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第八話 Weak Point Jackpot

 

「うちのクラスの出し物を発表します」

「よぉ! 待ってましたぁ!」

「うちのクラスの出し物は……こちらです!」


 教壇に立った志保はピンと爪先立ちで立ち、プルプルと手が震えながら黒板に文字を書いていく。十月も差し迫った今日、ようやくクラスで行う出し物が発表されるようである。

 静観を貫いていたわたしとて、発表直前となると幾許の高揚があった。

 確か肝試しはダメで、メイド喫茶がどうとかって話だったような。それで意見を紙に書いて提出した、とまでは記憶している。わたしはなんて書いたっけ。


「これです」

 白いチョークで黒板に刻まれた文字に目を疑った。世間に疎いことは自覚しているものの、見慣れない文字列に目が痛くなる。


「蒼月異性装総選挙カジノ?」


 誰かが小さな声で読み上げる。目にも耳にも入れてみたものの、そこに書かれた意味がわからなかった。わたしだけではなく、壇上に立っている志保を除いた全員が首を傾げている。


「平たく言えばカジノです。ですが金銭を受け取るのは御法度なのでやりません。参加者には三枚のチップを渡します。それを賭けてゲームをしてもらい、最終的な勝ち数に応じて投票権とトレードしてもらいます」

「投票ってなんの?」

「ただのカジノじゃ味気ないでしょう? メイド喫茶とか女装という意見もありましたから取り入れてみました。みんなにはメイドさん、もしくは執事のコスプレをしてもらいます」

「それ、女だけが不平等では?」

「えぇ、ですから……、これの出番!」

 志保は教卓の影から「愛媛みかん」と書かれた四角いダンボールを取り出した。中からしゃらしゃらと紙が擦り切れた音が聞こえる。随分と手際がいい志保にクラスの全員が面食らっていた。


「この中には『メイド』と『執事』が各二十枚ずつ、計四十枚、クラス全員分入ってます。これからみんなに引いてもらい、当日は書かれた役のコスプレを……」


「おいおい、ジョーダンやめろって。くじ引きで決めるって、そんなの男がメイドのコスプレをするみたいじゃないか」

「そのとーり!」

「……え」

「男がメイドを引こうが、女が執事を引こうが、その衣装を纏ってもらいます。で、学園祭の四日間でカジノを運営し、参加者にはかっこよかった執事と可愛かったメイドさんに投票してもらいます。そして最後には最も票数を得た執事とメイドさんが……キッスを」

「いやいや、正気か? 男の執事と女のメイドならやりがいがあるけどさぁ、完全ランダムじゃそれ……男同士になる可能性も……」

「そのとーり!」


 ルールの欠陥を指摘したはずの男子生徒がカウンターを喰らっていた。クラス中から悲鳴が飛び交う。男どもは絶望を交えた悲惨な声、対して女どもは喜びを交えた黄色い声。……え、なんで?


「でも、これでやる気を削がれても困るから……総票数で負けた陣営が居残りで後片付けしてもらおうかな。あ、前もって言っておくけど教室の後ろにコスプレした全員の写真を飾るから。事務所NGならバレないよう、入念に変装してね。別に金儲けじゃないし蒼月学園の学園祭だから多めに見てくれると思うけど」

「つまりっ! 合法的に男どもを可愛くしてもいいと? 両陣営、女の子より可愛くして、トップアイドルに仕立て上げていいとっ?

「よくわかんないけど……そうかな?」


 クラスで女史と呼ばれる東雲の興奮した声に志保が尻込みしていた。最初は不満の嵐だった男連中だったが、冷えた頭で考えれば逆の立場になれることを自覚したようで、ぐふふと不適な笑みを溢していた。どうやらターゲットの一人はこの惨劇を作り上げた結月志保のようである。


 まぁ、志保はほわほわしていて可愛いし? ちっこいくせに根が強くてリーダーシップもあるから割とモテてるみたいだし? 他の男に捕られるくらいなら女の子の方がマシだと思う。

