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第二九話 天国への鍵


 昼休みはほとんど本館の屋上で過ごしている。転入したては教室に馴染めなかったのもあるけれど、わいわいとした賑やかな雰囲気があまり得意ではないのだ。だから独り占めを堪能できるこの場所を見つけた時は奇跡を疑ったほど。ま、今の世界に奇跡なんてないのだが。最近は学園祭の影響で学園中が活気に満ちているから、ここが天上の静けさのように感じる。


「――ひっくし! ううぅ、今日は寒い」


 気づけば空は静かだった。学園都市に来た時はまだ真夏で、灰色の髪が靡くたびに気持ち良く感じたもの。

 でも今となってはささやかな幸福も憎き敵。そろそろパンより温かいカップラーメンの時期だろうか。購買部のパンも味は悪くないけど飽きてきた。けどわざわざ貴重な昼休みを消費して本館の外の学食に足を運ぶよりかはマシ。家でお湯を沸かして水筒に入れてくれば……あれ、朝、そんな時間あるか? 


「あぁ、誰か毎日おいしー弁当作ってくれないかなぁ」


 どうにもならない文句を吐き出す。やるせない感情が静謐にこだました。こんなことを口にしたって都合のいい現実がやってくるわけがないのに。

 昼休みはまだ残っている、が、肌寒い日は早めの撤収が一番だろう。メロンパンの最後の一口を口に放り込んで弾みをつけて立ち上がる。


「ん?」


 聞き違いではない。今、間違いなく塔屋の方から物音が聞こえた。

 確か前に雅が屋上は立ち入り禁止とか言ってたっけ。だとしたら見回り……でも今まで見回りなんて一人も来なかった。

 最悪面倒なことになれば「転入したばかりで知らなかった」としらを切ればいい。それでも長引きそうなら「施錠してないのが悪い」と他責的になればいい。

 物音は次第に大きくなる。そしてギィと不快な音を立てながらゆっくりと扉が開いた。


「ありゃ、取られちゃったか」


 知らない顔だった。

 目元は二重で鼻筋がすっきりと伸びたバランスのいい顔立ち。黒髪ショートで大人っぽいと思えば水色のインナーカラーとかなり冒険している。華やかな人間が集まるこの学校で今更校則違反だろうと突っ込む気力もない。しかし分不相応の分厚い化粧で美人を語る生徒が多い中、この人だけは奇抜なスタイルも似合う本物の美人といえよう。


「えと、どちら様?」

「そちらこそ」

 と、美人さんはこちらが名乗る前にゆったりと近づいてきて、そのままわたしの隣で腰を下ろした。


「ん、もしかして巷で噂の転入生かな」

「噂? 確かに転入してきたばかりですけど」

「へぇ、確かに顔は悪くない……どれ」

「いひゃい!」


 急になにをするのかと思えば、まるでポテトチップスでも摘むかのような手慣れたな手つきでわたしの頬をつねりだした。ぐりんぐりんと、粘土で戯れる幼児のように。


「先輩がいいことを教えてあげよう。きみ、あの天才子役、春夏冬雅くんと仲がいいだろう? ……付き合いは止めた方がいい」

「にゃっ」


 なんだかとんでもない誤解をされている気がする。春夏冬雅は初めて会った時からわたしに対して高圧的でやたらと絡んできて正論をぶつけてくる嫌なやつ。あんなやつと仲がいいなんてとんでもない! 美人さんの手を振り払い即座に否定する。


「変な冗談はやめてください。雅くんとはただのクラスメイト。付き合うだなんてそんな、こっちがお断りです」


 思わず声を荒げてしまった。美人さんも目を丸くしていた。きゃんきゃんと騒ぐ姦しいやつだと思われようが、あらぬ誤解を払拭するなら必要経費だろう。そもそも名前も知らない赤の他人にどう思われようが気にしない。


「――っと、ごめん。きみも他の子みたいに狙ってるのかなと」

「勘弁してください」

「怒らせちゃったお詫びに……これをきみに託そう」


 隣の美人さんはがさごそと自分のスカートを弄るとポケットから鍵を取り出し、それを渡してくる。


「屋上の鍵、きみにあげる。学園祭前だと見回りが厳しくなるんだ。生徒が出入りしてるってバレたら鍵ごと交換されるから気をつけるといい」

「え? あ、あぁ……ありがとう、ございます?」

「じゃあね、忠告はしておいたから」


 目の前の美人さんは一方的に話だけを押し付けて去ろうとする。

 こんな時、他の人間ならなにを訊くだろう。

 この鍵の出所か、面倒の火種になりそうな噂か、それとも基本に帰って彼女の名前か。千載一遇のチャンスだったのに、慣れない事態に動揺して言葉を詰まらせてしまった。扉の前でひらひらと手を振って颯爽と姿を消した。

