第42話
「…だから、あなたは騎士団の訓練だけじゃなく、屋敷での自主練もしていたのね」
「そうだな、とてもじゃないが、周りと同じでは親衛隊に上がれるほど簡単じゃない。更なる鍛錬が必要だ」
話し合いの後、晩餐の時間だと呼ばれたので、それを済ませて湯あみも済ませると、セシルの部屋に向かった。
既にソファーに座って待っていた彼の隣に座る。
もう問い質すようなことは無いのだから、正面に座る意味はないもの。
話はさきほどの続きだ。
セシルがどうしてそこまで訓練を重ねていたのか、その理由がようやく分かり、一安心だ。
前に、朝で彼の鍛錬を見ていて、その時にも聞いたことがある。
その時彼は、絶対に叶えたい目的があると、そう言っていた気がする。
あの時は話してくれないことを悲しんだけど、婚約前にそんな話をされたら、私はどう思っただろう。
ついさっきでさえ、彼に負担を与えてしまったことへのお父様への怒りが込み上げてきた。
そんなにも私との結婚を望んでいることへの喜びは無かったのだ。
もしかしたら、私は身を引いていたかもしれない。
彼に、そこまでの重荷を背負わせたくないと考えて。
そう思うと、今まで言えなかったセシルの気持ちが分かる。
彼はできないとは考えていないと言った。
でもそれは、セシル自身がそう思うだけで、周りまで同じとは限らない。
それだけ私を見ていて、私がどう思うかを考え、そして話さなかった。
信用されてないなんて口走ってしまったけど、信用されなくて当然だ。
いざ話してもらっても、結局私は自分の事しか考えていなかったんだから。
(つくづく……自分が嫌になるわ)
自分に呆れるように、ため息がこぼれる。
それにセシルはすぐに気付き、眉尻を下げた顔で覗き込んできた。
「本当にすまない。あなたに負担を掛けたくないと考えるばかりに、あなたのことをないがしろにしてしまった。最初に聞かれた時に…ちゃんと話していればよかったな」
「ううん、そんなことないわ。あのとき聞いていたら……あなたの言った通り、そんな負担を背負わせたくなくて、婚約しないまま逃げていたかもしれない。セシルのほうが、私をよく分かってるわよ」
その声は、いつも自信に満ちた彼らしくない、気弱な声だった。
彼をそんな顔にさせるのが申し訳なくて、苦笑しながら彼の考えを肯定した。
自分よりも、他人のほうが自分のことが見えている。
それをつくづく思い知らされた。
「ヨランダ」
ふと、セシルが力強い決意を秘めたエメラルドの瞳を私に向ける。
それに心臓が少し跳ねるも、私はしっかりとその瞳を見据えた。
「どうしたの?」
「ぼくは親衛隊隊長になる。あなたと結婚し、離縁しないために。でも、そのためには絶対にあなたが必要なんだ。あなたが隣にいてくれれば、ぼくはどこまでも頑張れる。ただ…あなたのために頑張りたいから、あなたにいてほしいという矛盾がある。それでも、ぼくの隣にいてくれないか?」
「セシル……」
彼の言葉に、私は胸を打たれる。
何て上手に自分の弱みをさらけ出すんだろう。
その弱みに、私は簡単に囚われてしまう。
それにどう答えるかなんて決まり切っているし、きっとセシルも分かっている。
でも、きっと私の口から答えを聞きたいはずだ。
だから私は、彼を安心させるために、努めて穏やかさを意識して声を出す。
「もちろんよ、セシル。私のために頑張ってくれるあなたに、私の隣にいてほしい。私も、あなたのために頑張りたいから、あなたの隣に私を置いてほしい。どうかしら?」
「当然だ、ヨランダ。ぼくの隣は、あなた以外考えられない。その言葉が聞けて、嬉しい」
そっと、セシルの腕が伸びて私に絡みつき、抱き寄せられる。
私も腕を伸ばしてセシルの身体を抱き締める。
お風呂上りの石鹸の匂いが彼の身体から立ち上っていた。
薄い夜着越しの抱擁は、何度もしているのもあってもう鼓動が早くなることはない。
代わりに、筋肉質で固い彼の身体に安心と心地よさを感じ、つい目を閉じてしまう。
「ヨランダ、あなたを愛してる」
「私もよ、セシル」
セシルの愛を告げる言葉に、私は間髪入れずに答えた。
顔を上げると、吸い込まれそうになるほどきれいなエメラルドの瞳が私を見下ろしていた。
その瞳に吸い寄せられるように顔を寄せ、彼と口づけを交わす。
何度も重ねた口づけも、抱擁と同じく、まるでそうするのが当然とばかりに慣れ親しんでいた。
こうしているのが普通で、離れているほうが不自然。
唇を離すと、彼の瞳の中にかすかに火が点いているのが見えた。
「…ヨランダ、もう父上たちは帰ったぞ?」
「………セシルってば」
私は困ったように笑う。
セシルの言葉の意味が分からないほど、鈍感じゃない。
―――声を出してもいい。
彼は何度でも言ってくれる。
私の声が好きだと。
みだらで、はしたない、私が快楽に喘ぐ声を。
本当はそんな声を聞かせたくないけど、彼に好きだと言われれば、我慢も出来ない。
(…それに、声を我慢しないほうが気持ちいいのもあるし)
そんな本心は、決してセシルには言えない。
そんなことを言おうものなら、彼はあの手この手を使って私に声を出させようとするだろう。
…それはさすがにちょっと怖い。
「ヨランダ、持ち上げるぞ」
「えっ、うん」
応じると、セシルは軽々と私を横抱きにして持ち上げた。
…なんだか、前よりも動きが軽くなってないかしら?