 発表時はあんなに荒れていた教室が静まりかえる。全員が本能的に選別の刻を感じ取ったようである。


「潮時かな。それじゃあ出席番号順に引いていこう。交換は禁止ね。だから呼ばれたら一人ずつ来てもらって、この場で開けてもらうね」


 この世は残酷だ。メイドと執事、各二十枚ずつなんて言ってたが、うちのクラスの男子は二十三人、女子は十七人。限りなく不可能に近い確率で執事が全員男子だったとしても三人は犠牲になる。

 今からこの世でもっとも残酷な選別が始まる――


「最初は……雅くんだ」


 雅は眉ひとつ動かさず、ダンボールの中に手を突っ込んだ。最初の一人ということもあってか、箱の中を慎重に弄っている。時間をかけようが誰も急かそうとしなかった。


「面白い試みけどさ、最後のキッスはいらないんじゃないの?」

「なに言ってるのさ。一位になれば合法的にキッスできるんだよ。それこそ……気になってる相手にも」

「なっ……」

 ん、ガサゴソと動かしていた手が止まった。突然固まる雅に教室中が息を呑む。

 その背中を押すように、小さな声で志保が雅の耳元で何かを囁いた。何を言ったのか聞き取れなかったが、志保が離れると再び雅の手が動き出した。

 箱から取り出した手には折り畳まれた紙。それを志保に手渡すとにんまりと微笑んだ。


「雅くん……メイド陣営!」

「ななっ……」


 切り込み隊長のあっけない撃墜にクラス中が歓喜に満ちた。春夏冬雅が女装してメイドのコスプレをする。その事実に男子も女子も垣根を超えて喜んだ。あれだけ表情を表にしなかった雅とて、メイドはショックだったのだろう。


「はいはーい。時間もないからドンドンいくよー」

 その後は淡々と選別が行われた。喜劇と悲劇。その最先端を味わえるとは我ながら贅沢だ。

 最後になる頃にはクラスはわちゃわちゃとして誰がどうとか関心が薄れていた。最後のトリを務めるのが転入生、天塚凛だった。


 ……わざわざ席を立つのが面倒くさい。数えていれば箱の中に一票ずつ残っているのはわかっている。で、引いていないのはわたしと志保だけ。壇上にいる志保が引けば自動的にわたしの衣装も決まるのに。

 むぅと不服を表すも、なぜかクラス中の視線がこちらに集まった。なんで、どうしてそんなに期待の眼差しを向けてくるのだろう。仕方ないと観念して運命のくじを引きにいった。


「ちなみに凛ちゃんはどっちがいい?」

「メイドさん」

「え! 結構意外。てっきり男装の方が楽っていうかと」

「や、ネクタイ結ぶのが面倒。メイド服って上から被るだけでしょう」

 変なこと言ったつもりはないのに、なぜか志保が項垂れた。

「メイド服にもリボンはあるよ」

「えぇ、そうなんだ。ならどっちでもいいや」

 スカスカのダンボールに手を突っ込む、が、なかなかくじが見つからず、端っこまで手を伸ばしてなんとか一枚手に取った。

「凛ちゃんは……執事ね」


 ま、それでいいや。男装なんてしたことないけど、服を着ればそれなりの形になるはず。

 別に一位になろうとは思ってない。他の誰かが勝手に取ってくれて構わない。が、片付けだけは絶対に逃れないと。

「なら私はメイドさんで……じゃ、次はカジノの説明を――」

 が、無情にもチャイムが鳴り響く。こうして審判の刻は幕を閉じたのであった。


    ◇


「怒られちゃった」

「だろうね」

 

 放課後の部室にて、先ほどのホームルームを振り返る。クラスメイトの男子からも女子からもあれやこれと言われたらしく、てんてこ舞いで目を回していた彼女の手を引っ張って無理やり部室に連れてきた。わたしにも苦言の一言くらい言いたかったが、疲れ切っている志保には鞭より飴。

