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深夜の異世界通販~社畜の俺、商品を買うたび人生が壊れる件~  作者: 雪竹


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10/11

第10話 ウサ耳の新人を預かったら、心に穴を空けられました

 その日も、会社は平常運転だった。

 つまり、地獄である。


 朝の満員電車で押しつぶされ、改札を抜けるころには、もう一日分の体力の三割を失っている。

 会社に着けば、課長の声が降ってくる。


「相川ァ。昨日の件、まだ終わってないの?」


 責めるでもなく、怒鳴るでもなく。いちばん嫌な、当たり前みたいな声。

 俺は「すみません」と言いながら、頭の中で自分を少しずつ切り離していく。


(終わってないのは、俺が無能だからじゃない)


 そんな正論は口から出ない。出した瞬間、面倒が増えるのが分かっている。

 画面を見つめる。指を動かす。深呼吸。

 昼休憩? あるけど、休んだ気はしない。

 定時? そんなものは幻想だ。


 夜、帰宅して玄関で靴を脱ぐのが、たまに儀式みたいに重い。

 部屋の灯りをつけて、冷蔵庫を開けて、何もないのを見て閉める。

 静かすぎる部屋は、嫌だった。

 静かなだけで、頭の中の課長がよみがえる。


(なんで、こんなことしてるんだろう)


 ふっと、真面目に思う。

 退職届の書き方を検索した夜が、ここ最近で何回あったっけ。

 辞めたい。

 でも辞める元気もない。

 だから俺は、いつものようにテレビをつけた。


 ♪テレレレッ♪


「あー、はいはい」


 軽快すぎるBGM。派手すぎるテロップ。

 画面の中央に、ピンク髪の猫耳娘――ミルフィが立っている。


『さあさあ始まりました〜! 

 スペシャル企画!異世界通販のお時間ですにゃん!』


「こっちは死にそうなんだよ」


『本日は! あなたの心を癒しますにゃ! 

