第二話 学園都市 蒼月
ふわぁと大きなあくびが溢れてしまった。昨日は学校の宿題が山積みで寝不足。誠に真っ当な高校生らしい生活だ。睡魔と格闘しながら内心はちょっと嬉しかったりする。以前の学校では青春を味わうほど精神的余裕はなかったし。
今の時間は下校時間直前のロング・ホームルーム。議題は学園祭の出し物。他クラスの出し物はとうに決まり着々と準備を進めていく一方で、我が1組はまだ何も決まっていない。九月ももう中旬。時間はない。
世間の学園祭は十一月三日の前後、計二日間が一般的。だが芸能界や秀才が集まる学校が二日で終わらせるわけがなく、なんと四日間も開催されるのだ。学生の貴重な休日を犠牲にして。
この前、卓上ゲーム部の部長さんに会った時、昨年の様子を訊いてみた。
曰く、世界的ミュージシャンのライブとオリンピックと夢の国を合体させたお祭り。夜通しはしゃいでクタクタの中の撤収作業は地獄とのこと。クラスによっては撤収に深夜までかかったとか……ひっ、想像しただけで寒気が、鳥肌が。だから卓上ゲーム部では教室一部屋借りて、ボードゲームのプレイスペースを解放するだけ。実に懸命なやり方だ。
てきとーにらくーな出し物さえしてくれれば大助かりだ。ここで頑張ったって成績が上がるわけでもないし、『感情』が集まるわけでもあるまいし。
クラスの代表に仕立て上げられた結月志保は黒板に案をまとめている——執事喫茶、メイド喫茶、肝試し……なかなかオーソドックスじゃないか。これだけ候補があるなら今日中に決まりそう。
「とりあえずここから選ぶけど、反対の人は?」
と、黒板の前の志保が教室に呼びかけるとすかさず、いくつか手が上がった。
「俺んとこ。写真NG。客の誰かが撮ったらソイツ人生アウト」
「あたしのところも以下同文。事務所を通してくれればいいんだけど、写真悪用されたら困る」
「肝試しは確か、去年痴漢騒ぎがあって週刊誌沙汰になったからダメじゃない? だから今年は男女別のお化け屋敷作らないといけないって」
「はぁ? 女の子が可愛らしく『きゃー』って反応してくれるのが醍醐味だろう? なんでわざわざ野郎の悲鳴聞かなきぁいけないんだ」
結果、今日も何も決まらず。準備期間を含めれば時間が足りない。志保が指揮を執るのも三回目で、疲れが表情に現れている。
「なら自分にNGがなくて、これなら大丈夫そうって出し物を紙に書いて提出してください。紙はノートの切れ端でも構いません。今からこの箱を回していくので中に入れてってください。ここから妥協案を探します」
「名前書いた方がいい?」
「どっちでもいいです。みんなの考えてることはなんとなくわかりますから。たとえば雲雀くんは『メイド喫茶』って書こうとしてます。自分は何もしなくていいからって」
「えっ」
不意に名前を告げられた男子が驚いた声をあげる。おそらく志保の推理が当たっていたのだろう。
「自分は何もしないで人を働かせるなんてサイテー。そうだ、メイド喫茶はメイド喫茶でも『女装メイド喫茶』にしよう」
「それいいですね! 私もそう書こうっと」
「おい待て。またNGがどうのこうの言うやつ出てくるぞ」
「対策は簡単ですよ——バレないよう、完璧な女装をすればいいんです」
「おぉー、さすが東雲女史」
今日一番の賑わいがやってくる。案がでないからてっきりやる気がないものとばかり。しかしこの盛り上がりようは、本当は楽しみたいけれど自身に縛りがあるせいで意見を言えなかった、という感じだ。
ならばわたしも考えようかな。無理やりクラスの代表にされてしまった哀れな友人のために。
……………でも、そもそも学園祭って何するの? 経験したことないからわかんないや。
前の席から箱が回ってきたもののアイデアが思い浮かばず、適当に「カジノ」と書いて中に入れた。
これで今日の学校もおしまい。この後志保は学園祭の委員会に出席するから部活もなし。
