第1話 深夜三時、俺は異世界通販に電話した
会社の仮眠室は、死体安置所に似ている。
残業続きで終電を逃し、仮眠と仕事を三往復した結果、
身体は鉛のように重く、頭は霧がかかったようだった。
ブラック企業という言葉は、便利だ。
だが、実際にそこにいる人間は、
自分がブラックな環境にいることすら、だんだん分からなくなる。
深夜。
帰宅してスーツを脱ぐ気力もなく、床に座り込んだまま、テレビをつけた。
理由はない。
ただ、部屋が静かすぎると、
課長の声や未処理の仕事が、頭の中で再生されるからだ。
ザッピング。
その瞬間だった。
♪テレレレッ♪
聞いたことのない、やけに軽快なBGMとともに、
画面いっぱいに派手なテロップが躍った。
『今夜もステキな商品をあなたに!
お待ちかね、異世界通販のお時間ですにゃん!』
この時、俺はまだ知らない。
この番組が、俺の人生を少しずつ壊していくことを。
『バイヤーのミルフィと申しますにゃ!』
「……はい?……にゃ?」
異世界?
今、異世界って言ったのか?
画面の中央には、ミルフィと名乗る猫耳の少女が立っていた。
ピンク色の髪。大きな瞳。耳が、ぴょこぴょこと動いている。
いやいや。
こういう番組?
それとも、ついに俺の脳が限界を迎えた?
リモコンを押す。
チャンネルは変わらない。
「おかしいな」
もう一度押す。
変わらない。
「……電池切れか?」
立ち上がって、テレビの主電源を切る。
――画面、ついたまま。
「おい、ホラーやめろって」
『本日ご紹介するのは~……こちらっ!』
デデン!という効果音と共に、画面が切り替わる。
次の瞬間、画面いっぱいに映し出されたのは――
肉だった。
「……肉?」
赤く、艶やかで、今にも肉汁が滴り落ちそうなそれを背景に、
ミルフィが、はっきりと言い切る。
『ドラゴンの肉ですにゃん!』
「ドラゴン?」
思わず繰り返してしまった。
『お仕事でクタクタな方!
眠れない夜が続いている方!
朝から体が重いあなたにも――!』
『これ一つで、元気はつらつ!
みなぎるパワーを、実感していただけますにゃん!』
「え……完全に俺向けじゃねーか?」
『異世界では戦士さんが三日三晩戦えます!』
「俺は戦士じゃない。あ、企業戦士って意味?」
『安心安全! 副作用はありませんのにゃ!』
『※食べすぎ注意ですにゃん。一日百グラムまでですにゃん』
「あるだろ、副作用」
『はい、それではお値段の発表ですにゃん!』
ミルフィは、胸の前で小さく手を叩いた。
『気になるお値段は――』
ドラムロールが数秒――
画面の中央に、どん、と大きな文字が躍る。
『500G』
『今ならたったの五百ゴールドですにゃん!』
『今なら送料込み!追加料金一切なし!
しかも即日配達!』
『もちろん日本円でのお支払いも対応しておりますにゃん!
クレジットカード、代引き、現金――なんでもOK!』
「いや、そこは対応してんのかよ……」
『それでは、ご注文方法のご案内ですにゃん!』
画面の下に、フリーダイヤルが表示される。
見慣れた形式の、どこにでもありそうな番号。
『お電話一本で、あなたのお部屋にお届けしますにゃん!』
『数量限定!在庫がなくなり次第、終了となりますので――』
『ご注文はお早めに!にゃん!』
ミルフィは、にこりと笑った。
ほんの一瞬だけ。
画面越しに、たしかに目が合った。
疑問が多すぎる。
それに、フリーダイヤルって何だ?
異世界なのに?
