第七話 春夏冬雅の謎めいた一夜 後編
それからしばらく社長と一緒に行動して、関係者各位に挨拶をした。
春夏冬雅の名前を売れ、なんて言ってたけど、よく考えればみーんな知ってるじゃないか。それに眼鏡をつけていたら誰もこちらを春夏冬雅だと認識してくれない。それが社長にとっては愉快だったのだろう。こちらが外そうとすれば止めてきた。なので仕方なく、社長が勝手に名付けた「秋入」という名前を使う羽目に。
初めて味わう大人の世界に少し気疲れして、一度会場を出て大きく息を吸った。
昔は一日も早く大人として数えられたかった。たくさんドラマに出てテレビ番組で話せば大人になれると勝手に思っていた。
でも、ガキはガキだ。大人びた見た目の鞠沙とてお子様。ちゃんと学校を卒業して成人にならなければ大人にはなれない。とて、成人になった途端、手のひらを返して急に大人扱いされる。
いつだったか俺にも業界の先輩がいた。しっかりもので真面目で、現場のガキどもをまとめあげて賑やかな空間を作っていた。彼のおかげで現場の雰囲気は緩やか。撮影はいつもすんなり進んだ覚えがある。まだまだひよっこだった自分には高みの存在だった。
だけど先輩は一足先に「子役」を卒業し、「俳優」としての道を進んだ。現場で顔を合わせる機会も次第に減り、憧れだった先輩と同じ年齢になった頃、嫌な知らせを聞いてしまった。
先輩が捕まった。それも同じ学校の一つ下の女の子を暴行したとかで。
最初に聞いた時はにわかに信じられなかった。が、彼の直近の話を聞く限り、当然だろうと思い気持ちの方が優ってしまった。どれも伝聞で確かな証拠はないが、少なくとも俺が知る先輩ではなくなっていた。
なぜ馬鹿なことをしたんだろう。どうして変わってしまったのだろう。そんな疑問がずっと心に残っていた。
それから数年経って、再び先輩の年齢に近づくにつれて、変わってしまった原因がなんとなくわかってしまった。
俺は早く大人になりたかった。先輩は子どものままでいたかった。それだけの差。
俺の場合、早く大人になりたかったから自分を子どもとして見なさなくなった。早く大人になりたくて身近にいた大人を真似した。真似した相手がただ誠実で立派な大人だっただけの話。
先輩は逆だった。まだ子どもでいたくて、自身を子どもとして振る舞った。しかし周りにいたのが悪知恵を蓄えた大人ばかりで、先輩は子どもとして素直に大人の言うことを聞いてしまった。だんだんと先輩の常識を悪に染めてしまった。それだけの話。
今や自分と先輩とでは住む世界が違う。昔は同じ景色を見ていたはずなのに。
「なに一人で黄昏ているのさ。そろそろ始まるよ」
振り向けば鞠沙とその隣に……マネージャーの言問さんが立っていた。
「こんにちは、渚くん——で、本当にあってるの?」
「え、逆に何に見えるの? どこからどう見てもあたしの旦那じゃない」
「旦那じゃないぞ」
「それより早く中に入ろう。ティアラのお披露目が始まるって」
上機嫌でパタパタと会場に向かう鞠沙。俺は別に興味はないのだけれど、仕方ない。付き合ってやろう。
「雅くん」
鞠沙に気づかれないように小さな声で言問さんが話しかけてきた。
「お願いがあります。終わるまで鞠沙のそばにいてくれませんか」
「はぁ、構いませんが。何か訳ありで?」
「すいません。本当ならもっと早く説明したかったのですが……時間がありません。今はただ鞠沙のそばに」
うん? どういうことだろう。言問さんが俺に頼み事をするなんて珍しい。というか記憶を遡る限り初めてかもしれない。
只事ではないことが起きているのはすぐわかった。それを鞠沙に知られるのもダメなのもわかる。まぁいいか。後で話してくれるみたいだし、今は目をキラキラと輝かせた女の子を守ろう。殺人事件とか物騒な事件が起きるわけないから、隣にいるだけでいっか。
◇
会場に戻るとすぐに周囲が暗闇に包まれ、正面の舞台に照明が当たった。女性の司会者が進行を始めると拍手が湧き起こった。
挨拶やらお偉いさんの話やら、鞠沙もあそこに立つ予定だったらしいが、多忙を盾に断ったそうだ。退屈そうにあくびを噛み殺す主役の隣で、俺はキョロキョロと周囲を警戒した。
何が起こるかわからないなら、少しでも前触れを察知しないといけない。正面の舞台、背後の扉、ドリンクが置かれたテーブル……、あれ?
