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第二八話 刑事部捜査第二課


 義務教育は真っ当に受けられなかった。まともな友人関係は築けなかった。

 物心ついた時には陰謀渦巻く社会に足を踏み入れており、醜悪な大人や実直な子供が地獄に堕とされる様を幾度も見てきた。たとえ子役でチヤホヤされていたとしても善悪の判別はできた。


 ――ああはなりたくまい。


 他人に自慢できるほど賢い人間ではない。地獄に堕ちた連中がどんな結末を迎えたのか知らない。だけど権力を行使して他人をこき下し、名が売れ始めた女優を侍らせ、役者へのリスペクトの欠片もない極悪人だったとしても、混沌渦巻く社会からの追放を宣告された時には一抹の同情があった。


 信頼していた味方からの裏切り、徹底的に隠蔽していた数多の証拠が明日発売の週刊誌の一面を飾ること、「上」からの絶縁状、すでに警察が動いている現実。

 それらを同時に突き詰められると人間は壊れる。一度壊れた人間はもう二度と、以前のようにはなれない。

 正義が執行されるだけ幸せだ。中には未だに権力の椅子に座り続ける極悪人の手で無限大の未来を潰された人もいる。一度壊れた人間はもう二度と、以前のように笑えなくなる。喜びが湧かない。自分の境遇に涙すら流せなくなる。


 だから俺は幼くも自分が進むべき道、信頼できる人間をしっかり見極めてこれた。

 人を分別できるようになれたのも教育熱心の母親のおかげかもしれない。これだけは感謝してる。この社会で長い間活躍できている人間は例外なく、付き合う人間を選別できる慧眼を持っている。

 俺の幼馴染で同じく子役から芸能界に居座る龍閃鞠沙なんてその最たる例。彼女は他人の顔を見るだけで考えていることが手に取るように分かるのだという。俺が所属する会社の社長、金美嶺二は高精度な嘘発見器……異能力じみた超人と際限なく金と地位を追い求める策略家がわんさかといる世界が芸能界。


 たまたま俺が人一倍の経験があったから今は安全なポジションにいられる。でもそれが異常なのであって、本来なら常識を弁えた中高生くらいから少しずつ足を踏み入れるもの。

 広大な闇が肌に合わなければすぐに脱出するといい。両足が浸かって痺れ出したら警告。これまでの誠実な自分を手放したくなければ脱出。たとえ心が腐ってでも栄光に縋りたければじっとしているといい。馴染めばもう立派な芸能人だ。


 その見極めをするのに相応しい場所が学園都市蒼月。ここは外部に蠢く捕食者から守ってくれる聖域であり、闇を知るための交流拠点でもあり、脱出する幾許の猶予でもあり、そして俺たちに最後の青春を与えてくれる学び舎だ。

 俺はここでかけがえのない青春を謳歌するために闇を進んできたんじゃないかと思う。

 春夏冬雅として生きている以上、もう、真っ当な人生を歩けない。だから人並みの笑いと喜びと悲しみと……恋を経験してみたかった。

 ま、そんな簡単に上手くいくわけがないか、と半ば諦めかけていたこの夏。

 もう二度と思い出したくない悲惨な思い出の中に、だだっ広い公園で、転んだ女の子に優しくする天使の微笑みだけが燦爛と闇を照らしてくれたんだ。



    ◇



『一年1組、春夏冬雅くん。至急職員室に』


 それは学園祭のシフト決めをしている最中だった。本来なら芸能界休止中の俺が表に立つなんてありえないのだが、昨年の経験から学園都市のスタジアムで開かれるメインステージの裏方に任命され、当日の進行を手伝わなければならない。別に俺以外にも務まる仕事だが、どこぞの我儘プリンセスが「春夏冬雅がいないと乗り気じゃない」と関係者を困らせた結果がこれ。イベントの関係者が「お願いします」と頭を下げてきたから引き受けたものの、彼らの腹の中もしめしめと思っているだろう。


 なんせこのステージはハプニングだらけアドリブだらけの即興劇。去年はステージに立つ予定の人が道の混雑で到着できなかったことが多々あった。そんな時は進行役が軽快なトークで場を繋ぐのだが、裏方はハプニングなんてお望みじゃない。


 だから運営は一人でも多く代役を用意したいのだ。

 ま、自分で言うのもなんだけど代役なんて役不足。メインステージの進行を任されたっていい人間だ。

 だけど残念なことに俺は芸能界を休止中。代役すら与えられない立場だけど、当日の逼迫した空気にあてられて代役を買って出てくれる……なんて蜂蜜よりあまーい算段が丸見え。お人よしでもないから最初は断ろうとした、のに、どうしてか、脳裏にアイツの顔がチラついた。


〈え、わたしには面倒をやれって押し付けてくるくせ、自分はやらないんだ。へー、きみはそういう人間なんだ。……失望した。もう話しかけてこないでね、俳優の春夏冬雅くん?〉


