第二五話 ビターエンドの歩き方
「ふわぁあぁあ」
手で口を押さえるのも面倒だ。顎の筋肉がちぎれそうなくらい大きく口開けて、授業兼寛解明けの大欠伸をする。
明日で十月、学園都市を賑わせる蒼月学園の学園祭までひと月を切り、学校中がそことなく慌ただしさと高揚に包まれている。我がクラスは『蒼月異性装総選挙カジノ』と聞き慣れない言葉が列挙した珍妙な名前の出し物。簡潔にまとめればコスプレカジノだ。男装陣、女装陣と分かれて得票数を争い、各陣営から最多票を取った人同士で接吻できるご褒美付きのプライドを賭けた戦い……らしい。互いに意識し合っている男女ならロマンティックかもしれないけど、同性同士で接吻するリスクを秘めているとは恐ろしい。
ちなみにはというものの柄にもないと思われるだろうが、わたしもクラスの出し物に関しては割と乗り気。だって得票数が少なかった陣営が学園祭の後片付けをされるという非人道的罰ゲーム付き。こうなったらなんとしてでも執事陣営を勝たせないといけない。そのためにはまず……ずば抜けた面と演技力を持つ春夏冬雅をどうにかしないといけない。見目形の勝負ならアイツに不利を取るのだから。あぁ、なんでこういう時に限ってコイツが同じグループにいないんだ、と刺すような目で隣を見た。
「華の女子高生なのだろう? 欠伸くらい隠せって。……なんだ俺を睨む」
「いーえ、別にぃ。雅くんが役に立たないなって思っただけ」
「はぁ? なに言ってるんだ。むしろ教えてやっただけ感謝しろ」
「それはそうですけど……情報元が雅くんと幕部からなんて癪だなと」
前日に風邪を引いたのが不幸中の幸いだった。学校が学園祭の準備期間に入るから当分部活動は禁止、ただし学園祭に向けての準備なら可能ということで「お助け部」の部長、志保は他の部活のお手伝いに追われていた。部室の片付けくらい手伝ってやろうとしたが「凛ちゃんは病み上がりなんだから帰って」と追い出されてしまった。ちぇっ、これがいつまでも幸せに続けばいいのに。でもこれで志保に気づかれぬまま、雅と学校を簡単に抜け出せた。
わたしが寝込んでいる間にいつの間にか世界は涼しくなっていた。もう秋になるのも時間の問題。それが終われば寒くなって冬。一年が経つのが年々早くなってきてるのを実感する。わたしももう年寄りかな、なんて。
「ひっ、きっくし!」
「まだ風邪か。しゃあないな、ほら」
と、春夏冬はなにをとち狂ったのか自分の上着をわたしの肩に被せてくれた。
い、一体どうしたんだ? まさか見舞いに来てくれた時、わたしの風邪を移したか?
あの春夏冬雅を見ていて「優しさ」なんて微塵も感じられなかったのに。
……ははぁん、これはあれか、貸にするからってやつか。すぐ近くの学園祭で「あの時貸してやったんだからお前ら負けて片付けシクヨロー」……絶対負けるもんか。
「これ、返す。もう大丈夫だから、ズビッ」
「また曲解してるんか? いいよ、これは俺からのただの好意だから」
「……そ、ならありがたく貸してもらうよ」
人から好意をもらった時は、たとえ相手が嫌なやつだろうと感謝して好意に甘えるべきだ。普段なら絶対に他人に見せない天使のような微笑みではにかんだ。
「むぐぅ」
おや、なんか知らないけど春夏冬が胸を押さえて急に悶絶してる。どうせ死にやしないだろうからと無視して目的地へと進んだ。
「おぉや、こんにちわ。デートの途中ですいませんね」
「いえ、これとはただの当事者の関係で……それより、本当に入れるんですか」
「今日はわたしが担当することになっていてね。あぁ、くれぐれも口外しないように。俺の首が飛ぶからな」
ほほぅ、だったら遠慮なく言いふらしたい……が、我慢我慢。ここで幕部を失えば困るのはわたしたちなのだから。
エントランスに一歩踏み入れれば老若男女問わず、様々な人が行き交っていた。え、こんな人の流れからどうやって前に進めばいいんだ? だったらここは大回りを――
「おい、こっちだ。逸れんなよ」
力強い春夏冬がわたしを引っ張ってくれた、おかげで無事に幕部と逸れることなく、エレベーターに乗り込んで上の階を目指す。
幕部との打ち合わせではまだ交代する警察が待機しているので、わたしたちはその人に見つからないようにやり過ごしてからこっそり病棟に侵入する。看護師に見つかったらアウトの高度ミッションだった。しかし存外に交代の警官はすぐ離れ、ナースステーションには誰もいなかったのであっさりと侵入できた。
病棟の廊下の一番奥の突き当たり、個室だそうだ。だがもちろん凶悪犯罪者が捕まっている以上ただの個室ではなく、窓は施錠、格子が嵌められ逃げ出せず、鍵は外からでないと開けられない仕組みになっている。
「分かってると思うけど機械に触るんじゃねぇぞ」
わたしたちは深く頷く。幕部の鍵でかちりと解除され、ゆっくりと扉を引いた。
そこにいたのは四方をモニターで囲われ、腕には点滴、口には人工呼吸器といった医療機器があらゆる部位に装着されていた。脳の状態は回復の兆しがなく、このままではもう……
雅はゆったりと会長のそばに寄ろうとする。が、機械に阻まれて手に触れることもできず、踵を返し戻ってきた。わたしに言わせると、言い方は悪いけども無理やり生かされているとでも思えてしまった。
「『お宅の坊っちゃまが罪なき人間を殺した』と伝えたら親御さん、泣き崩れてたわ。長いこと刑事やってると犯罪に手を染める人間の共通点ってのが見えてくるんだけども、今回はそれがどこにも見当たらん。不思議なもんだ」
わたしはなにも言えなかった。何気ない幕部のぼやきと寸分狂く同意だったからだ。
「容態は変わらずで?」
「この瞬間戻るかもしれないし、明日、一週間後、一年後の可能性もある。こればかりは神のみぞ知る話だな」
もう自分を無力だとは思わない。
わたしの名前は天塚凛。蒼月学園一年生、好きなことは風呂上がりの一杯、嫌いなことは面倒と厄介な人間の世話。夢は生まれながらにして秘めている野望を果たすこと。一風変わった道具は持っていても天塚凛はそれ以上でもそれ以下でもない、どこにでもいるただの人間だ。
できることはなにもない、けど、それが普通の人間なのだ。
わたしはこの融通が効かない世界で不条理を受け入れながら生きていくと決めた。賽を投げるのはもうわたしの役目じゃない。
月並みの人間であるわたしはただ奇跡を願う。祈りを天に捧げる。
「……意識が戻ったら絶対に罪を償わせますから」
次回の投稿は未定です。