第5話
その後、デディの代わりに私がセシルの部屋に入室し、事情を説明した。
デディにバレたこと。
女性恐怖症が改善したかどうかを試すために、デディに声がけしてもらったこと。
説明を聞き終えたセシルは、ジト目で私を見る。
「そんな簡単に治るなら俺は苦労してない……」
ごもっともです。
改めて今回の件は3人の間の秘密ということにして、朝食を済ませた後、私はアミッテレ家に帰ることにした。
ディカータ伯爵家の送迎用の馬車から降り、屋敷の中に入ると侍女が待っていた。
「おかえりなさいませ、奥様」
「ただいま。ごめんなさいね、急に泊まるなんて言って」
「いいえ、大丈夫でございます」
アミッテレ家にはセシルが連絡をしてくれていた。
曰く、久しぶりの再会に話がはずんでいる。このまま一晩語り明かそうということで、私は泊まるという話にしたらしい。
侍女の様子を見る限り、私の朝帰りに特に疑問をもっていないようだ。
平静を装っているけど、本当は内心ドキドキである。
ディカータ家で家を出る前、念のためにデディには体を拭いてもらった。
急な泊りであちらの寝具や夜着を借りているから、行きと違う香りが付いていても怪しまれないはずだけど、念には念を。
「……旦那様は?」
「昨晩もお帰りになられていません」
「そう…」
夫が不在と聞いても、私は平静を崩さない。
本当は安堵でいっぱいだけど、普段の私は夫が不在なことを当然と思うようになり、一々感情を荒げない。
それなのに、今日に限って感情を見せれば侍女に何かあったのではないかと探られかねないからだ。
デディの件もあるので、今日に限って夫がいるのでは…という悪い予想をしていたけど、外れたようで安心した。
ホールを抜けて階段を上がり、私室へと戻る。
アミッテレ家に嫁に来て以来、女主人としてあてがわれた部屋は、白を基調とした落ち着いた部屋だ。
趣味が似通っているので、先代の夫人の物をそのまま利用させてもらっているのが多い。
一緒についてきてくれた侍女が紅茶を淹れてくれる。
カップを置かれると、私は侍女に声を掛けた。
「少し仮眠するわ。何かあったら起こしてちょうだい」
「かしこまりました」
侍女に手伝ってもらい、ドレスを脱いで簡素なワンピースに着替える。
侍女が部屋を出ていったあと、私はベッドにもぐりこんだ。
「はぁ……」
思わずため息が漏れた。
一人になると、昨晩のことがまざまざと記憶によみがえる。
(仕方ないのよ、これは人助けだもの。それにかわいい弟分の頼みなのよ?)
セシルとしている最中、こみ上げる罪悪感を打ち消すように何度も自分の行為を正当化させた。
(1回だけ、これでもう終わり)
自分の体に夢中になるセシルを、少し斜に構えた態度で見ていた。
異性として愛しているわけじゃない。だからこれは裏切りじゃないの。
それでも、結婚して夫がいる身で他の男性に抱かれた事実は、私の心を蝕む。
知らず、目から涙があふれ、枕を濡らしていった。
「うっ、うぅぅ………」
誰にも言えない、三人だけの秘密。
セシルは満足してくれたし、デディも匿い、喜んでくれた。
ただ、私だけがそんな気持ちにはなれない。
ずっと、罪悪感が心に重くのしかかったまま。
彼が女性恐怖症を治してくれれば…いや、仮に今後治ったとしても、この罪悪感はきっと消えないままだ。
(セシル…恨むわよ……。絶対、何が何でも女性恐怖症、治しなさいよね)
この場にいない彼へ恨み言を思いつつ、私は声を押し殺して泣き続けた。
****
セシルに抱かれてから3日が経った。
泣いてスッキリしたからか、あれからはそれほど胸が重く感じることは無くなった。
完全に消えたわけではないけれど、なんだかんだいってもあれっきりなのだ。
いつまでも抱えたままにしていても仕方ないと、開き直ることにした。
そして今日、私は出掛ける用意をしていた。
「奥様、準備が整いました」
「ありがとう」
今日は華美すぎない緑色のワンピースを身にまとう。
これから向かうのは、アミッテレ家の事業であるレストランだ。
レストランは先代の侯爵が始めた事業で、現在は夫が事業を引きついでオーナーになっている。
しかし、近年の業績は芳しくない。
先代が始めたときは、高級感と質の高い料理がウリだったのだが、夫のエロール様が継いでから徐々に方向が変わってしまった。
