第10話
変装デートから1週間後。
私はレストランの事務所で頭を抱えていた。
「はぁ……どうしたって赤字だわ」
確認しているのはレストランの帳簿。
売上から人件費、原材料、土地の使用料、維持費、その他諸経費…諸々差し引いて残るのは赤字だけ。
そこに実家のリリバメン家からの援助を当てて、なんとか経営できている状態だ。
それだって、売り上げはだんだんと落ちているのに、他の経費が減らないから、そのうち援助を含めてもどうしようもない状況になってしまう。
特に支出の中で最も大きい金額を占めているもの。
そこに私はペンを握り締め、苛立ちを表すように該当箇所に突き立てた。
(特にこれ!なによこの『オーナー報酬』の金額は!)
どうしてオーナー報酬一人分が、他の人件費全て含めても足りないほど大きいのかが理解できない。
売上が無い以上、支出は削らないと経営はできないのだ。
それなのに、この無駄に大きいオーナー報酬が経営の足を引っ張っている。
(私なんてこの店の経営に関わっているのに、金貨一枚だって受け取ってないのよ。それでこの有様なんだから、本当にうんざりするわ)
もちろんこのオーナー報酬を受け取ってるのは、この店のオーナー…つまりエロール様だ。
過去、このオーナー報酬について苦言を呈したことがあった。
エロール様は私を馬鹿にするように笑いながら言い放った。
「オーナーの俺が正当な報酬をもらって、どこが悪い?」
取り付く島も無い。
私は唖然とするしかなかった。
(何を言っているの…?今の経営状況が何もわかっていないのかしら!?)
オーナーの承認無くして、オーナー報酬の減額は出来ない。
仕方なく毎月払うしかないけど、その額を見るにリリバメン家からの援助は、エロール様に払っているのと大して変わらない状態だ。
レストランを立て直すための援助なのに、それがただエロール様の懐に入っているだけなのがさらに腹立たしい。
そしてその金は、屋敷には回ってこない。
全てエロール様の遊ぶ金になっている。
アミッテレ家は侯爵位をもつが、その資産は決して多くない。
援助を求めたのがその答えだ。
領地をもつが肥沃と言い難く、先代夫妻が領地運営に専念して、やっとトントンといったところ。
本来、レストランは侯爵家の大事な収入源となっていたのに、足を引っ張っている状況を先代はどう捉えているのか。
潰れるのは時間の問題。
そう諦めるしかないほど、レストランの経営状況は最悪なことに私はため息をついた。
****
どうにもできないレストランでの事務処理を終え、私は屋敷への岐路についていた。
馬車で帰っても良かったけど、今はちょっと体を動かしたい気分だ。
一応、背後には侍女と護衛2人も付いている。
夫との仲が最悪でも、侯爵夫人なのだから。
(はっ…何が侯爵夫人かしら。何にもできないのに……)
その肩書がなんとも虚しい感じに思えてきて、つい自嘲する笑みが漏れる。
しかしそれではダメだと思い、顔を横に振る。
(いけないいけない。せっかく気分転換するために散歩してるのよ、今はエロール様のことは忘れましょう)
顔を上げ、街中を見渡す。
一人でゆっくり歩いていると、どうにも物寂しさを感じてしまった。
それがどうしてなんだろうと考えていたとき、視界に騎士2人に対し女性が頭を下げているのが見えた。
(あれは……もしかしてセシルかしら?)
あの日の光に煌めく銀髪を持つのはセシルしかいない。
女性はもう片方の騎士の肩にぺこぺこと頭を下げており、騎士は女性に向けて軽く手を振っている。
さらによく見れば、少し離れたところで衛兵に引きずられている男がいた。
おそらく、男が何かひったくり犯か何かで、騎士が取り押さえ、奪われたものを取り返したのだろう。
だから女性は頭を下げている。
そう思ったのだけれど、それにしてはやたらと勢いと回数が多い。
どうしてだろうと、ちょっと考えてみた。
(あれは…お礼に下げているというより、謝罪で下げているような…?)
