十七話 花畑で、あなたと
それからの一週間は、驚くほどあっという間だった。
二泊三日の新婚旅行に行くために仕事の調整や服などの準備をし、今はグレンウィル公爵家の別荘に向かう馬車の中だ。
クラウド様が窓の外を見ながら、私に問いかける。
「そろそろ着くころだな。馬車酔いはしてないか?」
「はい、平気です」
そんな風にクラウド様に気を遣っていただきながら穏やかに会話をしていると、馬車がゆっくりと速度を落とした。
御者のケインが「着きましたよ」と声をかけてきたのを合図に、クラウド様が馬車から降りる。私も続いてエスコートされながら馬車を降りた。
「わぁ、素敵なお屋敷……!」
公爵邸とはまた少し違った雰囲気だけど、やっぱり私の実家よりも一回り大きいお屋敷がそびえ立っている。
深呼吸をすれば緑の香りがして、春の気配を感じられた。庭には蝶々が舞っていて、雰囲気はお義母さまの離れに似ているかもしれない。
「気に入ってくれたようでなによりだ。……荷物を置いて一息ついたら、花畑に向かおうと思うんだが、どうだろうか」
「はい、ぜひ! 実は、楽しみすぎてお腹が空いてしまって……」
「可愛らしいことを言ってくれるな。サンドイッチは好きか?」
「えぇ、大好きですわ」
「なら、別荘を管理している調理人に用意してもらおう」
「ふふ、すごく楽しみです」
そんな穏やかな会話をして、別荘に向かったのだった。
____荷物を置いて休息を取った後、私達は再び馬車に乗り込んだ。もちろん、サンドイッチを持って。別荘から少し離れた場所にある花畑に向かうためだ。
窓の景色を眺めて楽しんでいると、ふと見覚えのあるお屋敷が目に入った。
「……カルヴィン様の家だわ」
間違いない。少し遠かったけれど、あれはモールディング侯爵邸だ。カルヴィン様にもう未練なんてないけれど、会いたくないのが正直な気持ち。
それは会うのが怖いとかじゃなくて、カルヴィン様を好きだったのはもう過去の話で、今の私にカルヴィン様は必要がないから。
けれど、まさかこんなに近いなんて思っていなかったから、少し驚いてしまった。
「どうする? 引き返して別荘で食事をしてもいいんだぞ」
私の様子を見たクラウド様が気を遣って声をかけてくださった。いけない、心配をかけさせている。
それに、これじゃあまるでカルヴィン様に未練があるように思われてしまうかもしれない。
「いいえ、大丈夫です。私、花畑を見るのをとっても楽しみにしていましたから」
精一杯の笑顔を作って、そう返事をした。どうかカルヴィン様に会うことがありませんようにと、心の中で願いながら。
***
「まぁ、なんて綺麗なの……!? あの花も、この花も、本当に素敵だわ…!!」
馬車を降りた先に広がっていた景色は……まさに絶景そのものだった。まるで絵の具のパレットのように色とりどりの花たち。その花の上で、テントウムシや蝶々が嬉しそうに羽ばたいている。
そして近くには川が流れているのだろう。花畑の側にある森の方から川のせせらぎの音が微かに聴こえてきて、まるで天国にいるかのような気分になった。空気も新鮮でおいしいし、夢みたいだわ。
「図鑑でみたことがあるお花ばかり……! クラウド様、こんな素敵な場所に連れてきてくださって本当にありがとうございます……!」
「喜んでもらってよかった。俺にとっては、リリーに喜んでもらえるかが一番重要だったからな」
「クラウド様……」
花畑にはしゃぐ私を、クラウド様は愛おしそうに見つめているのがわかった。少し照れくさいけれど、その気持ちがなんだかくすぐったくて嬉しい。
「じゃあ、早速昼食にしよう。あの木の下で食べるのはどうだ?」
「賛成です!」
二人で花の香りを楽しみながら、木の下まで歩く。それすらも今の私には楽しくて仕方がなかった。
木陰に座ってランチボックスを開けると、新鮮な野菜が贅沢に使われたサンドイッチが顔を出す。どれを食べようか迷いながら、一番端にあったトマトとレタスのサンドイッチを手に取った。
「……! とても美味しいです」
「口に合ったようで何よりだ。じゃあ、俺にも一口食べさせてくれないか?」
そう言って、クラウド様が目を閉じて口を開ける。相変わらず綺麗なお顔……。
じゃなくて、もしかして、私がクラウド様に食べさせるということ……よね? でも、それって間接キスじゃ……!
「リリー、まだか?」
「~~~~~っ! あ、あーん……」
どうにでもなれという気持ちで、食べかけのサンドイッチをクラウド様の形の良い唇まで運ぶ。クラウド様は満足気にサンドイッチにかぶりついて、最後に唇をぺろりと舐めとった。
「うん、美味いな」
「で、ですよね! 本当に野菜が瑞々しくて、景色も綺麗でっ……!」
「それもそうだが……一番はリリーに食べさせてもらったから、こんなに甘く感じるんだろうな」
「な、なっ……!」
本当に、クラウド様は甘い言葉がお上手だわ。私はまんまと真っ赤になってしまって、少し悔しくなる。
「うぅ……クラウド様は間接キスにも動揺されないのですね」
「…………たった今、リリーに言われて初めて気が付いた。そうか、キス……だな」
私の言葉によって、クラウド様のお顔もじわじわと赤く染め上げられていく。まるでテントウムシみたいに真っ赤になった私たちを、花や蝶たちはどんな風に見ているのだろうか……。
「考えてみれば……今は君の侍女も御者も、気を遣って馬車で待機してくれているし……。こうして二人きりになったのは久しぶりだな」
「確かに、最近は忙しかったですものね」
「……リリー、俺は間接キスじゃなく、ちゃんと君の唇の感触を味わいたい。ダメか?」
「えっ…………」
一瞬、動揺してしまった。けれど、私は結婚当日にキスを断ってしまったのだ。この新婚旅行こそは、期待に応えたい。
声で返事をするのは恥ずかしくて、小さく首を縦に振った。クラウド様の手が私の頬に添えられる。恥ずかしくて、私は目を瞑った。
あぁ、こんな素敵な場所でファーストキスを迎えるなんて、本当におとぎ話みたいだわ。
____その時だった。
「…………アイリス?」
一番聞きたくなかった、懐かしい声が鼓膜に響いた。




