第4話
「…じゃあ私は戻るわね」
「ああ、本当にありがとう、ヨランダ」
脱ぎ捨てていた夜着を再び身にまとい、私は客室に戻ることにした。
本当は、私は客室で寝ていることになっている。
間違ってもセシルの部屋で一晩明かしたなどとバレてはならないのだ。
部屋を出ていく寸前にセシルに抱きしめられ、名残惜しそうに別れの挨拶を受ける。
…それはそうとして、早く服を着てほしい。
細身ながらも、しっかり鍛え上げた二の腕や胸筋、きれいに割れた腹筋なんかを朝から見るのは目に毒だ。
あとその下も。
彼が着替えている間にこっそり扉を開け、廊下に出る。
(…よし、まだ誰も来ていないわね)
セシル曰く、まだ彼が起きる時間には早いから、使用人も起こしには来ないから大丈夫だとのこと。
廊下に誰もいないことを確認し、緊張で震える手でそっと扉を締めた。
焦る心を抑えつつ、客室へと一歩を踏み出した。
が、世の中そうはうまくいかないのだということを、まさに今思い知る。
「ヨランダ様?」
不意に名前を呼ばれ、私は固まった。
そして、立て付けの悪くなったドアのようにギギギとゆっくり声の方向へと顔を向けた。
そこにいたのは侍女のデディだ。
新緑を思わせる鮮やかな緑色の長い髪を、黒いリボンで後ろにまとめてポニーテールにしている。
細い黒縁の眼鏡の奥に見える、美しい琥珀色の瞳は、驚きで見開かれていた。
(なんっ…で、デディがここにいるのよ!?)
まさかの遭遇に、頭の中は驚きと焦りしかない。
デディはヌーラム男爵家の三女にして、ディカータ伯爵家の侍女として奉公に出された女性だ。
その付き合いは長く、10歳の頃に奉公に出され、それから25年もの間、侍女を勤め続ける大ベテラン。今年35歳になる。
当然、セシルの事は良く知っており、そのつながりで私も彼女とは面識があった。
というか、彼女が使用人という立場でなければ、親友と言ってもいいくらい仲が良かった。
ただ、彼女とも私が結婚したのを機に疎遠になり、数年ぶりに再会した。
まさかその彼女に、セシルの部屋から出てくるのを見られるとは思わなかったけど。
まさかの事態に顔は蒼白になり、頬を冷汗が流れる。
(どうする?どう言い訳したらいい?でも、デディ相手じゃ言い訳しても見破られそうだし…)
長い付き合いだ、嘘なんてついてもすぐばれる。
焦る私をよそに、驚いたままだったデディは私と私が出てきた扉を見比べている。
そして、一瞬目を伏せたかと思うと、そこからの彼女の動きは俊敏の一言だ。
「ヨランダ様、こちらへ」
「へっ?で、デディ?」
つかつかと私へ歩み寄ると、私の腕をわしづかみにして容赦なく引っ張っていく。
そして、あてがわれた客室の扉を開けると、自分と一緒に私を部屋へ引きずり込んだ。
疑問符を浮かべる私をソファーに座らせると、デディは扉から外へと体を乗り出して、廊下の左右を見回している。
誰もいないことを確認したのか、後ろ手でそっと扉を閉めた。
そして、ゆっくり私へと見開いた琥珀色の瞳を向けた。
さっきから私は冷汗が止まらないし、これからどうなってしまうのかの不安で心臓が嫌な音を立てている。
呼吸は浅くなり、不安から逃げるように胸の前で手を握った。
「ヨランダ様」
「ひゃ、ひゃい!」
動揺のあまり、口が回らない。
私の名を呼んだデディはいつの間に私の前におり、腰に手を当てている。
女性にしては上背で、しかも豊満な体つきをしているデディに見下ろされると、その迫力はすさまじいのだ。
震える私を前に、デディはそっと膝をついた。
今度は私が見下ろす形になり、デディは先ほどと打って変わって、優し気なまなざしで私を見上げている。
(えっ、何その顔は)
もしかして大丈夫かしら…そう思ったのは一瞬だった。
「しましたね?」
この侍女、一切容赦なくブッ込んできたのである。
心臓が今日一番早くなり始めた。
「えっ……な、なんのこと……」
「セシル様と、致しましたね?」
「そ、そんなはずないじゃい…私と、セ、セシルは家族も同然よ?」
緊張で言葉が震える。
だけど、ここで負けてはならないのだ。
負けたら、私とセシルに不貞の疑惑がかかってしまう。
彼の将来のためにも、ここは私が踏ん張らないといけないのだから。
だけど、デディはそんな私の不安を見透かすように、そっと私の手を自分の手で包み込んだ。
口角もゆっくりと上がる。