「どうした?」
「な、お前、飲み物いらないか?」
「あら、気がきくね。お願いしようかな」
言問さんに頼まれたものの、気になるものを見てしまったので一瞬離れることに。目立たないように忍び足でこっそり、ドリンクが置かれたテーブルに近づいた。
周囲は暗いので見間違いの可能性も十分にありえた。むしろ見間違いであってほしかった。近づけば近づくほど、顔の輪郭がハッキリすればするほど、疑心が確信になった。
「なんでお前がここに」
テーブルの近くで空いたワイングラスを片付けていた女性のスタッフ。その顔にはすごく見覚えがあった。
クラスメイトの天塚凛だ。制服姿を見慣れているからか、スーツ姿だと別人のように見えてしまった。だが俺の目は誤魔化せない。しかし彼女は「なにか御用ですか」と、まるで赤の他人のような態度をとった。
その口調の裏には「見ればわかるだろう」「話しかけるな」と言わんばかりの拒絶があった。
あぁ、もしかして……アルバイト?
蒼月学園では労働は認められている。単発のバイトだって学校の許可なしに働ける。
こういうパーティーだと一日限りのアルバイトなんてざらにあるという。偶然とはいえ、冷静に考えれば天塚がいるのはあり得なくもない話だった。
「……悪い、なんでもない」
天塚はぺこりと会釈して、そそくさと会場の外に出た。仕事中に邪魔してしまっただろうか。明日にでも会ったら謝ろうかな。
ドリンクを手にして鞠沙のところに戻った。幸いにも天塚がいたことに気づいていないようである。
* * *
長ったらしい話が続くもようやくメインになったようだ。「お待たせしました」と声のトーンが切り替わり、正面の舞台が賑やかになった。
「ティアラは古代ギリシアで誕生したといわれています。お姫様の象徴と思われがちですが、実は世界的に広まったのは近代で、ナポレオン一世が皇后ジョゼフィーヌに送ったことを機に最盛期を迎えます。中世の時代では宝石の方が価値があった、というのが通説でした。しかし、その通説を覆す……かもしれないのが、この『群青のティアラ』です」
と、そんな時だった。舞台袖から純白のドレスを纏った女性が現れた。顔はヴェールに覆われて遠くからでは伺えない。でも身体がほっそりしていて色白で綺麗な人だった。その女性の頭上にきらきらと青く輝くティアラがあった。
金銀財宝、この世の最上を目にしてきた選りすぐりの大人たちでも圧倒的な存在感を放つティアラに感嘆の声を漏らしていた。鞠沙は言わずもがな、興味のなかった俺でさえポカンと口を開けてしまった。
「すごいですよね。先ほど私も見せてもらったのですが、声を失ってしまいました。サファイアで装飾されたこのティアラですが発見されたのがほんの十年ほど前だそうで、表に出るのは今日が初めてだとか」
解説をされるもあんまり耳に入ってこなかった。見惚れてしまったのも事実だけど、隣にいるお姫様(役)の春夏冬雅の嫁(自称)がキャアキャアと興奮してしまって聞き取れなかったのだ。
「すっごいすごい。あれ、あたしがつけるんだ」
「静かにしろって」
しぃーと注意するも傍若無人のお姫様が言うことを聞くわけもなく。後で俺が怒られるんだろうな。
周りの視線がキツくなってきた最中、会場が再び真っ暗になった。なにかの演出かと思えば会場がザワザワと慌ただしくなった。しばらくお待ちくださいとアナウンスが聞こえるも復旧する気配もなく、周囲でまばらにスマホのライトが点灯し始めた。
「停電かな」
鞠沙が気弱な声を漏らす。そういえば小さい頃から暗い場所が苦手だっけ。
「俺から離れるなよ」
「まっさかぁ。あたしが雅から離れると思って?」
心配した自分がバカだった。
でもこんな大きなホテルで停電とは不穏だ。なにか起きたとしても備えはありそうなのに。
偉い人がわんさか集まるパーティー会場、世にも珍しい青色のティアラ、突然の停電。加えて言問さんの頼み事。これじゃあまるでサスペンスドラマの前振りみたい……
ガンっ
不穏な音が聞こえた。なにかとなにかがぶつかる嫌な音。それは舞台の方から聞こえた。
即座に誰かの悲鳴が聞こえた。会場に動揺が走った。誰かが舞台にライトを向けるも異変は休むことを知らなかった。
次の瞬間、バンバンバンと会場の至るところでなにかが破裂した。その直後、会場がモヤモヤとした白い煙に包まれた。
