第四話 chain of lies
朝九時、せっかくの日曜日なので少し遅めの起床。
昨日は珍しく志保が「部活はお休み」と言うのでお言葉に甘えて午前中に下校した。いつもなら家に帰ってもやることないと言ってぐうたらしていただろうが、今日は人と会う約束をしていた。昨日は午前中に帰ってくると部屋中をピカピカに掃除して準備バンタン。「とっておき」もしっかり流し台の下に隠した。
ビビビビビ
「ありゃ、アラームかけてたっけ」
テーブルに置いていたスマホが鳴り響く。画面にはこれから会う子の名前が表示されている。おや、どうしたんだろう。
「凛! 大変! すっごく困ったことになっちゃった」
「え、まさかもう到着した?」
「そうなの。ここって警備厳しいのね。今すぐ連絡を取れる人を連れてこいって言われて……」
「わかった! 三十……いや、二十分で行くから待ってて」
「うん、待ってる」
というわけで時間がなくなってしまった。化粧も手短にパパッと、休日はさすがに制服で歩けず、適当にダンボールから黒のパンツとグレーのノースリーブ、あと上から羽織ると財布スマホ等々をショルダーバッグに詰め込んで外に出た。エレベーターを待つ時間がもったいなくて階段で一気に駆け降りる。
休日だから家の前の公園は子どもたちで賑わっている。すっかり「お化け騒動」のことも忘れ去られているようで安心した。
「足止めくらってるなら西門かな」
この都市には明確なゾーニングがある。アルコール提供のために時限性ではあるものの学生立ち入り禁止区域があったり、逆に生徒以外立ち入り禁止の区域だったり。加えて本来なら犯罪が起こり得ないセキュリティも敷かれている。当然外から入ってくる人間に対しても入念な審査が行われる。さながら世間では入国審査と揶揄されている。
けれど蒼月で暮らす人間の価値を考えれば妥当なのだと、余所者のわたしも考えを改めた。
「学園都市西門前」は都内某所ほどではないが方向音痴でなくたって迷いやすい。
ええっと、こっちが電車乗り場で、こっちは審査口、だから足止めされるとしたら……あ!
「伊織!」
ソファーにちょこんと腰掛けて文庫本を読む姿は蒼月ではまったく見かけない文学少女。髪をおさげにして両肩から垂らし、黒縁メガネをかけているなんて絶滅危惧種だ。
わたしの声に気づいた伊織に笑顔が咲いた。どうやら怒ってはないようだ。救急箱はいらないみたい。
小日向伊織は前の学校のクラスメイト。前の学校を去る際、無理を言って口外にしないでくれと伝えていた。
そもそも入学して数ヶ月に満たないやつが去ったって「はいそうですか」くらいの感想しか抱かないはず。無理にお別れムードを作ってもらうのも息苦しい。
しかし伊織だけは違った。数ヶ月の付き合いでも仲良くしてくれた心優しい友達。恋バナや勉強の話をしたっけ。
いつか一緒に東京の大学に行こうねとも約束もしたような。全部が懐かしい思い出だ。
二学期が始まるとすぐ連絡が飛んできた。
『どうした黙ってたのさ!』
電話越しでも怒りが伝わってきた。事情を話すわけにもいかず、言い訳をいくつか用意していたのに咄嗟に出た言葉が「ごめん」だった。
それから今の居場所を伝え、すぐに会うことになった。それが今日である。開口一番、顔面をぶん殴られることも覚悟していた。伊織とを遮るものが取り払われ、グッと口を噛み締める。
「急にいなくなって。心配した」
◇
小日向伊織は元々地方で暮らしていたが、家庭の事情と進学を考え、現在は東京で一人暮らしをしている。東京という街に焦がれた彼女も今では立派なシティガール。少し見ないうちに垢抜けただろうか。
「この街、すっごいね。身分証とかモノレールとかハイテクで現代の最先端って感じ。東京よりすごいかも」
「なら一緒に学園に通おうよ」
「バカなこと言わないで。そんな行動力があると思う?」
うん、思う。彼女が東京に引っ越してきた理由を思うとなおのこと。
「それにわたしみたいな芋娘には華やかなところは似合わない。それに……蒼月っていろいろあったじゃない。殺人事件とか泥棒とか。一人で暮らすにはちょっと怖いな。凛は大丈夫だった?」
「う、うん。ダイジョウブ」