 背筋がゾッとした。だんだんお近づきになれたと思ったのにゲームオーバーなんて洒落にならない。と、結局は引き受けてしまった。

 だから当初の予定ではクラスの出し物にいくらでも顔を出すと宣ったくせ、時間を調整してもらえるかとカジノ班と学園祭委員の結月に相談していたところだった。


「なにか悪いことした?」

「覚えはないんだけども」

「ま、雅くんの予定に配慮してシフト表作り直しておくから」

「すまねぇな」


 迷惑をかけたクラスメイトに顔の前で手を合わせ、駆け足で賑やかな教室を出ようとした。

 しかし職員室に呼び出されるほどの悪事に覚えはない。確かにこの街に越してきてからはいろいろと面倒事に付き合わされている。だけど全部巻き込まれただけだ。


 この夏の事件だってそうだ。その巻き込んだ張本人はというと俺を見向きもせず、一人でポツンと外を眺めている。

 天塚凛は不思議なやつだ。時折見せる人間離れした無機質な表情に惹かれる。人生二周目に突入すれば俺もあんな表情を演じられるのだろうか。



    ◇



「授業中に申し訳ありませんね」


 職員室に入ると近くにいた先生に別室に案内された。そこには顔馴染みの刑事と顔馴染みの域を超えた幼馴染が座っていた。

 この状況を理解できない俺に対して、鞠沙は平然と軽口を叩く。


「旦那が来たので説明を、石川警部」

「旦那じゃない」

「あぁ、さすがに警察の前で身分偽装はダメね。ちゃんと『未来の』って付けておきましょう」

「未来もヘチマもない!」


 油断してると勝手に外堀を埋めてくるコイツが怖い。顔を合わせるたびに行うやり取りも、この状況に限っては深呼吸になった。

 石川警部は刑事部捜査第二課――知能犯罪を担当している若手の警部。いつ顔を合わせてもサッカー選手のような爽やかな風貌で出迎えてくれるこの人には親近感が湧くし、非常に頭の回転が早くて頼りにしている。蒼月の警察官には見習ってもらいたいものである。


「あれからお二人の周りで変わったことはありませんか」

「いえ、特に」

「あたしも……ま、強いて言えば学園祭が近づいてきて人が増えたことくらい。撮影の見物人が増えて大変」

「そういえば今日も撮影だろう? なんでお前がここに」

「そりゃあなたに会う口実になるし、石川警部の隠し事が気になるし」

「うん?」

「話を伺いたいってわざわざ現場に来てくれたの。ちょうどあたしも次の撮影まで時間があるし、密談をするなら学園がうってつけだと思って抜けてきた。ここなら雅もいるし呼び出す手間が省けるでしょう?」

「や、そうじゃなくて……隠し事?」


 龍閃鞠沙は他人の心を読む不思議な力がある。他人の秘密を前提として会話を進めてしまうので時折、会話をワンステップ飛ばして齟齬を生む悪癖がある。例外は似たような力を持つうちの社長くらい。二人の会話を聞いていると平然と二段、三段飛ばしで会話が進んでいくので脳が疲れる。

 でもその能力は本物。少なくとも俺が知る限りで違えたことはない。


「いやぁ、参りましたね……絶対に口外しないと約束してくれるなら話しますよ」


 困惑した表情でぽりぽりと後頭部を掻く石川警部。降参を意味しているのだろうが、役者を前にそれは悪手。どうみてもわざとらしい。おそらく鞠沙も勘づいているが俺たちに損はないので黙っていた。


「リドルから予告状が届きました」


 その名前に思わず息を呑む。捜査二課がいるということは「怪盗リドル」関連だろうと覚悟していたが、まさか予告状が届いたとは思いもしなかった。

 怪盗リドルは近頃学園都市で奇術まがいの盗みをする不届者。その鮮やかで奇抜な手口は警察を翻弄し手がかりを残さない。

 そんな怪盗から半月ほど前、とある宝を巡って争奪戦を繰り広げたばかり。なんとか宝を取り返せたものの警察は未だに手を焼いている。


「文面は伏せますが、学園祭で『蒼月の至宝』を盗むという内容です」

「『蒼月の至宝』? 知ってるか?」


 訊き馴染みのない単語。鞠沙もぶんぶんと左右に首を振った。


「お二人はリドルと面識があります。奴が人を傷つけたという報告は上がってませんが、念の為に注意を払ってください。なにか異変があればお気軽に警察に……」

「ちょっと待ってください。『蒼月の至宝』ってなんですか?」

「それはお答えできません」

「なぜ」


 当然の疑問を口にした。中途半端な忠告をされたって俺たちは困る。せめて『蒼月の至宝』とやらが宝石なのか絵画なのかどんなものなのか、どこに保管されているのかを教えてくれないと注意のしようがない。

 しかし相手は警察。まして捜査二課なんてエリートが配属される部署の若手警部。そう簡単には口を割ってくれなかった。予告状が届いてくれただけでも石川なりの優しさなのかもしれない。


「顔六十点、演技力十点、素っ気なさ満点。うちなら半年持つかどうか」


 不満だったのは鞠沙も同じようだ。石川が去った後、貴重な情報提供を無下にしたらどうなるか思い知らせてやる、と俺の代わりに息巻いていた。

 ま、秘密に関してはお互い様。俺だって目にしたありのままを警察に報告しているわけではないし、警察より早くリドルを捕まえたいと思っている。

 理由は二つ。一つは真っ向から喧嘩を売られたから。もう一つは……俺の中で燻る可能性を真っ向から否定したいからだ。

 


 

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