第5話 安心感がすごいお守りを使ったら、なぜか教祖になりました
銭湯事件の翌日。
俺は、自宅の布団の中で天井を見つめていた。
身体は、だいぶ回復している。
筋肉痛はまだ残っているが、動けないほどではない。
それなのに。
「……動悸がする」
会社のことを考えただけで、
胸が苦しい。
心筋梗塞かもしれない。
スマートフォンを手に取る。
課長からの「体調どう?」という短いメッセージ。
その裏に透けて見える、
「いつ戻れる?」という本音。
「……行きたくねー」
別に、殴られるわけじゃない。
怒鳴られるだけだ。
上でも下でもない、宙ぶらりんの年齢。
仕事を振られ、責任を押し付けられる日々。
心臓が、痛い気がする。
「エリクサー……」
視線が、棚の奥に向く。
三か月分の給料と引き換えに届いた、幻の万能薬。
あれなら、きっと治る。
心臓も、心も。
「……これは、最後の切り札だ」
俺は、首を振った。
あれに頼ったら、
何か大事なものを間違える気がする。
「元気じゃなくていい……」
布団に顔を埋める。
「ただ……
心安らかに、眠りたいんだ……」
♪テレレレッ♪
「……」
聞き覚えのありすぎる音に、
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
テレビが、勝手についている。
派手なテロップ。
軽快なBGM。
『さあさあ始まりました〜!
本日限りの限定商品をご紹介、異世界通販のお時間ですにゃん!』
「……来ると思った」
画面の中央で、
猫耳の少女――ミルフィが、元気よく手を振っている。
『今回は、人族さん向けに!
とってもとっても優しい商品をご用意しましたにゃ!』
「もう信用できねぇよ」
ミルフィは気にせず、
くるっと回って商品を指し示す。
『こちら!
安心感がすごいお守りですにゃ!』
画面に映ったのは、
素朴な紐に通された、小さな護符だった。
拍子抜けするほど、普通。
「……お守り?」
『見た目は控えめですが、
効果は抜群ですにゃ!』
『不安、恐怖、焦燥――
そういった感情を、やさ〜しく包み込みますにゃ!』
「……」
胸が、ざわりとした。
『異世界では、
夜泣きする子どもさんや、
戦場帰りの兵士さんが使ってますにゃ』
「……それは、効きそう」
正直に、そう思った。
不安。
憂鬱。
今の俺に、
これほど刺さる商品説明はない。
『副作用はありませんにゃ!』
「……信じられないんだが?」
『※強い安心感が持続しますにゃ』
「それ、副作用じゃないのか?」
ミルフィは、にこっと笑った。
『大丈夫ですにゃ!
安心は、いくらあっても困りませんにゃ!』
「……困ると思うぞ」
それでも。
「……欲しい」
口に出してから、
自分で驚いた。
欲しい。
安心が、欲しい。
何も考えずに眠れる夜が、欲しい。
『ありがとうございますにゃ!』
お守りは、すぐに届いた。
ぽとり、と床に落ちた小包。
開けると、中に入っていたのは
素朴な紐に通された、小さな護符だった。
「……地味だな」
ドラゴンの肉のような迫力もなければ、
惚れ薬みたいな怪しさもない。
ただ、手に取った瞬間。
「……あ」
胸の奥で、
ぐっと固まっていた何かが、
ふわっとほどけた。
不安が、消える。
将来の心配も、
会社のことも、
課長の顔も――
「……どうでもいいや」
世界が「大丈夫」って言ってくる。
根拠はない。
でも、確信だけある。
(なんだこれ)
(やばい)
(でも最高)
俺は、そのまま護符を首から下げた。
その夜、
俺は久しぶりに、
夢を見ずに眠ることができた。
翌朝。
目覚ましが鳴った。
いつもなら、布団にしがみつくところだ。
でも。
「……起きるか」
穏やかだった。
むしろ、爽やかなくらいだ。
起きるのが怖くない。
歯を磨くのが苦行じゃない。
ネクタイが「戦闘準備」じゃない。
鏡に映る自分の顔は、
やけに柔らかい。
「……俺、今、いい顔してない?」
口角が、自然に上がっている。
(これがメンタル強者の朝……?)
駅の改札。
ホームの雑踏。
すれ違う人の肩。
全てが戦闘モードの朝。
なのに、今日は、全部が「無害」に見える。
(……会社に行くのが怖くない)
出社した瞬間、
空気が、変わった。
「……あれ?」
視線を感じる。
同僚たちが、
妙にこちらを見ている。
「相川さん……?」
「なんか……今日……」
「……?」
席に着くと、
課長が近づいてきた。
「相川君、体調はどうだ?」
いつもより、声が優しい。
(優しい、だと……?)
「はい。おかげさまで」
微笑む。
すると。
――ふわっ、と。
視界の端が、
ちょっと明るい。
……光った?
