第34話
王宮の権威を見せつけるかのような、豪華絢爛な広間。
まばゆいばかりの光が天井のシャンデリアから降り注ぎ、地平線の彼方に消えたはずの太陽がここに逃げ込んだかのような明るさだ。
天井には熟練の彫刻家が手掛けた見事な彫刻が、その光を受けて広間の絢爛さを数段上げている。
壁には巨匠のものと思われる絵画がいくつも並べられ、華やかさを演出。
白いクロスを敷いたテーブルには見事な料理が並び、給仕の使用人が忙しそうに立ち回っていた。
会場には既に多くの貴族が集まっていた。
会場へ一歩、二歩と踏み出すたびに、視線が私たちへと降り注ぐ。
見られているのは分かる。
けど、私は入る前のセシルとのやり取りを思い出し、決してそちらへと顔を向けない。
ひたすらにセシルだけをその瞳に映す。
そうしているだけで、不安な気持ちはどこかに消えてしまった。
「…うそ!?あれがセシル様?」
「あんな優しそうな笑顔なんて、見たことが無いわ」
「誰よ、セシル様が女性嫌いだなんて言ったのは」
「隣にいるのは誰?見たことが無い方だわ」
「噂ではあのヨランダ様と婚約したと聞いたけど……まさかあれが?うそよ、あの方もっと地味だったはずだわ」
周囲からは色々聞こえてくる。
気になることもあるけど、全部無視よ無視。
ただ、セシルはそうもいかないみたいで、私を見ていた目を上げ、ゆっくりと周囲を見渡した。
「まったく…好き勝手言う羽虫は邪魔でしょうがないな」
「ひっ!?」
「な、何、今の恐ろしい目は…」
それだけで、どうしてか時折悲鳴が聞こえてきた。
再び私へと向き直ったときには、元の笑顔に戻っていた。
「セシル様、やりすぎでは?」
「かまわない。このくらいしてやらないと、つけあがるからな」
(…ああ、苦労してるのね)
それだけで、彼がいかに女性恐怖症に悩まされ、苦しんできたのかが分かる。
『氷の貴公子』などと呼ばれており、女性には鋭利な刃物のごとく鋭い視線(恐怖で顔が強張ってるだけ)を向けても、寄ってくる女性は後が絶たない…とは、デディ談。
彼の苦労をしのんでいると、近づく男性の姿があった。
「隊長」
その男性を、セシルはそう呼んだ。
どうやらセシルの上司らしい。
深い水底のような濃い青の髪に、彫の深い顔には目じりの下がった黒い瞳が輝いていた。
大柄な体格だが、雰囲気は優しそうだ。
柔和な笑みを浮かべ、軽く手を振っている。
「ようやく来たな、色男。そっちが、お前の愛しい婚約者か?」
「はい。彼女がぼくの婚約者であるヨランダ嬢です」
「ヨランダ・リリバメンです。よろしくお願いいたします」
ゆっくりと頭を下げ、戻す。
間近で見ると本当に大きい。
「ネイサン・スープラだ。騎士団の第二部隊隊長を務めている。セシルは俺の部下だ。しかし驚いたな」
「何がですか?」
「……いや、すまない。今のは失言だった。忘れてくれ」
「?」
どういうことだろう。
一体どこが失言だったのかは分からないけど、そう言うのであれば、深く追求しないのがマナーだ。
彼はセシルの肩に手を掛けると、顔を耳元に寄せ小さく呟いた。
「…セシル、しっかり幸せにしてやれよ」
「もちろんですよ」
セシルは深く頷いた。
それを見て、ネイサン隊長は離れていった。
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ネイサンは、遠くに先ほど言葉を交わした部下とその婚約者の姿を見ていた。
ヨランダ・リリバメン。
彼女は悪い意味で社交界で有名だ。
有名なのは彼女の夫なのだが、そのせいで風評被害を受けている。
曰く、
「夫の悪行を止められない夫人」
「夫に気にかけてもらえず、見放された女」
「同じドレスを何度も着るほどに、金を掛けてもらえない哀れな女」
それは直接面識のないネイサンの耳に入るほどだ。
一度気になって夜会で見かけたことはあったが、くたびれたドレスに、碌な支度もしないままの顔。
夫の姿はとうになく、彼女の人柄を知る夫人たちにこそ囲まれているが、それがより彼女のみじめさを際立たせていたのが皮肉だ。
それだけならどうということではない。
貴族社会にはよくある話だ。
だが、その女性が離縁し、あまつさえ大事な部下の婚約者になったのであれば話は別だ。
「見極める必要があるかもな…」
セシルはネイサンにとってかわいい部下だ。
