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幼馴染に土下座されたので朝チュンしました  作者: 蒼黒せい


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第16話-1

「奥様、お茶のお代わりはいかが…どうなさいました?」


 部屋に入室してきた侍女が、涙を流す私に慌てている。

 涙をぬぐい、笑顔を見せて何事も無かったようにふるまう。


「なんでもないわ、ちょっとゴミが入っただけ」

「…さようでございますか。お茶のお代わりはいかがでしょう?」

「そうね、お願いするわ」

「かしこまりました」


 カートの上でポットに茶葉が入れられ、次いでお湯が注がれる。

 しばらく蒸らした後、ポットから飲み干して空のカップに琥珀色の新しい紅茶が注がれる。

 香り豊かに湯気が立ち上り、その香りに沈んでいた心が少しだけ浮き上がる。

 カップを手に取り、ゆっくりと傾け口の中へと注ぐ。

 わずかな渋みと豊かな香りが口中を満たし、思わず息を吐いた。


「おいしい……」

「ありがとうございます」


 ゆっくりティータイムを楽しんでいると、扉をノックする音が聞こえた。


「ヘクターでございます」

「どうぞ」


 部屋に入ってきた執事のヘクターは、その手に赤・黄・白と色とりどりの花で形作られた花束を抱えていた。


「あら、その花束は?」

「こちらはセ……ごほん、デディという方から頂いたものでございます」

「えっ、デディ!?」


 驚いて思わず席を立つ。

 デディはディカータ家の侍女だ。

 その彼女がどうしてアミッテレ家に?

 しかも花束を持って?


「なんでも、ディカータ家の庭園では花が見頃になっているということで、そのおすそわけを是非奥様にも、とのことです」


 執事が歩み寄り、私にそっと花束を渡してくれる。

 花束からは様々な花の香りが溢れ、鼻孔を気持ちよく刺激してくれる。

 甘い香り、爽やかな香り、少し刺激のある香り、それらが喧嘩しないよう見事な調和で持って作られていた。


「いい香り……」

「はい、大変すばらしい花束かと存じます」


 花束の香りにうっとりしていると、ふとヘクターがいつにもまして柔和な笑顔を浮かべていることに気付く。

 それが、最近になってちょっと気になっていた。


(ここ1か月くらいかしら?だんだん笑顔でいる時が増えたような気がするのよね。夫が引きこもりなのが一番だと思うけど、なんだかそれだけじゃない気がするわ)


 思い切って聞いてみる。


「ねえ、最近あなた、ずいぶんご機嫌じゃない?何かあったのかしら?」

「…何かあったといえば、ありました。とても喜ばしいことが。いずれ、奥様にもお分かりいただけることかと思います」

「? そう」


 ヘクターの意意味深な発言に、つい首をかしげてしまった。

 この言い方だと、これ以上は聞いても答えてくれなさそうね。

 でも、ここまでこの屋敷のために苦楽を共にしてきた彼が喜べることだ。

 それだけでうれしいし、いずれ分かるというのなら、その時を楽しみに待つことにしましょう。




 ****



 ヨランダが花束を受け取り、その顔に柔和な笑みを浮かべている。

 それを見た執事のヘクターは、自分もまた穏やかな笑みへと変わっていくのを、止めることはしない。

 その笑みには、ただヨランダが喜んでくれたからという理由だけではない。

 彼女もうすぐ訪れるであろう祝福に喜ぶ、ヘクター自身の気持ちでもあった。


(奥様…いえ、もう奥様と呼ぶことすら私にはできなくなりますが、それでも、あなたのこれからの人生に多くの幸福をお祈りしましょう)


 花束から漂う、甘く心を癒す香りを堪能しているヨランダを見ながら、ヘクターは2か月ほど前のことを思いだしていた。



 それは唐突だった。

 ヨランダがレストランへと出掛けた後、ヘクターに会いたいという客人が訪れたのだ。


(私に客人?そんな予定は聞いておりませんが…)


 しかし、その客人の名前を聞き、ヘクターは慌てて向かった。

 応接室にはすでに客人が待たされており、ヘクターは慌てた様子を微塵も見せないよう、静かに部屋のドアを開ける。


「お待たせいたしました」

「いい。突然の来訪、こちらこそすまない」


 そう言って立ち上がったのは、白銀の髪を優雅に揺らし、エメラルドの瞳でヘクターを鋭く見据える美丈夫、セシル・ディカータだった。


(どうして彼がここに…?)


