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「七夕っていつも雨か曇りよね~」

 教室の窓を叩く雨を眺めながら、友人はそんなことを呟いた。

 窓際一番後ろの特等席で日誌を書いていたら、ひとつ前の席に後ろ向きに座ってきて、いまはぼんやりと頬杖をついている。

 つられるように、ペンキをひっくり返したような空を見上げた。


「そうだね」

「織姫と彦星は今年も会えずじまいかぁ。

 ていうか、1年に1回しか会えないのに、その日も毎年雨ってさすがに破局しない?」


 友人の言葉に、思わず彼女は吹き出してしまう。


「そんなこともないと思うけど」

「私は無理。毎晩お休みってチャットしないと寂しいし」


 机の上で、友人のスマホが鳴った。画面に彼氏とのツーショットが表示される。隣のクラスの男子だ。


「ホームルーム終わったって。じゃあ、また明日!」

「うん。バイバイ」


 友人が廊下に駆け出すと、彼氏も足早に寄って来た。

 去って行く二人の背中を見送ってから、もう一度空を見上げる。


「私たちには見えなくても、きっと雲の向こうで、こっそり会っているんだよ。

 誰にも見られないほうがいいじゃない」

 それに……。


 日誌を畳んだ千葉詩織は、もうひとつ、自分だけの説を持っていた。

 鞄から手帳を取り出し、暦を確認する。

「今年は、8月29日」

 また窓の外に視線をやると、傘でチャンバラをする男子たちが目に入った。


 最初は屋根のある渡り廊下の下で。そのうちヒートアップしたのか、一人が廊下から転げ出た。

 周りの男子は腹を抱えて笑うと、同じように雨の下に飛び出した。

 あれではびしょ濡れになってしまうけど……。


 ――楽しそうだなぁ。


 ひと際はしゃいでいるのは、同じクラスのムードメーカー。藤田輝彦だ。

 用事があれば話しかけるし、一緒になって盛り上がることもある。そんな距離感。

 雨の向こうの輝彦は、遠い存在だった。


 ◇


 夏休み明けまで…あと3日。今年は31日まで宿題を残さずに済んだ。

 だけど、それでも1カ月ぶんの溜まりにたまった宿題に、藤田輝彦はめまいを覚えた。

 今朝から母親に布団を剥がされ、鞄に10キロオーバーになるんじゃないかというヘビー級の教科書やドリルを詰め込み、使い慣れない図書館にやって来た。


 同じような宿題の詰め込み組か、受験生か、図書館の自習室は朝からほぼ満席。

 衝立で仕切られたスペースに山積みになった教科書や参考書。足元に散らばる消しカス。紙がめくられる音と、ペンがカリカリと走る音だけが聞こえてくる。


 男友達とカラオケやゲーセン巡りをして、適度なところでファミレスのドリンクバー片手に駄弁り尽くす。

 そんな怠惰な1カ月を過ごした輝彦にとって、この一種の“殺気”とも取れる張りつめた空気には、妙な緊張感を覚えてしまった。


 音を立てないように席を選んで荷物を取り出すが、教科書が衝立にぶつかって揺らしてしまい、隣から極小さな「チッ」という舌打ちが聞こえてきた……気がした。


 ――たしかにこれは、勉強すること以外許されない空気だ。


 輝彦は、くるくるとシャーペンを指の上で回すと、重ねた各教科の中から日本史の穴埋めドリルを机に広げることにした。これなら、教科書から書き写すだけで済む。


 昼頃になると、パラパラと人が出入りし始めた。

 腹ごしらえに行くのかもしれない。

 机に荷物を置きっぱなしの人もいるが、片づけて空席になったところは、あっという間に埋まってしまった。

 図書館がこんなふうに利用されるなんて、いままで知らなかった。


 輝彦はひとつ伸びをして、午前中の成果を振り返った。

 日本史の穴埋めは、三分の二くらいは進んだだろうか。

 家にいたら集中できなかっただろうから、図書館の威圧感は大きい。


 ――だけど……。


 チラリと積み上げた残りの教科を見て、ため息が漏れる。


 ――あと3日で終わる気がしない。


 母親から爆弾おにぎりを持たされているから、腹が減ったと帰宅もできない。

 勉強道具を置いたまま、財布とスマホと爆弾おにぎりだけを取って、外に出た。


 敷地内は飲食禁止だけど、隣に公園がある。奥はゆるやかな丘陵になっていて、その先に竹林があった。子どもの頃はしょっちゅう遊びに行ったけど、すっかりご無沙汰になっている場所だ。

 公園でサクっと食べて自習室に戻ることにした。


 ◇


 自習室の扉を開けると、何とはなしに人が入れ替わっている。

 気づかなかったけれど、壁には「30分以上離席した場合は、荷物はカウンターでお預かりします」という注意書きが貼られていた。

 輝彦は慌てて腕時計に目を落とす。20分くらいだから、ギリギリセーフだろう。


 取っておいた席には、無事に山積みの宿題が残っていた。


 ――30分超えればよかった。いっそ、処分してほしい……!


 心の中でそんなことを叫びつつ、回転椅子を引いて席に着いた。

 残りの日本史を片づけ、次はどうしようか…と逡巡しているときだった。


 シャキシャキ――


 近くから、この場に不似合いな音が聞こえてきた。

 気のせいだろうか。

 輝彦はもう一度耳を澄ます。


 シャキシャキ――


 やっぱり、紙をめくるでも、文字を書くでもない。ハサミで紙を切る音だ。


 輝彦は伸びをするふりをして、視線だけを左右に走らせる。

 音は、空いた隣の席の向こう、二つ隣の席からだった。

 何をやっているのかと、そっと首を伸ばす。

 そこには見覚えのある横顔があった。同じクラスの千葉詩織だ。


 派手に目立つわけではないけど、大人しいわけでもない。行事には積極的に参加しながら、周りを支えてくれる、そんなタイプ。

 黒髪がきれいで、男子の中でも密かに可愛いと人気の高い女子だ。


 そんな子が、こんなところで何をしているのだろうか。


 輝彦は腰をかがめながら、そっと近くに寄ってみた。

 囁き声で話しかける。

「千葉さん?」

「ひゃ!」

 吐息交じりの小さな叫び声だったが、ほんの一瞬室内がざわりとして、全員がすぐに各々の作業に戻っていった。

 本人自身がびっくりしたのか、両手で口を覆っている。


 その手を下ろすと、コソコソ声で「藤田くん、勉強?」と聞いてきた。

 周りの目が気になって、輝彦はしゃがみ込むとひとつ頷き、詩織の机の上を指差して首を傾げた。「それ、なに?」という心の声は伝わっただろうか。


 詩織がシャキシャキと切っていたのは、ずいぶん季節外れの代物だ。

 詩織は肩をすくめてはにかむと、腰を浮かして、小さな手で「来て」と手招きした。

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