猫耳少女は、こちらの困惑など一切気にせず、元気いっぱいに耳を揺らしている。
『それではまた次回お会いしましょう!シーユーにゃん!』
番組は唐突に終了し、電話番号のみ表示されている。
――眠れない夜が続いている方!――
ミルフィの声がもう一度聞こえた気がした。
「……」
俺は、無意識のうちにリモコンを置いていた。
ソファの横に置いたスマートフォンに、手を伸ばす。
指先が、少し震えている。
「ドッキリかもしれないし、そもそも繋がらないかも」
言い訳をぶつぶつ呟きながら、
表示された番号を、ゆっくりとタップする。
呼び出し音が、一度。
二度。
三度――
『お電話ありがとうございます。異世界通販でございますにゃん!』
聞き覚えのある、弾んだ声。
俺は、息を呑んだ。
「……あの」
緊張で声が掠れてしまった。
咳払いを一つして、
「さっきの、ドラゴンの肉なんですけど……」
『はい!ご注文ですねにゃん!』
声が、やけに近い。
『数量はどうされますかにゃん?』
「あ……ひとつ、で」
『かしこまりましたにゃん!
それでは、お届け先は――』
ミルフィの声が続く。
住所。
名前。
支払い方法。
気付けば、すべて答えていた。
『ご注文、確かに承りましたにゃん!』
『商品は、返品不可となりますので――』
『ご注意ください』
ぷつり、と通話が切れる。
静寂が戻った部屋で、
テレビだけが、相変わらず光っていた。
画面が砂嵐になっている。
「……まもなく、って」
呟いた、その瞬間。
部屋の中央が、白く光った。
「――え?」
眩しさに目が眩んだ、次の瞬間。
どさっ、という鈍い音が、床に響いた。
しばらくその場から動けなかった。
床の中央に置かれたそれは、箱だった。
見た目は、ごく普通の宅配便の箱。
大きさも、形も、見慣れているはずなのに、部屋の中でそこだけが妙に浮いて見える。
恐る恐る近づき、しゃがみ込む。
箱の上面には、伝票が貼られていた。
宛名は、確かに俺の名前。
――相川 薫様。
住所も、間違っていない。
ただ、差出人欄には、会社名でも個人名でもなく、
『異世界通販』
とだけ、印字されている。
「……マジ?」
側面に『要冷蔵』。
異世界だのドラゴンだの言っておいて、そこだけ現実的だ。
箱は段ボールに見えるのに、触ると妙に滑らかだった。
恐る恐る箱を開ける。
中には、分厚い肉の塊と、簡素な説明書が入っていた。
【ドラゴンの肉】
滋養強壮によく効く。
食べすぎ注意。
一日百グラムまで。
「……用法用量ってヤツ?」
百グラム。
それって、焼肉で言えば、二切れくらいだ。
俺はしばらく肉と睨み合ったあと、冷蔵庫を開けた。
何もない。
「……食うか」
他に選択肢がなかった。
しばらく使っていなかったフライパンを引っ張り出す。
「肉と言えばステーキだろ」
食べ方を考える前に答えが出る。
ドラゴンの肉の料理法なんて分かるわけがない。
こういう時は、焼くのが一番だ。
適当に切って塩胡椒。
フライパンに落とすと、ジュウ、といい音がした。
匂いが立って、胃が勝手に反応する。
「割といい匂い……美味そう……」
食欲なぞなかったはずなのに、腹が鳴った。
「そもそも食い物なのか……ドラゴン……」
「まあ、よく焼いたし、大丈夫だろ!」
思い切ってパクリと一口。
目を見開く。
――美味い。
衝撃的に、美味い。
「……何だ、これ」
旨味が、口いっぱいに広がる。
噛むたびに、体の奥から力が湧いてくる。
止まらなかった。いや、止められなかった。
百グラム? 知らん。
注意書き? 読んだよ。
でも、全部食べた。
次の瞬間。
全身の毛穴という毛穴から、蒸気が噴き出した。
内臓が焼けるように熱い。
心臓がうるさい。血が沸騰するみたいだ。
「……熱い。というか、今、ドラゴンブレス、いける気がする」
深夜三時、俺は笑い出した。




