十話 さようなら
クラウド様の放った一言で、盛り上がっていた場が一気に静まり返る。
静寂を破ったのはメアリーだった。
「こ、公爵閣下……? 私の旦那様になってくださるのではないのですか……?」
「触るな、俺は初対面でベタベタ触ってくるような下品な女は嫌いなんだ」
「なっ…………!」
きっとメアリーの人生で、そんなことを言われたのは初めてだろう。メアリーは顔を真っ赤にしながら、悔しそうに俯いた。
だがまぁ、これに関しては勝手に盛り上がった父が一番悪いだろう。そんな父はと言えば、どうやらまだ諦めていない様子で、胡麻をするような動作をしながらクラウド様に話しかけた。
「まぁまぁ公爵閣下! 実はアイリスには婚約者がおりまして、丁度メアリーの相手を探しているところだったのですよ! ですから、ここはおひとつ……」
「……お父様、何を仰っているのですか?」
信じられない父の言葉に、思わず口を挟んでしまった。まさか父は、カルヴィン様とメアリーの婚約を破棄して、再び私とカルヴィン様を婚約させようとしているのか?
____ふざけるな。私は道具じゃない!
怒りで父に手を出しかけた、その瞬間。クラウド様が私の腕を掴んで制止してくれた。
「クラウド様……」
「リリー、君が手を汚す必要はない。レインフォード伯爵、話は全てリリーから聞いている。貴様の品のない娘がリリーの婚約者を奪ったことも、リリーをぞんざいに扱ってきたことも、全てな」
「ひっ…………!」
クラウド様の赤い瞳がギラリと光って見えた。まるで獣のようだ。でも、それが私にはとても美しく映った。
「まぁ、リリーを馬鹿な婚約者から引き離してくれたことに免じて、金ならくれてやる。そのおかげで、俺はリリーと出会えたんだからな」
「ど、どうして! どうして私ではなくお姉さまなのですか!?」
納得いかないと言った様子で、メアリーが叫んだ。あなたはカルヴィン様と愛し合っているのではなかったの?
結局この子は、私のものを奪って愉悦に浸りたいだけなのか。
メアリーの言葉を聞いたクラウド様が、呆れたようにため息を吐いた。それから冷めた瞳でメアリーを一瞥してから、ゆっくりと口を開く。
「なぜリリーを選んだか……だと? 俺は、彼女の美しさに惚れ込んだんだ」
「う、美しい……!? それならメアリーの方がよっぽど!」
「黙れ。リリーは美しい。容姿はさることながら、磨き上げられたマナー、教養、そして芯の通った性格。どれも、その空っぽな妹には備わっていないものだ」
「な、な、な…………!」
メアリーが悔しそうに唇を噛む。流石の父も何も言えなくなったようで、意気消沈して黙ってしまった。
母は、展開についていけていないのか大人しく部屋の隅で震えている。
セーラは……なんだか、勝ち誇ったような顔をしているものだからつい笑ってしまった。
「わかったら、さっさとこの書状にサインしろ。それから、二度とリリーに……グレンウィル家には近付くな」
「……はい、わかりました……」
がっくりと肩を落とした父が、書状にサインする。これで、私とクラウド様の結婚は認められたのだ。
「さぁ、帰るぞリリー」
「はい、クラウド様」
先程とは打って変わって優しい表情をしたクラウド様が私に手を差し伸べてきた。私も笑みを返しながら、その手を取る。
セーラが扉を開けてくれて、私達は父の書斎から出た。
「覚えてなさいよ…………お姉さま……絶対に幸せになんかさせないんだから……」
____その瞬間、メアリーが何か呟いていた気がするけれど……私には上手く聞き取ることができなかった。
***
廊下では、再び侍女たちがヒソヒソとうわさ話をしている。でも、先程とは明らかにその目線が違った。行きは馬鹿にしたような態度だったのに、今はクラウド様に怯えているのだ。
「何か持って帰りたい荷物はあるか?」
「いいえ。私は全てをこの家に置いて、生まれ変わります。どうせ持ち帰りたいものもないですし。……あ、でも……」
「どうした?」
後ろを歩くセーラの方をチラリと見る。それから、少し悪戯っぽい笑みを意識してクラウド様の顔を覗き込んだ。
「私、セーラを持っていきたいですわ。ついでにケインも」
「えぇ!? わ、私ですか!?」
セーラが目をまん丸にして大声を上げる。けれど、私はセーラが大好きなんだから仕方がない。
「……くくっ、はっはっは!! いいだろう。その侍女をグレンウィル公爵家で雇ってやる。お前もそれでいいな?」
「は、はい! で、でも旦那様や奥様は……」
「また書状を送っておくから、心配しなくていい」
「わかりました……! アイリス様、これからもよろしくお願いいたします! ……あ、公爵閣下も!」
「ふふ、えぇ、よろしくね」
三人で笑いながらレインフォード伯爵邸を出る。
馬車に乗り込もうとしたところで、セーラが「お二人は閣下の馬車でお帰りになってください。私は伯爵家の馬車を出してもらいますので」と申し出た。
「そんな……遠慮しなくていいのよ?」
「お二人の邪魔をしたくはありませんから! ごゆっくりなさってくださいね」
「礼を言う。リリー、帰ろう」
「ちょっと、クラウド様!? ……もう」
クラウド様の手を取って、馬車に乗り込む。後ろから、伯爵邸の馬車が着いてきているのを確認して、クラウド様に向き直った。
「…………クラウド様。公爵邸に着くまでの間、私の話を聞いてくれませんか?」