彼は利益を優先し、シェフのこだわり抜いた材料を「コスパが悪い」と一蹴した。
おかげで創業時からの料理長と対立し、料理長はやめてしまったのだ。
それ以降、料理の質は下がり、客足も右肩下がり。
事業の意地が難しくなったため、資金援助のために私が結婚したというわけだ。
しかし、援助を受けても根本がダメなら何も変わらない。
今もレストランの売り上げは低迷し、ついに先月には店長まで辞めてしまった。
店の運営に掛かる人がいなくなってしまったため、やむなく私が店長代理として働くしかなかった。
もっとも、それもエロール様にとっては『人件費を払わなくていいスタッフ』くらいにしか思ってなさそうなのが腹が立つ。
だけど、レストランには大勢の従業員や、食材を下ろしてくれる生産農家や畜産業、漁業の関係者がいる。
レストランが無くなれば、そう言った人たちが路頭に迷うかもしれない。
そう思ったら、何もせずにはいられなかった。
そのため、数日に一度は店に赴き、店長代理として帳簿や売り上げ状況を確認し、なんとかできないかと頭を悩ませている。
馬車に乗り込んだ私は、もうすぐ昼時のレストランに、どれだけの人が入ってくれるだろうかと不安を抱えていた。
(この前は、半分も席が埋まらなかったわね。……貴族向けの高級店なのに、平民向けの普通品じゃダメなのに、エロール様は何もわかっていない。これでは、どんなに資金があっても割れたバケツと同じだわ)
はぁとため息をついていると、馬車はレストランに着いた。
御者にエスコートされて馬車を降りると、裏口に回り事務室へと入る。
そこには準備中のスタッフがいた。
「…あ、ヨランダ様、こんにちは」
「こんにちは」
彼は数年前に雇われた20代前半の青年だ。
主にホールを担当している。
しかしその表情は明るくなく、これから仕事を始めようという者には似つかわしくない顔だ。
…考えるまでもない、モチベーションが持てないのだろう。
(これもまずいのよねぇ…)
客足が伸びない原因を、エロール様はスタッフのせいにしている。
やれ接客が未熟だ、料理の味が悪いだの。
接客など一度もしたことが無いのに、えらそうに指図されてスタッフがそれをまともに受け取るわけがない。
結局、ベテランのスタッフのほとんどはエロール様がオーナーに変わった数年以内にやめ、ほとんど新人ばかりで回している状況だ。
接客の質が落ちるのは当然なのに、それすら気付いていないことには頭を抱えるしかない。
本当にどうしたものか…そう考えていると、スタッフがこちらをちらちらと見ている。
何か言いたげな目に、私は笑顔を浮かべて応対することにした。
その原因がなんとなく予想できて内心はうんざりしているけど、聞かないわけにはいかないのだ。
少ないスタッフを失わないためにも。
「どうしたのかしら、何かあったの?」
「……昨日、オーナーが来ました」
「………そう」
悪い予想は当たるものだ。
眉間にしわが寄る。
昨日のことを思いだしたのか、スタッフのただでさえ暗い顔が、どんどん暗くなっていく。
「『早く料理を提供しろ!』とか、『いつになったら食器を下げるんだ!?』って怒鳴り散らすんです…。他のお客様がいるのに。それで、自分は意気揚々と『スタッフが未熟ですみません』って笑いながら謝るんです。お客様だって、俺を笑ってて……」
「……ごめんなさい」
「あ、いえ、ヨランダ様のせいでは……すみません。ホール行ってきます」
そう言って彼は、死んだ魚のような目で事務所を出ていった。
あれでは、もう彼もどれくらい働いてくれるか分からない。
ただでさえスタッフも足りていないのに。
その上、明らかに客層も悪くなった。
先代の頃は高位貴族も訪れる有名店だったのに、今では下位貴族やたちの悪い豪商が我が物顔で入り浸るくらいに堕ちた。
(本当にもう…どうしようもないわね…)
もはや怒る気力も湧かない。
それでも出来ることは無いかと、私は事務所で売り上げや資材管理を見直すことにした。
大々的に何かを変えようとしても、エロール様はそれが気に入らないらしく、絶対に承認しない。
オーナーに認められない以上、彼が気付かないレベルの細々とした改善でしのぐしかないのだ。
―――ただのその場しのぎ。
それが分かっていても、レストランをなんとかして維持しなければならない。
その責任感が、私を突き動かしていた。