 あぁ、ようやく分かった。わたし、あぁやって会話の主導権を握ってくるやつが苦手なんだ。

 雅然りあの美人さん然り――わたしがだいっ嫌いなアレ然り。


「あ、そうそう」

「うひゃあ!」


 急に背後から声をかけられる。


「私の自己紹介がまだだったね。三年3組、九十九千早。以後お見知りおきを、天塚凛」



    ◇



「今日は野外活動です。凛ちゃんを私のお部屋にご招待」

「言ってること矛盾してない?」


 今日はやけにわたしを困らせる一日だ。昨日と引き続き旧校舎にて二人きりの部活動を行った。おさげのクラスメイトは意気揚々と、一日の始まりといわんばかりの元気を振り撒いている。付き合いは短いけれど、それとなく大まかに、結月志保の人となりを掴めてきた。

 この子の体力は無尽蔵なんだ。誰も手を上げなかった学園祭委員を率先して引き受け、夏に部活を立ち上げた挙句、この部活で出し物を画策するなんて正気の沙汰とは思えない。志保だってあの面倒なクラスをまとめ上げるので精一杯だろうに。


「……あなた、本当に大丈夫? 疲れてない?」

「だいじょーぶだよ。そういえばこの前、雅くんにも心配されちゃった」


 だったら尚更である。春夏冬雅のことは気に入らないが、アイツは周りをよく見ている。雅がそう指摘したなら限りなく真実に近いはずだ。

 わたしは褒めるところはしっかり褒める性分。だからこそあの三択ゲームを勘違いしているのが非常にもったいないと思っている。

 そんなわたしたちの忠告を聞きもせず、志保はそそくさと鞄に手を伸ばした。


「野外活動といっても簡単。この書類を欠席してる子にお届け」


 取り出したのは角2サイズの茶封筒。見るからに随分とずっしりしてる。かなりの量の書類が詰まっているようだ。


「2組の子なんだけど体調を悪くしてしばらく登校できてないんだって」

「へぇ、羨ましい」

「凛ちゃん? ダメだよ、そんなこと言っちゃ」

「っと、ごめんごめん。でもさ、書類を届けるだけなら得体の知れないこの部活に――」

「お助け部、ね」

「……わざわざお助け部に頼まなくたってよくない?」

「それが訳ありでね」

「はぁ」


 聞けばその子は2組唯一の外部生。なんでも元々はスポーツ推薦で3組に入れられる予定が入学直前で大怪我を負ってしまったそうだ。引退を余儀なくされた彼女は学校を休みがちになってしまい寮で塞ぎ込んでいるとのこと。

 2組の担任も書類を渡そうにも内部生が多い2組には寮生活の生徒がいないので困り果てていたところ、便利屋かつ同じ寮の結月志保にお願いしたようだ。

 とりあえず志保が壊れてなかったことが分かり一安心。書類を届けた後、志保の部屋で『お助け部出張所』の打ち合わせをするみたいだ。面倒なのは分かっていても、数日フル稼働の志保を見れば少しでも休ませたい。そんな気持ちから断るわけにもいかない。


