第11話 通販番組、放送事故じゃねーか
ラビがいなくなってから、部屋は妙に広くなった。
……正直、まだ引きずっている。
物理的に何かが減ったわけじゃない。
家具も、配置も、昨日と同じだ。それなのに、帰宅して電気をつけた瞬間、胸の奥がすうっと冷える。
音がない。気配がない。
あの、ふわふわした長い耳が揺れる気配も、「おかえりなのです」という少し間の抜けた声も、もうない。
――分かっていたことだ。
ラビは留学生で、研修が終われば帰る。最初から、期限付きだった。
それなのに俺は、まるでずっと一緒にいるみたいな勘違いをして、勝手に心を預けてしまった。
「……はあ」
会社では相変わらずだった。
仕事は減らない。課長は優しくならない。
課長の声だけが、部屋まで付いてくる。
ただ一つ違うのは、帰った先に“癒し”がないことだけだ。
「やってられねー……」
独り言が、やけに大きく響く。
誰も拾ってくれない言葉は、床に落ちて、消えていく。
夜。
くたくたになって帰宅し、鞄を置き、上着を脱ぐ。
ソファに座る気力もなく、台所に立った俺は、無性に――本当に無性に、きのこの味噌汁が飲みたくなった。
「……なんで今」
疲れた体を引きずって、鍋を出す。
だしを入れて、火をつけて、冷蔵庫を開ける。
きのこを刻みながら、思い出してしまう。
ラビが、きのこを見て言ったこと。
『薫さん、きっとこれが好きなのです』
……ドジなのに、観察眼は鋭かったな。
味噌を溶いて、椀によそい、ゆっくりと一口すする。
あったかい。
体の奥まで染みて、少しだけ息ができる。
……もう、会うこともないんだろうな。
その時だった。
♪テレレレッ♪
「……あ」
条件反射みたいに、テレビを見る。
もう何度目か分からない、あの軽快すぎるBGM。
『さあさあ始まりました〜! 異世界通販のお時間ですにゃん!』
画面の中央には、いつものようにピンク髪の猫耳娘――ミルフィ。
相変わらず、元気そうで、腹立たしいほど通常運転だ。
「……」
俺は味噌汁を啜りながら、ぼんやり画面を眺める。
今日は、何を売るつもりなんだろう。
どうせまた、危険で、非常識で、人間向けじゃないやつだ。
『そして! 本日からアシスタントが入りましたにゃ!』
「……?」
次の瞬間。
『は、はじめましてなのです……! ラビなのです……!』
――ブーッ!!
俺は思いっきり味噌汁を噴き出した。
「げほっ、ごほっ!!」
むせながら画面を見る。
そこには、見覚えのありすぎる白い髪と、長い耳の女の子。
エプロン姿で、もじもじしながら立っている。
「……は???」
頭が追いつかない。
心も、感情も、全部置いてきぼりだ。
『一生懸命がんばりますので……よろしくお願いしますなのです……』
「ちょっと待て」
誰に向けて言ったのか分からない。
テレビか、自分か、それとも世界か。
つい最近。
俺は必死で泣いた。
床にへたり込んで、声を上げて、感情を全部使い切った。
――なのに。
『薫さん、ラビちゃんが帰ったあとも、ちゃんと自炊頑張ってますにゃ』
「何で知ってる!?」
ミルフィの言葉にツッコミを入れる間もなく、話は進む。
『そんなあなたに、こちら!』
画面が切り替わる。
台所風のセット。
中央に立つのは――エプロン姿のラビ。
……包丁、持ってる。
しかも、両手で。
緊張で毛が逆立っているのか、耳がいつもよりふわふわしている。
明らかに、キャパオーバーだ。
『こ、こちらが……“なんでも切れる万能包丁”なのです……!』
「ちょっと待てって」
俺は画面に向かって身を乗り出す。
「ラビに包丁持たせて大丈夫か!? その子、よく転ぶぞ!?」
『問題ありませんにゃ! 安全設計ですにゃ!』
どこがだ。
『完熟トマトだって、ほらこのとおり、スライスできますにゃ』
ミルフィがそう言った、次の瞬間。
ラビが、トマトに向かって包丁を――
叩きつけた。
――ダーン!!
トマトが四散する。
赤い飛沫が、画面いっぱいに広がった。
『……』
ミルフィの顔面は、トマトまみれだった。
『……完熟すぎましたにゃ』
「そういう問題じゃない!!」
ラビが慌てて駆け寄る。
『ミ、ミルフィさま、拭くのです……!』
次の瞬間。
――ずべっ。
転んだ。
包丁が、ラビの手から離れ、画面外へ――
次のカットで、壁に深々と突き刺さっているのが映る。
「完全に放送事故だろ!!」
画面暗転。
\ しばらくお待ちください /
ヒーリング系のBGMだけが流れる。
「……番組、まだ続ける気なのか?」
数秒後。
画面復帰。
ミルフィは――全身鎧だった。
兜まで装着済み。
『お待たせしましたにゃ! 安全面を強化して、実演を再開しますにゃ!』
「そういう問題じゃない」
それでも、ミルフィは鎧のままトマトを切る。
今度は、きれいにスライス成功。
『切れ味はご覧の通り! こちら自動洗浄機能もついてて――』
「ミルフィのプロ根性、見直したよ」
ラビは後ろで正座して反省していた。
『……ごめんなさいなのです……』
俺は、画面を見つめながら、ぽつりと言った。
「……なあラビ」
ラビが顔を上げる。
「つい最近、別れを惜しんで泣いたような気がするんだけど」
『……ごめんなさいなのです』
でも、ラビは少しだけ胸を張った。
『でも、ラビ、アシスタントデビューしたのです。これからも、異世界通販で薫さんを応援するのです!』
『生きていれば、いくらでも失敗できますにゃ!』
「空気読もう、ミルフィ」
画面の向こうで、ドタバタは続く。
でも、俺はふっと息を吐いた。
ラビは、いなくなったわけじゃなかった。
形は変わったけど、距離は画面一枚分になっただけだ。
心に開いた穴は、まだある。
でも、前より少しだけ、小さくなっている。
俺は冷めかけた味噌汁を、もう一口すすった。
「……まあ、画面越しでも、いいか」
テレビの中で、ラビがこちらを見て、にこっと笑った気がした。
放送事故だらけの通販番組。
相変わらず非常識で、危険で、人間向けじゃない。
それでも――
今日も、少しだけ、俺の日常に居座っている。




