第7話
「待っていたよ、ヨランダ」
「ありがとう、セシル」
朝、朝食を終えてからディカータ伯爵家のタウンハウスへ向かうと、馬車の扉が開いた直後に、花が咲きそうなほどの笑顔のセシルが出迎えてくれる。
余りの喜びように苦笑しつつ、私自身もそれほどまでに喜んで出迎えてくれるのは、悪い気がしない。いや、純粋にうれしい。
彼にエスコートされて馬車を降りると、玄関ホールをくぐり、階段を上って彼の部屋へと向かった。
今日も久しぶりの家族と歓談するというのが表向きだ。
それがどうして朝かというと、やっぱり既婚の私が未婚のセシルがいる家に毎度宿泊するのは問題だと思ったから。
だから、済ませるなら夜ではなく日中のほうがいいと思ったわけである。
日中になんてしたことはないけど、これもセシルのため…そう言い訳しながら、彼の後をついていく。
セシルの部屋の扉をくぐり、そのままソファーへと案内される。
「座ってくれ」
「ええ」
私がソファーに座ると、セシルは対面に座った。
そこに侍従が紅茶を用意し、サッと部屋を出ていく。
これで部屋にいるのは、私とセシルだけだ。
つまり、もう準備は整っている。
あとはいつセシルが始めるかだけ。
私は平静を装いながらも、セシルがいつ隣に座るのかに胸を高鳴らせていた。
罪悪感はある。
情事がバレたときの非難への恐怖もある。
だけど、それは確実に1回目よりも薄れていた。
それとは逆に、彼との行為への期待は高まっている。
今日はセシルの指がどんなふうに動くのだろう、どこに触れてくるのだろう。
前回、彼の剣だこのできた硬い指でなぞられる感覚は、それまでに感じたことのないものだった。
くすぐったいようで、何も感じないと言えなくもない。
それなのに、体は跳ね、口から掠れるように喘ぎ声が漏れ出す。
そんな私の様子を、彼は情欲と緊張を入り混ぜた瞳で見つめてくる。
それがまた、今日も繰り返されようとしている。
少し思いだしただけで、下腹には甘いしびれが走った。
そんな私を、セシルは喜びを隠しきれない碧眼の瞳で見つめてた。
「セシル?そんなに見つめられると恥ずかしいんだけど…」
つい、口に手を当てて、視線から逃げるように顔をそらす。
「いや、ヨランダは可愛いなと思ってな」
「っ!」
さらりと告げられた誉め言葉に心臓が跳ねる。
「それに今日のドレスも似合っている。ヨランダの雰囲気にとても合っているな。ああ、髪もふわふわで美しい。本当にヨランダの髪は、いつ見ても芸術品のようだな」
怒涛とも思えるセシルからの誉め言葉に、顔がどんどん熱くなる。
「い、いきなり何なのよ?」
彼の言動の意味が分からず、聞いてしまう。
セシルはそれに答えず、立ち上がる気配がした。
そしてゆっくり歩くと、私の隣へと腰を下ろし、私の腰に腕を回した。
「本に、情事の前に女性を褒めたほうがいいと書いてあってな。だからそうしてみた」
「……ああ、そうなのね」
途端に高まっていた高揚感がしぼんでいくのがわかる。
本の通りにしただけなのね。
セシルが本当にそう思って言ってくれたと思ったのに、そうと分かってがっかりだわ。
「…なるほど、女性を褒めるというのはこんな感じなのか」
しかし、セシルにとってはそうではなかったようだ。
どこか感心したかのように頷いているのが、雰囲気で分かる。
「褒めると、ますますヨランダが美しくなっていくように見える。この指もきれいだ。陶磁器のようになめらかで美しい。耳の形もいいな。もっと褒めたい。ヨランダ、こっちを向いてくれるか?」
「………やだ」
そう言われて向けるわけがない。
本の通りだと思ってしぼんだ高揚感が、再び膨らんでいく。
彼は本心で私を褒めている。
本に書かれていた内容そのままではなく、彼が思ったことで私を褒めているのだ。
それは嬉しいけれど恥ずかしくないわけがなく、どんどん顔が赤くなる。
そんな顔で彼の方を向けるわけがない。
「やれやれ…仕方がないな」
そう言うとセシルは、私の顎に手をあてがった。
そのまま、ぐいっとセシルの方へと向けさせられる。
セシルの顔が息がかかりそうなほどに近く、私は目を見開いた。
「せ、セシル!?」
「なんだ、顔が真っ赤じゃないか。白い肌のあなたも素敵だが、赤く染まったあなたも魅力的だ。ああ、明るいと肌の綺麗さもよく分かる。なるほど、こんなに綺麗なら触れても気持ちいいわけだ。この唇も、艶やかでぷっくりとしてなんて美味しそうなんだ。今すぐ食べてしまいたいくらいだな」
「っ~~~!」
徐々に情欲の熱を帯びていく碧眼が私を捉え、形のいい唇からは私の耳を酔わせるように低く通る声が褒め称えてくれる。
視覚と聴覚からの情報に脳を焼かれ、私はパンク寸前だった。
(こ、こんな甘い言葉ばかり囁くなんて……これがあの女性恐怖症のセシルなの!?)