「分かったよ。なら早く行こうよ」

「待って待って。まだ人が来るから」


 やな予感がした。こんな時にのこのこやってくるやつなんて一人しかいない。

 と、思っていたら廊下が賑やかになり、がらがらと勢いよく扉が動いた。


「おっす、お疲れさん」

「ごめんね遅くなっちゃって。杏奈が教室に忘れ物するからさ」

「元はといえば飛鳥が急かすから」


 ――――よかった! 予想が外れてくれて。同じクラスの瀬戸杏奈と菊田飛鳥だ。

 そうだよね、冷静になれば女子寮に男が入れるわけないか。わたしとしたことが早とちりしていた。


「ね、がっかりした?」

「冗談。ほら、二人も来たことだし行きますよ」


 不敵に笑う悪戯っ子は即刻無視。今日はこんなのばっか。はたからどう見たって嫌われているのに、どうして恋愛脳は無理やり結びつけてこようとするのだろう。

 やっぱりわたしには「恋」なんて曖昧な感情は一生理解できないだろう。



    ◇



「うっわ、寮つってもマンションじゃん。これ、まるまる一棟?」

「そーだよ。一階がエントランス、二階が食堂と談話室、三階から六階が寮で七階が大浴場」

「ホテルみたい。いいなぁ、わたしも実家出て住みたいな」

「うーん、飛鳥ちゃんが想像するほど楽じゃないけどね。ほーら、凛ちゃん着きましたよ。今日が迷子にならなくてよかったね!」


 …………人権侵害はどこに訴えるべきなのだろう。


「づかちゃんは超がつくほど方向音痴だもんね」

「学園祭が心配だな。GPSとか付けたら?」

「もっちろんそのつもりだし、ビラ配りとか呼び込みも絶対にさせない。ただでさえ面倒くさがりでサボりそうだから常に保護者をつけるつもり」


 わたしもそこまでバカじゃない。自分の欠点は分かってるつもり。だけどこの仕打ちはないんじゃないか。


「ずっと手を繋ぐのもなんだしさリードなんてどう? 天塚は肌が綺麗だから黒い紐が似合いそう」

「わぁ、いいかも」

「せめて人間扱いしてくれない……?」


 子供みたいな扱いからさらに下があるなんて、思ったより世界は広いようだ。

 人権の危機は別として瀬戸の言う通りだ。転入前に学園の資料を読み漁っていた時、すごく綺麗な寮だって憧れたもの。しかしすでに満室で入寮できなかったところからわたしの苦難が始まったのだ。降り注ぐ面倒を掻い潜りやっと一つの山を超えたと思ったらこのザマ。普通の人間だったら泣き出しているに決まっている。でもわたしは不運にも慣れてしまったからまだ大丈夫。

 寮に入るには氏名、蒼月で作成する身分証と学生証の提示、加えて門限は五時諸々、厳しい制限がいくつもあった。ちなみに当然のことながら男子禁制だったのでアイツは来やしない。

 記帳が終わってようやくお助け部の活動を始めた。


 2組の伊丹麗香。現在は入院生活を経て日常生活は不自由なく送れるも、軽い運動だと痛みが再発してしまうようだ。おかげでクラスとも馴染めてないらしい。

 これまで当たり前にできていたことができなくなる。不甲斐ない自分への苛立ち、これまでの人生と違えた道への恐怖、やがて自分の存在を否定するようになる。

 努力は無駄。今の自分の努力なんてたかが知れていることに気づく。

 今の自分の一二〇パーセントの努力が以前の自分の三〇パーセント。悲惨な現実を受け入れたって虚しさが残るだけ。

 慰めなんて余計なおせっかい。自分でできてないことが分かっているのに、外野が「頑張りましょう」「諦めないで」などと純粋な言葉を投げかけてくると純粋な怒りになる。同情もいらない、哀れみもいらない、他人の感情は全部不必要。やがて周りの声から背くようになる。

