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四十四話 教えてくれてありがとう

※今回からアイリス視点に戻ります。

 クラウド様の発言に一瞬理解が追いつかなくて、頭の中がぐちゃぐちゃになる。


 聞き間違いだろうか?

 いえ、でも確かに今……。


「……クラウド様、よろしければ……もう一度私の名前を、呼んでいただけませんか」

「何度だって呼ぶよ。リリー、君を愛してる」


 ____リリー。そう呼んでくれている。聞き間違いなんかじゃなかった。


 今となっては最早懐かしくも感じる、クラウド様だけが紡ぐ大好きな言葉。


 私は、クラウド様に「リリー」と呼ばれていたことなんて伝えていない。だって、ずっとアイリス嬢と呼ばれていたのだもの。


 だから、つまり、クラウド様は……。


「記憶が、戻ったのですか……!?」

「あぁ、ようやく思い出せたよ。リリー、君と出会ったあの日のことも」


 クラウド様が優しい笑顔で見つめてくれる。

 マリアンヌ様は、信じられないといった様子で目を見開いている。


「どうして、こんなタイミングでアイリス様のことを……?」


 マリアンヌ様の疑問は当然だ。

 私だって、なぜ離縁を申し込まれた直後に私のことを思い出してくださったのかわからないもの。


 それに……恐らくだけど、マリアンヌ様は少なからず期待していたはずだ。

 私とクラウド様が離縁することを。


 マリアンヌ様の疑問に対し、クラウド様が冷静に返した。


「リリーがさっき言ってくれた、人を愛することができる『愛に溢れた人』という言葉……それを聞いて、思い出したんだ」

「え……?」

「リリーには秘密にしていただろう? 君が俺に教えてくれた、大切なことの詳細を。それこそがこの言葉だったんだよ。リリー、俺にもう一度大切なことを教えてくれて、ありがとう」


 クラウド様の言葉を聞いて、私は一拍置いてからようやく理解することができた。


 ____私、無意識のうちに、あの日と同じ言葉をクラウド様に告げることが出来たのね……。


 涙が込みあげる。

 私の言葉は、ちゃんと私の中にあったんだ。

 お酒の勢いなんかじゃなくて、ちゃんと、私の心に。



 ……マリアンヌ様が、ぽつりと呟いた。


「離縁は、どうなさるのですか?」


 ドクン、と心臓が脈打つ。

 そうだわ、その話がまだ終わっていない。

 クラウド様が記憶を思い出されただけで、私が離縁を申し込まれたことには変わらないのだわ。


 クラウド様の方を見る。

 すると、クラウド様は先程までの優しい表情から一転して、とても真剣な顔付きで口を開いた。


「……俺から改めて、リリーに伝えたいことがあるんだ」

「……はい、なんでしょうか」

「すまなかった……! 俺はリリーのことを忘れていただけでなく、リリーを不安にさせて、使用人のようなことをしているのも止めないで……。挙句の果てには、リリーには別の想い人がいると勘違いして、離縁を申し込んでしまったんだ。俺が好きなのは、今も記憶を失っている間も、リリーだけだったというのに……」


 そう言って、クラウド様が頭を下げる。

 私は驚きながらも、慌てて大声を出した。


「頭をあげてください! クラウド様が謝らなきゃならないことなんて、一つもないのです! そもそもクラウド様は私を庇ってくださったわけですし……謝るのは私の方です! それに……」

「それに……なんだ?」

「……私も、勘違いしていたのです。クラウド様はてっきり、マリアンヌ様に惹かれているのだと思ってしまって……。それでもクラウド様のお側にいたくて、侍女の格好なんかをして、クラウド様の仕事部屋になんとかお邪魔して……私こそ、クラウド様のことを不安にさせてしまいました。本当に申し訳ございません……」


 ____今考えると、私はなんて馬鹿なことをしていたのだろう。

 色んな使用人に気を遣わせて、クラウド様を不安にさせて……。


 私がもっと自信を持って「公爵夫人は私よ!」と言えていたら、こんなことにはなっていなかったでしょうに!


