第17話
「いやぁ、すまない。待たせたな」
「いえ……」
応接室で大旦那様を待つこと10分ほど。
やれやれと言った感じの大旦那様が応接室へと入って来られた。
夫の姿は無いのを見るに、大旦那様でも連れ出せなかったらしい。
お疲れ様です。
「やれやれ、とんだバカ息子が…。すまない、とんだ醜態をさらして」
「いえ……」
大旦那様は疲れたような顔で、首を横に振った。
(こういうときは反応に困るわ。笑うのもあれだし、謙遜もできないし…)
それよりも、早く大旦那様の目的を聞いたほうが良さそうね。
大旦那様が私の正面に座った。
私は笑顔を浮かべて、口を開いた。
「ところで大旦那様、本日はどのような要件でしょうか?」
聞くと、大旦那様は視線を斜め下にずらし、顎に手を当て、少し思案するようにしてから呟いた。
「…ああ、君たちの離縁手続きをするためにきた」
「……………………えっ?」
私は淑女にあるまじき口を開けて、ぽかんとするしかなかった。
離縁?リエン?りえん?
言われたことの意味が分からない。
夫と離縁できる?
というか、いきなりどうして?
レストランのことも把握しているらしいし、一体大旦那様は何を知ってらっしゃるの?
混乱する私の代わりに、執事のヘクターが大旦那様に聞いてくれた。
「大旦那様、あまりにいきなりすぎます。順を追って説明いただけませんと、奥様が混乱しておりますよ」
「まぁそうなんだがね、まずは行動の目的を先に知らせる。その後で過程を説明したほうが理解しやすいものだ」
「…確かにそうですが」
ああ、ヘクターが丸め込まれてしまった。
でも、確かにそうかもしれない。
ただ過程を一から説明されては、途中から何がなんだか分からなくなりそうだ。
最初の目的に関することとして聞いていれば、理解できる…はず。
大旦那様が咳払いしたので、背筋をしゃんと伸ばす。
「はじめは協力者が我が屋敷へ訪れたことだ。彼のことはそうだな…便宜上『S』と呼ばせてもらおう」
「………」
なんだか始めから話が怪しくて、胡乱げな目を大旦那様に向けてしまう。
いきなり協力者ってどういうことなの?
でも、一々止めていたら進まなさそうだし、黙っておくことにする。
「彼は、エロールがオーナーを務めるレストランや屋敷の現状についての資料を持ち、説明してくれた。……いかに、エロールによって悲惨な状況に陥っているのかを、スタッフや使用人の聞き取り含めて、事細かにね」
大旦那様は顔に苦痛を滲ませながら話を続ける。
そりゃそうよね。信じて任せた息子が、どちらも散々にしてるんですもの。
(というか、その協力者Sってもしかして身近な人物?スタッフや使用人に聞き取りって、私も実は会ってるのかしら?)
協力者Sがどんな人物像なのかを想像しつつ、大旦那様の話の続きに耳を傾ける。
「そこから、いかにヨランダ…君が苦労しているかを切実に語られたよ。あのバカ息子が何もしないばっかりに、君に全てのしわ寄せが向かっていると。苦労をかけさせて、済まなかった」
大旦那様は私に向かって頭を下げた。
それに私は慌てた。
「お、大旦那様!頭を上げてください」
「いいや、謝らせてくれ。エロールも結婚し、妻を持てば変わってくれると信じていたが、そんな私の過信が、君にいらぬ負担をかけさせたのだ。私に責任がある」
「大旦那様……」
大旦那様の頭頂部を見ながら、つい眉の間にしわが寄る。
確かにその通りだと思うところもある。変わると思った夫が変わらなかったのだから、全く責任が無いとは言えない。
しかし、この結婚については、リリバメン家も侯爵家とのつながりを求めた政略結婚だ。
大旦那様にだけ責任があるわけではないと思う。
大旦那様は顔を上げ、話しを続けた。
「このままではレストランだけでなく、アミッテレ家そのものが存続できない危険性がある。…どうやらエロールはずいぶんなことをやらかしていてね、それが表ざたになれば、侯爵位を返上しなければならない」
「え…ええっ!?」
大旦那様の発言に、私は思わず大声を上げてしまった。
(侯爵位を返上!?一体どれだけのことをやらかしてたのよ、あの男は!)
