第2話
私、ヨランダ・アミッテレは、侯爵家の夫人だ。
少し遅めの20歳にアミッテレ侯爵家に嫁入りし、今年28歳。
背中が隠れるほどに伸ばしたブラウンブロンドの髪は、地味だけどそよ風に揺れるほど柔らかで、お気に入りの髪だ。
瞳を縁取るまつげは長く、髪と同じ薄い色素の茶色の瞳はぱっちりしている。
少し童顔な顔つきと相まって年齢より若く見られがちなのが、少しだけ気になるところだ。
背は少し低く、その割に女性として出るところは出ているため、幼さと色気のアンバランスさを感じさせるのだが、それがいい!…とは、知り合いの侍女の言葉。
そんな私が結婚したのは、アミッテレ家の当主であるエロール様だ。
結婚といえば祝福されるものだと相場が決まっているはずなのに、どうやら私と彼には当てはまらなかったらしい。
彼は初めて顔を合わせたときから、血のように赤い目で私を見下していたのだから。
私たちの結婚は政略結婚だ。
アミッテレ侯爵家は事業がうまくいってないらしく、資金繰りに苦労していた。
そこで、私の生家であるリリバメン伯爵家から資金援助を受け、その見返りとして侯爵家との縁をつなぐ。
そのために私と彼は結婚した。
それがエロール様には気に入らないようで、彼は私を蛇蝎のごとく嫌っている。
「権威のために金を積んだ卑しい娘」と評して。
それでも、彼は侯爵位を継いでいるから世継ぎを作らなければいけない。
幸いというか、不幸というべきか、私の身体は彼にとって好みだったらしく、抱くことに抵抗は無かったようだ。
(男なんて、所詮こんなものなのね…)
私を寝台に押さえつけて一生懸命に腰を振る姿を見ながら、私は感じているふりをしながら彼の放つ精を受け入れる。
感じていないと、エロール様の機嫌は悪くなるから。
知り合いには、天にも昇る快楽と聞いていたけれど、そんな感覚になったことは一度もない。
自分の身体を物のように使われることには、背筋に虫が這いまわるくらい嫌だったけど、貴族の家に嫁いだものの責任として耐えた。
サッサと妊娠してしまえば、こんな地獄のような営みから早く逃げ出せると思ったの。
でも、天はそんな道を用意してくれなかった。
何度精を受け止めても、私にはいつもの周期で月のものが訪れる。
そのうち、彼は私を抱くのをやめた。
私の身体に飽きたみたい。
それと同時に、彼が屋敷に帰らない日が増えた。
外で女を作ってるのかもしれないけど、本当のところはわからなかった。
聞けば、彼は不機嫌になるから。
「女が一々、当主のすることに口を出していいと思っているのか?」
それ以降は、もう聞くのは止めた。
むしろ、この地獄から解放してくれるなら、さっさと不倫相手を作って離婚を言ってほしいくらいだわ。
即行でサインしてやるのに。
それが5年前で、つまり5年間レスだ。
なんだか、自分が女として生まれたのが間違いなんじゃないかと疑うくらいに、悩む日々が続いた。
あんな男には抱かれたくないけど、かといって女として見られないのももうイヤだった。
板挟みの感情に苛まれながら、淡々と生活するだけの日々が続いていたとき。
一通の手紙が私の元へと届いたのだ。
装丁の無い白地のシンプルな封筒。その宛名を見たとき、自分の中に数年ぶりに温かな気持ちが湧き上がった。
セシル・ディカータ。
伯爵家の嫡男で、確か今年18歳になったはずだ。
リリバメン伯爵家とディカータ伯爵家は領地が隣同士ということもあり、彼が生まれた頃からの付き合いである。
彼のおしめを交換したこともあるし、よちよち歩き始めたセシルと一緒に庭を散歩した思い出が、なんとも懐かしい。
まるで本当の姉弟みたいだと言われたものね。
私が結婚と同時に、アミッテレ家の王都にあるタウンハウスに引っ越して以来疎遠になっていた。
彼も騎士になり、王宮に出仕するため数年前に王都のディカータ家所有のタウンハウスに引っ越していたはず。
彼のうわさは茶会などで何度も聞いている。
騎士団期待の新星。
次期親衛隊候補ナンバーワン。
美貌の化身。
白銀の氷の貴公子。
一切女に靡かない硬派。