 ラブリーペットの“ラビちゃん”はいかがですにゃ〜!』


「ペット……?」


 画面が切り替わる。

 柔らかい光の中で、白っぽい髪の、長い耳の女の子が小さくお辞儀をした。

 白くてふわふわの耳が、垂れている。うさぎなのか。

 その耳が、ふわっと揺れるだけで、ちょっとだけ空気が柔らかくなる気がした。


『癒しの存在! おっとり系! しかもマッサージも得意ですにゃ!』


「……いや、雑。てか、生きてる人をペット扱いするなよ」


『さらに! 人間界留学も兼ねてますにゃ! 新人研修なのですにゃ!』


「え」


 俺が眉をひそめた瞬間、ミルフィはあっさりと白状した。


『本当は、異世界通販の新人を人間界で勉強させたいのですにゃ。薫さん、優良顧客。意外とお人よし。下宿先にピッタリですにゃ』


「言い方」


『お願いしますにゃ!』


「無理。俺、自分の生活で精一杯。人一人増えたら死ぬ」


『死なないですにゃ! ラビちゃんが癒しますにゃ!』


「癒しって何」


『帰宅したら“おかえりなのです”が待ってますにゃ! 孤独に効くのですにゃ!』


 ……これは、ずるい。

 心が弱っている時に、そこを押すのは卑怯だ。


 でも俺は、まだ抵抗した。


「……絶対、面倒起こすだろ」


『起こしませんにゃ! たぶんにゃ!』


「たぶんて何だ」


 ミルフィはにっこり笑った。


『では、留学手続きを進めますにゃ!』


「待て、同意してない!」


『薫さん、“結構いいかも”って顔してますにゃ』


 図星だった。

 俺は口を開けたまま止まって、最後に小さく言った。


「……一週間。お試し。一週間だけ」


『やったにゃ!!』


 こうして、俺の部屋に“うさぎの獣人”が来ることになった。


 新月の夜。

 部屋の中央が、いつもの荷物到着みたいに淡く光った。


 光が収束し、そこに現れたのは――

 小柄な女の子。白っぽい髪。ふわふわの長い耳。

 目が合った瞬間、俺はなぜか息を止めた。


『はじめましてなのです。ラビなのです』


 口調が、おっとりしていて、やさしい。

 でも俺は、ちょっと距離を取る。


「相川薫。……よろしく。えっと、靴はここに。お風呂は、こっちで――」


『あ、あの、ラビ、役に立つのです。薫さまを癒すのです』


「“さま”やめて。普通に呼んで」


『薫……さん、なのです』


 耳が、ぴょこと持ち上がる。

 それが少し可愛くて、俺はむず痒くなる。

 可愛いと思ったら負けな気がした。

 俺は今、誰かに依存するのが怖い。


「……とりあえず、今日は寝る。俺、疲れてるから」


『はいなのです。お布団、温めておくのです』


「え、いいよ、そんなことしなくて」


 言ったのに、ラビは小走りで布団に向かって、つまずいた。


『あっ……!』


 ころん、と派手に転ぶ。

 長い耳が、床にべちゃっと落ちた。


「……大丈夫か?」


『だいじょうぶなのです。耳はクッションなのです』


「そんな機能ないだろ」


 俺は思わず笑いそうになって、慌てて口元を押さえた。

 ラビは転んだまま、にこっと笑った。


『薫さんの顔が、ちょっと柔らかくなったのです』


「……気のせい」


 その夜、俺は久しぶりに、眠りに落ちるまでの時間が短かった。


 ラビのいる生活は、じわじわと侵食してきた。

 侵食、というのは悪い意味じゃない。

 でも俺は最初、それを認めたくなかった。


 朝、俺が出勤準備をしていると、背後で小さな声がする。


『コーヒー……これは飲んで良い色ではないのです……』


「あー、コーヒーは大人の飲み物だからね。ラビには早い」


『……ラビは大人なのです。……地獄の味なのです』


「無理して飲まなくても」


 帰宅すると、部屋に微かな匂いがある。

 ほっこり、温かい匂い。


「……何してんの」


『お味噌汁を、温めておいたのです。きのこを入れたのです』


 俺の好きな、きのこ系。

 なんで知ってるのか聞いたら、


『冷蔵庫に、きのこが多いのです。きっと好きなのです』


 観察が雑に鋭い。

 俺は「ありがとう」と言って、味噌汁を飲む。


 それだけで、胸の奥が少しだけ緩む。

 今日の“刺さった言葉”が薄まる感じ。


 ラビはマッサージも得意だと言っていた。

 最初は断った。


 でもある夜、疲れが限界で、ソファに沈んで動けなくなった時、ラビがそっと言った。


『薫さん、肩、石なのです』


「石じゃない……ただの肩こり……」


『石、ほぐすのです』


 小さな手が肩に触れた瞬間、熱がじんわり広がった。

 痛いのに、気持ちいい。

 その不思議さに、俺は息をつく。


「……これ、魔法とかなのか?」


『癒しの手なのです。危なくないのです。たぶん』


「たぶん、って言った」


 ラビは、ふんわり笑った。


『ラビ、ちょっとドジなのです。でも、薫さんが倒れないようにするのです』


 倒れないように。

 そんな言葉を、誰かに言われたのはいつぶりだろう。


 翌朝。

 俺は目覚ましより少し早く目が覚めて、ぼんやり天井を見た。

 肩が軽い。

 それに、胸の奥の、あのギュッとした塊がない。

 仕事は変わらないのに、“戻ってきた時に待ってる空気”があるだけで、こんなに違う。


(……あ)


