第37話
「お久しぶりです、お父様」
「…お久しぶりです、リリバメン伯爵」
「…そうだな、久しぶりだな」
セシルとお父様の挨拶を聞いて、ふと思いだした。
二人は先日会っていることに。
(そういえば、私の婚約証書のサインをもらっているから、その時に会っているはずよね?…まぁ、今は深く気にすることもでないか)
それはともかく、お父様とは数年ぶりの対面だ。
離縁後はセシルに拉致…連れだされてしまったし、それ以外に夜会などでもほとんど顔を合わせることは無かった。
遠目にお父様を見かけたことはある。
でも、声を掛けることはできなかった。
…アミッテレ侯爵夫人として、その役目を全うできていない負い目から、会うことは避けていた。
負い目だけじゃない。
アミッテレ侯爵…つまり、エロールが思った以上にクズ野郎で、そんな男の下へ嫁がされたことへの怒りもあった。
家のため。貴族として生まれた以上、仕方のない宿命だと思っている。
でも、やっぱり気持ちはそれについてこない。
辛かったし、その怒りの矛先はお父様に向けられた。
顔なんか合わせたくない…そんな気持ちから、会うことを拒んでいたのだ。
私と同じ茶髪を短めにし、同じ茶色の瞳。
その顔には何の表情も浮かんでおらず、何を考えて会いに来たのかが分からない。
(昔から…こういう人だったわね)
常に淡々としていて、そこには何の感情も感じられない。
そんなお父様のことが、私は苦手だった。
リリバメン家は裕福だ。
しかし父は商才があり、ただでさえ裕福だったリリバメン家をさらに豊かにさせた。
そうなると欲が出たのだろう、今度は爵位を求め始めた。
そのための生贄が私であり、アミッテレ侯爵家に嫁がされたというわけだ。
しかし、私は離縁し、侯爵家とのつながりはなくなった。
爵位が上との関係が切れてしまったこと。
それを言われるのが怖かった。
だから、セシルが私を連れて行ってくれたことは、正直なところ感謝している。
本当は、実家に帰るのが怖かったから。
しかし、今お父様は目の前にいる。
何を考えているのか分からない目で、私を見ている。
私はそれが怖くて、つい目をそらしてしまった。
ふと、腰にセシルの手が回されていることに気付き、彼を見上げる。
「大丈夫だ」
「えっ…」
何が…とは言わない。
でも、きっと彼は分かっているんだ。
セシルが、お父様がどんな人なのかを知らないはずがない。
ディカータ伯爵家とリリバメン伯爵家は昔から交流がある家だ。
彼も、元々お父様と顔を合わせたこともある。
そして何より、彼はお父様から、婚約証書にサインさせてきたのだから。
だから信じて、私はお父様へと目を向ける。
「………」
「………」
周囲のざわめきがやたらと響いて聞こえてくる。
私もお父様も黙っていると、唐突にお父様が口を開いた。
「…済まなかった」
「……えっ?」
思わぬ言葉に私は目を見開いた。
お父様が謝った?
どうして?
「私は…確かに高位貴族とのつながりが欲しくて、お前はアミッテレ侯爵家に嫁がせた。だがそれは…高位貴族の下ならば、お前が幸せになれると思ったからだ」
「………」
「…だが、そこの若造に娘が今どんな苦境に立たされているかを思い知らされた」
「えっ」
驚いて、ぐるっと後ろを向く。
セシルは誤魔化すように笑顔を浮かべるだけで、何も言わない。
(セシル、あなた一体何をしていたの?)
色々問いただしたい気持ちになるけど、今はお父様の話を聞くことに集中するため、前に向き直った。
「娘を幸せにしたかったはずなのに、不幸に陥れていた自分の愚かさが……信じられんかった。私は…お前を不幸にしていたんだな」
「お父様……」
私も信じられない。
お父様が、私の幸せを願って侯爵家に嫁がせていたなんて。
てっきりつながりだけを求めて、そのために私のことは道具としか思っていないんじゃないかと思っていたくらいに。
お父様は続ける。
「そこの若造は、私に離縁状と婚約証書をもって我が家に訪れた。離縁状はともかく、婚約証書にサインなどできんとな。だが、この若造、一度追い返してもすぐに訪れる。三度も来られて、こちらが根負けしたわ」
「………」
ハハッとお父様は短く笑った。
そんなの信じられない。
だって、王都からリリバメン伯爵家の領地、さらにその屋敷までとなると馬車で3日はかかるのだ。
たとえ馬車ではなく馬に騎乗したとしても、丸1日はかかる距離だ。
それを三度。
セシルの執念が垣間見えた気がした。
「そこまで言うのならと、条件を付けて婚約を認めた。……もし、この男が嫌になったら、いつでも帰ってこい」
そう言って、お父様は会場のどこかへといってしまった。
取り残された私とセシル。
私はゆっくりと振り返り、そっぽを向いて顔を青ざめさせているセシルへと話しかけた。
「……今の、本当?」
「まぁ、な」
「…………何、で」
どうしてそこまでしてくれるの?
