第43話
時は進み、雪が舞い散る季節になった。
ディカータ伯爵家のタウンハウスの庭には、うっすらと雪が積もり始めるようになった。
緑を失った庭は淡い雪化粧を纏い、朝日を受けて美しく輝くようになる。
吐く息も白くなり、屋敷の中にいても厚着をしないと過ごせないこの季節が、昔は嫌いで、今は好き。
だって、好きな人と遠慮なくくっついていられるから。
「ん……」
部屋が朝日で徐々に明るくなり、瞼に感じる刺激が徐々に意識を覚醒させる。
吸い込む空気の冷たさがさらに覚醒を促し、それを拒むように私は身をよじらせた。
布団の温かさと、それとは別の温かさが意識を再び眠りへと落とそうとする。
「ふふっ」
しかし、突然聞こえたかすかな笑い声に、落ちかけた意識が再び浮上する。
目を開ければ、すぐそこには肌色の壁があり、寝ぼけた頭のまま顔を上げると、こちらを見下ろすエメラルドの瞳とばっちり目が合う。
「おはよう」
「……おはよ」
そこには、愛する婚約者セシルの顔があった。
美しい白銀の髪が顔にかかり、愛しいものを見るかのように細められた碧眼は朝からすさまじい色気を放っている。
彼の顔をぼーっと見ながら、今の自分がどんな状態だったのか、少しずつ思いだしていく。
(そうだ、昨日はセシルと……)
意識が布団の中へと向けられる。
そこには素肌同士が触れ合う感覚があり、布一枚とて隔てるものはない。
私の頭は彼のむき出しの二の腕に乗り、セシルのもう片方の腕は私を抱き寄せている。
私の片腕も彼の身体へと回されており、二人で裸のまま抱き締め合っている。
素肌の触れ合いと、彼のぬくもりを存分に味わっている状況に、私の顔は徐々に緩んでいった。
「朝からご機嫌だな、ヨランダ」
そう言う彼の顔もまた、穏やかな笑みを浮かべている。
ご機嫌に決まっている。
こんなにも幸せな朝を迎えたんだから。
昨晩は情事を終えた後、身体を拭いた後はそのまま二人でくっついて寝てしまった。
セシルは私が風邪を引かないように服を着せようとしたけれど、私はそのまま一緒でいることを望んだ。
結局、セシルが折れてくれて、その代わりに厚手の布団がもう一枚追加されている。
「だって、気持ちいいんだもの」
素肌の触れ合いは、どうしてこんなにも気持ちいいのだろうか。
冬が近づき、徐々に寒くなるにつれ、温め合うように裸で抱き締め合う気持ちよさが増していく。
「そうだな、ぼくも気持ちいい」
そう言って、彼は私の額に軽いキスをした。
この体勢だと、ちょうど彼の唇のあたりに私の額がくるからか、セシルは額にキスをすることが多い。
唇にされるキスもうれしいけど、額にされるキスも、彼が私を大事にしたいという気持ちが伝わってきて嬉しくなる。
パチッと薪の爆ぜる音が聞こえる。
いつの間にか、部屋の暖炉に火が入っていたようだ。
ただ、まだ火が点いたばかりのようで、部屋の空気はまだまだ冷たい。
それはつまり、部屋が暖まるまで、まだまだこうして一緒にいられるということであり、それが嬉しくて彼の胸に顔を押し付けてぐりぐりとした。
「ははっ、くすぐったいな」
セシルは私の行為を受け止めながら、抱きしめていた腕で髪を梳いてくれる。
彼の剣を振るうことで硬くなった指が髪を、そして頭皮を撫でる感触は心地よく、また眠りに落ちてしまいそうな心地よさを生み出す。
「セシル……また、寝ちゃうわ」
「部屋が暖まるまで、まだかかる。それまでは、寝てていいぞ」
「……うん」
彼の低くて穏やかな声が、まるで子守歌のように覚醒しかけていた脳を眠りへといざなう。
「……すー…」
そして、本当に私は眠ってしまった。
「ごめんなさいセシル!!」
「大丈夫だ、まだ間に合うから」
私を顔を真っ赤にしてセシルに謝った。
眠ってしまった私を起こさないようにしていたら、セシルの出仕ギリギリの時間になってしまったのだ。
急いで身支度を済ませながら、セシルを見送る準備を整える。