 気づく。

 ラビは、ただ居るだけで、俺の心の隙間を埋めている。


 仕事が楽になったわけじゃない。

 課長が優しくなったわけでもない。

 それでも、帰る場所が“静かなだけの部屋”じゃなくなると、心が回復する。


 その事実を、俺は認めたくなくて、でも少しずつ認めるしかなかった。

 まるで、薄い氷がゆっくり溶けるみたいに。


 休日。珍しく予定のない、ちゃんとした休日。

 俺は昼前に起きて、台所でぼーっと冷蔵庫を開けた。


「……餃子、作ろうか」


 金曜の夜に爆食いしてたあれ。

 町中華の味には敵わないけど、作れたらちょっと嬉しい。

 ラビが耳をぴょこと持ち上げる。


『ぎょうざ……! 薫さんの幸せの食べ物なのです?』


「幸せっていうか、救い。にんにくと油は明日への活力」


『ラビも、作るのです!』


「危ない。包丁はまだ早い」


『ラビ、指、五本あるのです』


「そこじゃない」


 問題は外出だった。

 ラビの耳は長い。パーカーのフードじゃ隠せない。帽子でも無理。

 俺は玄関で腕を組んで悩んだ。


「……どうするかな、耳」


『切るのです?』


「だめだろ!」


 ラビは本気で困った顔をして、耳を抱えた。

 その仕草があまりに“うさぎ”で、俺は笑ってしまう。


「……夢の国のカチューシャみたいだから、たぶん大丈夫」


『夢の国……? 月の国なのです?』


「違う。……いや、まあ似たようなもんか」


 ラビは鏡の前で首をかしげた。


『耳、丸出しで大丈夫なのです?』


「たぶんね。この国は寛容なんだ」


 俺たちは買い物袋を持って、商店街へ出た。

 キャベツ、ニラ、豚ひき肉、餃子の皮。


 帰り道、空を見上げると、昼でも薄い月が見えた。

 ラビが、ふっと足を止める。


『薫さん。月には、うさぎが餅つきをしていると聞いたのです。行ってみたいのです』


「それは、おとぎ話。うさぎは月にいない」


『でも……薫さんと一緒なら、行けそうな気がするのです』


 言い方が、ずるい。

 俺は笑って誤魔化した。


「月は遠いよ。電車でも行けない」


『なら、次は空を飛ぶ商品を買うのです』


「やめろ。死ぬ」


 それでも、二人で月を見上げた時間は、妙に静かで、温かかった。

 俺の胸の奥に、小さな灯りが残る。


(この時間が、ずっと続けばいいのに)


 そんなことを思うなんて、俺はどれだけ弱っていたんだろう。

 弱っているからこそ、強く願ってしまう。


 その日の空気は、やけに澄んでいて――だからこそ、嫌な予感がしなかった。


 事故は、突然だった。


 子どもが飛び出した。

 買い物袋を抱えた母親の手から、袋が落ちる。

 トラックのブレーキ音が、耳を裂くように響く。


 ――間に合わない。


 俺は、見た瞬間に分かった。

 これは、助からない。

 その場にいる誰もが、分かってしまう類の傷だった。

 赤が、じわじわと、道路に広がっていく。


「……っ」


 母親の悲鳴が、空気を引き裂いた。


 声が裏返って、泣きながら叫んで、縋り付いて、名前を呼ぶ。

 誰かが救急車を呼ぶ。

 全てがスローモーションで見えた。


 俺の頭の中が真っ白になる。

 ラビが、隣で小さく震えた。


『……薫さん』


 俺はラビを見てしまった。

 見てはいけないのに、見た。


「……ラビ。治せないか」


 言葉が勝手に出た。

 自分でも驚くほど、必死だった。


『……ラビの癒しは……』


「頼む!!」


 ラビは一瞬だけ目を閉じ、子どもに近づいた。

 長い耳が、風で揺れる。

 そんな些細なことが、やけに現実的で、怖かった。


 ラビが子どもの手に触れる。

 指先が光る。淡い、優しい光。

 次の瞬間――


 傷が、消えた。

 血が、止まった。

 壊れたものが、元に戻るみたいに、時間が巻き戻るみたいに。


「……うそ」


 母親が息を吸う。

 子どもが、小さく咳をして、泣き声を上げた。

 生きてる。


「よかった……! よかったぁぁ……!」


 母親が抱きしめる。周囲が泣く。誰かが「奇跡だ」と言う。

 俺は膝が笑って、地面に手をついた。


「ラビ……!」


 言いかけた、その時。


 ラビが、ふらっと倒れた。

 ――いや、倒れ方が違う。

 人の形が崩れて、白い毛の塊になる。


「……え」


 そこにいたのは、動物のうさぎだった。

 小さくて、白くて、長い耳だけがやけに目立つ。

 呼吸が弱い。胸が、かすかに上下するだけ。


「ラビ……ラビ!!」


 抱き上げると、体温が低い。

 俺の指が震える。

 周りの喧騒が遠のいて、キーンと耳鳴りがする。


「どうしよう、どうしよう……」


 俺は買い物袋も何もかも捨てて走った。

 抱えたうさぎが軽すぎて、怖い。

 家に着く頃には息が切れて、喉が痛い。


「ミルフィ……!!」 


 テレビに向かって叫ぶ。

 リモコンを掴むが手が震えて上手く押せない。


 ♪テレレレッ♪


『お困りですかにゃ?』


 ミルフィが映った。

 今日ほど、その顔が憎いと思ったことはない。


「ミルフィ!! ラビが!! ラビが!!」


 俺はうさぎの姿のラビを抱えたまま、画面に突き出す。


『……っ!』


 ミルフィの耳が、ぴくっと動いた。

 いつもの余裕が消える。


『それは……生命力が枯れている状態ですにゃ。今すぐ戻して治療を――間に合わないかもしれません』


「そんな……俺のせいだ……俺が治してくれって――」


 その時、棚の奥が目に入った。

 箱。小瓶。請求書。

 三か月分の給料。

 エリクサー。


(ちゃんと効けよ)