彼の輝かしい噂を聞くたび、姉としてなんとも誇らしい気持ちになった。
そんな話題の彼からの手紙には、彼の切羽詰まった現状と、それを解決するために会いたいという旨が書かれていた。
(私に協力してほしい…か。ここは姉として、一肌脱ぎましょう)
彼からの手紙を読み終わり、私はグッと握りこぶしを作って気合を入れた。
可愛い幼馴染にして弟分であるセシルには致命的な問題があるのだ。
それを解決するための頼みとあれば、聞かないわけにはいかない。
私はセシルに返信し、予定を決めて会うことにした。
当日になり、私はディカータ伯爵家のタウンハウスを訪れた。
既婚者の私が1人で男性の下を訪れるのは、普通なら問題あることだと思う。
でも私にとってはセシルはほとんど家族のようで、弟といってもいい。
家族の下を訪れるのに、そんなことを気にする必要はないと思ったから、何も言わずに一人で向かったわ。
(数年ぶり、ね。……セシルは、どんなふうになっているかしら)
馬車から降りた私を出迎えたセシルはとても格好良くなっていた。
磨き上げられた聖剣のごとく輝く白銀の髪は、後ろ髪を首元でざっくばらんに切りそろえ、前髪は鼻筋にかかっている。しっとりとした髪質で、髪の隙間から覗く耳がなんとも可愛らしい。
髪の間から見える碧眼は切れ長で鋭く、細められた目はそれだけで相手をすくませる。髪色と同じ色のまつげは長く、陽光にキラキラと光っていた。
すっきりした顔立ちで、全体的に神秘的な雰囲気を漂わせており、近寄りがたさがある。
でも、私の前でだけは、キツイ目元も緩んで優し気になるのだ。
幼いころと同じように弟として慕ってくれるその姿に、なんとも心が和む。
「いらっしゃい。久しぶりだな、ヨランダ」
「ええ、久しぶりね、セシル」
私たちは久しぶりの再会に握手を交わした。
騎士になった彼の手の皮は固くなっており、鍛錬の痕がうかがえる。
今日は休暇らしく、藍色のジャケットに白いシャツ、黒のトラウザーとラフな出で立ちだが、成長したセシルにはとても似合っている。
軽くまくられた袖から覗く腕には、しっかりとした筋肉が付いていた。
騎士として、たゆまぬ鍛錬を積んでいるのが分かる。
かつてはよちよち歩いていた弟が、こんなにもたくましくなったのだと思うと、感慨深くて涙が出そうだわ。
「わざわざ来てもらって、済まないな」
「いいのよ、かわいい弟分の頼み事だもの」
「…ああ、そうだな」
「?」
どうしてか、彼が一瞬返事を躊躇ったように見えた。
でも、次の瞬間にはそんなことなど無かったかのようにセシルは私を連れて屋敷内に入っていく。
(今の何かしら…?もしかして、かなり深刻なの?)
私に、彼の悩みを解決できるかしら?
そう不安に思うけども、姉が弟の悩みから逃げるわけにはいかない。
私は覚悟を決めて彼の後についていった。
玄関ホールを抜け、階段を上り、とある部屋に入った。
中を見て分かる、ここはセシルの私室だ。
部屋の中央には、テーブルと向かい合わせにふかふかのソファーが置かれている。
家具や壁紙は、彼の好きなこげ茶色で統一されている。シックな雰囲気を好むのが、セシルらしい。
家具自体は多くなく、その他にベッドと棚がいくつか。
本棚もあり、10冊ほどの本が収められている。
「本を読んでいるの?」
「ああ。一応領地の勉強もしておけと父上に言われてな」
「そうね、嫡男ですものね」
「……ああ」
また返事が遅れた。
ほんの一拍遅れただけなんだけど、それが如何に彼にとって苦悩に満ちているかは、長年付き合った幼馴染としての勘が告げている。
ソファーに座った私たちの前に、侍女が紅茶をお菓子を置いていく。
そのまま、侍女は部屋を出ていき、扉を閉めた。
本来、婚姻関係に無い男女が室内に居る時は扉は少し開けるもの。でも、そうしなかったのは、きっとセシルが言い含めていたからなんでしょうね。
だから私はあえてそれを指摘しなかった。
「それで、セシル?悩みは女性恐怖症についてなのよね?」
「ああ、そうなんだ」
姉貴分としては、セシルが言い出しづらいだろうから、先に話を切り出してあげることにした。
