第27話
「またのお越しをお待ちしております」
支配人に見送られ、私たちは店を出た。
店を出てからも、セシルはずっとご機嫌なままだ。
とてもうれしそうに私の横顔を見てくる。
その視線にどうにも気持ちがいたたまれず、つい不愛想に声を掛けた。
「…なによ」
「いや、嬉しいなって」
「えっ?」
「ほら」
さらりと彼は私の髪をかき上げた。
彼の視線の先には、きっとイヤリングを着けた私の耳が映っていることだろう。
「ぼくの色をヨランダが着けてくれたことが嬉しくて」
「っ!」
咄嗟に彼の手をはねのけてしまった。
(そういう恥ずかしくこと、平然と言わないでほしいわ!)
髪が下ろされるけど、それだけでも物足りず、つい片手で髪ごと耳を覆い隠す。
セシルは跳ねのけられた手をぷらぷらさせながら、くっくっくと笑っている。
それがなんだか自分の幼稚さをあらわにしてしまったように感じ、余計に恥ずかしくなる。
それを誤魔化すように、声を掛けた。
「そ、それで?次はどこに行くの?」
「ククッ……そうだな、そろそろお詫びのデザートでどうだ?」
「ええ、そうね、行きましょうか」
彼のエスコートに従い、道路を進んでいく。
ほどなくしてたどり着いたのは、綺麗で落ち着きのあるカフェだった。
華やかさには欠けるけれど、そのかわり黒檀の机や椅子、つり下げられたランプがシックな雰囲気を生み出し、若者よりも落ち着いた大人向けといった様相だ。
「見た目には大人向けだが、意外にもデザートが充実していてな。そのギャップが評判なんだそうだ」
「そうなのね」
確かに、店の雰囲気に反して女性客が多い。
それぞれのテーブルには一つ一つが小ぶりなケーキが乗っており、様々な味を少しずつ楽しめるようだ。
「ここはセルフらしい。カウンターで注文してから、番号札を受け取って席を確保する。それから呼ばれたら料理を取りに行くんだ」
「へぇ……そんな接客もあるのね」
驚いた。
料理はスタッフが運ぶものとばかりに思っていた私には、目からうろこである。
「さっ、行くぞ」
「ええ」
カウンターに並ぶと、ガラスのショーケースの中には小さくて美味しそうなケーキがいくつも並んでいた。
(美味しそう…!全部…と言いたいところだけど、さすがに無理よね。ここは選ぶに選び抜かないと!)
まだお昼の分でお腹は膨れているし、なによりこんな量を食べたら後が怖い。
ここは我慢して選ばないといけないのだ。
「どれが食べたい?」
「えっと……」
その後、じっくりと時間を掛けて5種類のケーキを選んだ。
それを注文すると、セシルそれに続いてさっと5種類のケーキを注文。
注文したのは、全て私の注文したケーキとは違う物だった。
セシルも私と同じく、甘いもの好きだ。
私は濃厚な甘みが好きだけど、セシルはさっぱりした甘みを好む。
例えて言えば私は濃厚なホイップクリームのかかったケーキが好きだけど、セシルはレアチーズケーキが好き。
だから小さい頃は、お互いに甘いものを交換したこともある。
さらに飲み物も注文し、番号札をセシルが受けとると、席に着くことにした。
「天気もいいし、テラス席でどうだ?」
「ええ、そうしましょう」
広めの軒下に並べられた席を確保し、座った。
しばらくすると番号が呼ばれ、それが自分たちの番号だと確認すると、セシルが席を立つ。
「取ってくる。待っててくれ」
「大丈夫?私も行った方がいいんじゃないかしら?」
ケーキ10個にドリンクだから、それなりに大変なはずだと思う。
けれど、セシルは苦笑いしながら手を振る。
「それくらい大丈夫だ。すぐに戻る」
「分かったわ」
セシルの後ろ姿を見送り、彼がカウンターに向かうのを席から眺めていた。
だから私は気付かなかった。
背後から近づいてくる影が一つあったことを。
「見つけた…!」
「えっ?」
突然後ろから聞こえた、低くうめくような声につい振り返った。
そこには、かつては上等だったはずの紳士服がぼろぼろに擦り切れ、顔は黒い髪も髭も伸び放題になっている、まさに浮浪者のような男が立っていた。
「お嬢様!」
遠くでデディの声が聞こえた。
次の瞬間、男の手が私の胸倉をつかみ、椅子から床へと引き倒した。
強く背中を地面に叩きつけられ、思わず息を吐く。
その時の衝撃で、ウィッグが外れた。
「がはっ!」
「やっぱりその茶髪…ヨランダだな!よくも、よくもよくもよくもよくもぉ!お前のせいでぇ!」
周囲で悲鳴が上がり、ガタガタと椅子が倒れたり、人が逃げる音が響く。
男の赤黒い瞳が、強い憎しみをもって私を睨みつける。
それに恐怖を感じ、私は身体を動かせなくなってしまった。
(何…?一体何が起きているの?この男は一体何!?)