会場がさらに混乱した。俺にはなにが起きたかわからず、ただただ鞠沙になにか起きたら大変だと思って無我夢中で手繰り寄せた。「大丈夫か」「なんとか」
とはいえなにが起きたのかわからない。どうしたらいいかわからず、周囲をキョロキョロしていると後ろからパタンと物音が聞こえた。
そうだ、俺はなにやってるんだ。今やるのは「何が起きたか知ること」じゃなく「身の安全の確保」じゃないか。
煙幕に包まれて視界が不安定の中、物音が聞こえた方向にゆっくり鞠沙の手を引き、扉の取手と思しきものを掴んで思いっきり押した。
バッと開けた世界は日常だった。
会場の外は異常なく明かりがついていた。ただ周囲には人の影すらもなく、異様な光景に見えてしまったのは自分だけだろうか。
「な、なにがあったの?」
「わかんないけど、早く下に降りよう」
扉が開いたことをキッカケに、一筋の光に向かって人がゾロゾロと歩いてくる。このままではもみくちゃになる。早くエレベーターで一階に……いや、それより外の誰かに異常を知らせるのが優先か。エレベーターを待つよりか階段で下に降りた方が早い。
「階段で下に降りよう」
非常用階段はすぐ近くにあった。大声を出して会場から出てくる人に非常用階段があることを伝え、鞠沙の手を引いて防火扉を開けた。
「……今、上から物音しなかったか」
「怖いこと言わないで」
いや、確かに聞こえた。頭上から……今も僅かに響いている。俺たち以外の誰かがこの上を登っている。廃墟ではあるまいし不自然ではないけれど、この時ばかりは頭上から聞こえた足音が耳に残ってしまった。
「……お前は危険だから、下に降りてスタッフか誰かに伝えろ」
「み、雅は?」
「……上、行ってみる」
後ろから「馬鹿なことしないで」と叫ばれるも、俺の足はもう上に進んでいた。
こちらの勘は正しかったようだ。俺が登ってくるとみると足音が妙に静かになった。つまり相手自身も注意している、もしくは聞かれたくないと思っている。この状況においてそんなやつ、一人しかいない。あの騒ぎを作り上げた張本人だ。
そんなやつ俺がとっ捕まえて……それで……あぁ……、どこまで登ればいいのだろう。元気盛りの男子高校生とて、途方もない階段を登らされれば息も切れる。
乱れる呼吸を一休み。はぁ、と足元に目を向けるとそこに……なんでスーツジャケット?
不審に思いながらも一つ、上に登る。だが今度は……ネクタイ? なんで?
さらにもう一つ上に登った踊り場にはなんと……スーツのズボン? よく見てみればサイズも小さいしこれってレディーズか?
なんて混乱していると再び頭上からバタンと扉が閉まる音が聞こえた。あの騒ぎを起こした人間の考えることだ。このスーツもなにかの意図がある。音を鳴らしたのも理由がある——おそらく俺を誘ってきている。
大きく息を吸った。重い足を懸命に動かし、一歩一歩段差に踏み込んだ。どうやらいつの間にか最上階まで登っていたらしく、次に進む階段はなかった。
扉の先はヘリが停まれる広さの屋上だった。不思議なことに誰もいなかった。ただそのど真ん中には月明かりに照らされて輝く『群青のティアラ』と、なにかが書かれた名刺のようなものが添えられていた。
『勇気あるきみに』
なぜここにティアラがあるのかもわからない。少なくとも「ここにあっていいもの」ではない。触っていいものなのかもわからず立ち尽くすも、突風で身体が煽られる。同時にティアラも煽られ「ガタン」と嫌な音が響く。
これが本物かどうかわからないが、今はとにかくあれを保護しないと。触ってみると見かけによらず重量がある。そっと両手で手に取るも、またも強風に煽られる。
身を挺したためティアラは無事。だけど添えられていた名刺のような紙はひらひらと、蒼月の摩天楼に吸い込まれてしまった。
一瞬——、一瞬だけ見えた。『勇気あるきみに』と書かれたその裏に、筆記体のアルファベットで『Riddle』と。
さながら映画のような光景だった。観客を置き去りにする怒涛の展開。これでもかといわんばかりに撒かれた謎。果たして今後、これらの謎が解き明かされる日は来るのだろうか。
ふわふわとした高揚感から現実に引き戻してくれたのは、けたたましいサイレンを掻き鳴らすパトカーの群れだった。
◇
「ふわぁああぁ、ねみぃ」
その後駆けつけた警察によって参加者全員が事情聴取を受けた。逃げる際に足をつまづいた人が何人かいたらしいが、重症者はなかった。
