第33話
それからあっという間に舞踏会の日になった。
朝から侍女たちに丹念に磨かれ、もみほぐされ、香油を塗られ、夕方になる頃にはぐったりだ。
アミッテレ家にいたときはここまではされなかったから新鮮というか、疲れた。
侍女の数も足りなかったし、エロールが私を着飾ることに興味が無かったからだ。
ドレスも数年に1着しか新調できず、同じドレスを侍女たちと少しずつ手直しして着ていた。
でも、今日は久しぶりの新品のドレス。
それに心が躍らないわけがない。
結局今日は、セシルデザインのドレスを着ることにした。
緑を基調とし、首元から胸元、手首にかけてを細かいレース生地となっている。
遠目には分かりづらいが、近くで見ると肌が透けてみえ、それに薄いレースの生地が肩回りのラインをはっきりと示している。
腰元はコルセットで締め上げ、スカートは何層にもなるドレープ足元に近くなるほど広がっていく。
全体的にすっきりとしたシルエットながら、ゆったりさを感じるデザインだ。
茶色の髪は結い上げており、耳には買ってもらったエメラルドのイヤリングが輝いている。
唇に軽く紅を付け、「終わりました」と侍女の声がかかる。
「まぁ……」
鏡の中には、見慣れない自分がいた。
化粧自体は薄いけれど、要所要所を際立たせる手入れがされ、それだけで全然印象が変わってくる。
少し童顔に見られやすい私の顔だけど、唇やアイラインにほんの少し濃い目の色を入れることで大人らしさが演出されている。
「美しいですわ、お嬢様。セシル様とお似合いです」
「ありがとう、そう言ってもらえてうれしいわ」
本当にその気持ちが顔に現れ、笑顔になる。
鏡の中の侍女も、笑顔で応えてくれた。
(童顔に見られるのはなんとなく嫌だったけど……今なら、それもいいかもしれないわね)
なにせセシルとは10歳の差がある。
普通の女性であれば並べば明らかに歳の差が見て取れるだろうけど、今の私ならさして違和感がないんじゃなかろうか。
―――お似合い。
その言葉に、こんなにも心が躍るとは思わなかった。
「お嬢様、セシル様がお待ちです」
「分かったわ、今行く」
支度を終えた私は部屋を出て、ゆっくりと廊下を歩いていく。
そして階段の前に躍り出ると、階下にセシルの姿を見つけた。
遠目にも、彼が盛装してキラキラと輝いているのが分かる。
その姿を早く間近で見たくて、私は階段を下りていく。
「ヨランダ」
階段を下りる音に気付き、セシルが私の方を向く。
黒の生地に金の細やかな刺繍が施された騎士服を見事に着こなし、普段は下ろしている白銀の髪も今日は後ろになでつけていた。
普段は見ない、額を出した彼の髪型につい胸が高鳴り、早くなる心臓をそっと手で押さえた。
間近で見ると、今日の彼は普段の2倍…いや3倍くらい輝いて見えた。
「…綺麗だよ、ヨランダ。本当に、よく似合っている」
階段を下り、彼の前まで歩み寄ると褒めてくれた。
万感の思いが込められた賛辞が、とてもうれしく、そしてくすぐったい。
好きな人からの誉め言葉が、こんなにも心に響くだなんて、思いもしなかった。
「ありがとう。セシル、あなたも素敵だわ」
「……はぁ」
「せ、セシル!?」
セシルを褒めると、突然彼はふらついた。
どうしたのかと駆け寄ろうとしたが、彼は手を突き出してそれを制止した
「すまない、大丈夫だ。ただ……愛しい人に褒めてもらえると、こんなにも心が躍るとは思わなくてな」
「あら」
全く同じことを思っていただなんて。
それがおかしくて、口元を押さえて笑った。
セシルは突然笑い出した私を、不思議そうに見ている。
「ヨランダ?」
「ふふっ、ごめんなさい。同じこと考えていたものだからついね。私も、好きなあなたに褒めてもらえたら、とてもうれしかったから」
「そうか」
彼が一歩前に歩みでる。
彼の手がそっと私の顎に添えられ、わずかに上へと向けられる。
そして、軽いリップ音が響いた。
「…今はこれくらいで勘弁してくれ」
そんなことを間近で言わないでほしい。
変に期待してしまうから。
軽いキス一つで、彼の綺麗な碧眼は潤んでいた。
私も顔が熱い。
きっと、セシルと似たような顔になっていることだろう。
「うぉっほん」
執事の咳払いに我を取り戻した私たちは、足早に馬車へと乗り込んだ。
夜のとばりが落ち始めた頃、私たちは王宮へとたどり着いた。
セシルのエスコートで馬車を降りると、今度は使用人の案内で奥へと進んでいく。
今日開催される舞踏会は、社交シーズン始まりということもあり、その規模は比較的小さめだという。
それでも、王宮で開かれる以上はそれなりの規模であり、きっと大勢の貴族が集まっていることだろう。
そこに、色物の私が出ていく。
きっと、興味関心、嘲り、侮蔑、嘲笑…様々な感情で持って注目されるだろう。
そう思うと身体に緊張が走り、胸が締め付けられ、進む足の力を奪っていく。
「ヨランダ?」
「…ごめんなさい。ちょっと……怖くて」
顔を上げ、こちらを気遣うセシルの顔を見る。
王宮の煌びやかな廊下の中にあって、彼の美貌は一切引けを取らない。
そんな彼の隣を歩くことが今更になって場違いな気がしてきて、なおさら足がすくむ。
「ヨランダ」
彼が私の名前を呼ぶ。
それだけで、胸に抱えた重石のようなものが軽くなった気がした。
見上げると、何事にも動じない自信を携えた碧眼はまっすぐと私を見据え、それだけで心臓が高鳴る。
何度も見ているはずのエメラルドの瞳。
それなのに、どうしてこうも心が乱されるんだろう。
「そう。そのままぼくを見ているんだ」
「…でも、このままじゃ前を歩くのが怖いわ」
「大丈夫。そのためにぼくがエスコートするから」
「………うん」
なんて力強い言葉なんだろう。
不安なはずの心に、勇気が湧いてくる。
私のほうが慣れているはずなのに、彼にリードされるのは気恥ずかしい。
けれど、同時に彼に身を預けてもいい安心感が、どうにも心地よくてたまらない。
「…ああ、いい。その表情だ。そのままでいてくれればいい」
「えっ?」
そう言われても、今自分がどんな顔をしているのかが分からない。
「あなたらしい、とても美しい笑顔だ。きっと、誰もが見惚れるだろうな」
そう言うセシルも、極上の笑みを浮かべている。
彼の笑顔こそ、誰もが見惚れる笑顔だと思うのに。
けど、他に誰もいない廊下で自分だけにその笑顔を向けられていると思うと、彼を独り占めできているようでどうしようもなく嬉しくなる。
「もう、行けるか?」
「ええ、大丈夫よ」
彼の顔を見上げたまま、私はセシルに導かれていく。
視界の端に今日の会場となる広間の扉が見えた。
いよいよこの先に、セシルの婚約者としての初舞台がある。
でも、もう緊張はしていない。
私の隣には、この世界で最も信頼する人がいるんだから。
「行くぞ、ヨランダ嬢」
「ええ、セシル様」
ここからは公式の場だから。
互いに敬称を付け、意識を切り替える。
「セシル・ディカータ伯爵令息及び、その婚約者ヨランダ・リリバメン伯爵令嬢、ご入場!」
侍従が高らかに私たちの入場を宣言する。
私たちは、ついに最初の一歩を踏み出した。