 志保がここまで頑張ってきたのは知っている。

 自分が設立した「お助け同好会」を休んで学園祭の委員会に出席して、きっと家に帰ってもクラスの意見と睨めっこしたり、陰で頑張っていたのだろう。

 頑張ったのに努力が報われないほど不幸はない。わたしだって……似たようなことを経験したから辛さはわかる。


「今日の依頼者っていたっけ?」

「ううん、いない。けどわたしが久しぶりだからさ、ここの部室の空気を味わおうと思って」

「ならさ、ここで志保のお疲れ様会をしようよ。わたしが学園中の購買を走り回っておいしーもの買ってくるからさ」

「……凛ちゃぁん」

「志保はよく頑張ったね、よしよし。わたしが見てるから」


 志保の瞳にうるうると温かな水滴が溜まり出す。あぁいけない。こんなことをするつもりはなくて……、そうと決めれば善は急げっ。邪魔者が来る前にババっと買ってこよう。

 場所は大丈夫。なんたってもう蒼月に来て二ヶ月になるのだから迷うわけがない。ジュースとお菓子とメロンパン、買ってこようっと。


    ◇


 それからしばらく購買からコンビニまで縦横無尽に駆け回った。メロンパンは売り切れだったがチョココロネが売ってた。女の子は甘いものがあれば無敵になれるんだ。蒼月の生徒とて例外ではないはず。

 こんもりと買って後は戻るだけ……戻、る……? ここどこ?

 辺りをうろうろ。まったく、旧校舎が勝手に移動するなんてありえない話だ。子どもじゃあるまいし道に迷うなんてそんな……、


「よぉ、づかちゃん。今帰り?」

「うひゃあ! き、菊田さん!」


 誰が伝播しているのかわからないけど、急に後ろから話しかけないでもらいたい。わたしはこう見えて結構ビビり――ではなく、驚きやさんなのだから。というか普通の人でも驚くに決まってる。わたしに限定した話でもない。だが今回は多少、目は瞑ってやろう。


「ふぅん、づかちゃん、方向音痴なんだ」

 別に道に迷ったとか生まれ持っての方向音痴とか説明していないのだが、クラスメイトの菊田飛鳥にはそう捉えられてしまった。弁明を試みるも「転校してきたばっかだし仕方ないか」と勝手に解釈されたので何も言わなかった。べ、別に都合のいい解釈で良かったとか安心してない。

 体操着姿の菊田は少々呼吸が乱れており、話しながら軽く身体を動かしていた。運動神経はそれなりで体育の授業では大エース。今年の体育祭の短距離走では運動部を振り払って一位になったとか。そんな彼女は現在卓球部に所属している。


「あの部活って旧校舎だっけ。ちょうどいいや、私が連れてってあげる」

「大丈夫ですよ。それに部活中ですよね」

「あー、大丈夫っしょ。今日のメニューは全部一人でこなすし。クラスメイトを助けるならうっさい先輩もなんも言わないって」

「でもやっぱり大丈夫です。わたしは見かけ通り、しっかりものですから」

「見かけ通りって自分に使わなくない? 余計なお節介なら手を貸さないけど……これからどっち歩くつもり?」


 どっちを歩く? そんなの道なりに歩くだけでは?

 ま、今は十字路だし、選択肢は四つある。けども自分が歩いてきた方向は違うから選択肢は三つ。

 三つ……三択……、多分こっち……かな。


「ぶっぶー、残念。旧校舎は今、づかちゃんが歩いてきた方向。私が教えなかったら別のところ行ってたね。これでも大丈夫って言い切れる?」

 うぐぅ。痛いところをつかれる。

 このまま自力でダンジョンを踏破したって構わないけれど……、今は一刻も早く帰りを待ち望んでいる人がいる。ここは惜しみながらプライドを捨てて助けを乞う方が得策なのかもしれない。

「……お願いします」

 報酬としてわたしの分のチョココロネを渡した。




「えっと、旧校舎ですよ? なんで部室棟に来る必要が?」

「ここの通路を抜けると近道なの。先輩でもあまり知らない秘密のルート。づかちゃんみたいな方向音痴は覚えておくといいよ」

 一言多いな、この子。だけどここはグッと我慢。導を見失えば困るのはわたし。ミイラ取りがミイラになるなんて笑い話にもならない。

 

 旧校舎と違って部室棟は華やかだった。あちらこちらから笑い声が聞こえるし、どこからか喇叭の音色も聞こえてくる。

 いいな、喇叭。わたしも久しぶりに吹きたくなってきた。小さい頃に一度だけ両親に強請って買ってもらったのだが、一度吹いただけでどこかで無くしてしまった。せっかく買ってもらったのにごめんなさいと謝った記憶がある。あれ以来だ。