早く家に帰ってゲームしよっ。この前教えてもらったシューティングゲーム、すごく面白かったんだ。早く続きやりたい。
◇
学校の最寄り駅から三駅隣。そこから僅か五分ほど歩いた場所がわたしの新しい家。6LDK、トイレ風呂別、オートロック完備。女子高生が一人暮らしするには天国のような環境。引っ越す前も引っ越してきた後もいろいろと面倒があったけれど、今ではすっかり落ち着いている。
ドラッグストアでお菓子やらインスタント食品やら非常食を買い込み、両手からビニール袋をぶら下げてマンションのエントランスに入ると二人の親子とすれ違った。
「あ、凛お姉ちゃん! こんにちは!」
「紅葉ちゃん、こんにちは。これからお出かけですか?」
「えぇ、久しぶりに休みが取れたから映画館に連れて行こうと思って」
「よかったね。お母さんとお出かけできて」
「うん!」
二人はわたしの隣の部屋に住む山本梓さんと山本紅葉。
紅葉は今年小学校一年生。梓は学園都市のバーに勤めており女手一人で子育てしている。学園都市にも飲食店が立ち並ぶ繁華街がある。昼間は特に問題ないものの、十八時になると酒の提供が始まるので学生は立ち入り禁止。引っ越したばかりの頃にふらりと寄ってみたが、身分証を提示しないと入れないと門前払いされてしまった。
厳重なセキュリティが施されているがその一方、よからぬ噂も絶えない。大人が立ち入る空間、まして有名人が集まる学園都市。きな臭い話が集まるのも必然だったりする。
山本親子に手を振って別れをして、エレベーターで四階まで向かう。廊下を進むとわたしの部屋の前にダンボール箱が置いてあり、思わずサッと身構えてしまった。
数週間前までドタバタしたばかり。今は安全とわかっていても不審な物があると身構えてしまう。
おそるおそる近づく。だがダンボールに貼られた伝票を見て、すぐ冷静になれた。
……そういえばコレ、この前通販で注文したっけ。誰かに見つかると面倒だ。さっさと部屋の中に入れてしまおうか。
「凛お姉ちゃん」
「わわっ!」
急に背後から声をかけられた。振り返ると先ほど別れたばかりの紅葉ちゃん。その後ろには梓さんもいた。どうしたのだろう。忘れ物を取りに来たのだろうか。ダンボールは足で隠し、この子の目がいかないように「忘れ物?」と話しかけた。
だが「ううん」と首を振る。うん? どういうこと?
「ごめんなさい。この子が『凛お姉ちゃんに頼みたいことがある』って聞かなくて。映画より凛ちゃんが好きみたい。申し訳ないけど少しだけ時間もらっていい?」
「わたしは大丈夫ですよ。少しここで待っててください。部屋を片付けてきますから」
「いやいや、私たちの部屋でいいよ。この子の我儘なんだから」
「そうですか。なら荷物だけ入れちゃいますね」
頼られるのは悪い気分じゃない。むしろ子どもに頼られるというのは大人として誇らしい。純粋無垢の前に面倒くさいなんて感情は些事である。ひとまず通販で買ったおいしージュースを玄関に入れた。
◇
「お化けを見た?」
「そう! あそこでブランコに乗ってたの」
紅葉が指差すのはベランダ。そこからは公園が見える。わたしの部屋も似たような景色だ。
お化けとはまた子どもらしい発想だ。地上の常識に捉われない思考は子どもならでは。紅葉の話を聞きながら梓が出してくれたオレンジジュースを口にする。
ここまで聞いた話を一旦まとめる。
つい昨日のこと。夜中に目を覚ましてベランダに目を向けた際、ブランコに乗って項垂れるお化けを見たと言う。叩き起こされた梓も外を見たが、お化けは愚か人の影すらなかったようだ。
「で、凛お姉ちゃんにお化けを探してもらうってうるさいの」
お化けを探せとはまた無理難題だ。梓も本気で探してもらおうとは思っていないはず。あくまでも紅葉の溜飲を下げるため。なんでわたしが指名されたかは不明である。
となれば適当に話を聞くことにしよう。最悪、雅をこき使おう。元子役ならお化けの芝居くらい造作もないはず。
「ん、わかった。お化けとっ捕まえてくるから。見つけたら教えるね」