心配されるからさりげなく誤魔化す。すでに首を突っ込んだとは言えない。それを知ったら伊織は気を失ってしまうだろうから。
その足で駅前の喫茶店に入り、互いに近況を語り合った。
「――実は、彼氏ができたの」
「えぇ!? おめでとう! もしかして例の初恋の相手?」
「違う違う。凛が覚えているかわからないけど、サッカー部の次期主将と言われてる同級生の子で」
「あぁ、覚えてる。サッカー部なのに丸刈りの子でしょう。へぇ、ちょっと意外。伊織はずっと初恋の相手を探していたから、その人以外と付き合わないと思ってた。踏ん切りついたんだ」
「うん、ありがと。でも実は……初恋の人にも会えたんだ」
「えぇ!」
つい店内に響く馬鹿でかい声を出してしまった。ハッと気づけば店内中の視線を集めてしまった。申し訳なさそうに頭を下げ、伊織の話に耳を傾ける。
伊織の初恋は数年前、東京のどこかのイベントのスクリーンに映っていた帽子を被った男の子。手がかりはそれだけで彼の名前も年齢もわからない。正直、一生かかっても探すのは無理だなんて思っていたが、まさかお会いできるとは。奇跡も奇跡。天の悪戯かもしれない。
「偶然、学校の一つ上の先輩があの初恋の相手で。言ってやっちゃった。『乙女の初恋を奪った罪は末恐ろしい』ってね」
「きゃ、あまーい恋バナだ。……でもなんでその人と付き合わなかったの?」
「それがまた私ってバカでね。その人、男の子じゃなくて女の子だったんだ。でもすっごく美形でカッコいいの」
「それでもさ……伊織はそれでも良かったの?」
「うん、言いたいことも言えたし。今では友達だし。私も新しい一歩踏み出さないとっ」
……なるほど。だから伊織から翳りが消えたのね。気分を吹っ切って新しい道を選んだのか。それも人間ならではの大胆な選択。人間の感情は千差万別あるから見ていて面白いし飽きない。
「噂どおり有名人が多いよ。部活動は強制入部で、成り行きで悩みごとをどうにかする部活に入っちゃった」
「あの面倒くさがりの凛が? うそっお」
「この前だって女優さんから依頼が来たんだ。その人と仲良くなって愛用してる香水教えてもらっちゃった。いい匂いでしょ」
鞄の中から龍閃鞠沙に教えてもらった香水を取り出し、伊織の手首に振りかける。わたしも虜にされたラベンダーのいい香り。伊織もたちまち「ほわぁ」となっていた。
「すごいなぁ。もしかしたら将来、芸能界に入ってたりして」
「まさか。芸能界なんて面倒なだけだよ」
「でも俳優の卵とかいるでしょう? その人たちから告白されたらどうするの?」
「うーん、わたしは興味ないだ。それよりか他人の恋愛に興味ある。だからなにか起きたら報告してね、いっおりちゃん」
「きゃ、凛の顔、おじさんくさい」
◇
その後は一緒に学園都市を散策した。日用品はもちろん、大手ファストフード店が軒並み揃ったフードコートや海外ブランドも取り揃えた巨大ショッピングモール。通り過ぎただけだが蒼月学園本館。さらにサッカースタジアムや野球場、どちらも国の代表戦も開催できる施設になっている。他にも映画館やお子様立ち入り禁止の地域、アミューズメント施設などなど、学生からすると天国のような環境だと感心していた。
「ちゃんと学校行けてる? 迷子になってない? サボってないでしょうね」
「安心して。これでも優等生ですから」
「面倒くさがりのくせに、どうしてか勉強はそこそこできるよね。化学と現代文以外、あとは方向音痴もか」
「に、人間誰にだって得意不得意はあるさ」
「現代文が赤点で古文と漢文が満点って人、見たことないよ。英語と世界史は飛び抜けてできるのに、日本史とか政治はてんでダメだけど地理はまあまあ。昔から思ってたけど結構アンバランスだよね。その秘訣はなに?」
ん、秘訣と言われても「なんとなくできる」とか「実際に見てきた」とか、口が裂けても言えない。
適当に笑いながら「モチベーションかな」と言っておく。改めて振り返ってみると我ながら歪な成績でよくこの学園に入学できたものだ。化学と現代文の足を得意教科が賄ってくれたのだろう。ありがたやー。
ところどころ休憩しながら回っていたが、歩き回るうちに二人とも体力がそこを尽きてしまった。もうわたしの家に行く体力もなかった。時刻は午後五時。今からここを出れば夕食の時間には東京に戻れる。