 ヘクターはセシルと握手を交わしながら、不思議に思っていた。

 セシルはヨランダの幼馴染だと聞いている。

 なので、ここ数か月ほどはヨランダが彼に会いに行くなどの行動が見られた。

 本来、未婚であるセシルの下へヨランダが赴くなど、不貞を疑われかねないが、ヨランダがここに嫁いでから一切そのようなことをしてこなかったこと、屋敷やレストランのことで悲痛に悩む彼女の顔が、セシルと会える時だけ笑顔になること。

 そういったことを加味して、あえて何も追及はしなかった。


 いや、そもそもそんな権利など無いと、ヘクター自身は思っていた。


(ろくに屋敷も奥様も省みない…そんな旦那様に嫁いだ奥様のことを、使用人でしかない私に一体何を言えるというのか…)


 しかし、ここ最近はヨランダはセシルのもとへと出掛けなくなった。

 それについて、ヘクターは何とも言えず、ただ職務に邁進するしかなかった。

 そんな折に訪れた彼だ。

 一体どんな目的で、しかもヨランダではなく、使用人である執事のヘクターに。


 気を引き締めたヘクターに、セシルは穏やかに話しかける。


「とりあえず座ってくれ」


 いくらヘクターがこの屋敷の執事だとしても、セシルは貴族だ。

 この場の発言権は彼にある。

 本来、貴族と使用人が同じ席に着くことなど到底許されることではなく、彼がヘクターに同じ席を進めたのは異例のことだ。

 ヘクターは驚き、首を横に振った。


「申し訳ございません、一介の使用人風情がセシル様と同席するのは…」


 だが、セシルは穏やかな笑みを浮かべたまま引かなかった。


「いいや、座ってくれ。あなたにはこれから、ぼくと共犯者になってもらう。遠慮は不要だ」


 ピクリと、ヘクターは眉を動かした。

 共犯者という穏やかではない言葉に、一体どういうことなのかと内心険しくなるが、それは表情に出さない。

 ヘクターは冷静さを維持しながら尋ねた。


「それは、どういうことでございましょう?」

「……ヨランダは、ずいぶんとこの屋敷では冷遇されているようだな?」

「っ!?」


 ヘクターへと鋭い視線を飛ばしながら、セシルはそう切り込んできた。


 ―――アミッテレ家に嫁いだヨランダは冷遇されている。


 これ自体は社交界ではすでに小さくなく噂されていることだ。

 流行のドレスを着てこず、古いドレスを手直しして現れる…などというのは、夫人たちの恰好の的。

 さらにその相手のエロールにも悪いうわさが流れているのだから、仕方のないことかもしれない。


 しかし、そのことをヨランダの幼馴染であるセシルが話題にするのであれば、一気に雲行きは変わる。

 まして、彼はヨランダのことをアミッテレ侯爵夫人と呼ばず、名前で直接呼んだ。

 それだけでも、彼にとってヨランダがどれほど大事な存在かをうかがわせる

 まして、夫人と呼ばないということは、彼女の結婚を認めないと同じこと。


(一体、彼は何の目的でここに来たのでしょうか…)


 ヘクターの背中を、冷汗が流れる。

 しかし、セシルはそんなヘクターの不安を見透かしたかのように、表情を和らげた。


「そう緊張しなくてもいい。ぼくは、この屋敷で働く者たちを害するつもりでここに来ていない」


 働く者たち。

 その表現で、ヘクターは瞬時に理解した。

 彼が、一体何の目的でここにきたのかを。

 そして、彼の穏やかな表情の裏に、どんな苛烈な感情が隠れているかを。

 そのことに、ヘクター自身は怖れと救いを見出していた。


(彼は…きっと、奥様を救いにきたのだ)


