第23話
「ではヨランダ様、どうぞお渡しください」
「なんで私が……」
「かわいい弟分が必死に自己鍛錬をしているのに、姉は何もせずに立ち去るのですか?」
「ぐぅ……」
デディめ、痛いとこを!
デディはこの時間から活動しているようで、早くに起きた私が中庭に向かっているところを見たという。
そこで、もしかしたら鍛錬中のセシルの元へ向かうと思い、急いで屋敷内に戻ってタオルを手に取り、持ってきたという。
私に、セシルへ渡させるため。
(デディったら、余計なことを…!)
これじゃあ私がセシルに気があるみたいになっちゃうじゃない。
はぁとため息を吐くと、デディからタオルを受け取り、すぐそこまで来ていたセシルに渡した。
「はい、タオル」
「拭いてくれ」
「はっ?」
口元が引きつった。
セシルは口角を上げ、いたずらっ子のような笑みを浮かべている。
「素振りのし過ぎで腕が上がらない。ヨランダが代わりに拭いてくれ」
「全然余裕そうだったじゃない」
「一度止めるともう無理だ。ああ、腕が棒のようだな。ダレカニフイテモライタイモノダ」
なにそのわざとらしすぎて突っ込む気にもならない棒読み。
呆れたような目で見ても、セシルは全然堪えない。
「特に右手がなぁ。昨日はダレカサンにずっと掴まれてたからなぁ」
「もう!分かったわよ、拭くわよ!」
痛いところを突かれ、もう私が折れるしかなかった。
口をとがらせながら、手にしたタオルでセシルの顔を流れる汗を拭き取っていく。
「…おい、もうちょっと優しく拭いてくれ」
容赦なくタオルを押し当てながらゴシゴシ拭くと、セシルから抗議の声が上がった。
「嫌ならご自分で拭いてどーぞ」
「……ったく」
それでも自分で拭く気は無いようで、セシルは大人しく拭かれていた。
額、鼻筋、頬、耳裏と拭いていく。
さらに頬、顎、顎裏、首筋と汗を拭き取ると、だいぶさっぱりしたと思う。
「はい、拭いたわよ」
「ああ、じゃあこっちも頼む」
「………はっ?」
いうが早いか、セシルはなんとシャツのボタンを外し始めた。
「な、何してるのよ!」
「何って、ここも汗をかいているんだ。拭いてくれ」
言い終わる前に、あっという間にボタンは最後まで外され、セシルは両手でシャツを広げた。
「なっ、なっ、なっ!」
「何をそんなに驚いている、初めて見たわけじゃないだろう?」
シャツの前面が開かれ、その下に秘められていたたくましい肉体があらわになる。
細く引き締まった筋肉は、しっかりとその存在を主張し、それでいてでしゃばることがない。
綺麗に割れた腹筋は見事な陰影を刻んでいる。
見た目には優男に見えるセシルの肉体的なギャップはいつ見ても慣れず、その上今日は汗で濡れて光っているから余計になまめかしい。
カーっと顔が熱くなるのが分かる。
「さぁ、拭いてく…」
「自分で拭け―!」
私はタオルをセシルの顔面に投げつけ、脱兎のごとく逃走。
うしろで、タオルが地面に落ちる音だけが聞こえた。
(もう、最悪よあの変態!)
震えているように感じるほど激しい心臓の鼓動に胸を抑え、火照る顔を誰にも見られないようにと願いながら私は自室へと飛び込んだ。
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「……セシル様、少しやりすぎかと」
「…そうだな」
デディは地面に落ちたタオルを拾い上げ、そのままセシルに差し出した。
「おい、そっちの新しいのをよこせ」
「ヨランダ様をからかった罰です。こちらをお使いください」
「チッ」
すまし顔で渡されたタオルを受け取りながら、セシルは顔をしかめた。
当然、その顔はデディのほうを向かない。
ある程度克服は進んでいるが、直視するには多大な精神の犠牲を必要とする。
いつだったか、王宮で令嬢とばったり遭遇してしまったときには、わずか10秒という時間を笑顔で乗り切ったのだ。快挙である。
セシルはタオルを軽く振って砂や汚れを振り払い、むき出しになった上半身の汗をぬぐっていく。
デディは妹分が走り去った方向を見ていた。
その顔は、すまし顔のようでわずかに眉尻が下がっており、悲しみが琥珀の瞳に漂っていた。
(ヨランダ様……なんとか立ち直ってくれたようですが…)
昨日のヨランダは見ていられなかった。
ありとあらゆる感情が混ざり合った彼女の苦しみの叫びは、聞くものを悲しみの渦に誘うほどのものだった。
チラリとデディはセシルを見た。
タオルで体を拭い終え、ボタンを締めている。
セシルの慟哭を間近で聞いた彼の悲しみと怒りはどれほどのものか。
セシルにとって、ヨランダは恋心が無くても大切な家族だ。
女性恐怖症を克服するためにヨランダを利用してしまったことを、平然としているわけではない。
彼なりに苦しみ、その上で想定外にヨランダに恋心を抱いてしまった。
いや、それとも本当は元々恋心はあったのに、それを家族という蓋で閉ざしていただけなのか。
それは本人にしか……いや、本人にも分からないかもしれない。
(…すんなりとは、いかないものですね)
やるせない気持ちに、ついため息が漏れる。
デディはセシルとヨランダが結婚することが、幸せだと思っている。
だからセシルに協力的だが、かといってヨランダの意向を否定したいわけではない。
『自分ではセシルを幸せにできない』と思っているヨランダの気持ちを、蔑ろにもしたくない。
(ヨランダ様がいれば、セシル様がどれだけ頑張れるか、それを分かっていただけないのは何とももどかしいものです)
セシルに至っても、100%純粋な恋心などというわけではないのだ。
ヨランダとの結婚を望む意思には、贖罪の気持ちもある。
ヨランダを自分の目的のために利用して抱いたことを無かったことにはできないし、するつもりもない。
事実、ヨランダを抱いた後のセシルは悩み、苦しんでいた。
あんなことを言いだした自分が目の前にいれば、容赦なく切り裂いていただろう。
だが、もう後には引けず、気付けば完全にヨランダを好きになってしまい、離縁させてまで手に入れようとした。
頭はいいが、バカなのがセシルだ。
―――家族と、恋と、愛と、贖罪と。
誠実なヒーローにはなれず、ダークヒーローというほど悪に徹しきれない。
中途半端で、過去の自分の行いに苦しむ哀れな男だ。
彼は女性恐怖症を克服したいと思っていても、お近づきになりたかった女性がいたわけではない。
ただ克服したかっただけで、肝心のところは白紙のまま。
…いや、もしかしたら、それは白紙に見えて既に浮かび上がっていたのかもしれない。
唯一望んだ彼の姉貴分の姿が。
(ヨランダ様とセシル様は共にあってほしい……それは、私のエゴなのでしょうか?)
デディの黒縁眼鏡の奥の琥珀色の瞳は、自身の正当性を見失い、困惑の波で揺れていた。