「ヨランダ!」
少し離れたところで、セシルの切羽詰まった私を呼ぶ声が聞こえる。
しかし、次の瞬間には男は鈍色に光るナイフを取り出した。
凶器の登場に私は目を剥いた。
「そこの男!その手を放せ!」
「うるせぇ!この女のせいで俺の人生はめちゃくちゃだ!こいつを殺さないと俺の気が済まないんだ!」
(この男は私を知ってるの?………まさか)
恐怖で男から目がそらせない私は、その風貌や声にどこか覚えがあった。
そんなはずが…そう思いながら、ついその名を口にしてしまった。
「………エロール?」
その瞬間、男の赤黒い瞳は大きく見開かれ、その視線のおぞましさに私は小さく悲鳴を上げた。
「ひっ!」
「思いだしたか。そうだ、お前のせいで俺に変な奴が寄ってきて、それから全て壊れちまったんだ!お前が悪いんだ!お前なんか…!」
「…そうか、お前か」
激昂するエロールに、セシルがゆっくりとウィッグと眼鏡を投げ捨てた。
その音にエロールの視線がセシルへと向き、その顔が心底恐ろしいものをみたように恐怖に歪む。
「お、お前は……!」
「言ったはずだ。ヨランダに危害を加えるなと。ならば、もう容赦はしない」
「っ!」
セシルの男へと向けられた言葉に、男は息を呑んだ。
それを聞いて私はふと疑問に感じた。
(まさか…セシルとエロールは顔見知りなの?)
同じ貴族社会に生きているのだから、知り合いでもおかしくない。
けど、明らかに二人の関係は顔見知りというわけではないように思えた。
「う、うるせぇ!だったらもうこんな女ぶっ殺してやれば、それで俺はもう知るか―!」
「よせ!」
エロールが私へと向き直り、ナイフを持つ手を大きく振りかぶった。
(刺される!)
私はギュッと目をつむり、身をすくませた。
胸倉をつかまれている以上逃げ出すこともできず、ただナイフに身体を貫かれる恐怖に身を任せるしかない。
しかし。
「……なっ!?」
エロールの驚くような声。
そして、顔に何か温い液体のようなものが降りかかってきた。
(な、何が……?)
恐る恐る目を開く。
そこには、眼前にまで迫っていたナイフが止まっており、そのナイフの刃をセシルが右手でつかんで止めていたのだ。
顔に滴るのはセシルの血で、ナイフを掴んだ手から流れている。
私は驚き、目を見開いた。
「せ、セシル!?」
「大丈夫か、ヨランダ?安心してくれ、すぐに君を助け出す」
ナイフを素手でつかみ、流血しているにもかかわらず、セシルは笑顔を私に向けた。
「こ、この野郎!」
エロールがナイフを掴んだセシルに驚くも、なんとかナイフを放させようとする。
だがすぐに顔を険しいものへと変えたセシルは、ナイフを掴んだ手とは反対側の左手でエロールの顔面を殴りつけた。
「ぶべっ!」
エロールの手はナイフから離れ、殴り飛ばされた先にあったテーブルや椅子を巻き込んで地面に倒れ伏した。
「取り押さえろ!」
すぐに背後に控えていたディカータ家の護衛がエロールを確保した。
「大丈夫か、ヨランダ?」
セシルが私の背に手を回して抱き上げてくれる。
でも、私の目には掴んだままのナイフから何滴も血を滴らせるセシルの右手しか見えない。
「セシル、手が…!」
「こんなもの、問題ない。ヨランダが危険な目に遭ったことを思えば、かすり傷も同然だ」
「なん、で…!」
セシルは本当に痛みなんてないかのように、いつもの笑顔を向けてくれる。
私に心配させまいとして。
(なんでそんなにも…私なんかのことを!)
流れる血が、私に心配かけまいとする気遣いが、そのどれもが私の心を抉る。
私はポケットに入っていたハンカチを取り出し、止血しようとセシルの手を取った。
「セシル、まずは止血するから手を!」
「大丈夫だ、こんな手、君に見せる物じゃない」
「いいから早く!」
「っ」
私の気迫に押され、セシルがナイフを握ったままの手をおずおずと開いた。
そこには血にまみれたナイフと、痛々しい傷口が広がっていた。
ナイフは錆びていて、どう見ても質の良い物とは思えない。
こんな不衛生なナイフで切られては、傷口から感染してしまうかもしれないだろう。
私はすぐにナイフを放り、傷口にハンカチを押し当て流れ出ている血を拭き取った。
セシルが顔をしかめ、やっぱりやせ我慢していたことが分かり、悲しくなった。
「お嬢様!」
デディが来てくれた。
その手には手提げバックが握られている。
広げたバッグから包帯やアルコールが出てきた。
デディはまず素早くセシルの手首を紐で縛った。
こうすることで、手首から先への血の流れを悪くし、出血を抑えるらしい。
さらにアルコールをぶっかけ、傷口を消毒。
手際よく包帯を巻いて応急手当を終えた。
その後、エロールと周囲の人々への対応を衛兵に任せ、私たちは屋敷に帰った。
セシルは改めて医者に診てもらい、全治3週間の大けがと診断。
しばらくは右手の使用を禁じられた。




