第28話
「ヨランダ、そう心配そうにしないでくれ。君を守ることができたのに、そんなに悲しそうにされると、ぼくも悲しい」
「……うん」
日が傾き、夜のとばりが降りる頃。
治療を受けたセシルは、自室のベッドにいた。
ナイフで切られた傷口は、出血の割にそれほど深くなかったという。
ナイフが錆びて切れ味が鈍っていたことと、セシルが強い力で握ったため、ナイフが滑らなかったので切れづらかったからだ。
しかし錆びたナイフは感染症のリスクがあるため、今日1日は安静にして熱が出たりしないか様子見だという。
ベッドに入りながら身体を起こしているセシルの脇に、私は椅子を引いて座っていた。
―――私のせいでケガをさせた。
その事実が心に重くのしかかり、とてもではないが彼に合わせる顔が無い。
かといって本当に顔を合わせないわけにもいかず、こうして彼の下に来ているのだが、どうしたらいいのかも分からず、ただそこにいるしかできなかった。
俯き、暗い顔をしている私にセシルは苦笑いだ。
「まいったな、せっかくヨランダが部屋に来ているというのに、このままベッドに抱き寄せられないこの手がもどかしい」
それが、彼なりの冗談だということは分かっている。
でも、そんなことでも彼のためになるのなら…そう思ったら、何もせずにいられなかった。
私は身を乗り出し、彼に掛かっている布団をめくり上げた。
「よ、ヨランダ!?」
私の行為に、セシルが珍しく慌てたような声を出した。
「よせ、冗談だ!待った!」
「でも……!私のせいで、セシルに怪我をさせたのに…」
「分かった!他の事をしてほしい!だから、そっちは今はダメだ!」
彼の無傷な左手が私の肩を掴み、強引に引きはがす。
そこに、ちょうどでデディが訪れた。
「セシル様、ヨランダ様、そろそろ晩餐の時間でございますが、いかがします?」
「ぼくはこれだからな、部屋に運んでくれ。ヨランダは食堂で…」
セシルは怪我した右手を掲げた。
それを見た私は、活路を見出す。
「セシル、右手が使えないと食べづらいでしょう?」
「……まぁ、そうだな。だから誰かに手伝っ…」
「私がやるわ!」
そうよ、右手を使えないセシルのために、私が右手になればいいんだわ。
その手始めに、食事から手伝うことにした。
しかし、セシルは難色を示すかのように眉をひそめた。
「いや、ヨランダにそんなことをさせるわけには…」
「では、ヨランダ様の分もこちらに運び入れますね」
「デディ!?」
(ナイスよデディ!これで私が堂々とここで手伝うことができるわ)
デディの援護射撃に感謝し、彼女に笑顔を向けて親指を立てる。
淑女にあるまじき行為だけど、デディも親指を立てて応えてくれた。
私はセシルに向き直る。
「いいわよね?」
「…だが、客人である君にそんな真似をさせるわけには……」
強情な弟である。
普段は強引なくせに、こういう時だけやたらと私に遠慮する。
それが今だけは気に入らなかった。
私は唇を尖らせ、セシルに詰め寄る。
「じゃあ何ならいいのよ」
「何ならって……」
「じゃあ婚約者になるわ」
サラッと、口からその言葉が出た。
セシルは息を詰まらせ、後ろのデディからは「まっ」と短く驚きの声が上がった。
けれど、すぐにセシルは表情を引き締めた。
「……ヨランダ、それはうれしい。とてもうれしいぞ。……今じゃなければな。ぼくは、君にこんなことで婚約者には…」
セシルは私が婚約者になるといったのに、なぜか渋る。
散々望んだ返事のはずなのに、どういうつもりなのかしら。
もちろん、渋る理由なんて分かってるわ。
(きっと、私が罪滅ぼしで婚約者になることを、受け入れたくないのよね。セシルなら、それは嫌なんだと思う。でも、私にはもうこうするしかないのよ…)
私には、何もないから。
前夫であり、ケガの原因でもエロールとの離婚の慰謝料を、アミッテレ侯爵よりもらっているから、そのお金はある。
でも、絶対にセシルはそんなお金を受け取らないだろう。
なら、彼が受け取るものは何か。
それはもう、私自身しかないから。
悩む彼に、すまし顔のデディからの追加援護が入った。
「セシル様、何を悩んでおられるのです?絶好の機会です、さっさと首を縦に振ってください」
「デディ、そういうわけには…」
「女性恐怖症克服のためにヨランダ様を抱いておきながら、今更誠実ぶるのはおやめください。この鬼畜。見苦しいです」
「っ!?」
あ、セシルがこれまでないほどに落ち込んでいる。
頭はうなだれ、その背後に黒くて陰気な霧のようなものが見えた。
「それは…その…」とか、「ぼくは……確かに、ひどくて…」とか、「鬼畜……鬼畜……」とブツブツ呟いているのが聞こえる。
「今ですヨランダ様。とどめを」
「いやとどめはダメでしょ!?」
なんてことを言いだすのよこの侍女は!
なぜかしてやったり顔で満足しているデディへのツッコミはほどほどに、私はなめらかなセシルの銀髪へと手を伸ばし、その髪を梳く。
本当になめらなかな髪だ。
女の私が嫉妬するほどに。
「ねぇ、セシル?」
「………」
声に応じ、ゆっくりとセシルは顔を上げる。
顔色は真っ青で、ただでさえ色白な肌なのにもはや病人の様相である。
自信にあふれ、澄ました碧眼も今ではすっかり淀み、陰を落としている。
「セシルが私を救ってくれたように、私もセシルのことで何でもしてあげたいの。あなたがこんな目に遭ったのに、それに平然としていられる女でいたくないのよ。セシルは、自分ばっかり私にしてくれるけど、私があなたに何かするのはイヤなの?」
「嫌だなんて……そんなことあるわけがない!」
力強く否定するセシル。
その顔には、確かに真剣な色が窺えた。
その言葉が本物であるならばと、私はセシルの目をしっかりと見据えて続けた。
「なら、私を婚約者にして。そして、あなたのために働かせて」
「…………分かった」
ついにセシルが折れた。
一瞬諦観に満ちた顔になったけど、すぐさま切り替え、力強いまなざしで見てくる。
「ただ、今は暫定だ。正式な決定じゃない。ぼくの怪我が治ってから、その時にもう一度、あなたの意思を確かめる。それでいいか?」
「ええ、いいわ」
(多分)誠実なセシルらしい答えだ。
それに私もうなずく。
「それでは話もまとまったようなので、お料理をこちらに運びますね」
そう言ってデディは部屋を出ていった。
「「………」」
2人でデディの消えた方向を見る。
(なんだかデディの手のひらの上で転がされてるようで、釈然としないわ…)
これでいいはずなのに、どこかモヤモヤしたものを抱えつつ、私たちは料理の到着を待った。




