第十八話 三分の一の嘘
「あぁ、もう動けない。学校の敷地にしては広すぎやしませんか? せめて自転車を支給してくれないと体力が保ちません」
「若者の体力づくりも兼ねてる、というのが学園長なんです」
なんだそれ。世界の裏側をリアルタイムで観測できる時代に効率を重視しないとは、蒼月の学園長も大したことないな。
今日はなんとか迷わず八時には生徒会室に到着した。これも迷子を見越して朝五時に起きた賜物だ。八月朔日会長より早く着いたら春夏冬に自慢しようと企んでいたのに、部屋に入れば会長と春夏冬が既に作業を始めていた。悔しさが募る一方「よく辿り着けたな」と感心される。投稿早々、小馬鹿にされた気分だ。
会長は引き継ぎの準備に追われ、春夏冬雅とわたしとで会長が作成した書類を各所に配達する。もちろん春夏冬は方向音痴を面倒見る余裕はないと突っぱねた。しかし会長が優しくはにかむと渋々引き受けてくれた。この時の寛大な判断がなければ、わたしは移動教室もままならない哀れな子羊になっていただろう。かんかんと照りつける外を行ったり来たり、実験棟の建物を登れば地下室まで降り、馬車馬のように動いたばかりに午前中で燃料切れになってしまった。
しかも不運なことに夏休み期間中も開いている学食は歩いて十分かかるという。でも約束通りに志保からお誘いが来るとちょっぴり元気がでた。せっかくだからと二人を誘ってみるも会長はパンを持参して引き続き作業するという。多忙のくせに見返りもないなんて誰が『名ばかり生徒会』の会長を引き受けるのだろう。正直わたしも引き受けたことを後悔した。
あぁ、だったら散歩がてら学園都市を散策して、こぼれ落ちた感情でも拾っていた方がマシだったかも。効率が悪い方法だけど、面倒をかけずにちまちまと集めるのはわたしの性に合っている。
……でも蒼月に一日でも早く溶け込むことを考えれば一日二日の面倒も些細な代償なのかもしれない。少なからずわたしが手伝ったことで会長から感謝なり楽しさだったりと感情が溢れ――
「溢れてない!」
ガラス玉は無色透明。昨日と比べて濁り一つない。高性能とは言い難いが、半径十メートル内に転がっている感情なら自動的に吸い込んでくれる。わたしとて以前と比べてハッキリと認識できるわけじゃないから、運悪く感情が落ちていない場所を歩いていたのかもしれない。
だとしてもこれはおかしい。ひょっとして壊れた?
「おい、どうした」
先を歩いていた春夏冬が身を翻す。
「壊れちゃった……わたしの……生きる意味」
「んな大袈裟な」
「大袈裟じゃない!」
柄にもなく取り乱してしまった。
ここまで来るのにどれだけの時間とどれだけの仲間が協力してくれたことか。みんなの期待を一身に背負ってきたのに、訳もわからないまま道が断たれるなんて納得できる訳がない。人の過去も知らないで、適当な慰めはしないでほしい。
もう、生きる意味はない。計画が失敗なら地上にいる意味がない。どの道あそこに戻るなら予定より早い帰還でも構わないだろう。
「生きる意味なんて、お前が羨ましい」
「は? バカにしてます?」
「や、斜に構えるなって。世の中には立派な道が用意されていようが、わざわざ寄り道して別の道を進むバカだっているんだ。それに比べたら目標に進むだけ立派だ」
初めて聞く声色だった。役者というだけあって声色を使い分けるのは上手い。演技に疎いわたしには演技と本音の境界が分からなかった。
春夏冬が羨むほど立派じゃない。むしろ自分はその真逆で前に進むことを諦めたんだ。
「今褒められても困ります」
どんな慰めを貰おうと励ましにならない。
違う、彼は分かっていないだけ。これは将来の夢とか進路とかちゃちな規模じゃない。「わたし」の未来を変える――天に反旗を翻す下準備なんだ。
不器用な彼なりに励まそうとしてくれる優しさは嬉しかった。だけど感謝も弁明する気もなく、口を固く閉ざし、今はただ失望を味わうだけ。
それとなく感じ取ってくれた春夏冬も無理に話しかけてこようとはせず、志保と合流するまでは葬式のような空気だった。
「おっ、昨日ぶりだね、凛ちゃん。元気して……して、ないね」
弾ける笑顔を見ても元気になれなかった。二人に気を使わせていると気づいていながら明るく振る舞えないわたしを許してほしい。何も考えないまま二人の後を追ったので、のちに思い返してみてもどこで、なにを食べたかなんて覚えてなかった。
二人に連れられた学食でうどんを食べても味がしない。最初は気を使ってくれた二人もわたしを放って話をしていた。夏休みの課題のこととか、それこそクラスメイトの誰と誰が付き合っている噂とか、至って普通のクラスメイト同士の会話である。
と、「あぁあ」と情けない男の声、その直後にガシャンと何かが落ちる物音が響き渡った。
「おいおい、なにしてるんだ」
「す、すいません」
見知らぬ男たちの声だ。正面に座っている二人は身を乗り上げて、物音が聞こえた方を見つめる。ま、何が起ころうとわたしには関係あるまい。素知らぬ顔で無関心を貫こうとするも、コツンと靴になにかが当たった。足元を覗けばなぜかトランプがあった。