 ならば、ヘクターには彼の行動を妨げる理由はない。

 セシルが共犯者になってもらうと言ったのも、むしろ望んでそうしよう。


 ヘクターの表情が引き締められたのを見て、セシルは小さく頷いた。

 ヘクターが自身の目的を見抜いたことを察したのだ。

 その上で、セシルはもう一度彼に席に着くよう勧めた。


「さっ、座ってくれ。あなたとは、短い間だが大事な目的を共有する同士になるんだから」

「はっ」


 ヘクターは恭しく頭を下げると、セシルが座るのを見届けた後に彼の対面に座った。

 そしてヘクターは、セシルからヨランダを離縁させるための協力を頼まれる。

 それには、如何にヨランダが屋敷のために身を犠牲にして働いていること、当主たるエロールが全くもって貢献していないどころか、害にしかなっていないことを証明するため、使用人たちの証言をまとめてほしいというものだった。


「かしこまりました。直ちにまとめ、お送りいたします」

「頼んだ。ただし、あの男には感づかれないよう、秘密裡にな」

「もちろんでございます」


 ただ、ヘクターは無用な心配だろうなと思う。

 この屋敷で、エロールの味方などいないのだ。

 誰も彼もが彼に無意味に叱責され、そこに良い感情などあるわけがない。

 一方、嫁に来ただけのはずのヨランダが屋敷やそこで働く使用人たちのために、懸命に尽くしてくれていることを知っている。

 エロールを除いて、屋敷全体がヨランダの味方だ。


 ヨランダを離縁させるため。

 それを聞けば、使用人たちは複雑だろう。

 ヘクターもそうだ。

 こんなところではなく、もっと良いお屋敷で幸せになってほしいという気持ちと、彼女にこそ仕えたいという気持ちがせめぎ合っている。

 だが、現実の彼女の辛さを思えば、自分の感情は封印しなければならない。


(奥様はずっと大変な思いをされてきたのだ……なら、もうそこから解放されていいはずだ)


 寂しくはなるが、彼女を笑顔で見送ろう。

 そうヘクターは誓った。


 あとは、離縁した後のヨランダについてだが、ヘクターはその心配はいらないと感じている。

 その答えは、目の前にいる男が握っている。

 ヘクターとて、伊達に歳を重ねてきてはいない。

 男女のあれこれだって、自分自身も含めて経験してきた。

 そもそも、未婚でただの幼馴染であるはずのセシルが、わざわざ離縁させようと動いている時点で、彼に別の目的もあるのだろうということは、察しが付く。


(きっと…彼なら奥様を幸せにしてくださるだろう)


 やり方は強引だが、そのくらいでなければヨランダの窮状は覆せない。

 全く彼女を求めない自身の主人と、彼女を求め、合法すれすれの手段でもって動くセシル。

 どちらに託したいと思うかは、明白だ。


 ヘクターは目の前の、ヨランダを想って目元を緩ませる男に向かって、深々と頭を下げた。


「セシル様、奥様を……いいえ、ヨランダ様を、どうぞよろしくお願いいたします」

「ああ、任された」


 執事であるヘクターが、奥様呼びを訂正したことに、セシルは満足そうにうなずいた。


 それからヘクターはこっそりと使用人たちにエロールにされたことや彼によってもたらされた被害証言を集めた。

 よほど鬱憤が溜まっていたのだろう、証言は山のように集まり、それをエロールはおろか、ヨランダにもバレないようにまとめるのは骨が折れた。

 分厚い本並に集まったそれを、セシルの使いだという緑髪をポニーテールにした侍女に手渡した。


「ありがとうございます。これがあれば、先代アミッテレ侯爵も動くことでしょう」

「なにとぞ、よろしくお願いいたします」


 受け取った侍女に、ヘクターは深く頭を下げた。

 離縁となれば、個人の問題だけでなく家も動く。

 アミッテレ家は当主こそエロールだが、彼が離縁に応じるとは思えない。

 その父親に話を通して動かそうとするのは定石だろう。


 先代については、ヘクターも良く知っている。

 彼は息子のエロールと違い、人並みに人情にあふれている。

 きっと、義娘のヨランダの窮状を知れば、動いてくれるはずだ。

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