警察によると何者かがあのパーティー会場だけを停電するように仕掛け、煙幕を投げた。その隙に白いドレスを着た女性からティアラを奪い逃走したそうだ。だが犯人はまだ特定できず、捕まってない。
最初に聞こえた「ガンっ」という音は司会者がマイクスタンドを倒してしまっただけ。犯人は暗闇に生じて奪っただけだそうだ。
「あくび……しないでよぉ。わたしだって……我慢……ふわぁ」
鞠沙も社長も言問マネージャーも事情聴取を受けた。三人は日付が変わった頃には解放されたそうだが、俺は違った。犯人と思しき人間を追いかけ、奪われた『群青のティアラ』を発見した重要参考人としてみっちり取り調べを受けた。階段に残された衣服は学園内では売られていないもので、指紋や持ち主の痕跡は発見できなかった。嘘をつく理由なく、警察に聞かれたことは素直に供述したのだが解放されたのは朝の四時。鞠沙たちは帰っていたが社長は残ってくれた。
精神的、肉体的にへとへとでろくに口も動かなかった。社長の車で家まで送ってもらって帰宅は五時近く。いっそこのまま学校を休もうとも思ったが……確認したいことがあった。
いつも通りを装って登校した。どうやら昨夜の事件はニュースになったようで、クラスメイトの大多数が知っていた。
昼休みでも昨夜の騒ぎで盛り上がる中、昨夜のことから耳から遠ざけたい俺は静かな場所を求めてパンを片手に校舎中を彷徨った。昨日の筋肉痛が残る中、フラフラと階段を登り屋上に辿り着いた。
案の定、そこにはお目当てとなる灰色の長髪を靡かせた少女がメロンパンを齧っていた。天塚は俺の方を一瞥もくれず、隣においていた購買部の袋をそっとどけて座る場所を提供してくれた。
互いに昨日の疲れもあった。口を開くのもへとへとで、空けてくれたところに腰を下ろした。
無言のままメロンパンを齧る天塚。いつもなら「邪魔」だの「なんのようだ」と掛け合いをするくせ、今日に限っては無抵抗。しかし天塚の珍しい反応を堪能する余裕もなく、俺も無言で自分が買ったパンを齧った。そんな時不意にあくびが漏れてしまい、天塚が気怠そうに叱ってきた。
下手な問答は疲れるだけ。今日のところは大人しく引き下がった。
俺も馬鹿だ。非現実的が押し寄せたせいで邪な感情を導いたようだ。
風でどこかに飛ばされてしまったものの、名刺の裏に書かれた署名から「リドル」という怪盗の仕業とわかった。その名前は警察も認知していた。
というのも、昨日の午前の時点でリドルから予告状と思われる手紙がホテルに届いていたそうだ。これは一部の関係者しか知らされず、主催側は幼稚な悪戯と判断して対策しなかったそうだ。言問さんも知っていた一人。しかし余計な心配は与えまいと鞠沙には黙っていたようだ。一応は秘匿とされていたものの、鞠沙を守るために俺には話そうとしたそうだ。
「リドル」は怪盗を名乗る泥棒で、夏頃から蒼月を中心に出没するようになった。今のところ警察も手を焼いており、躍起になって捜査しているそうだ。だから予告状が届いたのに警察に届けなかったとして、パーティーの主催側はこってり絞られたそうである。
警察は徹底的に「怪盗リドル」の名前を封じ込めている。蒼月では正義だろうと悪だろうと、目立つ存在には評価を与える。なんせ混沌とした芸能界が身近にある環境。白も黒も貪欲に取り込むのが蒼月だ。リドルの悪名が世に広まれば、リドルの支持者が出てくるかもしれないと警察は危惧していた。だから決して口外しないでくれと何度も念押しされてしまった。
追いかけている最中、リドルに真っ向から煽られた身として警察に喧嘩を売る真似はしたくない。どころか逆に警察に協力して捕まえてやりたいとすら思う。
そのためには一つ、確認したいことがあった。
階段に残されたスーツに微かな見覚えがあった。ホテルから引き上げる中、必死に見回したけれどあの会場で見かけた顔がなかった。きっとスタッフは裏で事情聴取をしているのだろう。そう思うことにした。
もしも今日、天塚が欠席していたら黒に近いグレー。だがこのように登校しているし、眠そうにしているのも日常茶飯事。
限りなく白に近いのに昨夜の話を聞こうものなら「ここでも事情聴取するな」と機嫌を損ねるに違いない。それにアルバイトしていることは黙って欲しそうだったし。
騒ぎからやっとのことで逃れた俺たちは安堵からか、いつの間にか意識を閉ざしてしまった。気づけば二人とも昼休みを通り越し、目覚めたのは六限が始まる五分前だった。