これにて話は一件落着。子どもの興味関心はあっという間に燃え尽きる。数日付き合ってあげて、まだ話を覚えていたらその時に最悪の事態を行使しよう。
ジュースを飲み干し、「ごちそうさま」と言って学校鞄を手にした。玄関で「迷惑かけてごめんね」と梓が謝ってきた。「構いません」と笑顔で返事をし、紅葉に「またね」と声をかけた。
いつもならバイバイと笑顔で送ってくれる。でもどこかバツが悪そうな顔をしている。
きっとお化けが怖いのかも。なんたってまだ子どもだし。そう思っていたが、紅葉から意外な言葉が飛び出してきた。
「お化けさんがね、泣いてたの」
◇
その日の夕方、幽霊がいたという公園に足を運んだ。近くはコンビニやスーパー諸々があり、ここで買い物をする親が暇する子どもを遊ばせているらしい。わたしが行った時も数人の子どもが駆け回っていた。
『お化けさんがね、泣いてたの』
梓は笑っていたけれど、わたしはどうも気掛かりで、スーパーで追加のご飯を買い込むついでに寄ってみた。ブランコは二台。左右のどちらかが件のブランコだろう。一先ずブランコに腰を下ろし、じっくりと周囲を観察する。
普通、お化けとか幽霊って怖い存在。子どもなら尚更そう思うはず。なのに泣いていた、つまり「悲しみ」を感じ取ったわけだ。
それは矛盾している。世の中の道理に反している。紅葉の見間違いなら泣いていたなんて言葉出てくるわけがない。そうなると紅葉が本当にナニカを見た可能性が高いのだ。
考えられる可能性は誰かの悪戯。悪意があろうとなかろうと、なんらかの目的があったのだ。現場に来てみれば手がかりをつかめると思ったのだが……
「お姉さん、どうしたの?」
目の前にはサッカーボールを抱えた男の子が立っていた。わたしを心配してくれて声をかけたようだ。せっかくの好機だ。「お化けを見た?」とは直接的に訊かず、「この辺で夜、変な人を見かけた?」と遠回しに訊いてみた。
ま、夜遅くに子どもが出歩くわけないか。そもそもこの子が近くに住んでいる保証もないし。ダメ元にしては無謀な声かけ——
「人じゃないけどお化けを見たって子はいるよ」
「えっ」
「俺は見てないけど確かハヤトが……ちょっと待ってて。呼んでくる」
サッカーの少年は向こう側に駆けていく。不意にやってきた好機に驚く暇もなく、ハヤトと呼んだ少年を連れてきた。
「オレ見たよ。お化け。ちょうどお姉さんが座ってるブランコで」
わ、なんとナイスなタイミングでしょう。嬉しくなって思わず胸の前で柏手を打ってしまう。
「詳しく訊かせてくれない? いつ? どんな格好だった?」
「三日前だったかな。夜遅く、車でここを通り過ぎた時にチラッと見えたんだ。男の人が立ってたけど足がなかった。見間違いかと思ったけど、学校で見た人が何人もいた」
公園の前には少年が言う通り、車道がある。となると紅葉より近い場所で目撃したことになる。この証言は重要だ。
「そのお化けは立ってただけ?」
「オレが見た時は立ってただけ。でも中にはブランコに乗ってたり……泣いてたって言う人もいた」
「……ん、わかった、ありがとうね。もしも他に思い出したことがあったら、ここに連絡してくれるかな」
情報は得られた。なにか思い出したことがあればメールしてね、とメモ帳に部活で使用しているメールアドレスを書いて二人に渡す。お礼にジュースでも買ってあげようとしたが、「知らない人から何か貰っちゃいけない」と丁重に断られてしまい、元いた場所に駆けて行った。
……世知辛いね。でも教育がしっかりと行き届いているようで嬉しかったり寂しかったり。少年たちが正しい。昔は子どもが騙されて拐われて、いろんな人が悲しんだもの。悲惨な過去を積み上げまいと先人が対策を講じたのだ。それが知識として形になったのなら言うことはない。
ま、今は感傷に浸る場合じゃない。
思っていたよりも旗色が悪く、わたしも本腰を入れなきゃいけないようだ。