「そーいえばどうしてあの部活……同好会に入ったの?」

「この学園で志保が最初に優しくしてくれたから」

「なら私が優しくしてたら卓球部に入ってた?」

「それと、利害関係もありました」

「ん? 将来、医者とかカウンセラーとか人を助けたいの?」

「そんなたいそうな野望ではありません。どちらかというとわたしの我儘。適当にぐうたらできて、気が向かなかったら休んで、のんびり学園生活を謳歌したいわたしにピッタリの場所だったから。部員を集めていた部長が偶然クラスメイトで優しくしてくれた志保だったから入部しただけですよ」

 クラスメイトの前とはいえ全てを晒すわけにはいかず。ただ嘘をつくのも気分が悪いので、七割ほどの本音を打ち明けた。

 

 感情の残滓を集める。ガラス玉にありったけの感情を詰め込んで、わたしはわたしの夢を叶える。それが天塚凛の指名。

 言葉は悪いがあの部活はわたしの夢の土台にすぎない。学園に来る前よりも量は集まっているけれど、効率はちょっと悪い。今までは道端に落ちていたり漁夫の利で拾っていたから僅かな量だった。けれどわたしの手間はなかった。今はその反対だ。


「そっか。志保も救われて良かったのかな。あの子、頼まれごとを吸い寄せては断れない性格だからさ、あのまま一人だったらいつかパンクしちゃうんじゃないかって心配してたんだ。心配して遊び誘っても忙しそうにしてたし」

「背はちっこいのに元気ですよね」

「お、けっこーズバッと言っちゃうのね。本人気にしてるのに」

「悪いことではありません。むしろ懐に入りそうな『ちんまりさ』が志保のいいところです」

「確かに。あの子見てるとつい、餌付けしたくなる。あー、でもさっきの教室でちょーし乗ってたからなぁ。お仕置きに甘くて美味しくてカロリーたっぷりのウィスキーボンボンでもあげちゃおうかな」

「え! どこで売ってます? 今すぐ買ってくるので店の名前を……」

「こらこら、そんなに目をギラつかさないで。そんなにチョコ好きなの? だったら今度買ってきてあげるから」

「わぁい、ウィスキー、大好きー」

「その言い方やめなよ。おっさんみたいに聞こえる」


 と、普段話さないクラスメイトとの交流を楽しんだ。部室棟一階の廊下をグネグネ曲がり、いろんな部室の前を通って見慣れない出口が見えてきた。

 が、立ち塞がる不届ものが現れた。


「天塚氏! とうとううちの部活に!」

 見覚えのある顔だった。こちらは覚えるつもりは毛頭なかったが覚えてしまった。

 卓上ゲーム部の子分その2。眼鏡をかけた同じような顔が1から4までいるのだから名前は覚えていない。特に数字に意味はない。初めて顔を合わせた順番だ。

 その割には子分その2は覚えやすくて助かる。1年2組で隣のクラスだからだ。

 面倒なやつに見つかり、ため息が漏れた。最近は待ち伏せもなくて大人しいと思ったのに……まーだ諦めていなかったのか。


「づかちゃんの知り合い?」

「ほっときましょう」

「おいおい。自分から部室に来ておいて無視するな」


 部室? 近くを見渡すとわたしのちょうど真後ろの教室に『卓上ゲーム部』と書かれた看板があった。彼の言う通りだった。敵地に踏み込んでいたのはわたしだった。

 廊下の賑わいを聞いて卓上部の部室から続々と似たような顔が出てきた。その中には敵の親分、卓上部の部長さんも……あれ? いない。いつもなら「天塚氏!」と真っ先に興奮して近寄ってくるのに。有象無象の中に親分がいないと味気なさを感じる。

 一瞬、部室に目を向ける。中にはテーブルを囲う四人……ん、部長さんもいるじゃないか。

 いつもならぐふふと不敵に笑っているのに、今は眉に皺を寄せて真剣な表情を浮かべている。


「部長さんは何を?」

「道場破りの相手」

「……道場?」「破り?」


 聞きなれない言葉に菊田と声を揃える。「道場破り」という単語は知っているけれど、普通に生きていればお目にかかる言葉ではない。

 部長の対面には子分その3。上家と下家は……誰だろう。見たことない。

 一抹の好奇心が芽生える。けど、今は待たせている子もいる菊田だって……


「面白そうじゃん。ちょっと見学しようよ」

 なぜか菊田の方がワクワクしている。というかあなた部活中では? 運動部ってポイポイとサボっていいのだろうか。他人ながらちょっと心配。怒られるのはわたしじゃないし……少しくらいいっか。


