第二四話 なんだよ、それ。ふざけるな
ここはどこだろう。視界がゆらゆら、頭もぼんやり、最初は自分がなにを見ているのかさえ曖昧だった。頭を動かそうとすると得体の知れない激痛が走る。手足も感覚が麻痺してしまって動かせない。
「……っ、気がついたか?」
聞き覚えのある男の声。けど、こんなに悲しんだ声は聞いたことがない。
「待ってろ、先生呼んでくる」
いつからそこにいたのだろう。わたしの寝顔を覗き見するなんてほんと、趣味が悪い。
……寝顔? あれ、わたし、いつ寝てたんだろう。どうして彼が悲しんでいたのだろう。
思い出そうとしても曖昧な意識のままではろくに思考を積めず。とろけるような感覚のまま大人しく春夏冬を待つことにした。
春夏冬が連れてきた医者によれば頭に傷ができていたために手術で縫合したそうだ。数日の入院を強いられたが済んだことに首を振れない。医者の説明が終わったと思えば今度はスーツ姿の集団がゾロゾロと現れた。その中にはあのちょび髭もいた。だんだんと意識を取り戻していくうちになにが起きたのか思い出せた。
「……どうなりました」
大の大人が揃っているのに口を噤む。肯定とも取れれば否定とも取れる。こちとら事件の当事者なのだから知る権利くらいあるだろう。
「だいぶ無茶しましたな……現在、逃亡中ですよ」
「おい、余計なこと言うな」
「えぇえぇ、分かってますよぉ」
隣の刑事に肘で押され、口を閉ざした幕部。事情聴取は後日、わたしの体調を見計らって行われると説明された。お大事にしてください、と刑事らが頭を下げるとそのままゾロゾロと引き上げた。その中でも唯一面識のある幕部はベッドで横たわるわたし……と春夏冬に目を向けた。ニヤリと薄気味悪い笑顔を浮かべるも無言のまま病室を出て行った。
まぁ、逃亡は無理もない。この学園都市なら捕まるのも時間の問題。さして安堵もしなければ危機感もなかった。
「終わった、のかな」
独り言を呟くように、わたしの隣で腰掛ける春夏冬に声をかけた。だが返ってきたのは「あぁ」と力の抜けた返事。春夏冬の疲労も無理はない。時刻は十二時を回り、精神的にも肉体的にも限界だろう。気の利いた言葉でも言えれば良かったのに、無骨なわたしはなにも励ませなかった。
「もう、帰りなよ。面会時間だって過ぎてるのにさ」
「……あぁ」
と、返事はしたものの一向に動こうとしない。幸いにも病室は個室で他に誰もおらず、誰かに注意されるまでならと滞在を許した。
そのまま重苦しい空気が流れる。なにも喋らないから寝たのかと横目を向けたが、彼の目はぱっちりと開いている。彼にも考えることがあるのだろう。
「わたし、もう寝るよ」
「……あぁ」
「ね、ひょっとして家に帰りたくないの? 独りになるから」
「あぁ」
今度は間をおかずに返事がきた。不覚にも核心に踏み込んでしまったようだ。土足で立ち入ったからには通行量を払わねばならない。それにわたしも寝たくない。意識を手放せば心の中を渦巻く絶望を夢の中に捨ててくる気がして、曲がりなりにも事件に関わったからには無責任なことはしたくない。今はただ、現実を噛み締めたかった。
「志保から連絡きた?」
「……あぁ、今日はいけないって」
「そっか、巻き込まなくて良かった。事情聴取ってなにするんだろ。わたしの家で実況見分するのかな……『雅くん』はもうやったの?」
「――急に下の名前で呼ぶの、やめろ」
あれ、不満なのかな。通行量として名前で呼んでみたけれど気に入らなかっただろうか。
わたし的には下の名前で呼び合うのって親愛の証だと思ったんだけどな。
「や、ごめんなさい。馴れ馴れしかったかな。もうやめるね、春夏冬く……」
「そのままでいい! ……けどもう少し心の準備が欲しかった」
はぁ、よく分からない。だが今は精神的に辛い状況に違いないから大人しく従った。
「わたしたちのクラスってどんな雰囲気です?」
「至って普通……でもないな。変わったやつらだけどみんないいやつさ」
「他に芸能人とかいるんです?」
「昔子役やってて引退したやつなら一人いる。……なんだ、お前もちゃっかりミーハーなんだな」
「いえ、あなたみたい厄介な人がいたら面倒だなって」
「あなたって呼び方は他人行儀に感じる」
「我儘ですね。なら『雅くん』でいいですね? 春夏冬って結構呼びづらいんですよ。いっそ名前改名してくれません?」
「芸名も兼ねてるから変えられるわけないだろう、我儘なのはお前の方だ」
「あぁ! 人がせっかく励ましてやってるのに喧嘩腰になって。……ま、いいですよ。許しましょう」
「――――あのさ」
突然、声を張り上げる雅。彼が纏う迫力にわたしは黙るしかできず。
「なんです? 元気が出たから帰りますか?」
「――ごめん、言うか言わまいかずっと迷ってた。お前に嘘はつきたくない」
「……なにを、です?」
「八月朔日会長はもう捕まった」
理解が置いつかなかった。さっき病室にいた幕部は逃走中と言ってたじゃないか。逮捕したなら嘘をつく利点がどこにもないのに。
「ただ…………意識が戻ってない」
ことの顛末を語ってくれた。
わたしとの通話が切れた後すぐに警察に通報し、彼自身もこのマンションに向かったようだ。来た時にはもうパトカーが数台停まっていて、部屋で気絶していたわたしは救急車で病院に。駆けつけた救急隊員によって命に別状がないと知った春夏冬はマンションに残って警察に事情を説明したそうだ。
意外にも幕部がすんなりと聞き入れてくれたおかげで八月朔日会長がクロと断定し、姿をくらませた会長の捜索が始まった。が、その会長はすぐ発見された。わたしの部屋のベランダの真下で倒れていたそうだ。ただちに救急車で警察に運ばれたそうだ。
「……自殺?」
「分からない。一命を取り留めたようだけど脳に異常があるみたいだ。だから……いつ目覚めるかも不明のまま。このまま亡くなる可能性もあるとさ」
「なんだ……それ」
「警察の監視があるから目覚めたとしても脱走の恐れはないとさ。けど警察は公表しないって」
「意味が分からない」
「なんせ容疑者があの八月朔日の御曹司。未成年というのもあるけど、各地への影響に配慮して徹底的に秘匿するとさ。会長の安否を知るのは本来なら警察だけ。だけど他の刑事には内緒でこっそり、幕部刑事が俺に教えてくれたんだ。だから俺たちは例外だ」
なんだよ、それ。ふざけるな。
あの野郎、動機も言わずに、罪を背負わずに、逃亡を画策していてバレたら人生にトンズラ?
そんな身勝手、許されると思っているのか?
こんな……こんな馬鹿げた結末、納得できるわけがない。
現実が都合よく動くわけじゃないって理解していたはずなのに、どうしてこうも心が冷えるだろう。理由を知りたくたって、地上最先端の知恵を導入した学園都市「蒼月」でも判りやしないだろう。
こうしてわたしの一夏は呆気なく終わりを告げた。新しい出会いばかりがやってきて、小説みたいなドラマティックな出来事が繰り広げられ、誰にも打ち明けてはならない秘密ができて、ハッピーエンドとはかけ離れたほろ苦い青春。天塚凛としても、絶対に忘れられない事件から、蒼月での青春が幕を開けた。