といっても早ければ今日中に片付くだろう。お化け自体は難なく対処できるけれど……問題はその後だ。
◇
現在の時刻は午後二時。いつもならぐぅぐぅと気持ちよく寝ている時間帯。静まりかえったマンションを出て、ゆっくりと公園に向かった。
「こんばんわ、お化けさん」
ハヤト少年の証言どおりだった。お化けは成人の男性。もちろん両足は見えない。ないと言う表現はちょっと違うかも。正確に言うとホログラムのように透けている。もちろん彼は人間じゃない。本物の亡霊だ。
生身でなくても聴く能力はあるようで、声をかけるとわたしの方を振り向いた。懸命に口をパクパクさせるが声は出ず。会話が誰かに聞かれてないとも限らないので河岸を変えることに。場所はもちろん、わたしの部屋。彼の目を見て手招きするとふわふわとついてきてくれた。
「はいどうぞ」
今日……や、正確には昨日か。昨日届いた「とっておき」で彼をもてなす。不審がっていた彼もわたしがグラスを口にすると、警戒心を解いて眼前のグラスに口つけた、が、わたしの配慮が足りず、彼の手はすうっと空を切った。
「あぁ、ごめんね。触れられないのか」
軽く指を打ち鳴らす。すると彼にうっすらと正気が宿った。これはあくまでも一時的なもので応急処置に過ぎない。この時間は彼に与えた猶予期間だ。
「あ、あ……声が、ものに触れられる。あなたは一体……」
「長々と語ってもいいんだけどね、残念ながらそこまで時間がないんだ。有給休暇中の神の御使いとでも思ってくれていいよ」
それでも信じられないのか、「はぁ」と素っ気ない声を出す。今は別に威厳を保つ必要はない。時間も限られているため、即座に彼の目的を尋ねた。
彼はガラスをテーブルに置く。ふぅと一息つき、そして語る。
「数十年も前になりましょうか。まだここらが月ヶ原と呼ばれていた時代です。私はこの地で生まれ……この地に殺されました」
殺された。亡霊として顕現している以上、それは容易に想像できた。
月ヶ原というのは蒼月の昔の地名だと思われる。きっと昔のドタバタで統廃合があったのだろう。そこはさして問題ではない。
「殺した相手は? 殺された動機に心当たりは?」
「わかりません。ですが殺された心当たりはあります。……この地の禁忌に触れたからです。ほんのちょっとの出来心で命を奪われたようです」
因習村というやつだろうか。因習村とは古くからの風習に取り憑かれた地域。その風習を破るものなら村八分で自宅を放火されたり、村を存続するために婚前の女性に夜這いしたとか。
そういうのはフィクションの世界だけと思った。今度はわたしが疑心暗鬼になるターンである。
「その禁忌って?」
「ダメです、それだけは言えません」
今まで静かに語っていた彼が途端に怒鳴り出した。
「もういいじゃないか。だってその禁忌があったのは数十年も前の話でしょう? 覚えている人はもう死んでいる。あなた自身、何十年も前からこの街を見て——」
「何十年? 何を言ってるんですか。亡霊として意識を取り戻したのは数ヶ月前。つい最近のことです」
思わず耳を疑った。何十年も前に殺された人間が時を超えて数十年後に亡霊になる。そんなことありえない。
地上ではごく稀に、死ぬ間際に強い遺恨を残すと精神が地上に残ることがある。それがお化けとか幽霊の正体。肉体は滅び、精神だけが残る不安定な存在。その多くは見境なしに地上の人間に危害を与える純粋な悪。地上でも対策が生まれつつも、強大な力の前では焼け石に水であり、こういう仕事は——あぁ、また話が逸れてしまった。
兎に角、死んでから亡霊として地上を彷徨い続けることはよくある話。だが彼の話のように、死んで数十年後に亡霊になるとは例外中の例外だ。
「あの」
口元に手を当てながら頭の中で思考をまとめていると、彼が何か言いたげにしていた。
もっと話を聞き出さないといけないが、疑問が山ほどあり過ぎて何を訊けばいいのかもわからない。わたしの思考がまとまるまでの間だけ、彼の質問に答えようか。