爵位の返上など、それこそ殺人や重罪レベルのことをやらないと早々ありえないものだ。
それに驚くが、その協力者Sとやらがそこまで掴んでいることにも驚く。
本当に、その協力者Sとは誰なのかしら?
「そこで私は、エロールの侯爵位を没収した上で勘当し、次男に継がせることにした。エロールはアミッテレ家の一員でなくなるのだから、アミッテレ家とのつながりを望むリリバメン家との婚姻も続ける理由が無い。次男は既に結婚しているからな。だから離縁というわけだ」
「………そうなんですね」
一連の流れを説明してくれた大旦那様は、一仕事終えたように大きく息を吐いた。
納得のいく説明に、私はうなずく。
納得はしたけれど、まだなんとも実感がわかない。
本当にもう離縁できるのだろうか?
そこでふと私はあることに思い至る。
(待って、離縁するには両家の合意が必要よね。リリバメン家はこれに納得するのかしら?)
夫が侯爵でなければ、婚姻を続ける意味は無くなる。
ただ、それだけで「じゃあはい仕方ないね、帰ってこい」となる未来が見えない。
「あの、離縁状にはリリバメン家のサインが必要に…」
「ああ、それはもうある」
「なるの、で……もう、ある?」
「うむ」
話の展開についていけず、頭がポカーンとしてしまった。
もうあるってどういうこと?
すると、大旦那様は離縁状を取り出し、私に見せてくれた。
「……本当に入ってる」
そこには確かにリリバメン伯爵家当主のサインが入っていた。
あまりに理解できない怒涛の展開に、私は驚きっぱなしだ。
もちろん、大旦那様のサインも記入済み。
「ただこの書類を有効化させるには、まずエロールの爵位を私に戻す手続きが必要だ。そうしないと、この離縁状のサインが意味をなさない。手続きは多いが、必ず終わらせる。それまでは今しばらくここで滞在していてほしい。すまないな」
「いいえ、ここまでしていただき、ありがとうございます」
頭を下げる。
再び頭を上げると、眉尻を下げて後悔の色をにじませた大旦那様の顔が目に入った。
「…本当に済まなかった。言い訳になるが、私も領地運営で手一杯であり、こちらのことにまで気を配る余裕が無かった。そのせいで君に要らない苦労を掛けたことは本当に申し訳ない」
「大旦那様……大丈夫です。そこまで謝罪していただけたのなら」
「もちろん、慰謝料も払おう。レストランを売却して、その資金をあなたへの慰謝料にする」
「えっ!?レストランを売るんですか!」
多分、今日一番驚いたと思う。
まさか大旦那様が創業したレストランを売却するなんて、信じられなかった。
大旦那様は乾いた笑いを浮かべている。
「もうどうにもならないようだからな。私の目指したレストランはすっかり消えてしまい、それを戻すことはもうできないだろう。なら、もうここでキッパリ畳むことにするさ」
「大旦那様……」
その顔には、諦観と後悔が混ざり合った感情で埋め尽くされている。
きっと、大旦那様にとって愛着のあるレストランだったのだろう。
そのレストランを、息子ならしっかりつないでくれると、期待していたはずだ。
それがあっさり廃業するしかなくなってしまったことは、悔やんでも悔やみきれないのかもしれない。
「お疲れさまでした、大旦那様…」
「…ありがとう。全く、あのバカ息子はこんなにできた妻がいるのに、なにやらかしてくれたんだか…」
苦々しく吐き捨てる大旦那様。
本当に夫は何をやらかしたのかしら。
聞いてみたい気もするけど、爵位没収になるほどなら…知らないほうがいい気がするわね。