 子分その2に丁重にもてなされて中に入る。子分その3はすぐに気づいた。でも部長さんは眼前の牌に集中していて気づいていない。

 正方形に敷かれた橙色と白色の牌。四人の前には集めた手牌をずらりと並べ、中央には数字やら漢字やらが書かれた牌が捨てられている。

 麻雀――発祥の地である中国を始めとして世界中で親しまれている卓上遊戯の一種。


「麻雀部の部長と副部長が勝負を挑んできたんです」

「どっちが勝ってるの?」

「……現在、一位二位が麻雀部。うちが負けてます」


 ほぉ、それは珍しい。ここの部長さんはゲームの腕に長けているのに。

 麻雀部の二人は卓上遊戯と違って鼻筋もスッキリしていて凛々しさがある。知的な風貌にも自信が垣間見えた。

 ちょろっと麻雀部の手牌を覗こうとしたが、チッと小さく舌打ち。

 なんだコイツら、性格悪いな。敵地だからイカサマを警戒するのは理解できる。が、少々マナーがなってないのでは。

 

「はっ、卓上部もこの程度とは」

「まだ勝負はついてませんよ」

「いや、この『東』で部長が……」

「さすがうちの優秀な副部長。ロン」


 どうやら勝負は決したようだ。麻雀の副部長が部長に差し込んで終わったようである。

 遊戯は運で左右されることもある。今回は麻雀部に軍配が上がったようだ。がっくしと項垂れる卓上部の二人をよそに、麻雀部はゴミを見るような目で見下していた。

「……あぁ、天塚氏か。情けないところを見られたね」

 道場破りとは名ばかりで部活の交流会……というわけではなさそう。いつも元気にうるさく勧誘してくる部長さんの面影はなかった。

 卓上部の敗北が決まって部室に重苦しい空気が包まれる。ただならぬ様子を見かねて子分2に訊いてみた。


「学園祭で忙しいから、うちの部員を何人か貸してくれと」

 その説明に麻雀部が補足する。

「麻雀部主催の大会があってね。猫の手も借りたいくらい忙しいんだ。だからこの部活から五人、他の文化部からも何人か借りるつもりでね」

 聞く限り悪い話ではなさそうだ。むしろ協力してあげたっていいじゃないかと思ってしまう。もちろん借りた恩義はきちんと返すとして。

「でも卓上部でも連日身内でキャンペーンをする予定でして。学園祭の時くらいしか長い時間できませんから」

 キャンペーンとはテーブルトークRPGにおける連続した長いシナリオ。まる一日で一話として四日間で四話。かなり歯応えのある内容だ。学生とはいえ休日集まるのも、場所や時間を考慮すればハードルが高い。手伝いを出し渋る卓上部にも同情してしまう。

 でも勝負で決まったことは履行しないと。後から手のひらを返すなんて男らしくない。


「きみんとこは結構いるよね。やっぱ全員借りようかな」

「なっ……、それは」

「弱者同士の馴れ合いなんて見苦しい。この世は弱肉強食、強者に従うのがルールだ」

 部長さんを顎でしゃくる麻雀部の部長。その口調と感情に裏表はなかった。

 ルールを守ることは同感。この世は弱肉強食なのも少し同感。でも……後からコロコロと意見を変える自分勝手なやつだけは絶対に許せない。


 むかしっからそうだ。我儘なやつって他人に頼み事をしてはすぐ忘れて。頼まれた方はすごく苦労したのに「やっぱいい」とか飽きられる始末。


「……それはどうでしょうか」


 思い出したら腹が立ってきた。自分には関係ないのだから傍観していればいいのに、感情に任せてつい口を出してしまった。


「部外者は口を出さないでもらいたいな」

 正論を返される。わたしの苛立ちと麻雀部はまったく関係ない。こんな人間に八つ当たりしたって意味はないのに、人間の感情というものは時として正義を名乗れるのだから恐ろしい。

「だったら勝負前の約束を遵守してください。遊戯は白黒つけるものであって勝者は特権階級

にはなれません」

「……聞こえてなかった? 部外者は口を出さないでもらおうか。雑魚の分際で」


 ――カっチーン。あったまきた。


 雑魚? わたしのこと雑魚って言った? この世で一番言われたくないことをコイツ言ったな?