彼の鍛錬の成果が見えて嬉しい反面、それだけ体力を付けた彼にこれから抱かれると思うと…やっぱり怖い。
だから私は、せめてもの抵抗をする。
「や、優しくしてね…?」
「……………」
彼の瞳が、一瞬で据わってしまった。
それを見た私の頭の警鐘が鳴り響いている。
口元が引きつり、これから行われるであろう行為に、悪寒を感じる。
「…ヨランダ、あなたは男を煽るのがうまいな」
「ひっ!」
ゾッとするほどに低く、それでいて劣情の一切を詰め込んだ声が耳元で囁かれる。
それに、どうしようもない寒気と不安、そして期待が湧いてきた。
(ど、どうなっちゃうのかしら…?私、生きてるかしら?……あ、明日の朝食のメニューは何かしらね)
現実逃避し始めた私をよそに、そっと寝台に置かれる。
すぐさま彼が覆いかぶさり、逃げられないという現実だけが目の前を支配した。
―――私は決めた。デディに、男を煽らない言葉を教えてもらおうと。
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「スー……スー……」
情事を終え、身体を拭いた後、ヨランダはすぐに眠りに落ちた。
それを、セシルは穏やかな笑みを浮かべつつ、少しの反省を込めながらその寝顔を眺めていた。
(やりすぎてしまったな…)
両親がいなくなり、やっと解放されたと思ったら、もう止まらなかった。
いても情事は続けていたが、いなくなったという解放感は危険だ。
特に、セシルの最も興奮を煽るヨランダの喘ぎ声は、それだけで達してしまいそうに脳を刺激する。
だから彼女の声を引き出そうと躍起になってしまうのだが、今夜は特にそれがひどかったという自覚がある。
(声を押し殺すヨランダもかわいいが、やはりはっきり耳に届くほうがいい。…明日、彼女の声が枯れてないといいが)
自分の腕枕で穏やかに眠るヨランダの寝顔は、さっきまで快楽に溺れ、みだらにあえいでいた姿と同じには思えないほどに穏やかで、あどけない。
歳不相応に童顔なヨランダは、セシルと並んでも同年代として違和感がない。
(…いらない負担を掛けさせてしまったな。まだまだだな、ぼくは)
思いだすのは、晩餐前のさっきのやり取り。
ヨランダに隠し事をしていたために、彼女を悲しませ、泣かせてしまった。
自分の気持ちが空回りしてしまったことを後悔し、それでいてもう一つの約束を破ってしまったことに嘆息する。
(『泣かせるな』…か。黙っていれば、ばれないよな?)
ヨランダの父であるリリバメン伯爵との約束は一つではない。
二つあり、一つは親衛隊隊長になること。
そしてもう一つは、決してヨランダを泣かせるなというものだ。
親衛隊隊長の件はともかく、泣かせるなという約束をもう破ってしまったことにセシルは冷汗をかく。
ヨランダの様子では、リリバメン伯爵は約束の中身を口にしていない。
喋らなければバレないが、もしリリバメン伯爵がヨランダに尋ね、泣いたことを言ってしまったらあの義父は本気で離縁させようとするだろう。
そもそも、親衛隊隊長の件も、ヨランダは怒っていたが、セシルはさして問題ないことだと思っている。
そもそも条件の中身がおかしいのだ。
結婚して10年以内に親衛隊隊長になれ。
これだけ見ればその通りだが、では実際に10年経って離縁したらどうなるか。
ヨランダはその時は38歳だ。
さすがに次の嫁入り先は難しくなる年頃だし、いくらなんでも離縁させるほうが悪手だ。
その頃にはヨランダの兄が爵位を引き継いでいるだろうから、義父がその権限を持っているとも思えない。
それに、10年もいれば子どもだってできるだろう。
その子どもをどうするかで揉める可能性もある。
いくら娘可愛さとはいえ、そんなことをするだろうか。
そうではないとセシルは知っている。
ヨランダがセシルの両親と顔見知りのように、セシルもまたヨランダの両親とは顔見知りだ。
そして、娘であるヨランダから見るのと、他家の令息であるセシルから見た義父の姿は異なる。
(ヨランダはそう思っていないようだが、あれでかなりの親バカだからな)
セシルからすれば、リリバメン伯爵はそこまで冷徹ではない。
親衛隊隊長の件は、おそらくリリバメン伯爵の照れ隠しだ。
本命は『泣かせるな』のほうであり、親衛隊隊長のことは『このくらいの覚悟をもたなければ娘はやらん』という親バカだと思う。
その本命を早速破ったことの方がまずいのだが、かといってヨランダに口止めするのもそれは違う。
ヨランダには誠実でありたい。
それがセシルが自分に課した掟だ。
「泣いたことを言わないでほしい」など、みっともなくて言えたものではない。
それに、そんなことを言うような男など、ヨランダにふさわしくない。
(誠心誠意尽くすしかないな。もう、彼女の瞳に、涙をにじませないように)
もう泣かせない。
穏やかに眠るヨランダの寝顔に、セシルはそう誓った。
「ふぁ……」
愛しい人の寝顔を見ていたら、セシルにも眠気が押し寄せてきた。
張り切りすぎて、それなりにセシルも疲れている。
「おやすみ、ヨランダ……」
愛しい人を胸に抱き、その温かさを感じながら、セシルは眠りについた。




