第9話
「今日は少し方向性を変えることにしたんだ」
「そうなの。で、その手に持ってる物がそのためのもの?」
「そう」
私は不思議な気持ちでセシルが片手にウィッグ、片手に帽子を持っているのを見る。
そもそも今日は、始まりからして違った。
これまで、セシルの下へ向かうときは自前の馬車で向かっていたのだ。
それが今回は、セシルが直接迎えに来た。
馬車に乗り込むと片手にウィッグ、片手に帽子を持ったセシルが出迎えてくれたというわけである。
「これでヨランダに変装してもらおうと思って」
「変装?」
「ああ。今日は外でデートをしたい」
「……なるほど」
これも女性恐怖症を治す一環ということか。
確かに屋敷の中に引きこもってばかりなのもダメだろう。
夫婦となるのなら、一緒に外に出掛けることもあるだろうし。
ただ、そのままの私と並んで歩くのは問題だから、私の方を変装させようということか。
「変装なんて初めてよ」
「怖い?」
「…それはもちろん」
怖いのは当然だ。
変装しても、ばれないわけじゃない。
ただそれ以上に、変装をしてイケないことをしようとしている背徳感が、胸の鼓動を早めている。
(私、自分で思うよりも変なことが好きなのかしら?)
真っ当に生きてきたつもりだけど、思わぬ自分が芽吹いていることに驚いた。
それはそれとして、早速ウィッグを被ってみる。
腰まで届くほどの長い黒髪のウィッグなので、私の茶の髪を見事に隠してくれた。
そこに、つば広の帽子を被ろうとした。
しかし、背もたれに帽子が当たる。
「…帽子が大きすぎて、馬車の中じゃかぶれないわね」
「外に出たら被ることにしよう。あと、これ」
そう言ってセシルがさらに出してきたのは眼鏡だ。
「度が入ってないから、付けても大丈夫だ」
「どれどれ…」
早速付けてみる。
視界の端に枠があるのと、耳と目に違和感がある。
そこにセシルは手鏡をもって、変装した私を見せてくれた。
「どうだ?」
「…思ったより、別人になるわね」
髪色が違うだけでも、かなり印象が変わった。
そこに眼鏡をかけるとさらに変わり、ここにさっきの帽子と合わされば、ほぼ別人に見えるはずだ。
今の私の姿はセシルからだとどう見えるのか、気になったので聞いてみる。
「どう?セシルは」
「ああ、別人に見える。ただ、ヨランダは黒髪も似合うんだな。白い肌を映えさせるし、茶色の瞳と相まってとてもきれいだ」
「っ!ど、どうも……」
思わぬ誉め言葉に、一瞬で顔が熱くなる。
そんな私にセシルは口元を押さえたままクックッと笑っていた。
笑われたのが恥ずかしくて睨みつければ、セシルは大笑いし始めた。
もう、何よ!
王都の中心にある市街地へと着くと、セシルのエスコートで馬車を降りる。
さっと帽子を被り、顔を上げる。
変装した状態で、これから人目の中を歩くのだ。
正直怖いし、不安もある。
そんな私の手を、変装したセシルが握ってくれた。
「大丈夫か?」
「……うん、大丈夫」
セシルは金髪で肩にかかる程度のウィッグに、お揃いの伊達メガネを付けている。
セシルまで変装する必要はないのだけれど、私だけが変装するというプレッシャーに配慮してくれたらしい。
服装は紺のジャケットに白のシャツ、藍色のトラウザーズと、一般的な服装だ。
しかし、普段は屋敷内でラフな格好をしているセシルしか見ていないだけに、今日の服装は新鮮。
不安の鼓動に隠れて、少しだけセシルへのときめきにも高鳴る心臓をそっと押さえた。
「さぁ行こうか」
「ええ」
セシルの手に引かれ、街中へと踏み出した。
変装しているという後ろめたさがあるせいか、どうしても他人が自分を見ていないか気になってしまう。
きょろきょろしていると、セシルが苦笑いしているのに気付いた。
「そんなに見渡してると逆に怪しいぞ。もっと堂々としろ」
「むぅ…し、仕方ないじゃない。気になるんだもの。私からすれば、あなたが堂々してる方が不思議なのよ」
同じ変装なのに、どうしてこんなにも違うのか、納得いかないわ。
「慣れているからな。騎士には潜入任務もある。別人に成りすますこともあるからな、変装はお手のものだ」
「……ずるい」
つまり私だけが変装初心者ってことじゃない。
そんなの不公平よ。
どおりで変装アイテムの用意も周到なわけだわ。
睨みつけても、セシルはどこ吹く風という感じで、笑っていた。
でもデートは楽しかった。
露店のお店を冷かして回り、昼食には流行りのカフェ。
変装しているので貴族ということを明かせないから、宝飾品店などには入れないけれど、セシルと一緒に出掛けているということが、思った以上に楽しさを倍増させている。
夫とは政略結婚だから、デートなんかしたことない。
夫婦で街中に出掛けたことなどなく、出掛けるときはいつも使用人とだ。
外で食事もしないし、買いたい物だけを買って帰るだけ。
それを面白いと思ったことは一度もない。
それに比べ、セシルは何かにつけ興味を持つ私を、時に引っ張り、時になだめたりしながら一緒に歩き回ってくれた。
こんなにも、自分を出せる人と行動を共にすることが楽しいだなんて、思いもしなかった。
「楽しいか?」