 別に自分を強者だなんて自画自賛するつもりもないけれど、この愚かな人間にお灸を据えなきゃ気が済まない。


 部室がほんのりとざわつく。

「づ、づかちゃん?」

 異変を感じ取ったのだろう。後ろにいた菊田が困惑した声をあげた。勝手にわたしを部員とみなしているからか、それとも逆境に現れた天使と思ったのか、はたまた散々痛い目を遭わされた卓上部の部員はわたしを宥める。初対面の麻雀部は知る由もなく呑気に他人を見下している。

「……雑魚って言いました? いいでしょう、証明してやりましょう。あなたたちの土俵で勝負してやろうじゃないか」

 麻雀部の副部長が鼻で笑う。

「ルールは知ってて? 今から覚えようとしても無駄だけど」

「えぇ、もちろん。わたしが勝ったら当初の要求どおり、人質は五人だけにしてもらいましょう」

「天塚氏、そこはナシにしようよ」

「うっさい、そもそも勝てばよかった話です」

「うっ……」

「あと、わたしが勝ったら金輪際、勧誘はやめてください。大きな貸しになりますから」

「おいおい、そんなの僕たちが飲むわけがない。こちらにリターンがないんだから」

「……雑魚に負けるのが怖くて?」

「あ?」

「そっちが勝ったら学園祭、まるまる四日手伝いましょう。ついでに春夏冬雅のおまけ付きで」

 春夏冬雅の名前が飛び出すとギョッとした顔になった。女なら兎に角、男相手にアレの名前が通用するとは思ってもいなかった。ただの人質として名前を出しただけなのに。ところが向こうは難色を示している。

「本当に春夏冬くんが来てくれるなら……ま、まり……」

 急に部長が吃り出す。え、なんて言ってるか聞き取れない。

「龍閃さんも来てくれるのか、と訊きたいそうです」

 横から副部長のナイスアシストが入る。うーん、雅がおまけ付きって言ったらホイホイ来てくれそうだけど仕事との兼ね合いもあるだろうしなぁ。

 ま、わたしが負ければ、の話だけど。


「ちょいちょい、づかちゃん、落ち着きなって。ピッキーンときてんのはわかるけど、変な約束しない方が……、それに雅くんだって」

「いや、もう遅い。そっちから売ってきた喧嘩だからな。あとで謝ってきても許さない」

 菊田が止めたところで止まる気はなかった。

「部長さん、ここに全自動卓ありましたよね。使っても?」

「え? アレ、うるさいから隣から使うなって釘刺されてて」

「全員の自由がなくなってもそれが言えて?」

 むぐぅと声を失う部長さん。菊田は「それ、もう強迫だよね」と聞こえたが、なんのことだかさっぱり。

 手積みではなく全自動卓を指定するのにも理由がある。最初に言っておくがジャラジャラするのが面倒だからではない。トランプとかサイコロとか、本当は麻雀牌を見るのも嫌なのだ。


 古くのトラウマというかなんというか、アナログゲームのコマを見るだけでも腕にボツボツが出るし身体中が痒くなる。トランプをシャッフルするにも手が震える。牌さえきっと持てない。それが一つ目の理由。