いや、気のせいだ。
蛍光灯の反射だ。
たぶん。きっと。
「……相川君」
課長が、
なぜか、目を潤ませていた。
「君は……
大変な中でも、笑顔を忘れないんだな……」
「……はい?」
(何を言い出したんだ、この人……)
午前中。
俺は淡々と仕事をした。
メールを返し、
資料を整え、
修正を入れる。
いつもなら、
「この量、誰がやると思ってんだ」
と心の中でキレ散らかすところだ。
でも今日は、違う。
(大丈夫)
(俺ならできる)
安心感が、俺の背中を支える。
不安がない。
焦りがない。
すると、周囲が妙な反応をし始めた。
「相川さん……落ち着いてますね……」
「何その安定感……」
「なんか見てると、呼吸が整う……」
(ヨガ?)
昼休み。
自分のデスクに戻ると、
違和感があった。
「……何だ、これ」
小さなお菓子。
缶コーヒー。
のど飴。
「……お供え物?」
誰かが、そっと声をかけてくる。
「相川さん……
ちょっと、相談いいですか」
それから。
二人。
三人。
仕事の相談じゃない。
「人生って、何のためにあると思います?」
「私、このままでいいんでしょうか……」
「肩こりがひどくて……」
(よろず相談会が始まったんだが)
俺は、困惑しながらも、
微笑みを絶やさず答えた。
「……大丈夫ですよ」
それだけ。
それだけなのに。
「……救われました……」
泣かれた。
「……え?」
午後。
完全に、
教祖になっていた。
「相川様……」
「どうか、お言葉を……」
視線は、尊敬と崇拝。
そして――
「……なんか、光ってない?」
同僚の一言で、
俺は悟った。
今の俺は後光が射している。
「ミルフィぃぃ……!」
さらにやばいのは、
課長まで変な方向に改心していたことだ。
課長が俺に近づく。
そして、両手で缶コーヒーを差し出す。
「相川様……」
「やめてください、課長」
その夜。
俺は、護符を外そうとした。
「……外そう。うん」
でも。
手が、止まる。
動悸。
不安。
焦り。
それが、一気に押し寄せてくる未来が見える。
「……どうしたんだ、俺」
護符が、安心感が、
手放せない。
(……これ、惚れ薬より悪質だろ)
テレビが、光った。
♪テレレレッ♪
『お困りですかにゃ?』
「ミルフィ!!」
俺は、半泣きで叫んだ。
「これ!外せない!
しかも効果強すぎて、俺、教祖になってたぞ!!」
『それは良いことですにゃ』
「よくない!!」
『う~ん、そうですかにゃ。でも、ご安心くださいにゃ。
護符の効果を弱める方法はありますにゃ』
「あるのか!?」
ミルフィは、胸を張った。
『湿気に弱いですにゃ』
「……海苔か何かか?」
『神聖なものですから、
湿気の多い場所や、不潔な場所に置くのは
敬意に欠けますにゃ』
「なるほど……?」
『結果として、
効果が薄れますにゃ』
「理屈はよく分からないけど、湿気に弱いのは分かった」
俺は立ち上がった。
「……風呂だ」
……いや、待て。
(これ、本当に外せるか?)
(外した途端に心臓止まって、倒れたらどうする?)
俺は、前回の銭湯事件を思い出した。
(銭湯なら……)
(最悪倒れても……誰かいる)
「……銭湯だ」
再び、銭湯に向かうことになるとは思わなかった。
(俺の人生、銭湯に頼りすぎでは?)
夜の道を歩きながら、
護符を握りしめる。
外したい。
でも外したくない。
銭湯の暖簾が見えた瞬間、
俺はほっとしてしまった。
(まじで依存)
暖簾をくぐり、番台に小銭を置く。
「……また来ました」
番台のおばあさんが、
なぜか当然みたいに頷いた。
「人生いろいろだねぇ」
(ばあさん、すげぇ)
脱衣所。
俺は護符を外そうとして――
また、手が止まった。
ごくり、と喉が鳴る。
「……大丈夫だ、大丈夫」
誰に言ってるのか分からない言葉を吐いて、
俺は、護符を外した。
護符を握る手が震える。
洗い場へ行き、護符を桶に入れておいた。
とりあえず頭を洗う。
次は体。
少しだけ塩素の匂いがする。
護符は隣。
湿気は届いてるか?
泡を流して、湯船に浸かった。
「……はぁぁ……」
その瞬間、
湯に浸かったはずなのに、体温が下がる感覚。
不安が戻る。
でも同時に、現実感も戻る。
「……人間だ」
湯船の中で、俺は笑ってしまった。
後光は出ていない。
ただの、疲れた社畜。
それでいい。
帰宅後。
テレビがつく。
♪テレレレッ♪
『ご利用ありがとうございましたにゃ〜!』
ミルフィが、満足そうに頷く。
『安心感は、
適量がいちばんですにゃ』
「適量、いい加減覚えてくれよ……」
ミルフィは笑顔で手を振って画面から消えた。
俺は、護符をそっと棚にしまった。
エリクサーの隣。
――切り札は、
使わないままが、一番いい。
俺は、ソファに沈み込み、
小さく結論を出す。
この異世界通販、
やっぱり人間向けじゃない。