 一度壊れてしまった人間は絶対に治らない。けれど無理やり治そうとする世界の一般論がわたしは気に食わない。


 無関係の生徒四人が押しかけても彼女が困るだろうから、この寮で何回か面識がある志保が代表して届けることに。わたしたち三人はその様子を見守ることになった。

 エレベーターに乗り四階、廊下の突き当たりに見える扉が伊丹の部屋。わたしたちは一歩離れたところで待機し、志保が扉の前に立つとコンコンとノックした。


「1組の結月志保です。学校から書類持ってきました」


 相変わらず元気で声が透き通る。寝てない限り気づかないわけがない。

 しかし返事はない。もう一度同じことを繰り返すもまだ返事はない。


「その封筒に一言添えて部屋の前に置いておけばよくね?」

「えぇ、そうした方がいいかと……あの、いつまでわたしの手を?」

「づかちゃんから手を離すなと志保から言われるから」

「……まさかとは思いますけど、わたしの取り扱い説明書なんてないですよね?」

「まっさかぁ。説明書はないから安心して」

 それならよかった。これで天塚凛の対策マニュアルなんてできたら目も当てられない。


「うーん、出てこないから便箋貼って置いとこう……じゃ、これで今日の部活はおしまい! あ、学園祭が終わるまでしばらく依頼もストップするから」

 突然の吉報に目が輝いてしまった。

「やったぁ! 今晩はご馳走にしよう」

「そんなはしゃぐことかぁ? でもどうしてまたストップなんて。さすがの志保もバテてきたか?」

「えっと、その、お助け部ってその名の通り誰かを助ける部活だから……学園祭シーズンになるとただの助っ人の依頼しかなさそうで」

「あぁー、なるへそ」

 こういうところは志保の尊敬するところ。先の先までしっかりと考えられる子だからこの部活に入る決心ができたんだ。

 わたしたちは伊丹の部屋の前を離れ、クラスと部活の出し物の打ち合わせをするために志保の部屋に招かれた。



    ◇



 学園では当然として思い返せば前の学校でも友達の家に行ったことがない。なんせ仲良くなる前に転入してしまったのだから。むしろたった入学数ヶ月の関係で転校事後報告のクラスメイトに思入れを持てという方が難しい。だからこそ蒼月に転入してもなお頻繁に連絡を送ってきてくれる小日向伊織には感謝している。照れくさいから口には出せないけどね。


「生徒一人に配られる招待券五枚、もう誰にあげるか決めた?」

「うちは両親と弟と妹とばあちゃん」

「わたしも杏奈と似たようなもんかな」

「わたしは前の学校の子にあげます。その子と彼氏と仲がいい先輩たちを連れてくるって」

「へぇ。づかちゃんの友達、気になる。うちらの出し物に呼んでくれない?」

「そりゃあ来てくれると思うけど」

「よっし! これで最低でも五ポイント! 頼むよ、執事陣営として応援してるんだから」

「応援って……まさか人柱にするつもりで? メイド陣営に勝てば罰ゲームの片付けもなくなるし、わたしがトップになれば『キッス』も免れるからって!」

「んー、メイド陣営が雅くん確定ならやる気マックスなんだけどね。自分が頑張っても相手が違う子だったら罰ゲームじゃん」

「罰ゲームでいいんだよ」

「でも杏奈、よく考えて。雅くん以外に対抗馬がいなくね? 東雲女史はいい線いくと思うけど女の子同士の『キッス』はなぇ……」

「いや、女史のことだから余計に喜びそう」


 志保の部屋は白とピンクのファンシーな雰囲気だった。ピンクのベッドシーツの上にはくまのぬいぐるみやピンクのベッドシーツや赤の水玉模様のクッションが転がっていた。

 へぇ、同級生の子の部屋ってこんな感じなのかと勉強させてもらう。おまけに部屋樹が甘ったるい香りが充満している。こういう些細な気遣いが女子力アップの秘訣なのだろう。

 志保は早速、ローテーブルの上に書類を展開し、早速細かいシフト決めを始めた。


「とりあえずクラスの出し物を優先しよう。外部から少ない一日目二日目にある程度全員が回せるようにしておきたい。だからその間の出張所は数人限定の予約制でいいんじゃない。同じクラスって利点をうまく使えばゲリラ的に行って宣伝になるかも」

「ふむ。その兼ね合いは志保に任せる。でも分からないことがあってさコスプレしててもカジノなのだろう? 難易度によってゲーム種別を変えるのは分かるんだけども、そのカジノの相手は誰が担当するのさ? 入り口に一人、投票所で一人、ゲームをするのが三、四人ってとこかな」

「ゲームの難易度は三段階に分けるつもりで一番強いところに凛ちゃんを配置しようかなと」

「……え」

「づかちゃん、すごいゲーム上手いじゃん。あの麻雀部の部長と副部長を追っ払ってるし」

「その、引き受けてくれるかな? せめて凛ちゃんがシフトにいる間だけでも」

「……ごめん、それだけ無理だ。麻雀の時はたまたま一瞬で終わったから耐えられただけ。慣れたと思ったけど体調崩しちゃったし」

「あーそういや次の日、休んでたっけ」

「恥ずかしながらトラウマなんです。だから……」


 集団行動でなんとかなる方向音痴なんてまだかわいい。心に刻まれたトラウマは永遠に治らない。

 世界は摂理だらけ。朝が来たら夜が来るように、生の裏側は死であり、天塚凛は遊戯を嗜めない。

 一時凌ぎはガラス玉に頼ればできる。でも根本を治せないのでは、せっかく集めた「感情のかけら」の無駄うちだ。こればかりは自分の力で克服しなければならない。


「ううん、気にしないで。運営についてはみんなで考えよう、ね」


 心優しいクラスメイトたちは志保の案と並行しながら代案を考えてくれた。

 難易度で貰える投票権が変わる仕組みは悪くない。欠点があるとすれば高難易度を担当するわたしたち運営側、適切な人材を用意できるかどうか。遊戯なのだから運による勝ち負けの差は出てくるのは当然。極論、イカサマがなければ誰をどこに置いたっていい話。しかし高難易度のところには少なくとも目を瞑って軽やかにトランプのシャッフルができるくらいの人材ではないと、カジノの品格が問われる。物好きに言わせれば興が乗らないというやつだ。