ふとセシルの顔を見て、私は「そういうことね…」と納得したように顔に手を当て息を吐いた。
彼が、とんでもない仏頂面でにらみつけるように女性を見ていたからだ。
それが何なのか、私はよく知っている。
セシルの女性恐怖症発症中であった。
(相変わらず、全然進捗無いのね…)
なんとも残念な、それでいてどこかほっとしている自分がいる。
そんな自分からは目をそらして様子を眺めていると、どうやらもう一人の騎士はセシルが怒っているわけではないということを、必死で弁明しているらしかった。
あの光景には見覚えがある。
あの騎士の立ち位置に私もいたことがあるから。
まだ私が嫁ぐ前。
ディカータ伯爵家でセシルの8歳の誕生パーティーが開催されたときだ。
近い歳の子どもたちも集められ、彼ら彼女からセシルへと手渡しで誕生日プレゼントが送られたのだ。
事件が起きたのはその時。
突然ある少女が泣きだした。
それは、誕生日プレゼントを渡そうと少女がセシルに近づいたため、彼は恐ろしく顔をしかめてしまい、それを見た少女が怖がったからだ。
私はとっさに少女とセシルの間に割って入った。
「ほら、大丈夫よ。ちゃんとセシルは喜んでるから。ただ、ちょっと嬉しくて顔が怖くなっちゃっただけなのよ。ね、セシル?」
「………」
しかし、セシルは何も答えない。
女性が近くにいることで彼の頭の中は恐怖で埋め尽くされ、何も答えることはできないのだ。
仕方なく、少女を離れたところに連れていき、慰めてから両親の元へと戻した。
少女の両親にも事情を説明し、なんとか事なきを得たけど、そんなことは一度や二度ではなかった。
その度私が弁明に回り、彼を擁護していた。
私は過去の回想から、今に意識を戻した。
子どもの頃ならまだなんとかなる。
しかし大人になってもあれでは問題だ。
彼の女性恐怖症の問題は、婚姻だけに限らない。
日常のあちこちに、その影響があるのだ。
だからこそ、セシルがなんとかしたいと私に泣きついてきたのは当然のことだと思う。
これからもっと騎士として活躍していくのであれば、なおさらだ。
(必ずなんとかしてあげないとね)
私は気合を入れるように手に力を込めた。
ただ、その手段がアレなのは今は目をつむる。
先ほどの女性は、ようやくセシルたちから離れていった。
同僚の騎士は、今度はセシルにぺこぺこと頭を下げられていた。
騎士は後ろ頭をかき、気にするなと言わんばかりに手を振る。
やっと顔を上げたセシルだが、その表情はどんより雨雲のように落ち込んでいた。
そんな表情もセシルのような美形がするものだから、周囲からはセシルを見ていた女性陣からため息が漏れている。
今セシルはそれに気付いていないようだが、気付いたらもしかしたら卒倒するかもしれない。
女性に囲まれると、彼は本当に気絶してしまうのだ。
子どもの頃の話だけれど、多分今も変わっていないだろう。
(大変なようだけれど、ちゃんと騎士として働いているのね)
弟分がしっかり働いているのを見るのは、少し安心した。
同時に、ろくに働きもせず、報酬ばかりがめていく嫌な男の顔まで思いだしてしまい、つい顔をしかめてしまう。
(やだやだ、せっかくセシルの頑張りが見れたのに、余計なことを思いだしちゃったわ)
早く忘れよう。
私は早歩きで屋敷への道を急いだ。
****
「…という状況なのよ」
「そうか、それは大変だな」
それから3週間後。
私は再びセシルの下を訪れていた。
今は情事を終え、裸で抱き締め合っている状況だ。
最初は恥ずかしいと感じることもあった後戯も、慣れると気持ちよさしかない。
今は余韻が落ち着き、ついアミッテレ家の現状についてセシルに愚痴っていたところだ。
「屋敷では怒鳴るし、レストランでも怒鳴るし…おかげで使用人もスタッフも、今月に入って一人ずつやめたわ。…もう最悪」
「全部ヨランダがカバーしているのか、お疲れ様」
「いいえ…ありがとう」
セシルの労いが嬉しい。
夫はもちろんそんなことしてくれないし、お店や屋敷も私は労う側だ。
年下のはずなのに、セシルには甘えたくなってしまうときがある。
(これじゃダメのはずなのに…どうしたものかしら…)
3回目となる情事には、ほとんど罪悪感を持たなくなってきていた。
それはセシルとの触れ合いに心地よさが増してきていることと、夫への元々無かった愛情がさらに減って、それどころかマイナスに振り切り始めたからだろう。
自分でも、ふと考えてしまう。
(どうして私は、アミッテレ家にいるんだろう…)
あの家に自分がいることに、何の意味も感じない。
―――政略結婚。
それが答えと言えば答えだが、それだけではもう私自身が納得できない。
少なくとも、夫の代わりを務めるために嫁いだ覚えはない。
そして、そこでの愚痴をセシルに聞かせるためでもない。
「ごめんなさいね、セシル。愚痴なんか聞かせちゃって」
謝る私に、セシルは気にするなとばかりに首を振った。
「ぼくでいいなら、いつでも聞く。気にしなくていいからな」
「セシル……」
どうしてそんな風に言ってくれるんだろう。
ついボーっと見つめていると、不意にセシルの顔が近づき、そっと唇にキスをされる。
それに、内心複雑な思いだ。
(ずいぶんと慣れてきちゃって。これじゃあ女性を弄ぶようなタラシにならないか心配だわ)
慣れてきたのは結構だけれど、相変わらずそれは私限定。
他の女性には変わらず、声を掛けられるだけで停止する始末。
私だけに慣れて、肝心の他の女性に接することができない状況が続いている。
それを、呆れる私と、喜ぶ私がいる。
呆れる私はいいとして、問題はそれを喜んでいる私がいることだ。
その私が、たまに囁くことがある。
『夫と離縁して、セシルと結婚すればいい』
なんと魅力的な提案だろうか。
できるものなら、すぐに頷いていただろう。
でも、現実はそうもいかない。
まず離縁が難しい。
現状では援助を求め続けるアミッテレ家も、侯爵家とのつながりを求めるリリバメン家も、離縁に応じないだろう。
私個人の意思で離縁はできない。
それに、セシルは18歳で私は28歳。
しかも騎士団では将来有望として、注目されている。
そんな彼に、離縁して出戻った10歳も年上の女は似合わない。
彼にはもっと、ふさわしい家格の若い女性がいるはずだ。
だから、私が彼の隣にあってはならない。
そう、自分を強く戒める。
「ヨランダ……」
一糸まとわないセシルが、同じく素肌のままの私を強く抱き締める。
包まれる安心感に、私は「今だけだから…」と心の中でつぶやいた。




