第三三話 勇気あるきみに。
「よう兄弟、今日は随分とご機嫌斜めだな」
人間悩めば誰にだって一人になりたい時間はある。ただでさえ普通に歩いているだけで好奇の目をさらされるのだから、人目を避けて食堂の隅っこにいることだってある。それを機嫌が悪いと捉えるとは誤解にもほどがある。
呼んでもないのにふらりと姿を現し、勝手に対面に腰かけるクラスメイトの祖父江雲雀に嫌気がさしつつも無視してうどんを啜った。
「無視すんなよ。ほらよ、見舞いだ」
と、食器の隣に缶コーヒーが置かれた。ケチな雲雀が差し入れなんて珍しい。軽口を叩いているが本気でこちらを心配してくれているのだろう。が――,
「カレーうどんにブラックはないだろう」
「あぁわりぃ、気が利かなくて。お子様はあまーい方が良かったか」
「そういう問題じゃ……ま、ありがたく頂戴しますとも」
これだけで話が終われば楽なものだ。しかしこちらがずるずるとうどんを食している合間も咳を離れない。どころか俺をつまみにジュースなんて飲んでいる。すごく居心地が悪い。見られるのは慣れっこでも明らかに待たれるのも気分が悪い。こちとら特に用事なんてないのに。
「なんか用?」
「不機嫌をばら撒く爆弾の解体。みんな怖がってるぜ」
それは申し訳なかった。普段通りを振る舞っていたつもりだったけど、自分の気持ちを押し殺せないとは焼きが回ったものだ。役者としての寿命もそう長くはない……なんて、冗談でも笑えない。
「ま、嘘だけど」
「くだらない嘘つくな」
けどそれはそれで一安心。まだまだ自分の演技力が衰えていない証左。休止の看板を下げていようと日々の鍛錬を怠ったつもりはない。休止なんて我儘をした自分を待ってくれるファンもいる。期待を裏切るような真似はできない。せめて一度だけでもいいから成長した自分を世に見せたい。
腕を磨くという意味ではこの男がいい見本だ。さらりと嘘を吐く口先は戦線を離れてもなお健在。祖父江雲雀が元役者であることを覚えている人はごく僅かだ。
「でも俺の目は欺けないぞ。こんなんでもライバルの演技は穴があくほど研究してきたからな。お前は本音を隠そうとすればするほど仏像みたいに眼力が増すんだ。カメラが向けられていないところで目を険しくされたら俺だって落ち着かないからな」
「そ、そう? 次から気をつける」
最後にうどんのスープを飲み干し、これにてご馳走様。口にこそ出さないが彼にはちょっぴり感謝しよう。
「まぁ待て、爆弾解体って言ったろ? 悩みがあれば聞くよ」
この場面だけを切り取れば祖父江雲雀はなんていいやつなんだと涙を流すかもしれない。けど実のところは嘘つきで大雑把で適当、現在進行形で学園祭の委員の仕事を結月に丸投げするやつなのだ。そんな人間に相談なんてできるわけない。
「しつこいやつを追い払う方法を知りたい」
「あー勧誘ね。そんな時は誰かと一緒にいればいい。俺みたいな賑やかなやつがいれば向こうからは近づかない」
「賑やかなやつがしつこい場合は?」
「あー賑やかなやつがしつこいと面倒だよな。そんな時は俺みたいな賑やかなやつを――」
ダメだ。エンドレス相手には正攻法が通じない。なんで俺の周りには面倒なやつが集まるのだろう。もっと人付き合いは慎重に選ぶべきかもしれない。
あぁ、お助け部なんて奇妙な部活を設立した結月志保って常識人だったんだ。どころか聞き手としてかなり優秀だったのかと身をもって学んだ。
◇
昼間は酷い目にあった。結局予鈴がなるまで粘着されてしまって休まるどころか疲労が溜まるばかり。自分でも目に皺が寄ってると自覚するほど。おかげで本当に周りから怖がられているだろうか。
今更アイツに付き合っている人がいても驚きはない、けど、実際にイチャイチャとしている写真を見せられると存外にショックが大きかったようで数日ろくに眠れなかった。睡眠不足こそこの不機嫌の元凶かもしれない。けど大元の悩みの種は怪盗リドルとその予告状だ。
「リドル」は昨今蒼月を中心に出没している泥棒。その手つきはフィクション上の怪盗となんら差がない摩訶不思議なトリック。事前に予告状を送り大胆に現れたかと思えば姿を隠したまま鮮やかに獲物を盗んで現場から颯爽と脱出し、あまつさえ追いかけてくる輩を煽る余裕もある。それでいて盗んだ宝を返すという意味不明なこともしてくる。強固な学園都市の警察でも手を焼くのも頷ける。アイツの狙いが、意図が何一つ見えてこない。
――勇気あるきみに。
群青のティアラを奪ったリドルを屋上まで追いかけた時、ティアラと共にメッセージカードが添えられていた。現物は風で飛ばされてどこかへ行ってしまったので手元にはない。でもそう書かれていたのは確かだ。
おそらく暗号ではなく文章通りの意味だろう。どんなトリックを披露してくるかも分からない謎の怪盗を恐れず追いかけた俺への賛辞。褒められたら喜ぶのが世の摂理だけど、今回ばかりは煽られていると思う他ない。
俺を焚き付けてなにがある? たまたまなのか、それともリドルの策略?
