第19話
がっしりとセシルに腰を抱かれたまま、馬車は進む。
窓から見える風景が見覚えのあるものになり、馬車の行き先がディカータ伯爵家の屋敷であることが確実なことに、私の気持ちはどんどん暗くなっていく。
虚ろな目で、現実逃避するように外を眺めていた。
(ああ……どうしてこんなことになっているのかしら)
結局アミッテレ侯爵から、どうしてセシルが迎えに来たのかの説明を聞くことはできなかった。
かといって、セシルに聞けばいいかというと、それも怖くてできない。
さっきから彼は沈黙を守っており、怖くて顔をそらしているせいで、今どんな表情をしているかも分からない。
聞きたい。でも聞けない。
そんな葛藤を続けていたら、いつの間にか馬車はディカータ伯爵家の屋敷に到着していた。
馬車の扉が開かれ、隣の気配が動くのが分かった。
私は相変わらず、セシルの顔を見るのが恐ろしくて窓から顔をそちらに向けられずにいる。
すると、私の視界にセシルの手が差し出された。
「ヨランダ」
さらに優し気な声が私の名前を呼ぶ。
その声があまりにも穏やかだから、無意識に振り向いてしまった。
「やっとこっち、向いてくれた」
そこには、声と同じくとても朗らかで、緩やかに目を細めたセシルの顔があった。
そんな彼を見て、心に猛烈な後悔が押し寄せる。
(なんで…?私はあなたにひどいことをしたのに、どうして笑っていられるの?)
さっきまで彼を怖がっていた自分が馬鹿みたいで、あまりにも愚かに思えてくる。
このままこうしていても仕方がないと諦め、彼の手に自分の手を乗せて、エスコートされながら馬車を降りた。
屋敷の玄関をくぐると、そこには緑の髪のポニーテールにまとめたデディがいた。
私の姿を認めたデディは慈愛の笑みを浮かべ、ゆっくりと頭を下げた。
「おかえりなさいませ、セシル様、ヨランダ様」
「ああ」
「えっ?」
驚いた。
なんと女性が前にいるのに、セシルは硬直しないどころか、返事をしたのだ。
(やっぱり、女性恐怖症は治っていたのね)
ただ、デディを直視はしておらず、少し明後日の方向を向いている。
完全に治ったわけではないようだ。
だが、確実に克服しつつある。
それに驚きと、彼が女性恐怖症が全く治っていないと嘘をついて私に触れ続けたことへの、失望感が頭をもたげる。
顔をしかめてしまった私の前にセシルが躍り出ると、彼は私へと向き直り、その場で片膝をついた。
自然と私が彼を見下ろし、彼が私を見上げる形になる。
まっすぐに見つめる緑の瞳が、不安と悲しみに揺れていた。
「すまなかった」
「えっ?」
「こんなだまし討ちのような形で、屋敷につれてきたことだ。こうでもしないと……ヨランダは領地に帰ってしまいそうだったから」
「それは……」
その通りだ。
でも、それを口にすることは憚られる気がする。
離縁すれば私はヨランダ・リリバメンに戻るから、リリバメン伯爵家に戻るのが当たり前だ。
でも、そんな私をなかば無理やり屋敷に連れてきたセシル。
一体どんな思惑があるのか、そこが気になった。
「ヨランダ」
「は、はい」
名前を呼ばれ、心臓が跳ねる。
セシルの表情がさっきまでと打って変わり、真剣なものに変わったからだ。
目はまっすぐと私を見つめ、口元は決意を固めたように引き締められている。
一体彼は何を言おうとしているのか。
私は不安に高鳴る鼓動を感じつつ、彼の言葉を待った。
ごくりと彼の喉が生唾を飲むと、口がゆっくりと開かれていく。
「あなたを愛している。ぼくと結婚してほしい」
「…………えっ?」
思わぬ言葉に、身体が驚きで固まる。
セシルが私を愛して?結婚?
嘘だ、そんなことを言うはずがないと、私の中の誰かが必死で否定する。
(そうよ、だってセシルにとって私は姉で、ただ都合よく身体を弄んだだけで……こんな、出戻りで年上の女との結婚を望むはずがないわ)
あるいは、初めて情事をした相手だから、情が移ってその責任を取ろうとしているかもしれない。
だとしたら、大きなお世話だ。
そんな扱いを許すほど、私は自分を安売りした覚えはないのだから。
私は少しの怒りを込めた目で、セシルを見据えた。
「セシル、そんな冗談は…」
「冗談じゃない。本気だ」
「…これまでのこととはわけが違うのよ。結婚相手は、もっと真剣に選びなさい」
「これ以上ないくらい真剣だ。ヨランダ以外に考えられない」
「………」
「………」
セシルの気持ちが固いことが分かり、私は何も言えなくなった。
それでも、じゃあとうなずけるわけじゃない。
彼には絶対に、私よりふさわしい女性がいるはずだ。
だから、何があっても折れてはいけない。彼の輝かしい未来のために。
…たとえ、彼のプロポーズに喜ぶ自分がいたとしても、無視しなければならないのだ。
「セシル様、恐れながら申し上げます」
そこに、セシルの後ろで直立不動のままだったデディが割り込んできた。
「なんだ?」
「ヨランダ様は離縁が済んだばかりで、今もまた事情を説明されぬままこの屋敷へと連れてこられました。いまだ心の整理はついておられないと思います。そんな状態で結婚の申し込みをしたところで、困惑でしかありません。ここはしばし、落ち着いてからはいかがでしょう」
(ナイス、デディ!)
ぐっと親指を立てると、デディも片目をつむって応えてくれる。
よし、これで時間が稼げるわ。
その時間で、なんとかセシルに諦めさせる策を考えないと。
「…そうだな。確かに急ぎ過ぎた。すまない、ヨランダ」
膝をついたまま、セシルは素直に頭を下げた。
「あ、いえ…」
「デディ、ヨランダを案内してやってくれ」
「かしこまりました」
よかった、とりあえずこの場を離れられる。
そう安堵したとき、すっと片手を取られる感触があった。
そこに目を向けると、跪いたままのセシルが私の左手を取っていた。
「セシル?」
一体何を…そう思った時、セシルの唇が手の甲に触れていた。
「っ!」
軽いリップ音が響き、それに私の顔が一瞬でリンゴのように赤く染まった。
顔を上げたセシルは口角を上げた笑みを向け、その目に獰猛な獣のごとき光を宿していた。
『逃がさない』と。
「ひっ!」
その目に見竦められた私は、背筋が凍るほどの恐怖で動けない。
手を放し、悠然と立ち上がったセシルはそのまま歩き出し、私の横を通る。
だけど、通り過ぎる直前に、私にだけ聞こえていそうな声量でそっと呟いた。
「必ず手に入れるから、あなたを」
「っ!?」
驚いて振り返るけど、セシルは歩みを止めずそのまま玄関から外へと出ていった。
その背中を呆然と見つめたまま、私は一筋の冷汗をかいた。
(…私、この屋敷出られるかしら?)
多分、無理かもしれない。
そんな不安を抱えつつ、前をに向き直り、デディについていった。