セシルが私の顔を覗き込んで訊ねてくる。
私はそれに笑顔でうなずいた。
「ええ、とても楽しいわ」
「それはよかった」
「セ…あなたは?」
私だけが楽しんでいないか、気になって聞いてみると、セシルもまた顔を綻ばせて頷く。
「もちろん、あなたと一緒なんだからな」
とくんと心臓が一段階強く跳ねた。
セシルの笑顔は、心臓に悪い。
もし、これが名前で呼ばれていたらもっとひどかったかもしれない。
一応、誰が聞いているかわからないということで、名前呼びは避けていた。
念には念を入れて、である。
しかし、どんなに楽しくても身体が付いてこない。
日が建物の影に隠れ始める前、だんだん痛む足に、私は息を吐いた。
「ふぅ……」
「どうした?疲れたか?」
「ええ、ちょっと足がね…」
「分かった。今日はここまでにしよう」
セシルがうなずくと、一瞬視界から彼の姿が消えた。
しかし次の瞬間、自分の視界がぐっと上向きになる。
何が起きたのかと思ってあたりを見渡すと、セシルに横抱きにされていた。
「セッ……あなた!何を…」
「足が疲れたんだろう。なら、馬車まで運ぶぞ」
そう言って、私の同意なく歩き始めた。
私を横抱きにしたセシルの姿を、通行人が何事かと振り返ったり、視線を注いでるのが分かった。
(ああああ……すごく目立ってるじゃない!これじゃ変装の意味が…)
誰だかばれていないとは思うけど、こうも注目されてその中に見知った顔がいたらどうするのか。
私はとっさに帽子を深くかぶり直して顔を隠した。
「いいな、そうしていてくれ」
「……誰のせいよ」
人一人抱えているのが信じられないほど、セシルの足取りは軽やかだった。
そればかりか、時折鼻歌のようなものまで聞こえてくる。
(まったく…一体何がそんなに楽しいのかしらね?)
恥ずかしさで赤くなった顔が見られてないことにホッとしつつ、私は身をかがめて馬車の所まで着くのを大人しく待った。
馬車に着くと、御者が扉を開け、私を抱えたままセシルは馬車へと入っていった。
そこでようやく私は席に下ろされた。
「大丈夫?セシル、疲れてない?」
「全く。これでも騎士の端くれだ。軽いヨランダ一人運んだところで、疲れなどせんよ」
「そ、そう……」
軽いと言われてちょっと嬉しい。
でも、レストランと屋敷での夫へのストレスで甘いものが増えてるから、ちょっと……うん、ちょっとだけ増えてるのよね。
気付かれなくて何よりだわ。
馬車が進み始め、ゆっくりと帰路に就く。
「それより、ヨランダこそ足は大丈夫か?」
「ええ。セシルのおかげで休ませてもらえたから、痛みは引いたわ」
「そうか、なら良かった」
セシルは安心したように笑顔でうなずいた。
変装セットを脱ぐと、セシルに渡す。
(ウィッグを外した後の髪が少し荒れてるけど、大丈夫かしら?)
ちょっと気になり、髪へと手を伸ばす。
そうしていると、なんとセシルはブラシを取り出した。
「梳いてやるよ」
「…あなたにできるの?」
悪気なく聞いたけど、セシルはムッと顔をしかめた。
「髪を梳くだけだろう?それくらいできる」
「ふふっ、じゃあお願いしようかしら」
そんなセシルのようすに可笑しくなったけど、お願いすることにした。
セシルは私の隣に映り、私は彼に背中を向けた。
サー、サーとブラシが髪を梳く音が車内に響く。
(なんだか不思議な気分だわ。セシルに髪を梳いてもらうなんて)
侍女にやってもらうのは当然だけれど、男性にやってもらうなんて初めての体験だ。
それに梳いてもらいながら気付いたけれど、セシルに髪に触れられるのに全然嫌悪感が無い。
男性に触れられるなんて、考えるだけで鳥肌ものなのに。
そんな自分がいることに驚き、それどころか気持ちよさまで感じている。
(なんだか今日は、自分の新たな一面を発見してばかりだわ。本当は、セシルの女性恐怖症を治すためなのに)
本来の目的がどこかに言っているような気がするけれど、なんだかそれを今問うのは野暮な気がした。
だって、梳いてくれているセシルが、とても楽しそうだから。
(ふふ、また鼻歌歌ってるわ)
鼻歌は無意識に出るセシルの癖だ。
指摘すると恥ずかしがってやめるから、言わない。
「ほら、終わったぞ」
「ええ、ありがとう」
そっと髪へ手を伸ばす。
跳ねた髪は収まったようだ。
「どうだ?ちゃんとできただろう」
「ええそうね。これからもお願いしようかしら?」
「ああ、いつでもいいぞ」
得意げなセシルの返事に、私は少しだけ心に陰を落とした。
いつでも…そんなことあるわけないじゃない。
だって、この関係は仮初。
いつかは消えてなくなるのだから。
だから、そんな安請け合いしてほしくなかった。
私はそれを誤魔化しつつ、セシルの方へと振り向いた。
「楽しかったわね」
「ああ、楽しかったな」
彼の顔が寄ってくる。
私はそっと目を閉じた。
わずかなリップ音が響く。
目を開けると、目を細めて嬉しそうにしているセシルの顔がすぐそこにあった。
(これも、女性恐怖症克服のため……だから、仕方ないのよ)
そう自分に弁明して、笑顔のセシルに、私も笑顔で応えた。
「ありがとう、ヨランダ」
「どういたしまして」