「あなたは神の御使いだと言いましたよね。ならばこの世界には——」
「神様がいるのか、天国があるのか、地獄があるのか、輪廻転生があるのか、でしょう?」
図星なのか彼は何度も頭を縦に振った。ちなみにこれは人間から訊かれるよくある質問ベスト四だ。
「どうせあなたはここまでの存在。正直に教えたげる。人間の魂は一度天国に行き、簡易的な裁判が行われます。天国に行けるのは残念ながら一握りだけ。当世でどんなに善性を積んでも、残念ながら天国に行ける保証はありません。逆も然り、どんなに人を殺していたとしても必ず地獄に堕とされるわけではありません。人間として落第したものが地獄に堕とされます。では大多数の人間はどうなるのか——この世から消えます。人間の輪廻転生はありません」
彼は黙ってしまった。
こんな残酷なこと、他の人間に聞かせられるわけがない。無神論者が多いこの日本にも天国——いわば死後の世界を信じる人が多い。たとえそれが信仰にならずとも、各々の心の中で信じている。死への恐怖を克服する感情をぶち壊そうなんてできるわけがない。
でも今は真実こそが彼へのお礼であり救済。どのみち遅かれ早かれ、すぐ直面する運命だ。
「もう一度訊く。あなたに残された時間は限られている。もしこの世に悔いがあるのなら、今からあなたに付き合ってあげる。後悔を消して昇天しよう。ただどうしても、あなたが死んだ原因となった『禁忌』を知りたいんだ。普通の人間に言えないのは痛いほどわかる。けど、あなたの目の前にいる女の子は『普通の人間』に見える?」
しばらく下を俯き、そしてグラスをあおった。彼の目はやる気と覚悟に満ちた、亡霊とは思えない目つきだった。
「……わかりました。私に残された時間は?」
「ざっと二時間くらいかな。それで足りる?」
「二時間なら問題ありません。歩きながら話しましょう。わたしが死ぬ直前に見たものを」
◇
再びマンションを出た。今の彼はしっかりと足がついている。最悪誰かに見られてもお化けだとは思われまい。彼は川の方へ行きたいと言った。わたしも引っ越してきたばかりで地理に疎くない。スマホで川を探してみると、いくつか候補があった。そのうち一つが彼が目指している場所。だが所用時間は徒歩五十分。結構ギリギリだ。早足で歩き、住宅地から離れたところで歩きながら話を聞くことにした。
「以前の月ヶ原は至って特徴もない田舎でした。田んぼや畑があって自然で長閑で、わたしもこの村の娘を貰って子供を何人も授かりました。えぇ、立派に育ってくれました。長兄が元服を迎える前に私がくたばりましたがね」
声は笑っているが目元からほろりと涙が溢れていた。それに対してわたしから言うことはなかった。
「私は農民でした。ちょうどあなたの家にあったところに私の畑がありました。畑仕事をしていた時に木箱を掘り出したんです。中を開けると本が入っていました。私は文字が読み書きできなかったので、それを持ってお寺の住職に読んでもらったのです。思えばそこがいけなかったのでしょう。住職はみるみる真っ青になり、慌てて村の男手を集めてこう言ったのです。『もしも土から書物が出てきたらすぐに焼け』と。もちろん住職の言葉には逆らえません。ですがわたしにはどうも住職の反応がなんと言いますか、異常なまでに恐れているように見えたのです。愚かな私はあの本が埋蔵金の在処を記したものかもしれないと思い、住職に預けた本をこっそり奪い返しました。そして知り合いの伝手で文字を読める人を探し、この本を解読してもらうことにしました。東京の大学に通う生徒でも解読できず、教授の手に渡りようやく内容がわかったのです。
『月ヶ原に聖女の遺体が眠っている』