とても同一人物とは思えなかった。
でも、見た目は確かに同じで、それが余計に頭を混乱させる。
女性を見れば誉め言葉どころか、逃げ出すセシルに、こんな女性を称える甘い言葉が出てくるのが信じられない。
このままでは姉として、年上としての沽券にかかわる。
私は精一杯反撃のつもりで口を開いた。
「せ、セシル…ずいぶん口がうまいじゃない。どこが女性恐怖症なのかしら?」
「さぁ、どうしてだろうな。ヨランダを見ていると勝手に口が動くんだ。ヨランダが魅力的すぎるからだな」
「なっ…!」
反撃のつもりが見事なカウンターを決められ、陸に上がった魚のように口をパクパクさせるしかなかった。
グッと腰に回された手に力が入り、引き寄せられる。
ぴったりと足を揃えるほどに密着すると、セシルはさっきと一転、緊張した表情で私を見下ろしている。
ここまでいけいけだった彼が、途端に黙り込んでしまい不思議だった。
「どうしたの?」
「……キス、していいか?」
「っ!!」
キス。
きっとセシルのいうキスは額や頬にするキスの事ではない。
唇同士でする、恋人や夫婦にのみ許されたキス。
それを彼は私にねだっているのだ。
1回目のときは、キスはしていなかった。
私からもしなかったし、セシルからもしなかった。
セシルにとってはまだそこまでの余裕が無かっただけだろうし、私からするのも違うと思った。
しかし今日はセシルがキスを欲している。
それに私は応えるべきか、悩んだ。
私とセシルは恋人ではないのだ。
家族同然ではあるが、家族でもない。
いくら体を許しても、キスまで許すかはまた別。
それは私とセシルを隔てる、最後の壁と言える。
なのに、その壁は、いともたやすく崩れようとしていた。
「ヨランダ……」
セシルは私の返事を待たず、唇を下ろしてくる。
私はとっさに彼の唇を、自分の手でふさいだ。
それに彼は目を見開いた。
「だ、ダメよ…それは、まだ……」
まだその時じゃない。
自分でも、まだということはそのうちにするつもりなのかを自問自答してしまったけど、今は忘れる。
しかし、セシルは諦めるつもりはなく、自分の口をふさいだ私の手を掴み、ゆっくりと横にどける。
「ヨランダ……したいんだ」
「っ~~!!」
そんな甘く、ねだるような声で囁かないでほしい。
最後の壁だったはずのそれは、あっさりと崩れ落ちた。
ゆっくりと彼の唇が降ってくる。
私は思わず目を閉じた。
「ん………」
セシルの唇と、私の唇の影が重なる。
セシルの思ったよりも柔らかな感触が、脳がとろけそうになるほどの強い刺激へと変わる。
かつて夫としたことじゃあっても、キスでここまで感じたことはない。
比べ物にならない。
それくらい、セシルとのキスは魅惑的で、倒錯的だった。
「………はっ」
ゆっくりと離れたセシルが一瞬息を吸う。
離れて良く見えた彼の顔は、ほんのり赤く染まり、目元も緩んで官能に酔いしれているのが分かる。
「……はぁ」
私も止めていた息を吸う。
なにこれ、こんなキス知らない。
キス一つで、ここまで体中が熱くなるなんて、それこそ初体験だ。
「ヨランダ……こんなにも目をトロンとさせて……たまらなくなるじゃないか」
「…そんなの、私のせいじゃないわ」
そうさせたのは誰だと、拗ねるように目だけ外へと向ける。
「そうだな、ぼくのせいだ。だから、ぼくにはその責任を取る義務があるな」
ニヤリと、彼の口角がつり上がる。
その目には、獣を狩る狩人の鋭さが宿っていた。