「ヨランダ様、ご安心ください。このデディ、お二方の情事を外に漏らす意図など一切ございません」
「えっ……」
思いもよらない言葉に、驚きで目を見開く。
「むしろ感謝しております。セシル様の抱える問題を、解決できるのはヨランダ様しかいない。そのためにヨランダ様が身を捧げてくれたこと、私は一使用人として深く感謝するとともに、謝罪しなければなりません」
「デディ……」
「セシル様の問題を、何のしがらみも無い私が解決できれば良いのですがそうもいかず……お嫁に行ったヨランダ様の手を煩わせてしまったことは、本当に申し訳ありません」
デディは詫びるように深く頭を下げた。
それを見て、やっと心臓が落ち着きを取り戻した。
私にとってセシルは弟のようなものだが、それはデディにとっても同じ。
ただ、どうしてか彼女のこともセシルは苦手にしており、触れることも声を掛けることも禁止されている。
そんな彼女だからこそ、セシルの女性恐怖症をなんともできないのはきっとはがゆい思いだっただろう。
再び顔を上げた彼女は、期待を込めた目で私を見てくる。
「…それで、いかがでございましたか?セシル様の女性恐怖症は克服できたでしょうか?」
やっぱりそこが気になるわよね。
でも、まだ1回では……というか、私まだ何も言っていないのだけれど、完全にデディの中ではしたことになってる。
でも、正直に言えば、私とセシルの間だけでこれを秘密として隠すのは荷が重すぎた。
だから、気付いてしまったデディには申し訳ないけれど、彼女を共犯者にすることにした。
(…嫌な女ね、私は)
私はデディの目をまっすぐ見据える。
「その通りよ、デディ。私、セシルとしたわ。彼の、女性恐怖症を治すために」
「やはり…!大丈夫でしたか、セシル様は?ちゃんと反応できておられましたか?」
デディは嬉しそうな顔で確認してくる。
やっぱり気になるのはそこよね。
「……うん、その、大丈夫、だったわ」
思いだすと顔が熱くなる。
だって、あんなに美しい顔しているのに、付いてるのはえげつないものだったのだ。
あまりに立派過ぎて、入るか心配になるほどに。
顔を赤くした私に、デディもつられて想像してしまったのだろう。
彼女の白い肌も赤くなっていく。
「…コホン、それはようございました。殿方の中には、反応できない方もいらっしゃると書物で読みましたので、セシル様がそうではなかったのなら、一安心でございます」
「ええ、そうね。ただ、それでもう女性恐怖症まで治ったかどうかはさすがに…」
「わかりました。ではこのデディ、自らで試してまいります」
「えっ?」
すっくと立ちあがったデディは、右手を握り締めて使命感に燃えていた。
一体何をするつもりなのか、分からない私はただ彼女を呆然と見上げるしかない。
「どうするつもりなの?」
「簡単なこと、これからセシル様の部屋へとまいります。治っておられれば、私の入室をお認めになるでしょう」
「ああ、なるほど…」
デディの考えに、私はうなずいた。
セシルは自室には一切女性を立ち入らせない。
それが、入室が可能になったら治ったとみなしてもいいだろう。
でも、たった1回、それも昨日の今日でそんな簡単に治るだろうか?
(…さすがに治ってはいない…と思う。でも、少しでも改善してくれたらいいわね)
それが分かれば、私が体を許した甲斐もあるというものだ。
その瞬間は、ぜひとも見逃したくない。
「分かったわ。私も行く。セシルが大丈夫になったか、二人で見届けましょう」
「ありがとうございます、ヨランダ様。では早速…の前に、お着替えですね」
「あ、そうね」
まだ夜着のままだった。
デディに手伝ってもらい、デイドレスへと着替える。
そして、デディの後について部屋を出ていく。
彼女の緑のポニーテールが揺れる様を見ながら、さっき出てきたばかりのセシルの部屋の前に戻ってきた。
「………」
「………」
二人で顔を見合わせる。
私がうなずくと、デディも頷き返し、緊張した面持ちでスッと手を持ち上げると、扉をノックした。
「セシル様、デディでございます。朝の支度に参りました」
「デっ!?」
デディが声を掛けた途端に、扉の先で何かにぶつかったり倒れた音、布が引き裂かれるような嫌な音が響いた。
それを聞いた私たちは再び顔を見合わせ、そううまくはいかないものだと世の中の無情さを嘆くように、大きく息を吐いた。
「治ってないわね…」
「左様でございますね…」




