第二七話 まちびときませり
「凛ちゃんに素敵な仕事を与えましょう」
え、やだ。なんで面倒くさがりのこのわたしが面倒を引き受けなきゃいけないのか。そろそろ転入生なんてチヤホヤされる立場でもないし、学園では付き合いが長い方なのだから取り扱いを理解してほしい。
わたし、天塚凛はこの夏に学園都市蒼月に引っ越してきた。理由は割愛。夏の出来事も以下同文。兎に角、いろんな出来事を経てなんとか蒼月学園に転入できたのである。
この学園は控えめに言って風変わりな場所だ。一つの都市を丸々学園に都合のいいように改良し、世界中のエリートと華やかな連中を集めて国家のように運営している。政には必ずしも反発がつきまとう。権力側が積極的に歓迎する外部生と、元来この土地で暮らしていた内部生とで大きな軋轢が生じているようだ。幸いにもわたしが所属している1組は平和で、境遇に関係なく一致団結できている。最近は蒼月学園祭なんてあつらえ向きのイベントが近づきつつあるから、クラスの仲は一段を強まっているように思える。
「……そっぽ向かずに私の顔見て」
「いやぁ、まだ病み上がりなもんで。ちょっと保健室に」
「えーそれは大変だー、なら保健室で休みながらじっくりお話しよう」
「お腹が痛くてトイレに……」
「心配だからついてくね。それにトイレなら鞄を持っていく必要はないよね、凛ちゃん?」
あぁ、どうやら今回はわたしが勘違いしていたようだ。のらりくらりと生きている人間には逃げ道を作らせないのが鉄則。
この学園でわたしなんかより天塚凛の取り扱いを熟知しているのが、クラスメイトであり「お助け部」部長の結月志保だった。見た目はちんまりしていて中学生に見えるのに、他人の手綱を握るのは本当に上手。逃げ場を塞がれたわたしは嘆息しながら志保に目を向けた。
「仕事とは?」
萎れたわたしを見て志保はふふんと鼻息を荒くした。
「『お助け部出張所』の責任者に命じます」
お助け部とは今更説明するまでもないだろう。その名の通り、誰かの悩みを聞いて手助けをする、いわばボランティアのようなもの。面倒くさがりとは一切の共通点もないけれど、強引な志保と一部の利害が一致したため渋々部員になる道を選んだのだ。
「なにそれ」
「実は抽選で本館の空き部屋が当たったの。部活や同好会はそこで出し物ができてね、展示とか発表会をするの」
「わたしらもそれするの?」
「部員二人だと辛いしクラスの出し物もあるから簡易的に、かつドカンと宣伝も兼ねて占いをしよう」
お助け部とは誰かのお悩みに手を貸すボランティア。なのに占いとは随分とかけ離れた出し物である。年頃の女子どもは占いに興味があると聞くが、わたしは微塵も興味ないし占ってもらったこともない。志保がどうかは知らないけれど少なくとも「占い」なんて単語は聞いたことがない。しようと決めてできるものなのだろうか。
「んんっとね、この教室を掃除してたら変な箱を見つけてね、その中に片眼鏡が入ってたの。どんな仕組みなのか分からないけどすっごいの! これで誰かの手相を見ると占いができるの」
わたしはバカではない。だから志保が言っている意味が理解できなかった。
本館ができる前まで使用されていた旧校舎。今となっては老朽化で歩けるところは限られている旧館だが、部活を作った志保は学園の許可をもらって一室を部室にしている。学校の簡素なインテリアとは一転してソファーやカーテン、オンボロの建物とは見違えるシックな空間が展開されている。ひと月の夏休みを犠牲にした志保の苦労の賜物だ。その過程で発見したという。
志保が持ってきた焦茶色の箱に収められていた銀縁の片眼鏡。なるほど、ここまでは話通り。
「信じてない凛ちゃんに試してあげるね」
占いなんて眉唾だ。占われるつもりなんてなかったが、嬉々として片眼鏡を耳にかける志保にノーとは言えず、促されるがまま左の手のひらを差し出した。
「これをかけて相手の手相を見ながら質問するの。そしたらその答えがこう……ふんわりと頭に浮かんでくるの」
「なんだそりゃ」
「まぁまぁ。で、凛ちゃんのお悩みは?」
急に言われてもすごく困る。生憎、他人においそれと教えられる悩みなんて持ち合わせてない。誤魔化すにしろ、いい悩みが思いつかない。テスト前なら勉強って答えられたけど。
あぁ! 面倒なお誘いを円満に断る方法とか? や、でもこれは志保にも当てはまってしまうな。ううん、どうしよう。
「……今夜の晩御飯のおかず」
「えぇ……」
呆れられてしまった。だが日々の悩みといったらこれくらいしかないのだ。ツマミの類なら簡単に思いつくのだけれど、元気盛りの身体では物足りず、やっぱりご飯を食べないと元気が出ない。ちなみに昨日は近所のスーパーの天ぷら。美味しかった。
「あのさ、私たち、華の女子高生なのだけど。もっとこうさ、色恋はないの?」
「とは言われてもなぁ。ワタシツキアッテルヒト、イルシ」
なんてのは真っ赤な嘘。やんごとなき事情でわたしには恋人がいる設定になっている。甚だ以て面倒な話だが遊戯の対価である以上、勝者であるわたしが捨てるわけにもいくまい。
「ねぇ、その意中の人の写真見てみたい」
「わわっ、そんなことより、今夜の晩御飯を教えてよ」
「いつか凛ちゃんの彼氏に会ってやる――えっとね、『待ち人来ませり』って」
なぜ晩御飯のおかずの話をしているのに待ち人になるんだ。やっぱり適当なこと言ってる。
はぁ、思い当たる節があっただけに志保に付き合った自分がバカだった。そう都合よく物事が進めば苦労なんてない。百の努力のうち一つでも報われる世界なら天塚凛は存在しなかっただろうけれど。
「ま、私たちはあくまでも学園のみんなのお悩み相談所。四日間でも身内が多い最初の二日しかやらないけどね。それに『異性装総選挙カジノ』のシフトの兼ね合いもある……はわわ、やることが多いな」
「頑張ってね」
◇
1組の出し物は『蒼月異性装総選挙カジノ』というらしい。一向に決まらない状況に痺れを切らした志保が提案した突拍子のない文字列。要は男子女子問わず『メイド』と『執事』の二つの陣営に分かれて仮装し、チップを賭けて遊戯を行う。もちろんお金のやり取りは御法度。参加者は獲得したチップを投票権と交換して、気に入った『メイド』と『執事』に投票できるのだ。そしてナンバーワンになった『メイド』と『執事』にはとっておきのご褒美……や、選ばれた奴らの気持ちを考えると想像したくない。男女なら兎に角……ねぇ?