一方、セシルはというと、私の寝顔を見ながらこっそりと朝食をとっていたらしい。
目の前でパクパク食べていたのにそれでも起きない私の鈍感さは、穴があったら入りたいくらい恥ずかしい。
「いってらっしゃい、セシル」
「いってきます、ヨランダ」
なんとか身支度を整えたセシルを見送る。
そのときには、もちろん見送りのキスも忘れない。
背伸びして、彼の唇に自分の唇を合わせる。
「愛妻のキスは安全祈願・無傷無病・技能向上……よね?」
自分で言っててちょっと恥ずかしい。
けど、セシルが満開の花壇のごとき笑顔を浮かべているから、その顔が見れるなら恥ずかしくても我慢できる。
「ああ。今日もぼくは魔法にかかってしまった。無事に帰ってくるから、待っていてくれ」
「ええ、待ってるわ」
彼の姿が玄関の先に消え、馬車に乗り、王宮へと向かう。
(私のせいで)慌ただしい朝が終わり、ようやく一息つくことができた。
「ヨランダ様、朝食の準備はできております」
「ええ、今行くわ」
デディに言われ、朝食が用意されている食堂へと向かった。
(うぅ、セシルと一緒に食べられなかったわ…)
完全に自業自得なのだけれど、彼と一緒の朝食を楽しめなかったことが悲しい。
私はしょぼんとしながら、一人寂しい朝食を摂った。
朝食を摂った後、私は執務室へと向かった。
そこには執事のケインがおり、私が来ると立って出迎えてくれた。
「ようこそおいでくださいました、奥様」
「ケイン、奥様はまだ早いわよ」
「いいえ、セシル様がお決めになったのですから、早いも遅いもありません」
ケインはディカータ伯爵家のタウンハウスを取りまとめている。
本来タウンハウスはディカータ伯爵家が社交シーズンの時にのみ使うはずだったが、セシルが騎士となったことで常駐化できるように整えた。
ケインがいるのもそれが理由で、屋敷の管理全般を彼が担っている。
タウンハウスは2階建てで、コの字型になっている。
白地に鈍色が混ざったような色合いの壁となっており、シックな感じだ。
2階が家人と客人の部屋となり、1階に使用人や台所、食堂、広間や応接室などがある。
建物に比べると中庭が広く作られており、社交シーズンで茶会を開くことを前提にしているため、居住空間というよりも、社交空間としての意味合いが強かったりする。
(今は庭が寂しいけれど、春や夏頃は見事だったものね。客人を招けば、さぞ話題になったことでしょう)
今日執務室に来たのは、ケインからディカータ伯爵家のタウンハウスの維持管理について聞くためだ。
さっきは奥様と呼ぶのは早いと言ったけれど、いずれは女主人となる。
セシルが伯爵位を継げば、このタウンハウスのみならず、ディカータ伯爵家の所有する領地も管理しなければならないのだ。
いずれ親衛隊となるセシルは、そちらが優先され、領地や屋敷の管理まで手が回らなくなるだろうというのが目に見えている。
そんなとき、私に彼のサポートができるよう、今から勉強しておこうというわけだ。
「奥様は、アミッテレ侯爵家で屋敷の管理にも携わっていたと聞き及んでおります。おそらく、私がお教えできることはそう多くはないと思いますが…」
ケインはセシルが騎士として王都に来るときに、彼のサポートのために従僕から執事へと昇格したという。
今年40歳となった彼は、ぴっちりまとめた白い髪を後ろになでつけ、常に気を引き締めた表情をしていた。
そんなに気張らなくても…と思ったけれど、彼にとってはこの表情がデフォルトらしい。
「家が違うと勝手も違うもの。その辺も含めて、教えてちょうだい」
私は柔らかい笑みを浮かべて、彼に教えを乞う。
ケインは一度目を見張り、再び固い表情へと戻った。
「かしこまりました。では、まずはこちらの屋敷の管理状況から」
「ええ」
ケインから受け取った資料を手に、私は女主人としての準備を始めたのだった。