言葉に詰まって、そこから先が喋れない。
これじゃあ、私が離縁できたのはセシルのおかげだといっていいくらい。
彼が関係者を説得し、サインをもらったからできたことだ。
例え、それが彼自身の目的…私と結婚するためだとしても、そこまでの労力を払うことが誰にできようか。
一体私のどこに、そんな労力を払う価値があるっていうの?
「……気持ち悪いか?」
「えっ?」
「自分のために君を離縁させて、君の意思を確認せず勝手に関係者と話をし…婚約を求めた男のことが、気持ち悪いだろう?」
「………」
あの時と同じだ。
彼がエロールを脅した時のことを話したのと同じように。
それに、私は軽く笑う。
(バカね)
気持ち悪いなんて思うわけがない。
ただ、思うとすれば、それは別の感情だ。
「気持ち悪くない。でも……怖いわ」
「えっ」
私のセリフに、彼は一層顔を青くさせた。
大丈夫よ、セシル。
あなたが思ったような意味じゃないから。
「違うわセシル様。怖いのは……そこまでしてくれるあなたに、何もできない私の不甲斐なさよ」
「……そんなことはない。ヨランダ嬢は、ただそこにいてくれるだけでいいんだ」
彼の細くて美しくも固い剣だこのついた手に、そっと自分の指を絡める。
ちょっと冷たくて、気持ちのいい手だ。
私は微笑んで、セシルの顔を見上げる。
「本当に、それだけでいいの?」
「ああ、それだけでいいんだ」
「…ありがとう、セシル様」
その後、私たちは会場をそっと後にした。
舞踏会はまだまだ盛況だったけれど、もう私たちがいる必要はなく、むしろ必要なのは二人だけの時間だと思ったから。
帰りの馬車の中では、同じ向きに座り、肩を寄せ合う。
色々話したいはずなのに、どうしてか言葉を交わすのがもったいないように感じてしまう。
屋敷に帰り、ドレスを脱ぐと軽く湯あみをした。
部屋に戻ると、すぐにセシルが入室してきた。
彼も湯あみを済ませ、ガウンを羽織っているだけ。
何度もその姿を見ているはずで、その中の素肌も知っているけど、ガウンだけという姿にはいつもドキドキしてしまう。
「ヨランダ…」
「セシル…」
並んでソファに座り、馬車のときと同じく肩を寄せあう。
私が見上げると、見下ろすセシルと目が合い、彼の唇がそっと降ってくる。
最初は軽く触れるだけ。
でも、何度も触れるうちに、触れ続ける時間が伸びていき、だんだんとより長く、深い口づけに変わっていく。
「ん……はぁ」
息が苦しくなって、やっと唇を離す。
今日の私は、おかしくなってる。
楽しい舞踏会でダンスを踊り、若いだけで粋がる令嬢を押しのけ、お父様からセシルの秘め事を教えてもらって……いろんなことがあり過ぎた。
でも、共通していることがある。
それは、そのどれもがセシルへの愛おしさを深めることだったということ。
だから、今の私は……セシルが欲しくてたまらなくなっている。
下腹は疼き、彼のつめたい指に何度もなぞられる快楽を求めたくなっていた。
「ねぇ…セシル」
「どうした?」
「………欲しい」
彼の目が限界まで見開かれる。
大きく息を吐いたセシルは、軽く笑った。
「いけないなヨランダ…そんなことを言われたら、我慢できない」
「……しなくていいわ」
「ヨランダ…」
再び口づけが降りてくる。
同時に、彼の手が怪しくうごめき始めた。
髪、耳、首筋、背中、脇腹、ふくらはぎ、くるぶし、足の甲、足裏と全身を何度も丹念に、丁寧になぞり上げていく。
指の腹だけでそっと触れるだけのような愛撫は、情欲の火にどんどん薪をくべていき、その火を燃えがらせていった。
むずがゆいような刺激が徐々に明確な快楽へと変わり、口からはこらえきれない吐息が漏れ出す。
「ヨランダ……」
「セシル……」
この日、私はこれまでにないほどの絶頂を味わうことになる。
それは、身体だけの快楽ではない。
どこまでも自分を求めてくれるセシルへの安心感と、私がセシルを受け入れていいんだという解放感。
そして、彼からもたらされる快楽をどこまでも甘受していいという喜び。
それが、私の快楽神経を完全に狂わせた。




