第36話
「せ、セシル様!騙されてはなりません。その女はきっと若いあなたを騙して婚約者の地位に収まったんです。目を覚ましてください!」
私とセシルが見つめ合って話していると、そこにヒルダが割り込んでくる。
しかも、よりにもよってセシルが騙されているだなんて。
それに驚きというか、呆れが勝ってしまう。
(セシルが騙されるだなんて……このヒルダというご令嬢は、セシルのことを何も知らないのね)
彼ほどその言葉が似合わない男はいないと思う。
呆れるくらいに誠実でまっすぐでバカだけど、手段は択ばない狡猾さもある。
私だって、彼にまだ秘密にされてることがどれだけあるか、分かっていない。
騙されているというのなら、私の方がそうだと言いたいけど、ややこしくなるだけなので黙っておこう。
「…ぼくとヨランダ嬢との会話に割ってくるとか……君、何?」
「ひっ!」
セシルがヒルダを見ると、それだけで彼女は短く悲鳴を上げた。
声を聞いてすぐわかった。
―――セシル、切れてます。
その眼光はまさに『氷の貴公子』と呼ぶにふさわしい、凍てつくような冷たい目だった。
声も限りなく抑えているが、殺意が半分近く混ざってる。
もう半分は何かというと、恐怖だ。
セシルはまだ女性恐怖症を完全に克服できたわけではない。
つまり、彼の中では、恐怖と怒りが半々となっている。
怖がりながら怒ってるとか器用だと思うけど、そういうことのはずだ。
「わ、私はヒルダ・エリセ…」
「ああ、そんなことは聞いてない。君がどこの誰とか、どうでもいい。ぼくと愛しい婚約者の会話に混ざる理由が……ああいい、やっぱり聞かない。どうでもいい」
「う…あ……」
(…なるほど、これが『外』のセシルなのね)
セシルの冷徹な対応に、私は目を丸くした。
ヒルダは完全に相手にされないことに顔を青ざめさせている。
いつも私に見せる顔とは違う、セシルが外に見せてる顔。
確かに、これでは令嬢なんてまともに寄り付けないはずだ。
気が付けば、ヒルダの取り巻きの3人は既にいなかった。
逃げたらしい。
まぁ、こんなセシルを前にしたら、大人しくいられないでしょうね。
「ヨランダ嬢、あっちに美味しそうな料理があった。一緒に食べよう」
「…ええ、そうしましょう」
セシルに手を引かれ、その場を後にする。
ちらりと振り返ると、顔を青ざめさせたままのヒルダがただその場にたたずんでいただけだった。
(…ま、これでセシルに粉掛けようとしてくる連中はいないでしょうね)
私もさっきので分かったけど、セシルが優しいのは私限定だということ。
彼が他の女性に見向きもしないということがはっきりとわかって嬉しいし、それだけ彼にとって私が特別なんだということを周囲に知らしめることができたのも、安心した。
分かっただろう。
私を排除しても、セシルが他の女性に靡くことは無いということが。
「はい、あーん」
だから、今も私にとろけるような笑顔で、美味しそうなチーズ掛けのミートボールを差し出していても、それが他の誰かに向けられることは無い。
だから、私は安心してそれを受け取ることができる。
「美味しい?」
「ええ、美味しいわ。セシルも、ほら」
お返しとばかりに、私も同じものをフォークに差し、セシルへと差し出した。
セシルは嬉しそうに口を開け、その中にミートボールを差し込む。
「っ……ああ、やっぱり美味しいな」
「ええ。さすが王宮の料理ね」
セシルと一緒に食べられるという、こんな些細なことが、今はとても楽しかった。
そうやって料理を堪能していると、周囲からはぼそぼそと自分たちのことを喋っているのが聞こえてくる。
「見て、あんな……はしたない」
「ああ、羨ましいわ…。セシル様のあんなお顔を見られるなんて」
「嘘……嘘ヨ……セシル様はあんな笑顔を見せるお方じゃないのに…」
反応はさまざまという感じ。
でも、もうセシルは気にしていなかった。
まっすぐに私だけを見ている。
なら、私もそうしなくっちゃね。
すると、音楽が変わり、壇上の国王夫妻が下りてきた。
そしてファーストダンスが始まる。
(さすがは国王陛下と王妃陛下ね)
優雅でなめらか、かつ堂々としたダンスだった。
夫妻が壇上に戻っていくと、曲が変わって今度は貴族の夫婦や婚約者とのファーストダンスが始まる。
皿とグラスを置き、セシルはキザっぽく片方だけ口角を上げながら私の前に手を差し出した。
「お嬢様、ぼくと一曲、踊っていただけませんか?」
やたらと芝居めいた口調に、ついおかしくなって噴き出してしまう。
私はその手に自分の手を乗せ、笑顔で応じた。
「ええ、喜んで」
差し出された手はしっかりとつかまれ、中央の間へと一緒に進んでいく。
他の人とぶつからない距離感を取った後、音楽に合わせて身体を動かしていく。
今日までみっちりとダンスの練習はしてきた。
それだけ、体力も付けた。
(セシルの方法は却下したけどね!)
そのおかげで、ダンスの始まりは上々だ。
変ないざこざはあったけど、あれのおかげで緊張もしない。
リラックスしたままで、セシルとのダンスに集中できている。
「良かった」
「えっ?」
「ヨランダ嬢が楽しそうにしていて」
「もちろん。だって、セシル様と踊れているんだもの」
「っ~~!!」
たったそれだけで、セシルの顔が花が咲いたように真っ赤になった。
会場のどこかで、黄色い悲鳴が上がったような気がする。
セシルは恥ずかしがってどこかへ視線を向け、私の方を向いてくれない。
「…あなたはずるい。今の完全に不意打ちだ」
「ふふっ。私だって、たまにはやるわよ?」
不意打ちと言われたけど、そのつもりは全然なかったんですけどね。
予想外の不意打ちになってしまったけど、結果オーライだ。
それに、私の言葉で反応してくれると、やっぱり嬉しいもの。
「ねぇ、セシル。ちゃんと私の方を向いて?」
「…今日のあなたは、いじわるだ」
そう言いつつも、しっかりとセシルは赤い顔のまま私を見てくれる。
それがどうにも愛おしくて、笑みになる顔を止められない。
あっという間に1曲目が終わってしまった。
じきに2曲目がかかるだろう。
どうしようか…そう思っていると、くいっと手が引っ張られた。
「セシル様?」
「…行こう、ヨランダ嬢」
セシルの顔の赤みは引けていない。
それでもいいのかと聞こうと思ったけど、やめた。
彼が行くと言ったのだ、もう答えは出ているのだから。
そうして2曲目、3曲目とダンスを立て続けに踊った。
疲れた。
けど、それ以上に充実感が身体を満たしている。
給仕からドリンクを受け取り、セシルと並んで喉を潤す。
冷たい果実水の酸味と甘み、ほのかな苦みがものすごく美味しく感じられた。
「楽しかったわね」
「ああ、楽しかった」
壁に寄り掛かり、顔を見合わせて笑った。
(こんなに楽しい舞踏会なんて…初めてじゃないかしら)
舞踏会にしろ夜会にしろ、緊張と暗い気持ちの記憶しかない。
こんなにも笑顔でいられたのはきっと初めてだ。
それはもちろん、セシルのおかげで。
「…ありがとう、セシル様」
「どういたしまして」
もう一度、顔を見合わせて私たちは笑った。
そこに、久しぶりに聞く声が響いた。
「楽しくやってるようだな、ヨランダ」
「……お父様」