「あぁ、動かないでください。今すぐ拾うので」
さっき謝っていた男の声が聞こえた。なら早くしてくれと身構えていたが一向に近づいてくる気配がない。後ろを振り返ると、トランプ一山が散らばった騒ぎではなく、サイコロ、チェスや将棋の駒に麻雀牌が一面にバラけていた。なぜ学校に不用物の代名詞があるんだと思いつつ、気がつけば勝手に手が動いていた。気づけば志保たちも加わって一緒に片付けていた。
「ありがとう、助かった」
「いえいえ、これも『お助け部』ですから」
彼らは卓上ゲーム部を名乗り、これらのゲームは古くなって使われなくなったもの。台車に積んで運んでいたところをバランスを崩して落としてしまったようだ。さりげなく「お助け部」の名を売る志保の手腕に感服してしまった。
もう処分するものだからと拾ったものは乱雑な状態でダンボールに収められた。この手の遊戯には良い思い出はない。どころか遊ぶだけで腕に蕁麻疹ができるほどのトラウマもある。できれば今すぐ離れたいところだけど……力の大半を失ったわたしでも、あのトランプに込められた感情を認識できた。きっと長い間大切に扱われたのだろう。職業柄か、その敬意を評してあの山だけはきちんと整えたいと思った。むず痒い両腕を必死に堪えながら上下裏表乱雑になったトランプをテキパキと整えた。志保が売り込みをかけている最中なら誰も気に留めないと思った。
「きみ、手際がいいね。うちの部活に興味ない?」
卓上ゲーム部に見つかってしまった。勝手に触るなと怒られると思いきや、予想外の言葉をかけられる。どうやらトランプの扱いに慣れたわたしの手つきに感心したようだ。大嫌いなゲームの部活なんて真っ平ごめん。考える余地もなくお断りだ。
「ダメです。この子はうちの副部長なので」
先に動いたのは志保だった。面倒くさい相手は味方にすると頼もしいな。けれど卓上ゲーム部は簡単に引き下がろうとしない。掛け持ちは可能だの、凛ちゃんはゲームをしないだの、うちのエースになれるだのと、わたしの目の前で取り合いが始まってしまった。すぐに仲介したが二人の言い合いは止むことを知らない。もう、いいやと二人を放置して器を片付けることにした。
「な、さっきのやつさ、本当に壊れたのか?」
春夏冬はまだあれを気にかけてくれているようだ。確認するまでもないと思いつつ、再び懐からガラス玉を取り出す。
「……へっ、な、なんで」
うっすらとした緑色、そこは確かに濁りがあった。決して褒められるほど美しい色合いではないけれど、それは感情が溜まったことを意味していた。壊れていないのは吉報なのだけど疑問が押し寄せてくる。
「それ、人の感情に反応するのだろう? 俺にはそれがどんな代物でどういう原理なのか判らないけどさ」
「……あなたはなにを知ってるの?」
「あぁ、やっぱり、なんとなくそんな気がしたんだ。根拠は俺の勘だから、それを実だって受け取らないでくれ。誰にも言わないって約束してくれるなら言ってやってもいい」
役者というだけあって「言葉」の真髄を理解しているようだ。
言葉は感情を自在に操る魔法。形こそなさねど、ある時は他人を温かく包み込んでくれる毛布、またある時は人を傷つける鋭利な刃物になる万能具。その効果は他人の受け取り方次第。
「神に……や、天に誓っても誰にも言いません」
それから二人だけで話をしようと連れてこられたのは本館の裏側にある休憩スペース。自動販売機と数脚のベンチがあり、ここは休み時間になるとそれなりに賑わうようだ。自販機で飲み物を買いながらベンチに腰掛ける。幸いなことに木陰が忌々しい日差しから守ってくれてくれた。
「春夏冬くんからタダで教えてもらうなんて贅沢ですね。ここは一つ、余興をしませんか?」
「頭使うやつは勘弁してくれよ。午後も作業しなきゃいけないんだし」
「簡単ですよ。あなたから三つ、わたしになんでも質問してもらって構いません。ですがこちらが正直に答えるのは二つ、残り一つは嘘をつきます。それが真実でどれが嘘か……あえてその答え合わせをしない。どうでしょう?」
「ほう、面白そうだな。なんでもの範囲が怖いけど」
「わたしに二言はありません。昨今セクハラと捉えられるようなプライベートなことも、あなたが知りたがっていた昨日のひったくりについても答えます。でも一つは嘘ですけどね」
「……ちょうどいいな、お前には色々と聞きたいことがあったんだ」
春夏冬は買ったばかりのペットボトルを一気にあおぎ、深く息を吐いた。
なんでもとは言ったけど、コイツがなにを聞いてくるかは見当がついている。
このガラス玉とひったくりの件は確定。あとの一つはどうでるか。見た目に反して賢い彼なら同じ質問を二度繰り返してくると思った。一度目と二度目が同じ解答なら真実。違うなら三問目が真実の解答。少なくとも一つの真実が手に入る。
ま、どんな順番で質問してこようと、すでにわたしは最後の質問を虚実にしようと決めている。
「うん、じゃあ聞いてくからな」
「どうぞ」
「お前は何者だ?」
「……はい?」
あまりにも抽象的な質問が飛んできて思わず面食らってしまった。
何者って聞かれたらどう答えるのが正しいの?