 ……セーラには、後でしっかり謝らないとね……。


 私の謝罪を聞いたクラウド様は、何も言わずに優しく私を抱き締めてくれた。

 私もその大きな背中に手を回す。


 ____温かい。


 それだけで、涙が出そうだった。


 私達がそうして抱き合っていると、先程からずっと黙ってこちらを見つめていたマリアンヌ様がぽつりと呟いた。


「私……とんだおじゃま虫ですわね。そもそも私は、なぜこの場に呼ばれたのしょうか……」

「マ、マリアンヌ様……」


 私がマリアンヌ様に声をかけたところで、クラウド様が制止してきた。

 それから、クラウド様はマリアンヌ様にも頭を下げた。


「マリアンヌ、俺は君にも謝らなければならないことがある。そのために、君を呼んだ」

「……はい、なんでしょう」

「君が俺の事を……好いてくれているのは、気付いていた。だが、今もさっきまでも、俺が愛しているのはリリーだけなんだ。だから、君の気持ちに応えることは出来ない」

「……私、告白もさせてもらえずに振られてしまうのですね?」


 マリアンヌ様が、苦々しげに口を開いた。

 その様子がとても……痛くて。私にはマリアンヌ様の気持ちがわかってしまった。


 だって、私達は同じ人を想っているから。


 想いも告げることが出来ないなんて、残酷すぎる。

 だから私は、クラウド様に小さな声で告げた。


「クラウド様……マリアンヌ様の話を、お聞きになっていただけませんか」

「……リリーは、それでいいのか?」

「はい。マリアンヌ様には大変お世話になりましたし……同じクラウド様を想う者ですもの」


 私がそう言うと、マリアンヌ様は今にも泣きそうな顔をして笑った。


「……アイリス様……いえ、グレンウィル公爵夫人。……ありがとうございます……そして、今まで本当に申し訳ございませんでした……。こんな謝罪で許されるとは、思っていませんが……」

「いえ……もう、良いのです」


 私の言葉にマリアンヌ様がぐっと息を詰まらせる。


 その様子を見たクラウド様が、マリアンヌ様にしっかり向き直った。

 マリアンヌ様も、真っ直ぐとクラウド様の顔を見て告げる。


「クラウド様。初めてお会いした時からずっと、お慕いしておりました。……本当は、クラウド様の記憶がなくなったと知った時……私にもチャンスがあるんじゃないかと思ったんです。もしくは、二番目でもいいからお側に置いて欲しいと思っていました。お恥ずかしい下心ですが……」

「…………」

「でもやっぱり、公爵夫人には敵いませんでしたわね。……あなたのことは、今日限りで諦めます」


 そう言って、マリアンヌ様は吹っ切れたように笑った。


「マリアンヌ……すまないな」

「クラウド様が謝ることなんて、何一つございませんわ。では、おじゃま虫は退散いたしますわね」


 マリアンヌ様がカバンを持って、扉の方へ優雅に歩いていく。

 その後ろ姿には、確かな侯爵令嬢としての気品が感じられた。


 ____やっぱりマリアンヌ様は、強くて美しい方だわ。


「……それでは、お幸せに。クラウド様、私に恋を教えてくださって、本当にありがとうございました。私、これでも幸せでしたわ」


 ……それだけ告げてマリアンヌ様は部屋を出ていってしまった。

 少しだけ見えた横顔には、一粒の涙が光っていたけれど……私は、何も見なかったフリをした。


「……マリアンヌ……俺の方こそ、ありがとう」


 クラウド様が静かに呟く。

 こうして、残されたのは私とクラウド様だけになった。


 ____どうしましょう、何を話したらいいか、わからないわ。


 少し気まずい空気の中で、時間だけが過ぎていく。


 それから少し経った後、クラウド様が優しい声で、私に問いかけた。




「リリー。もう一度、俺の話を聞いてくれないか? 今度こそ、二人きりで話がしたいんだ」

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