三十八話 歪なトライアングル
マリアンヌ様がお帰りになられてから、数時間経った後のこと。
ようやく落ち着くことができた私は、一人で再度クラウド様の部屋を訪れた。
ノックを数回。すると、「入っていいぞ」という声が聞こえてきて、ゆっくりと扉を開けた。
「君か。アイリス嬢……だったよな」
「……はい、アイリスです」
……いつもは、リリーと呼んでくれていたけれども、ね。
「それで、何か用があってきたのだろう? 話してくれないか」
「……失礼を承知で申し上げますが……先程よりも随分優しくお話してくださるのですね」
「あぁ、君の侍女……セーラといったか。彼女から君の素晴らしさや、君がこの数ヵ月間、公爵家でどんな風に過ごしていたのかを聞いてな。それで、私もようやく君が妻だと信じることができたんだ」
「そうだったのですね。……もう、セーラったら」
あの子、失礼なことは言ってないかしら?
少し不安になったけれど、でも……きっとセーラのことだもの、私のことを盛りすぎなくらいに褒めてくれたんだろうな。
セーラ、ありがとう。いつだって私の味方でいてくれて……。
ささくれ立っていた心が、少しだけ回復したような気がする。
ほんの少しの勇気をもらった私は、クラウド様に向き直った。
「……本日、マリアンヌ様から、『クラウド様の仕事の補佐をしたい』というお申し出がありました」
「どういうことだ?」
「クラウド様が一年間の記憶を失っていらっしゃることは、きっとお医者様から説明をうけたと存じます。このことが公になったり、公務に支障が出ることがあったら国を巻き込む騒動に発展してしまう可能性がございますよね。そのため、本来なら妻である私が補佐をするべきだと、わかっているのですが……」
ここまで話して、急に自分の無力さが悔しくなって言葉が詰まる。
それでも、伝えなければ。公爵夫人として、今私にできることはこれだけなのだから。
「……私は、ほんの数ヵ月前にクラウド様と出会い、結婚した身です。そのため、クラウド様の交友関係やほとんど存じ上げません。お義母さまにご協力をお願いすることも考えましたが……マリアンヌ様が自ら名乗り出てくださった以上、私はマリアンヌ様に補佐をお願いしようと考えています」
____悔しい。妻なのに、こんなことを申し上げなければならない自分が。
本当は、私がクラウド様を公私共に支えたかった。でも、今の私にできることは、公爵夫人として社交界に顔を出すことと、混乱している屋敷の中を統率すること。
だから、クラウド様のことは、マリアンヌ様にお任せして、私は私にできることをするわ。
真剣な顔で話を聞いていたクラウド様が、複雑な表情をしながら口を開く。
「……話は、わかった。だが……君はそれでいいのか?」
「…………え?」
「私……いや、俺の妻は、君なのだろう? それなのにマリアンヌに俺の補佐を任せるなど、君はその……辛くはないのか……?」
_____辛いに決まっているじゃない!
本当はそう、叫びだしたかった。けれど…………
「いいえ、全く辛くはございません。私のことでしたら、心配しなくて大丈夫ですわ」
実際に口から出た言葉は、その真逆だった。
「そうか……一つ、聞いてもいいか?」
「はい、何でしょうか」
「俺達は……所謂、政略結婚だったのだろうか?」
そんなわけはない。私達は、いえ私は……本来ならクラウド様と結婚できるような身分ではなかった。
けれど、偶然出会って、クラウド様が愛してくれたから私は今ここにいる。
でも……今私が言うべきことは、それじゃない。
クラウド様を混乱させないために……公爵家を守るために、私は覚悟を決める。
「……はい、そうです。私達は政略結婚で……もちろんクラウド様は私に良くしてくださっていましたが、愛し合っていたわけではございませんでした」
____嘘を、吐いた。
そんな私の言葉を聞いたクラウド様が、安心したような……でもどこか納得のいっていないような表情で、私に問いかけた。
「本当に、そうなのか?」
「はい、そうですわ。……なぜ、疑うのです?」
「いや……なんだか君は、とても苦しそうに見えたんだ、それに……」
クラウド様が、少しだけ恥ずかしそうに目を伏せた。
「君と話していると……なんでかわからないが、胸の辺りがざわざわして、落ち着かないんだ。なのに……君ともっと話していたいと思ってしまう。それがどうしてかは、よくわからないが……」
「え……」
「だから……マリアンヌの申し出はありがたく受けさせてもらうが、俺からも一つ……君にお願いをしてもいいだろうか?」