…………策略だとしたら、きっと、リドルとの縁があれっきりなんてことはないはず。これからも、予告状が届くたびに春夏冬雅はリドルの策略で巻き込まれていくに違いない。『蒼月の至宝』にだってきっと、何らかの方法で俺を手駒にしてくるだろう。奴が接近してくるなら警察ですら掴めない奴の正体に辿り着けるかもしれない。これは俺にしかできないんだ。もしも俺の推理が正しかったら、絶対に誰よりも先に俺がリドルを止めなきゃいけないんだ。
はぁ、俺って結構馬鹿だな。止めたところでアイツが振り向いてくれるわけがないのにな。
放課後は仮装カジノの打ち合わせと衣装の採寸合わせ、それから特設ステージの裏方との打ち合わせ。去年の段取りは俺でなくても大体の人が頭に入れているので、当日までは仕事はないようなもの。ま、このグループならハプニングなんて起こる気配もないから、俺の出番はゼロかもな。
「お疲れ様です。もうひと月を切りましたが本番まで頑張っていきましょう!」
帰る頃には空がすっかり暗くなっていた。学園から家までは近いんだけど、スタジアムから家までは結構な距離がある。タクシー……は来るまで時間かかるしどうしよう。
と、頭を抱えているとパッパーとクラクション。周囲を見回してみると路肩に真っ赤なクラウンが停車していた。俺が目を向けると運転席から金美社長が顔を覗かせていた。
「やぁ、きみの乗ってくだろう」
舞い降りた幸運に気持ちが明るくなった。足を弾ませ乗りなれた助手席に乗り込んだ。
「どうしてここに?」
「親方から連絡をもらってね。スタジアムに来る前から雅くんがへとへとだったから帰りは迎えにきてくれないかとね」
周りに心配かけてしまったかな。学校ならまだしも、これは俳優春夏冬雅の仕事であってプライベートの不満で現場の空気を悪くしていたら人間として失格だ。明日からいっそう気をつけないと。
「ごめんなさい。ちょっと気が抜けてました」
「いや、いいんだ。きみはまだ学生なんだから無理しなくていい。それに出番があるならステージの上だし」
「勘弁してください。俺は一応は休止中なんです。部活の出し物には出ますけど、基本は裏方に徹しようかと」
「……そう、きみは休止中。それを自覚してるかい?」
と、社長の声が低くなった。同時に車も赤信号で停車し。僅かながらに会話の時間が生まれた。
「し、社長?」
社長は運転中で目を離せない。けどこの場にいるだけで社長にすべてを見通されているような張り詰めた空気が充満していた。他者を寄せ付けない圧倒的なプレッシャー。相当お冠のようだが社長を怒らせる理由なんてどこにもない。信号が青に変わる。と当時にいきなりアクセルを踏み込んで急加速。慌ててアシストグリップを握った。
「危ないですよ。捕まりますよ」
しかし社長は無言のまま車をそれなりの速度で走らせた。
「きみは休止するのに『学生として青春を謳歌したい』と言ったよね」
「えぇ、そうですね」
「ところが今のきみはどうも危険な事件に突っ込もうとしている。警察の事件がきみの青春か? あ? 下手に関わって顔に怪我でもしたらどうなる? ……あまり僕に乱暴な言葉を使わせないでくれ。僕は春夏冬雅を高く評価しているからこそ、きみの両親の反対を押し切って高校生の間の休暇を認めたんだ。これが俳優春夏冬雅としての投資になるなら安いものだから」
声を強め怒気を露わにする社長。こんな姿はあまり見たことがない。社長なりに気を使って最大限の優しさで最小限の怒りをぶつけてくれたのだ。
『群青のティアラ』の件で当事者でもある社長なら悩みの種がリドルであることも見抜いている。要は「これ以上、リドルに関わるな」と言っているんだ。
社長の前で見え透いた嘘は言えない。却って逆鱗に触れるかもしれない。
だけどリドルの件で引くつもりもない。警察が協力してくれないのなら俺一人だってやってやる――春夏冬雅は無言を貫いた。
「ま、きみのことは小さい頃からよく知ってる。今すぐ答えを出せとはいうまいが、これが最終忠告だ」
赤信号でもないのに車が停まる。ふと周りを見れば俺が住むマンションに到着していた。車を飛ばすと結構早く着くんだな。
「肝に銘じておきます」と心にもないことを言って車を出た。最後に運転席の社長に向けて深々と頭を下げてマンションに入ろうとした、その時だった。
「あぁ、僕はあくまで社長としての真っ当な意見。それよりきみのお母さんが大変ご立腹だから気をつけろよな」
「え、母さんも知って――ちぃ、逃げやがった」
あの母さんが出てくるとなるとリドルの捜査の打ち切りが視野になってくる。
なんせあの人は息子が芸能界で最前線で生き残ることを願う親。高校生というかけがえのない青春を記録に収めなかったら人類の損失だと公然と口にするタイプ。自分が成し得なかった夢を押し付け、自分は春夏冬雅の親という称号を得たいがため。人二人の人生がかかっているからモンスターペアレントどころの騒ぎではない。
厄介な悩みが二つ三つ……胃に何個穴があくか楽しみだ……なんて、冗談でも笑えない。