


 翌朝。


 案の定、俺は布団の中で死んでいた。

 筋肉痛と倦怠感が押し寄せて、全身が鉛みたいだ。


「ぐぐぐ……学習したのに……」


 でも、ニュースを見て分かった。

 堤防は決壊していない。

 被害は最小限。

 避難指示は解除へ向かっている。


 その日の午後、会社へ行くと、休憩室で皆がテレビを見ていた。


『こちらをご覧ください。堤防付近で撮影された映像です』


 画面には――寝巻姿の人物。

 頬かむり。

 タオルを担いで、猛スピードで走る。


「なにこれ」

「泥棒?」

「ねずみ小僧?」

「いや、小判じゃなくてタオル撒いてる」


 笑いが起きる。


 俺は、黙ってその映像を見た。


(……俺だ)


 でも、言わない。


 課長が腕を組んで言った。


「最近の世の中、変なやつがいるもんだな」


(この会社の方が変だよ)


 喉まで出かかったツッコミを飲み込む。


 誰にも褒められなくていい。

 “偉いね”って言われなくてもいい。


 町が無事で、

 誰かの家が水に飲まれなくて、

 誰かが泣かなかったなら、それでいい。


 ――それだけで、今日はちょっと勝った気がした。


 家に帰れば、タオルは……もう、ほとんどない。

 堤防に置いたままだ。回収は……考えないことにしよう。


「……結果オーライ、なのかな」


 テレビが静かに光った。


 ♪テレレレッ♪


「……出たよ」


 ミルフィが画面の中で、目をそらしている。


『……ご利用、ありがとうございましたにゃ』


「三千枚、どういうことだ」


『手違いですにゃ……! でも結果的に、人助けできましたにゃ!』


「結果論で許されると思うなよ」


『次回は、もっと“人族さんに優しい”商品をご用意しますにゃ!』


「それが一番信用できないんだって」


 ミルフィはにこっと笑って、手を振った。


『では! また次回〜!』


 画面が消え、部屋に静けさが戻る。


 俺はソファに沈み込み、乾いた唇を舐めた。

 タオルのせいで、まだ少しカサついている。


「……この異世界通販、やっぱり人間向けじゃない」


 でも。


 ほんの少しだけ、思った。


(使い方次第では、

 人助けくらいは……できるのかも)


 俺は、久しぶりに笑った。

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