 二つ目は……勝ったあとでイカサマを指摘されたくないからだ。


 卓上部の子分たちが部屋の隅に追いやっていた全自動卓の用意をしている間に、ルールを決めることに。こちらが有利だからとわたしが決めていいことになった。

 ルールは卓上部の時と同じく半荘戦。向こうは二人でこっちの相方は子分2。その他諸々と確認して了承した。ただ一つ、向こうに決めてもらったのは席順だった。

 僕はここ、お前はそっちと割り振りをしてもらい、最初の親をサイコロで決めた。


 ――ガラス玉に願いを込める。この一瞬だけはわたしに――最初の親はわたしだ。


「さぁ、始めよう」

 中央のボタンを押せばサイコロボックスの中の二つのサイコロが勝手に回り出し、自動的に山が置かれて牌が手元に現れる。

 だけどここにきて手が震え出す。ここまで感情任せに突き進んできたわたしだが、苦手なものは苦手なままで、何年経とうが精神は治らず。

 オーディエンスが息を飲む。卓上部にはわたしの症状を教えている。知らないのは菊田と麻雀部の二人。弱みにつけ込まれると不利になるのを覚悟していたが、どうやら麻雀部は手の震えを初心者の不慣れと解釈してくれたようで、「長考するなら『ガラスの仮面』でも持ってくればよかったなぁ」と余裕の表情だった。


 ――どうか、今だけは動いてくれ。


 小刻みに震える手でなんとかボタンを押せた。よかった、これならもう――


「麻雀ってよくわからないんですけど、大人が徹夜してるイメージがあって。時間かかるんですか」

「全自動だからある程度短縮できるけど、普通は三十分はかかるかな」

「へぇ、づかちゃんってこういう遊びやらないように見えたけど、詳しいんだ。わっ、すごいね。緑で染まってる」

 後ろでわたしの手牌を見ていた菊田が声に出していた。部長さんが「しっ」と反応すると、さすがの菊田も失言に気づいたようだ。いけない、と両手を口に当てていた。


「興が醒めるからやめてもらいたいな。僕は麻雀ではフェアでありたいんだ。敵とはいえそうやすやすと情報をもらっても嬉しくない」

「あんなことする割には騎士道精神がおありなようで」

「無駄口叩かないで早く打ってくれ。僕は長考されるのが嫌いなんだ」

「長考しなくてもいいですよ。終わりですから」

 咄嗟に副部長が「降参ですか」と的外れの指摘をしてくる。震える手で自分の手牌をオープンした。

 緑ばかり、配牌した時点で和了した。その意味は麻雀部ならすぐわかるだろう。




「ごめんね、待たせちゃって。早く旧校舎に行こう」

「え? 終わったの? 誰が勝ったの?」

「わたしわたし」

 色々買い込んだ袋を持っててもらったので、すぐに自分の手に持ち替えた。勝負が終われば手の震えも止まっていた。

 菊田は不思議がるも、離席したわたしにここにいる全員が何も言わないことから「勝負がついた」と認識したようである。これで約束は履行される。わたしの面倒ごとも一つ消えた。今となっては楽に呼吸できた。


「部活……大丈夫です?」


「ん、まぁだいじょーぶ。あの麻雀部ってのも鼻につくやつらだったし、づかちゃんが成敗してくれてスッキリした。いいもの見れたよ。役得役得」

 と、部室棟を出た先にはすぐ旧校舎があった。こんなに近かったら部室で別れてもよかったな。


「ありがとうございます。助かりました」

「いいってことよ。今日はづかちゃんのいいところも苦手なところも見れて楽しかった。また遊ぼうね」

「わたしは方向音痴じゃありませんよ」

 菊田の優しそうな目をジッと見て答える。が、虚栄も虚しく、二人同時に笑ってしまった。


「なんかづかちゃんって、言葉悪いけど最初は人間を寄せ付けない空気があったんだけどさ、シノセンの時といい、いいキャラしてるね」

「そう、かな?」

「じゃ、わたしもそろそろ戻らないと。またねっ、づかちゃん。また明日!」

「さようなら、また明日、学校で」

 菊田は早歩きから徐々にスピードを上げて、あっという間にどこかに消えてしまった。

 クラスメイトと話せてちょっと、楽しかった。この学園ではこんなの日常なのかな。最初に立ち返る気分になってワクワクした。


「お待たせー、志保。時間かかってごめんね。これ、おいしーチョココロネ……って、寝てる」

 部室に入ると寝息を立てて机に突っ伏してスゥスゥと寝ている志保。お疲れなのも無理はないか。

「志保、お疲れ。みんなのためにありがとうね」

 わたしの時とは違って、志保にはちゃんと苦労を評価する人間がいる。その労いとして、彼女の頬に一瞬だけ温かなもので触れた。


 そして志保が起きるまで、静かに一人で志保のお疲れ様会を開いたのであった。

  

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