夜会や舞踏会に行けばすぐに令嬢たちに囲まれそうな美貌を誇るセシルだけど、彼はとんでもなく大きな問題を抱えていた。
それが女性恐怖症だ。
その原因は、彼が幼いころにある。
まだ5歳くらいの頃だったか。
その頃の彼は可愛さと神秘さを兼ね備えた、まるで天使とも言うべき存在だった。
そのせいで、彼を我が物にしようと狙う令嬢たちに付け狙われ、すっかり女性恐怖症になってしまったのだ。
女性を前にすると恐怖で体がすくみ、目つきが鋭くなってしまう。
それがはた目には女性を睨みつけるように見えてしまうから、美貌と相まって今では『氷の貴公子』なんて呼ばれてるらしいわ。
硬派なんて思われているようだけど、その真相は全く違うところにある。
それはまだ子どもの頃なら仕方ないで済んだわ。
でも、彼は嫡男。
世継ぎを作って、次の世代につなげていかなければならない。
そんな彼が、女性が怖くて情事に及べないのでは話にならないのよね。
だから、彼が相談したいのはその辺のことについてなんだろうと思ってる。
「ぼくもそろそろ、結婚を考えなくちゃいけない。そう父上にせっつかれてる。でも、女性が怖いのは今も同じなんだ。前に、先輩騎士に連れられて……その、娼館に行ったこともある」
「……うん、そうなのね」
(ああ、あの小さくてかわいかったセシルも、そういうことをするお年頃になったのね)
セシルの告白に、私は物悲しい気持ちに襲われていた。
時の流れは残酷…いや、そう表現するのはセシルに悪いかしら。
でも、やっぱり赤ちゃんの頃から知ってるだけに、彼がそういう行為をするまでに成長したことが、嬉しくもあり、ちょっと切ない気持ちにもなる。
セシルは苦しみをこらえるかのように、続きを話していく。
「…でもダメだったんだ。全然……その、勃たなくて。相手をしてもらった娼婦にも、なんだか情けないものを見るような目で見られて、怖くなって逃げ出したんだ」
「そうなの……」
(なんて女なの!こんなにかわい…いえ、格好いいセシルをそんな目で見るなんて!)
私は内心憤慨した。手のひらを握り締め、こらえきれない怒りを必死に押しとどめる。
セシルが勇気を振り絞って訪れたというのに、そんな対応をした娼婦に対してだ。
女性と触れるどころか、目も合わせられない彼が、女性の裸を見ようと決意するのに、どれだけの勇気がいったか。
もうそんな娼館潰れてしまえばいいわ。
「辛い思いをしたのね、セシル。大丈夫?」
「…まぁ、なんとか。ただ、これじゃダメだって思って、もうヨランダに頼るしかないって思ったんだ」
「ええ、私がなんとかしてあげるわ!」
私はセシルが苦手としない、数少ない女性だ。
他はセシルか私の母親、それと一部の高齢の侍女か女中だけ。
その中では私が一番若い。
若いセシルが結婚したくて女性恐怖症を治すのに、私を頼るのは必然だわ。
私は気合を入れ、彼がどんな頼みごとをするのかを待った。
「それで、ヨランダに頼みたいのは………」
「うんうん」
「………」
「………?」
「………」
「………セシル?」
どうしてか彼からの次の言が出てこない。
どうやらかなり頼みづらいのか、さっきから目線があちこちに飛び、手元もそわそわしていて落ち着きがない。
緊張している証拠だ。
そこまで悩むだなんて、一体何を私に頼もうとしているのかしら?
彼が不安なのは分かるが、私も頼みごとが分からないことへの不安が大きくなっていく。
彼から感じる緊張が徐々に私にも伝わり、心臓の鼓動が大きくなり、そっと胸を抑えた。
うるさい心臓の原因は、不安だけじゃない。
彼が言いよどむほどのことを頼む相手に選ばれた嬉しさだ。
数年離れていたけれど、それでもこうして頼りにされるのが本当にうれしい。
だから私は待った。
彼の決心がつくまで。
それからどれくらい沈黙が続いただろう。
セシルは覚悟を決めた顔で私を見た。
そのあまりに真剣な目に、心臓が跳ねる。
そしてゆっくりと、彼の口が開いていった。
「ヨランダ……ぼくといっしょに寝てほしいんだ!」
「………へっ?」
聞いた瞬間、私は口を開けて呆けてしまった。




