第16話-2
それから一月後。
ヘクターのもとに、先代アミッテレ侯爵がエロールとヨランダの離縁のために動き出したという報告が届いた。
それを見たとき、ヘクターの心には喜びの渦が巻き起こった。
(良かった……あと少しで、奥様…いいえ、ヨランダ様は解放されるのですね)
幸いにして、ここ数か月はエロールがなぜか引きこもりでおとなしく、ヨランダもヘクターも彼に悩まされずに仕事ができている。
それはいいのだが、やはりヨランダにとってはエロールと離縁するのが、一番彼女のためになるはずだ。
ヨランダが解放される…それは、もう彼女が自分たちの主人ではなくなるということも示しており、寂しい気持ちもある。
しかし、それ以上に彼女が解放されることへの喜びが上回る。
それ以降、ヘクターはヨランダを見る度に、もうすぐこの屋敷から解放される彼女への祝福の気持ちが溢れ、笑顔になった。
そして、今日届けられた花束。
届けたのはデディという侍女だ。
しかし、送り主は間違いなくセシルである。
それは、作戦の全てがうまくいったという成功の証。
その報告を受け取ったとき、ヘクターは年甲斐もなく涙を流した。
歓喜の涙だ。
待ち望んだその時が、ようやく訪れるのだと。
花束を受け取った時、デディという侍女に、「長年ヨランダ様にお仕えくださり、ありがとうございます」と礼を言われる。
(礼を言うのはこちらの方だ。私には、それしかできなかったのだから)
申し訳ない気持ちでいっぱいになったけれど、今は祝いの時だ。
その気持ちはそっと蓋をし、笑顔で花束をヨランダの下へと届けた。
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デディから花束を受け取った翌日。
私は思わぬ来訪者の対応に追われていた。
「客室は…一番広いところを整えてちょうだい。応接室の準備は出来てる?晩餐用に料理長にはメインは凝った物を。あとは…」
「奥様、もうすぐご到着でございます」
「わかったわ、今向かいます」
玄関ホールに向かうと、既に執事や使用人たちが両脇に並び、来訪者が来るのを今か今かと待っている。
私も今日は淡い黄色のドレスに小さめのルビーのネックレスを首にかけている。
普段は下ろしている髪も、この時ばかりは結い上げた。
本当ならここにエロール様も来るべきなのに、やはり彼は部屋から出てこない。
…まぁ、彼が出てこないことについては、そこまで問題ではないと思う。
(後でお互いにじっくり話し合ってもらえばいいですものね。ひとまずはこっちだわ)
玄関の外に馬車が到着したのが見える。
馬車から一人が降り立ち、その後ろに従僕らしく男性が付いてきている。
扉が開かれ、来訪者がお目見えだ。
「ようこそ、馬車の長旅お疲れ様です、大旦那様」
「おお、ヨランダ。久しいな。元気だったか?」
来訪者は大旦那様。
エロール様の父にして、先代アミッテレ侯爵その人だ。
エロール様と同じ黒い髪だが、ところどころに白髪が入り混じっている。
さわやかなリンゴを思わせる紅の瞳は穏やかで、正直夫と血がつながっているとは思えない。
アミッテレ侯爵領とは、馬車でおよそ2日の距離だ。
近いとも遠いとも言えず、なんとも微妙な距離感。
現在は侯爵位をエロール様に譲ったため、領地運営に専念している。
大旦那様は私を見た後、ぐるりと玄関ホールを見渡した。
その様子に、私はどうしたのかと首をかしげる。
「大旦那様、いかがされました?」
「…いや、エロールはいないのかと思ってな」
「……ああ、その」
どう答えたものか言いあぐねてしまい、困った。
(3カ月前から引きこもりですと正直に言う?そう言うしかないのが事実なんだけれど、あまりにハッキリ言うのも憚られる内容なのよね)
私が口ごもっていると、見かねた執事が代わりに答えてくれた。
「大旦那様、旦那様は3カ月ほど前から自室にて引きこもっております。原因は分からず、ただ当人は外を恐れているようで、絶対に出てきません」
「なんだそれは!?屋敷やレストランをめちゃくちゃにして置いて、何のつもりだあのバカ息子は!」
予想通り、大旦那様は大激怒だ。
一気に顔を赤くし、夫の自室がある方向を厳めしい形相でにらみつけている。
が、そこで大旦那様の発言に気になるところがあり、目を見張った。
(今屋敷やレストランをめちゃくちゃにしてって言った?おかしいわね、大旦那様にはそのことを伝えていないはずなんだけど)
ちらりとヘクターを見ると、ちょうどあちらも私を見ており、視線がかち合った。
私は首を横に振り、彼も横に振った。
ヘクターでもない。
じゃあ一体誰が大旦那様にそのことを伝えたのかしら?
(…と、今はそれは後ね。先に大旦那様を応接室に案内しないと)
「大旦那様、お疲れでしょうし、まずは応接室に…」
「すまない。私は先にバカ息子を連れ出してくる。皆はもう持ち場に戻っていいぞ」
大旦那様の指示に従い、使用人は持ち場に戻っていった。
大旦那様は勝手知ったる我が家という感じで階段を上がっていく。
私はまたヘクターと顔を見合わせた。
「…これ、私も行ったほうがいいかしら?」
「奥様は応接室でお待ちでよろしいかと」
「そうよね……」
そうさせてもらおうと思い、応接室へと向かう。
親子の対面。
あの大旦那様の様子で、穏やかに…とはいかないことだけは分かる。
わざわざ顔を出して、余計な争いに巻き込まれたくないという気持ちが上回った。
(う~ん、どうやって大旦那様は知ったのかしら?ヘクターも言ってないみたいだし、他の使用人が?でもレストランのことまで知ってたのよね。屋敷の人間がレストランのことまで把握しているはずはないし……う~ん?)
疑問に首を傾げたまま扉をくぐる直前、親子の怒鳴り声が屋敷に響き渡った。