 俺は箱をひっくり返すみたいに開けた。

 小瓶を掴む手が震えて、蓋がうまく開かない。


「くそっ……!」


 ようやく開けて、ラビの口元に当てた。

 でもラビは、飲み込む力がない。

 唇も動かない。


「……飲めよ……飲めったら!!」


 自分の声が、泣き声みたいに掠れている。

 俺は必死に、ほんの少しずつ液体を流し込む。

 こぼれる。手が震える。うまくいかない。


「頼む……ラビ……!」


 ラビの耳が、ぴくりとも動かない。

 俺は、呼吸を数えるみたいに見つめる。


 一秒が長い。

 十秒が永遠みたいだ。


 ――その時。

 ラビの胸が、大きく上下した。


『……っ、薫さん……泣かないで、なのです……』


 声が、かすかに聞こえた。

 動物のうさぎの姿のまま、ラビが目を開けた。


「……っ!!」


 俺は、堪えきれなかった。

 喉の奥から、声が爆発する。


「よかったぁぁぁぁ!!」


 大声を上げて泣いた。

 みっともないほど泣いた。

 鼻も涙も止まらなくて、呼吸がぐちゃぐちゃになって、床にへたり込んだままラビを抱きしめた。


『薫さん……苦しいのです……』


「ごめん!! でも!! でも!!」


 ミルフィが画面の中で、珍しく真面目な顔をしていた。


『薫さん。エリクサー、効きましたにゃ。ですが、ラビちゃんは異世界で回復させた方が安全ですにゃ。今すぐ門を開きますにゃ』


 部屋の中央が光る。

 転送門が、いつもより大きく、開いた。


 それから数日。

 ラビは異世界で治療を受け、回復した。

 ……ただし、人の姿に戻るには時間がかかるらしい。


 そして、俺は取り残されたまま、留学が終わる日が来た。

 転送門の光が、部屋の中央で揺れる。

 そこに現れたのは――


『薫さん……お世話になったのです』


 ラビ。

 人の姿に戻っていた。

 長い耳がふわっと揺れて、俺はそれだけで胸が痛くなった。


「……もう終わりなんだ」


『はいなのです。ラビ、留学は終了なのです。次は、もっとちゃんとした研修なのです』


「ちゃんと……できそう?」


『たぶん……なのです』


「そこ、たぶんなんだ」


 笑って言ったのに、喉が少しだけ詰まる。

 ラビは小さく手を伸ばして、俺の袖をつまんだ。


『薫さん。薫さんは……ひとりで大丈夫なのです?』


「……大丈夫だよ」


 嘘じゃない。

 でも、強がりでもある。


『ラビがいない部屋は、広いのです』


「……言うなって」


 ラビは困った顔をして、それから、いつものおっとりした声で言った。


『薫さん、月に行けなかったのです。でも、月を見ると、思い出すのです。薫さんと買い物したこと。私を、すごく心配してくれたこと』


「……そうだよ、心臓が潰れるかと思った」


 胸の奥が、ぎゅっとなって、俺は目を逸らした。

 ここで泣いたら、ラビが困る。

 だから、泣かない。


「……向こうで、元気でな」


『はいなのです。薫さんも……無理しすぎないのです。頑張りすぎると、倒れるのです』


「倒れたことある人に言われると重いな」


『ラビは、ドジなのです。でも、薫さんが泣くのは、いやなのです』


 その言葉が、最後の一押しだった。

 俺は笑って頷こうとして、でも。


 ほんの少しだけ、目が熱くなった。

 涙が一粒、落ちた。


「……くそ。泣かないって決めてたのに」


 ラビはふわっと笑った。


『ちょっとだけなら、いいのです』


 光が収束し、ラビの姿が消える。

 部屋は、また静かになった。


 俺は台所に立って、冷蔵庫を開けて――

 餃子の材料が残っていないことに気づいて、笑ってしまった。


「……あの日、全部投げ捨てて走ったんだった」


 月明かりが、窓から薄く差し込んでいる。

 俺はそれを見上げて、小さく息を吐いた。


(――「わたしを月につれてって」、か)


 そんな大それた願いは、叶わなかった。

 でも、月を見上げる理由が、ひとつ増えた。

 月は遠い。けど、俺は確かに呼吸しやすくなった。


 この異世界通販は、相変わらず非常識で、危険で、たぶん人間向けじゃない。

 それでも――


 たまに、ちゃんと人を救う。

 少なくとも、俺の心の穴を、少しだけ塞いでくれる。


 俺は目元を指でこすって、声に出して言った。


「……またな、ラビ」


 返事はない。

 でも、胸の奥が少しだけ温かかった。

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