「俺の知る限りこの学園に馴染めるのは年齢不相応の場慣れしたやつか、学園をただの研究施設と思っている天才組だけ。内部生でさえ学園に馴染めやつが多い中、都内に通っていた普通の女子高生が簡単に馴染めるわけがない。目的はなんだ?」
「っと、質問が二つだけど、ま、今回は許そうか。ここに来た目的は特にないよ。ただ前の学校が嫌になったから転校しただけ」
「そ、そうか。ならいいんだ。なら二つ目は……」
「おっと、まだ全部答えていないのに。きみがわたしを他の子と違うと思うのも無理はありません。だってわたし――前世の記憶を持っていますから」
これは一部の身内しか知らないトップシークレット。それを出会ったばかりの赤の他人に口にするとは、蒼月に引っ越してくる前の自分に言ったって信じないだろう。突然スピリチュアルなこと言われたって彼も戸惑う、と思えば意外にも無反応だった。
「……驚かないんですか?」
「割といるんだよな。いきなりこういうこと言う人」
それは残念。狼狽える春夏冬も見てみたかった。
「ま、世の中にはそういう人いるっていうしな。二つ目はそのガラス玉についてだ」
「これはあなたの予想通り、そこらじゅうに散らばった感情を溜めておける魔法のアイテムです。今はほとんど透明ですが、感情を貯めればこの空みたいに真っ青になります」
「それを貯めると?」
「サービスはもう終わりですよ。三つ目の質問としてなら答えますけど」
「いや、それなら止めておく。なら三つ目は……」
うん、それが賢明だ。どうせ聞いたってどこに手に入れただの、どんな原理だのと新たな疑問が出てくる羽目になる。それよりか同じ質問を続けて真偽の確認をした方がいい。
「……お前さ、そ、その」
まさかこうも早く狼狽える春夏冬をお目にかかるとは。だけどもなんで?
「慌てないでくださいよ、逃げませんから落ち着いて。これでも飲んで」
落ち着かない手つきでわたしの飲みかけをあおぐ春夏冬。彼の言葉がすんなりと出るまで大人しく待つことにした。
「……今、付き合ってる人、いる?」
ん? 聞き違いかな? それともわたしの語彙力不足かな。わたしの認識では恋人のあるなしを意味するのだけど、ここでは別の意味があったりするのだろうか。
「だから、恋人はいるのかって話だよ!」
なんでわたしが怒鳴られないといけないのか。はぁ、春夏冬相手なら面白い読み合いになると思ったのに、どうしてこんなくだらない嘘をつかなきゃいけないのか。こんなの屈辱だ。
「い、いますよ、東京に。クールの中にも優しさがある、とっておきの彼氏が!」
自分で言っててすごく虚しい。自ら放った言葉に思わず首を傾げてしまう。けれどゲームを掲げた手前、嘘を嘘だと振る舞えるはずもなく、ここに天塚凛の彼氏(年齢不詳都内在住)が爆誕した。
「……そか」
こんな辱めを受けたのに、質問をした方が落ち込んでいるのが不思議だ。まさか役者という輩は変わった奴らばかりなのか。だとするとここでやっていける自信がちょっぴりなくなる。彼がどれを信じたのか不明だが約束は約束。なぜか項垂れている春夏冬を急かして本題に戻る。
「あの人は優しくて面倒見がいいんだけどさ、なぜか知らないけど本心を徹底的に隠すんだ」
「本音と建前を使い分けるってことですか? むしろそうしない人間の方が少ないと思いますけど」
「いいや、そうじゃなくてだな……あぁ、なんて言えばいいだろう」
と、勝手にブツクサと考え込む春夏冬。あぁでもない、こうでもない、答えを待っていたら昼休みが終わる気がしたわたしは「思い出したらでいい」と解散を切り出す。それでも本人は「誠意」だの「演技」だのと訳の分からないことをしきりにぼやいていた。