優れた美貌を持ちながら、それを鼻にかけることはない。
先々代王妃陛下の護衛を務めたこともある祖母から手ほどきを受けた剣の腕は、既に騎士団の中では上位に位置する。
その実力で親衛隊入りすら望まれているが、そのせいで羽虫のように女性が群がる。
女性恐怖症の彼にとってそれはまさに生き地獄であり、到底結婚はおろか婚約者も望めないだろうとネイサンは思っていた。
そんな彼が婚約した。
それも相手は、あのヨランダ・リリバメンだ。
出戻りの、しかも10も年上の彼女とどうして婚約したのかはネイサンは知らない。
―――騙されているんじゃないか。
場合によっては、セシルを守るべきだ。
そう思い、今夜の舞踏会に臨んだ。
そしてすぐに自分の思い違いだということに気付く。
セシルの、そしてその婚約者の仲睦まじい姿を見て、一体どこに騙された片鱗があろうか。
最近になって少しずつ女性恐怖症を克服し始めているセシルだが、あんなにもとろけるような笑みを女性に向けているのは見たことが無い。
あんな笑みが出来る男を、女性恐怖症だなどと誰が信じるか。
それはヨランダも同じだ。
夜会に来ても夫に置き去りにされ、影のある笑みを浮かべていた彼女が、あんなにも明るい笑みを浮かべている。
どこからどうみても両想いであり、それに疑う余地はない。
ネイサンは(何も心配などいらなかったな)と首を振った。
しかし、残念ながら貴族社会はそれだけで済むほど甘くはない。
好き合っていればそれでいいなどということはないのだ。
今も、セシルのことを虎視眈々と狙う令嬢がいるだろう。
皮肉にも、これまでセシルのあまりに冷たい態度に諦めていた令嬢たちは、ヨランダに向ける笑みから自分にも可能性があると思い違いをすることになる。
それらと、どう対峙するか。
それが、これからの二人の課題として立ちふさがるだろう。
ヨランダの立場は極めて不利だ。
出戻りで、10歳も年上。
貴族社会で年上の妻は敬遠される。
それは、健康な子供を産むには若い女性ほどいいという見方があるからだ。
ヨランダの年齢は、それだけで結婚を断られる理由にもなる。
しかも初婚ではなく、純潔を違う男性に捧げているというのも問題だ。
セシルがどんなに好きでも、彼女が身を引こうとする可能性はある。
その時、セシルはどう動く?
逃がして、新しい女性を迎えるのか。
(……無いな)
ネイサンは首を振った。
同じ男としての勘が告げている。
セシルが、ヨランダを逃がすことは絶対に無い。
思えば、ヨランダが離縁してからセシルと婚約するまでが短すぎる。
しかも、ヨランダが離縁した経緯がアミッテレ侯爵家側の問題であり、どうにもきな臭い感じがする。
セシルは賢い男だ。
そして、馬鹿らしいほどにまっすぐ。
そのまっすぐさは、時に岩盤を貫きかねないほどに実直で。
それが合わさって、もしもアミッテレ侯爵家の問題をセシルが誘発させ、離縁に追い込んだとしたら?
(はぁ……やりかねないんだよなぁ。あの男なら)
ネイサンは頭をガシガシとかいた。
彼が親衛隊入りを望まれているのは、剣の腕だけではない。
深淵智謀。
犯人や盗賊を、的確に追い詰め、捕える手腕は相手の心理を熟知している。
それは、悪鬼うごめく王宮内で王族警護に大いに役立つだろう。
だが、それを自分の私利私欲に使われたとしたら、これ以上に恐ろしいことはない。
そう考えると、狙われたヨランダには哀れみすら覚える。
あの極端なまでに女性恐怖症だった男が、あんなにもデレデレとした笑みを浮かべているのだ。
如何にセシルにとってヨランダが特別なのかは、言うまでもない。
しかしながら、世の中には常にバカがうごめく。
あれは逆鱗だ。
触れてはならない、龍の逆鱗。
それに触れようとすれば、どんな恐怖が相手を襲うか。
恐ろしいのは何もセシルやヨランダにとってだけではないのだ。
狩人が狙う獲物を間違えれば、逆に食い殺される。
さっきは彼らに課題があると思ったが、考えなおそう。
彼らこそが課題だ。うかつに狙う相手を間違えたときへの対処法を学ぶための。
(…まぁ、本当にダメな時は、手を貸してやるか)
それは一体どんな時なのか。
助けなのか、それともやってはならない一線を越えそうになった時なのか。
後者ではなければいいなぁと思いつつ、ネイサンは給仕からグラスを受け取った。