そう解読したそうです。ですが私には聖女とやらが何かわかりません。でも理由はどうであれ、仏さんが墓に眠らず、どこかで野晒しにされているとすれば黙っておけません。東京にその書は預け、月ヶ原でこっそりと探すことにしたのです。しかし私が東京から帰ってきた日から、村の仲間はよそよそしくなりました。畑に悪戯する奴らや、家族に物を売ってくれなくなったのです。妻と子供はここから逃げたいと訴えますが、この村に一人残って探し続けました。結果、人の身体のようなものを発見しました。手にしようとしたら……ガン、と後ろから殴られました。そこで意識が途絶え、気づけばこの姿になって目覚めたのです」
赤裸々に事件のあらましを語ってくれた。彼の勇気に心から敬意を持った。
わたしたちが向かっている場所は「聖女の遺体」とやらを見つけた場所。そこは川の近くにある洞窟だという。でもそこはもう……、
「穴がないですね」
残酷な仕打ちだった。そこら一面はコンクリートで舗装されて駐車場になっていた。洞窟なんて見る影もない。
でも彼は非情な現実に項垂れず、天を仰いで笑っていた。
「これで満足しました」
「こんな結末でいいの?」
「えぇ、確認しようと思えばいつでもできました。でもしなかった。多分私は遺体の行方を知りたかったわけではなく、誰かに知ってほしかった。誰かに私の意思を引き継いで欲しかっただけ。……おそらく村の奴らの手で他の場所に移されたのでしょう。あの遺体が誰かはわかりません。ですが、あのまま野ざらしにされていたら可哀想で仕方ありません。ですからどうか、天の御使いさん。あの子を見つけて供養してくださいませんか」
彼の目は本気だ。
人は人の意思を継いで生きていく。彼はわたしを信じてくれたからこそ「聖女の遺体」を教えてくれた。
期待されて嬉しくない人間はいない。それにわたしにも聞いた責任はある。
——もう時間が来てしまったようだ。思ったよりも早い。わたしの力が足りなかったのだろう。彼の姿がだんだんと透けていく。
消えゆく最中、彼の手をしっかり握り、彼の目を見てこう答えた。
「絶対に見つけ出す。だからどうか安らかに眠ってください」
時間切れだ。穏やかに笑いながら世界から消滅した。
――これで紅葉ちゃんのお化け騒動も一件落着。『Q.E.D.』 これにて依頼はおしまいだ。
だが同時にこの街でやることができた。
「覚えている人はもう死んでいる」
彼の前ではさらりと嘘を吐いたが、数十年経とうが風習は風習。彼を殺した張本人は御陀仏だとしても言い伝えが残されている可能性は十分ありうる。
「聖女の遺体、か」
さぁて、今日はもう寝よう。なんたって明日も学校があるからね。考えるのはまた明日から。
◇
「ふわああぁあぁ」
登校早々あくびが止まらない。昨日……じゃなくて今日はほぼ眠れず。
よく考えれば行きに一時間の道のり。そうなると帰りも一時間。家に帰った頃には午後四時。三時間も眠れなかった。ったくあの野郎、人に頼むだけして置き土産しやがって。こんな状態では一日保たない。仕方なく一限の英語は机に突っ伏して熟睡。
「転入早々、いいご身分ですね」と先生に怒られたが、おかげで体力は回復。二限目以降は通常営業で学生生活を堪能した。
「凛ちゃん、凛ちゃん。ここって凛ちゃんの家の近くだよね」
今日は屋上でランチではなく、クラスメイトである瀬戸と菊田に誘われて学食で食べることに。「シナセンの授業で寝るとはね」となぜか褒められてしまった。ちなみにシナセンとは英語の担当、信濃である。鬼軍曹で厳しいと評判の先生らしく、ぐうぐうと寝息を立てるやつは初めて見たとのこと。
その度胸(?)が認められ、この度お誘いを受けた。ちなみに志保はひょっこりとついてきた。優しい瀬戸と菊田は志保を追い払うどころか、小動物を世話するようにもてなしてくれた。
食堂ではなんてことはない時間が過ぎた。うどんを啜りながら勉強のこととか学園祭のこととか恋愛のこととか、さしてどれもよくわからない自分は笑顔でうんうんと頷くしかできなかった。そんな流れで志保が話を振ってきた。
志保のスマホには蒼月の地図が写っている。確かにその場所はわたしの家の近く、というかほぼわたしの家だ。
