四十三話 思い出の鍵は『愛』
翌日の昼頃。
仕事を早々に片付けてから、俺の自室にアイリス嬢とマリアンヌを招いた。
もちろん、セーラという侍女に扉の外で見張りをしてもらった状態で、三人以外の人間が中に入ってこないようにしている。
マリアンヌが不思議そうに口を開いた。
「クラウド様、一体これから何が始まるのですか?」
「今から……俺はアイリス嬢に大事な話をする。マリアンヌにも話があるから、聞いていて欲しい」
「…………」
マリアンヌは依然首を傾げている。
一方、アイリス嬢は全てを悟ったような表情をしつつも、凛とした姿勢を崩さずに立っていた。
その姿が美しくて、眩しくて、決心が揺らぎそうになる。
だが、もう決めたのだ。
俺は、ジリジリと焼け焦げそうな胸の痛みを堪えながら、重たい口を開いた。
「アイリス嬢、俺と離縁してくれないだろうか」
マリアンヌが、「えっ」と小さな声を漏らす。その表情は心做しか嬉しそうに見えた。
そして肝心のアイリス嬢は……深く息を吸ってから、諦めたように笑った。
「そうなのではないかなと、思っておりました」
「……すまない」
「いいえ、仕方のないことですわ。愛のない結婚など……虚しいだけですものね」
アイリス嬢が、下唇を強く噛み締める。それでも、堪えきれなかったらしい涙がぽろぽろと零れ落ちた。
____どうして、君が泣くんだ。泣きたいのは、君と離れる決断をした俺の方だというのに。
「俺は……この一週間君と話して、アイリス嬢には幸せになってほしいと思ったんだ。だから、政略結婚なんかではなく、本当に愛した相手と結ばれて欲しい」
そうでなければ、俺が強引に君を奪ってしまいそうだから。
「……一体、何が起こってますの……?」
マリアンヌだけが、この場の状況を飲み込めていないようだった。
でも、今はアイリス嬢との最後の時間を大切にしたい。
「……アイリス嬢、俺の申し出を受け入れてくれるだろうか」
俺の問いかけに対し、彼女は涙を指で拭ってから、美しい笑顔を浮かべて返事をした。
「はい、あなたが望むのなら、離縁を受け入れます。……知っていますか? 黒薔薇の花言葉には、【永遠の愛】という意味があるんですよ」
____その言葉を聞いた瞬間。
頭が、激しくズキン!と痛んだ。
なぜだろうか、俺は、この続きを知っている気がする。
でも、なぜ。
……そんな俺の様子には気付いていないようで、アイリス嬢は言葉を続けた。
「だからね、きっと大丈夫です。あなたは呪われてなんかない。人を愛して愛されることができる、『愛に溢れた人』なんです。私のことは忘れてしまっても、そのことだけは、覚えておいてくださいね」
_____ドクン。
アイリス嬢の言葉を、俺は知っている。
どうしてだ?
俺は、この言葉をどこで聞いた?
____ドクン……ドクン……ドクン。
『……あのね。知らない人は黒薔薇を怖がるけれど……黒薔薇はとっても素敵な花なのよ。こんなに愛に纏わる言葉があるんだもの。だから大丈夫よ、あなたは人を愛することができるし、きっと愛されることもできるわ。なんて言ったって、あなたは『愛に溢れた人』なんだから、ね?』
____そうだ。
俺は、数ヶ月前にふらりと寄った酒屋で出会った令嬢に、そう言われたんだ。
そして、俺はその言葉とその笑顔に、一瞬で心を奪われて、それで……。
『……君の名前を、聞いてもいいだろうか』
『私? アイリス・レインフォードよ』
『そうか。なぁ、アイリス嬢。俺と結婚してくれないか?』
『えぇ〜? でも、そうねぇ……もう婚約者もいなくなっちゃったし、あなたとの結婚も、案外楽しいかもしれないわね!』
そう言って、酒で赤くなった顔で笑った彼女を見て、俺は絶対にこの娘を幸せにすると誓ったんだ。
____どうして、今まで忘れていたんだろうか。
俺がアイリス嬢に惹かれていたのは、偶然なんかじゃない、必然なんかじゃない。
アイリス嬢の想い人は、俺の知らない誰かでもない。
彼女が好きだと言った『思い出の花畑』に行ったのは、紛れもない俺だ。
激しい頭痛に、思わずその場に蹲る。
「クラウド様っ!?」
「クラウド様……!?」
俺を心配したであろう二人が駆け寄ってきてくれて、それぞれが手を差し伸べてくれた。
____俺は迷わず、アイリス嬢の手を取る。
アイリス嬢は驚いていたが、そんな表情さえも愛おしく、美しいと思った。
「……クラウド、さま……? なぜマリアンヌ様ではなく、私の手を取るのですか……?」
震える声でそう問いかけてきたアイリス嬢に、俺は微笑みながら世界一愛しい人へ言葉を紡いだ。
「……それは、君を愛しているからだよ。リリー」