「そろそろ今日は帰るね。楽しかった」
「また来てね。……あ! 学園祭のチケット、何枚か用意しようか」
「本当? 蒼月の学園祭って派手って噂だから行ってみたかったんだ。じゃあまた絶対に連絡する。……だからまたいなくならないで」
「うん、それは本当に申し訳ないと思ってる。今度引っ越す時は伊織には伝える」
「東京に戻ってきてくれてもいいんだよ? ここもいいところだけど、東京も慣れてくるとしっくりくる」
「今度そっちに行く時はわたしから連絡する。といってもこれから学園祭とか部活で忙しくなるけどね」
「わかった。面倒くさがりの凛の話は話半分にしておく」
「ひっどいなぁ。まぁ本当にそうなるかも」
「ダメですよ」
二人して顔を合わせて笑い合う。東京行きの電車が到着するまで今度は離れなかった。
「じゃ、また」
「今度は彼氏と来てね」
真っ赤な顔して照れた伊織の声は列車の扉で遮られる。窓越しで互いに手を振り、出発を見届けた。列車は一瞬で線路の彼方に消えていった。
ホームに残っているのはわたしだけ。つい数秒前まであんなに楽しかったのに無理やり引き裂かれてしまった。自分だけ取り残されるような、人との別れは昔から慣れない。
ま、気を取り直そう。今日は沢山買い物もしたし、明日から学校。英気を養うために家には秘蔵の葡萄ジュースを飲もう! 近くのスーパーで適当な惣菜を買って……ぐへへ、今日はサイコーの休日だ。
――ブルルルル
懐に入れたスマホが鳴る。電話だ。今度の名前は……志保だ。
「はいもしもし」
「わたし、志保。今学園の近くにいるの」
あ、そうなんだ。夕食のお誘いかな。でも生憎、ここから学園に向かうのは面倒だ。
「わたし、もう帰るところなんだ。また誘ってね」
通話を切る。なんだったんだ、今の電話。
――ブルルルル
懐に入れたスマホがまた鳴る。電話だ。名前は……志保だ。
「はいもしもし」
「わたし、志保。今西門駅にいるの」
「ごめんね、この後用事があるの」
よくわからない。けどこれから宴が始まるのに、夕食の誘いを受けている場合じゃない。また通話を切った。今度は電源でも落とそうか。
――ブルルルル
懐に入れたスマホが鳴る。電話だ。名前は……またまた志保だ。
「わたし、志保。今 あなたの後ろにいるの」
「ふぅん、そっか」
通話を切った。それからモノレールの駅に向かって、てくてくと歩き始め――
「なんで反応してくれないのぉ!」
「うひゃあ!」
いきなり背後から志保が現れた。突然驚かすものだから頓狂な声をあげて飛び上がってしまった。
「ど、どうしてここに」
「ショッピングモールですれ違ってからずっと尾行してたの。それより聞きたいのがあるのはわたし。さっきの女、誰?」
なんだ、見かけたら話しかけてくれれば伊織に紹介できたのに。意外に照れ屋さんなのか? にしては猛獣のような目で睨んでくるし。今日の志保は様子がおかしい。
「前の学校のクラスメイト。遊びに来てくれたんだ」
「クラス……メイト? 彼氏じゃなくて?」
「なぁに言ってんの。伊織は歴とした女の子。失礼だよ? 向こうにも彼氏がいるんだし」
どうやら変な誤解をしていたようだ。でも誤解を晴らしたはずなのに、志保はまだ食ってかかってくる。
「なら凛ちゃんの彼氏って誰?」
……彼氏? いないが? そんな人。
「惚けたって無駄だから。雅くんから聞いたよ」
雅、彼氏――あぁ! そうだ。アイツにはそういうことにしてるんだった。この様子だと志保もわたしに彼氏がいると誤解しているようだ。
誤解を解くのは簡単だろう。でも志保に正直に話すことすなわち、雅にバレることを意味している。雅を虐めるつもりはない。が、これはあくまでもゲームの対価。せっかくゲームでリスクを背負ったのに種明かしするのは興醒めするだけ。ここは志保にも誤解してもらっていた方がいいか。
「うん、いるよ。とっておきのカッコいい人が」
とは言うが、どうしよう。
生まれてこの方、嘘なんて些細なことしか言ったことがない自分が、こんな大っぴらに嘘を公表していいものか。
ま、どうせ放っておけばそのうち鎮火するだろう……なんて甘い考えを持っていたこの時の自分を呪いたくなる。