「昨日から部活のメールにお化けの目撃情報が続々と寄せられているの。この公園で目撃したんだって! なんでこのメール知ってるのかわからないけど、面白そうだと思わない?」
「……あ」
そういえば公園で会った少年たちに教えたっけ。もう解決したことを彼らが知る由もない。おそらく親切心で情報提供してくれたのだろう。今となってはすごく、すっごく余計なお世話だ。
「よくわかんないけどお化けだって。面白そうじゃん。あたしたちも行ってみない?」
「いいね、行こうよ」
あぁ、どんどん話が広まっていく。もうお化けはいない、なんて言えるわけもない。面倒ごとを持ってきた張本人は乾いた笑いをするだけ。家の近くだと認めてしまったからには「用事があるから先帰る」とも言えず、成り行きで放課後に約束をしてしまった。
◇
「で、なんで俺が呼ばれたの」
「お化けが出てきたら雅くんにやっつけてもらおうと思って。ほら、前にカンフーやってなかった?」
「あれは映画の話だ」
本当、なんでコイツがいるのだろう。帰り際に志保がトイレから出てきた雅に声をかけ、なぜか雅がグループに加わって、瀬戸と菊田は春夏冬雅に照れ照れとベッタリくっついて、「雅くんがついてきてくれるなんて百人力だよ」とか煽てて同行を許可して、民主主義的に解決しようにも三対一でわたしの敗北するのは目に見えている。
不快ながらも最寄駅に到着。女子たちはこの辺りには足を運ばないようで好奇の眼差しでキョロキョロしていた。
「あ」
「あら」
公園の方に歩いていると向かい側から見知った親子を見かけた。紅葉はわたしに駆け寄ってくる。梓が危ないよと声を発すも紅葉は止まらない。
「凛お姉ちゃん、ありがとうね、お化けさんを見つけてくれて」
慌てて周囲を見回す。幸いにも四人は聞いていなかった。紅葉と会ったのは昨日ぶりで、お化けの話は一切していない。紅葉に目線を合わせ、誰にも聞かれないよう小さな声で会話する。
「どうしてそれを?」
「昨日こっそり起きてたの。そしたらお姉ちゃんがお化けさんと話しているところ見たの」
「そっか。お化けさんはね、笑って天国に戻ったよ。だから安心してね」
「本当! よかった」
「でね、この話はわたしたちだけの内緒にしてくれる? 泣いてたって言われるとお化けさんも恥ずかしいでしょう?」
「んんー、わかった!」
「ありがとね。指切りしましょう」
子どもは素直でいい。紅葉の小さな指と指切りをする。ぽんぽんと軽く頭を叩くと嬉しそうに笑って梓のところに戻った。
「これから託児所に預けるところなの。ほら、お姉ちゃんたちにバイバイって」
「バイバーイ」
二人は駅の方に歩いていった。これにて本当に依頼完了だ。
おっと、そういえば四人をほったらかしにしていた。放っといて怒ってないかとヒヤヒヤしたのに、なぜか四人はニヤニヤと不気味な表情をしていた。
「やるな天塚」
「子どもに優しい凛ちゃんも可愛い」
「家庭持つの一番早そう」
それはつまるところ……意外ってこと? それはちょっと心外だ。
毎朝鏡で自分の顔を見る度、こんなに慈愛に満ちた人間はいないと惚れ惚れするのに。この三人が単純に人を見る目がないのか、それともただの面倒くさがりだと勘違いしているのか。多分……前者だろう。
だってこういう時、いの一番でバカにしてくる雅がなぁんにも言ってこないから。憎たらしいやつだが人を見る目だけはあると、この時ばかりは関心した。
「みんな酷いですね。そう思いません?」
「日頃の行いだろ。懲りたらしっかり部活動するんだな」
むぅ、正論っぽく聞こえてしまうのがムカつく。昨日だってこのわたしが現場に足を運んで、聞き込みをして、貴重な睡眠時間を生贄にして、人間の手に追えない現象を処理したんだ。まるで年中サボり人みたいな口ぶりは勘弁してほしい。
ったく、失礼なこと言う輩には威厳ある「わたし」を見せちゃうぞ。首を垂れて、さぞかし敬うはず。
ま、その代償にささやかな平穏と友人を失うのは割に合わないけどね。