クラスの学園祭委員である志保は日が暮れても学校に居残って、クラスのシフト表作り。衣装は手芸部総出で取り掛かってくれているそうだ。
蒼月の学園祭は学生だけの思い出作りに留まらない。華やかな連中も数多く所属する祭りは街全体が夜通し会場になり、さながら音楽フェスのように盛り上がるという。学校の行事なのに、どうしてかスタジアムを貸し切ったステージもあるとか。そこでは当然学園の華やかな連中が立つみたいだ。そいつらの予定を踏まえなくちゃいけないなんて志保も大変だ。いつか労いのプレゼントでも渡そう。志保はなにが欲しいのだろう。
蒼月での主な移動手段となるモノレールに揺られながら当たりを取ってみる。そういえば最近はよくアニメを観てるとか言ってたような。ぬいぐるみとかキーホルダーとか、そのアニメのグッズとか喜ぶかな。家に帰ったらネットで調べてみよう。して、今日の晩御飯はどうしよう。
「『待ち人来ませり』か。聴き馴染みがあるだけに頭に残るのが癪だ」
先の占いを思い出す。占いにしようとしたのも志保があんな片眼鏡を見つけたからで、使い物にならないと分かれば別の手を考えなければならない。
もろびとこぞりて、待ち人いらっしゃる。「しゅ」は「しゅ」でも、わたしはシュワシュワしている方が大好きだ。
駅を降りていつものように駅前のスーパーへと足を伸ばす。が、今日に限ってお惣菜コーナーが根こそぎ刈り取られている。
「ほら、今月はお祭りがあるでしょう。気の早い人たちは今の時期からホテルとかウィークリーマンションを借りるのよ。当日なんて通行証を取るのは無理だからね」
たまたま近くにいたおばさんに訊いてみれば納得の答えが返ってきた。しばらく街全体が落ち着かないだろうと、蒼月新参者にありがたい忠告を残してくれた。確かに駅も車内もいつもより混んでいたかもしれない。
しょうがない。今日は家にあるものでなんとかしよう。幸いにも昨日の残りがある。
手ぶらでスーパーを出てからだだっ広い公園の横を通り、苦難の果てに手に入れた安住の地に帰ってきた。
「あ、梓さん」
ちょうど鞄から家の鍵を取り出そうとしていると隣に住む山本梓が出てきた。いつもなら優しい笑みで挨拶してくれるのだが、今日はどうしてかバタバタと慌ただしい。それにいつも一緒にいる娘の紅葉の姿がない。
「なにかトラブルですか」
「バイトの子が急に来れなくてお店が回らないってマスターに泣きつかれちゃってね」
「なら紅葉ちゃんはお留守番? 代わりに様子見てましょうか」
「ううん、大丈夫。お友達の家で面倒見てもらってる」
そりゃよかった。あんな事件があったばかり。犯人を捕らえたって街の平穏が落ち着くわけじゃない。
学園都市蒼月は一国の城塞のような強固なセキュリティが敷かれている。万引き、ひったくり、たとえ軽犯罪だろうと見逃さない安全神話があった。だがそれも過去の遺産。わたしの感覚では都内とそう変わらない。
「あーあ、今日は紅葉と家でゆっくり過ごそうと思ったのに遅くなりそ。せっかくマスターがハンバーグご馳走してくれたのに」
「はんばーぐ」
「店ではテイクアウトなんてやらないんだけど、紅葉がいつも喜んでくれるからって特別に作ってくれたの。明日一緒に食べようねーなんて言ってたらこの有様。せめてあと一人雇ってくれれば楽なんだけど……あ、こうしちゃいられない。じゃあね、凛ちゃん」
梓が働いているお店って、繁華街にある洋食屋だっけ。学園都市として整備される前から地域に親しまれているとかで、クラスメイトの瀬戸杏奈や菊田飛鳥もパスタが絶品だって褒めてたような。
ふと、あの占いが頭に過ぎる。
普段なら面倒だと一蹴しただろう。しかし普段らしからぬ行動をするには十分すぎる理由だった。