 シフト、遊戯の腕前、それと陣営。全てのバランスを踏まえるとなると頭がショート寸前。代案もパッとせず、各々がトランプの練習をしてもらうことで打ち合わせは幕を下ろした。



    ◇



 そこからはなにがあったか。三人寄れば文殊の知恵。女四人集まれば始まるのは当然女子会。誰かの舌が回り始めれば連鎖するのか世の理。もはや打ち合わせという体を忘れて話に花を咲かせた。


「はーあ、蒼月の学園祭は彼氏と回るのが夢だったのに、どーしてウチにはできないんだろ」

「そりゃ序列が違うんよ。男どもはそこらに生えてる雑草より薔薇が欲しいものなの」

「薔薇より向日葵が好きなやつ、いてもいいのに」


 わたしは同じようなミスをするほど愚かじゃない。話題は恋バナ。そして天塚凛に彼氏がいる設定を知る結月志保がいる。

「ちょっとトイレに」

 間一髪のところで抜け出せたようだ。ただでさえ志保一人の相手が面倒なのだ。志保が三人……いや、志保以上にやかましいのが二人いるこの状況は不利以外の何ものでもない。ここは逃げるが勝ち。案の定、志保は悔しそうに唇を噛み締めていた。


「っと、トイレトイレ」


 本能がこうなることを予期していたのか、部屋に入る前にトイレの場所はしっかり頭に入れていた。

 しかし一体いつまで誤魔化し続ければいいのだろう。いっそのこと本当に誰かと付き合うのも……うん、面倒くさい。仮にもわたしはそれなりに数多の人間を見続けてきた。今更個人一人を愛すなんて器用な真似はできない。それに天塚凛が誰かに好かれているとも思えないし。


「ねぇ、あんた」

「うん?」


 トイレに入ろうとする寸前に横からスウェット姿の子に声をかけられた。私服だし化粧も落としているしで誰だか分からない。クラスメイトだったらあんたとは呼ばないはずだ。


「見かけない顔だけど出身は?」

 はて、巷では辻斬りのように故郷を訊くのが当たり前なのだろうか。理解できない。

「アメリカ、ですけど」

「はぁ? そうじゃない。外部か内部か……こんな常識知らずなら外部生か。なら行ってよし」


 同じ言語を介しているのかすら疑問に思う。まともな解答は期待しない方が良さそうだ。適当に相槌を打ってやり過ごした。


「――ってことがあってね」


 不可解な出来事も余すことなく利用する。部屋に戻って早速この話をすると三人は食いついたように聞いてくれた。おかげで彼氏(仮)について根掘り葉掘り聞かれなくて済んだ。そう思うと若干、得だったのかもしれない。


「この寮にも多いんだよね。外部とか内部とか」


 常時明るい志保でさえうんざりした様子だ。なんでも暗黙の了解で、食堂の席の場所とかトイレの場所とか風呂の時間でさえ内部と外部とで分けられているそうだ。腑に落ちない顔でいると「派閥争いみたいなもの」と菊田が教えてくれた。なるほど。すごく分かりやすい。

 蒼月学園での日が浅く、なおかつ平和的な1組に放り込まれたわたしでさえ両者の隔たりを十分に味わっている。他がおかしいのではなく、隔たりが薄い1組の存在が異質なのだろう。今でこそ内部と外部の見分けがつかないほど和気藹々としているが、それこそ入学当初は艱難辛苦の日々だったかもしれない。今に至るまでの道のりをマニュアル化して流布すれば未来も少しはマシになるだろうに。

 ……あれ、今更だけど寮暮らしの志保って外部生だよね。だけど瀬戸と菊田は内部生。

 この人たちはどうやって打ち解けたのだろう。ちょっと気になる。


「志保が人懐っこいからね。正直、最初は警戒してたけど」

「えぇー、ひどいなぁ」


 なんだ。てっきり名が売れている春夏冬雅が取り仕切ったのかと。結局コミュニケーションは持ち前の明るさが重要ってことか。アイツも使えないな。


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