第38話
舞踏会を終え、本格的な社交シーズンに入ると徐々に忙しくなっていった。
舞踏会でのお披露目が効いたのか、私の元にはお茶会の誘いが続々来るようになった。
セシルもケガから復帰したばかりということもあり、身体を元の状態にならすため、あえて訓練をきつくしているそう。
おかげで二人の時間は取りづらくなっているけれど、それでも毎晩一緒にソファーに並んで座り、その日の出来事を話したり、時には何も話さずただ身体を寄せ合うだけで過ごしたりした。
そして今日は、何も話さない日のようだ。
彼の胸に私の頭を預けるようにしてもたれかかっている。
私も、そしてセシルもお互いに口を開かず、ただ薄い夜着越しに互いの体温と感触を味わうだけ。
セシルの手が私の肩に添えられ、ほんのわずかな力をかけて引き寄せられる。
それだけで増す密着具合と、彼に抱き寄せられているという実感が、私の心に大きな充足感をもたらした。
ふと、顔を上げた。
私を見下ろすエメラルドの瞳と視線が絡み、どちらからともなく唇を寄せる。
「ん……」
軽いリップ音の後、そっと離れる。
「ふふっ」
「ふっ」
二人で鼻から抜けるように笑い、また身体を寄せ合う。
(なんて穏やかで、満たされるのかしら)
こんなひと時が過ごせるようになるなんて、思いもしなかった。
アミッテレ侯爵家の屋敷に居た時は、寝るときだけが悩みと苦痛から解放される瞬間だった。
それは今のような穏やかさの欠片も無く、満足感とは程遠い。
誰かに安心することもできず、女主人として常に気を張り、指揮しなければならなかった。
それが今は、こうして誰かに身体を預け、心の底から安心できる。
それも相手は、弟のように思っていたセシル。
しっかりと鍛え上げられた彼の肉体は当然固く、寄り掛かると気持ちいいとは言えない。
けれど、その固さこそが安心を感じる。
たくましいその体に包まれ、目を閉じるとわずかに彼の纏う香水が鼻を刺激する。
寝る前ということもあって、香水は甘めの香りがするものだ。
甘い香りは緊張を緩め、心を解きほぐしてくれる。
それなのに、少しだけ鼓動が早くなる。
それは多分、セシルが纏った香水だから。
香りとは違う他の何かが、香りに導かれて鼻から頭へと刺激していく。
安心できて、穏やかで、心落ち着く。
それなのに、わずかな興奮も覚える。
セシルと過ごす一晩の安らぎは、毎晩そうしていても飽きない心地よさがあった。
ただ今夜は、静かなままではないらしい。
セシルがそっと口を開く。
「そうだ、ヨランダ」
「なぁに、セシル?」
「来週、両親がここに来る」
「まぁ。…そうよね、来るわよね」
セシルの両親。
ディカータ伯爵とその夫人。
彼らとはもちろん、私が幼いころから面識がある。
それこそ、セシルが生まれる前からだ。
ディカータ伯爵は穏やかな気質の持ち主で、それもあってか淡々としがちなお父様と相性はよかったようだ。
王都は社交シーズンに入っている。
セシルはまだ嫡男であり、当主ではないのだから、社交にはディカータ伯爵夫妻が出るのが当然だろう。
そのために、領地から王都のタウンハウスへ二人が来る。
前の私なら、彼らに会うことを純粋に喜んだだろう。
でも今は違う。
ギュッと身をこわばらせた。
だって、私は彼らの大事な一人息子であるセシルと婚約したのだ。
もちろん、婚約証書にサインをもらっている以上、悪い感情は持たれていないと思う。
しかし、対面したとき、それがどうなるかは分からない。
これまではあくまでも隣の領地の令嬢で、セシルとは姉のように家族同然だった。
しかし、言ってしまえばそれだけ。
それが、今度は息子の婚約者だ。
全然立場が違う。
家族のような…から、本当の家族になるのだ。
重みが違う。
しかも出戻りで、年上。
一体彼らは、私にどんな反応をするのだろう。
もし、受け入れてもらえなかったら…そう思うと、緊張してしまうのはしょうがないだろう。
私の緊張に気付いたのか、上から漏れ出るような笑いが降ってきた。
そして、少しだけ抱き締める力が強くなる。
「大丈夫だヨランダ。安心していい。父上も母上も、ヨランダが婚約者になってくれたことを、とても喜んでくれた。むしろ、婚約などまどろっこしいことしてないで、さっさと結婚式を挙げろとせっつかれてるくらいだ」
「そう……なの?」
もしそうなら、本当にうれしい。
彼らに受け入れてもらえるのなら、これほど心強いことは無い。
「ああ。だから、何も心配せず、会ってくれるか?むしろ、会ってくれないとあっちが拗ねそうだ」
「ふふっ。ええ、分かったわ」
ありがとうというお礼の意味も込めて、彼の身体に自分の腕を回し、強く抱きしめる。
彼も負けずと抱きしめてくれた。
ちょっと苦しい。
****
そして一週間後。
4台ほどの馬車がディカータ伯爵家のタウンハウスの前に停まった。
私は使用人たちと共に、玄関前に出て馬車に乗っている人たちが降りてくるのを、緊張に胸の鼓動を早めながら待った。
御者がタラップを用意し、扉が開かれる。
最初に降りてきたのは男性。
ついで、その男性のエスコートで女性が下りてきた。
男性の方は、セシルと同じだけど少しくすんだ白銀の髪に碧眼。
女性の方は髪も目も違うけれど、顔立ちがセシルとそっくりだ。
二人を見れば、誰もがセシルがこの二人の息子であることが分かるだろう。
ディカータ伯爵及び夫人の到着だ。
私はカーテシーをして、二人を出迎えた。
「久しぶりだな、ヨランダ」
「お久しぶりね」
「はい、お久しぶりでございます。ディカータ伯爵、伯爵夫人」
「ふふっ、そう堅苦しくしなくていい。なにせ私たちはもうじき家族になるんだからな」
「ええ。そうね、あなた」
楽しそうな声色が、本当に心から喜んでくれていることを教えてくれる。
顔を上げると、二人とも柔和な笑顔で私を見てくれていた。
(本当に、大丈夫なのね)
セシルには安心していいと言われていた。
彼の言葉なら、素直に受け入れたい。
でも、どうしても本人を前にしない限り、受け入れてもらえるかどうかという不安はぬぐい切れずにいた。
その不安は、二人を前にしてようやく払拭することができ、緊張で強張っていた身体から力が抜ける。
「セシルは?」
「騎士団に出仕しておりまして、帰りは夕方になるかと」
「そうなのね、じゃあそれまでは、私たちがヨランダちゃんを二人占めできるのね」
「えっ」
「ああそうだな。鬼のいぬ間に、色々と聞かせてもらいたいものだ」
「えっ、えっ?」
何だろう、二人がとても楽しそうなのはいいんだけど、なぜか背中に悪寒が走る。
そう、あれだ。
とてもよくないことを考えていそうな顔が、セシルそっくりなのだ。
いや、この場合はセシルが似ているというところか。
「そ、それではどうぞ中へ…」
「うむ」
二人を屋敷の中へと案内しているとき、私はこれから起こるかもしれない悪い予感に身を震わせていた。




