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第十六話 色彩の消失


「悪いな。有名人とすれ違っても声をかけないってのが、この街の暗黙の了解なんだけど、外から入ってくるやつはルールを知らないんだ。悪気がないだけに無碍にもできないし」


 ショッピングモールを離れた後はどこに行くわけでもなく、人目を振り払うように足を進める。土地勘のない人間にはここがどこなのか当然さっぱりで、とりあえず二人の後をついていく。


「有名人は大変だ。『春夏冬雅が美少女二人を侍らせてデート』なんて」

「その有名を前に自分を美少女だなんてよく云えたもんだ」

「もう片方は否定しないんだね」


 ん? ボソボソとしてて二人の声が聞き取れない。わたしには関係のない話だろうけれど、さっきからチラチラと何度も振り返ってくるのはどうしてか。特に春夏冬の方がたどたどしい。もしや本人を前にして悪口大会をしているんじゃあるまいな。


 再び彼に軽蔑の目を送ると――、ギィぃいいと耳を塞ぎたくなるような不快なブレーキ音が轟いた。

 あっちの方からだ。呆気にとられている二人を放っておく音が聞こえた方に向かう。


 角を曲がると道端にはスーパーのビニール袋や杖、ど真ん中でクタッと倒れた高齢の女性。その奥にはバイクに乗った二人組が猛スピードで離れていく。一目で状況を察するが、ひとまずはお婆さんの容態だ。


「ひ、ひったくり……」

「怪我は? 救急車と警察呼びますね」

「だ、大丈夫。転んだだけだから」

 大丈夫なんて云いながら左の足首を痛そうに押さえているじゃないか。強がりなのはすぐ分かる。手当てに心得なんてないけれど、放置するわけにもいかず。無理やりお婆さんの手を退けて確認してみると足首が真っ赤に腫れていた。

 遅れて後ろから「おぉい」と春夏冬と結月が走ってきた。


「今、救急車と警察を呼ぶから春夏冬くんが対応してくれない? 志保はお婆さんを」

「お婆さんをって……凛ちゃんは?」

「犯人を追う」


 無茶だと春夏冬が止めようとするが、それに構わずバイクが向かった方へと走る。

 街中は安全だなんて不動産屋のやつらが云ってたから無くさないように家で保管するところだった。これまで必死に掻き集めたなけなしの感情だけど、わたしの我儘の一雫を顕現するには十分。


 胸の内ポケットに入れていた蒼色のガラス玉から色彩が消えていた。また一から貯め直しと思うとうんざりする。でもどうにかしてこの命が尽きるまでに空色に染めないと。


 すでに二つの我儘を込めている。一つはお婆さんの怪我。なけなしの感情しか残ってなかったから完全に治療できなかったけれど、病院でしっかり診てもらえば明日には歩けるようになるだろう。もう一つの願いは……平たく云えば二人組を捕まえるだけだ。


    ◇


「凛ちゃん! 良かったぁ、無事で」


 それからしばらくしてみんなのところに戻ってみるとお婆さんの姿はなく、結月と春夏冬と数人の警官が話し込んでいた。結月はわたしを見てホッとした顔、でも春夏冬は安堵四割、怒り六割といったところ。言葉にせずとも感情が読み取れてしまった。しかしさすがは俳優、感情表現豊かだ。


 そんな春夏冬に構おうとせず、警官も交えていろいろと話をした。お婆さんは無事、救急車で病院に搬送された。救急車に乗るのを最後まで阻んだが、警察官に諭されると渋々入ってくれたようである。

 それなら安心だ。取り返したこの鞄は警察に預けよう。


「せめてナンバーだけでもと思って追って見たんですが、やっぱり無謀でしたね。引ったくりなら金目のものだけ盗んで捨てるんじゃないかと思って、ゴミ捨て場とか人目のつかないところを調べてみたらコレが」


 ピカピカの身分証を警察に見せると腰から下げていた読み取り機を手にして、身分証のコートをスキャンする。

 昨日のうちに作っておいて大正解。面倒くさがって放置してたらとんでもない面倒になったと思うと背筋が凍える。


 半日、とまではいわずとも、警察とのやりとりでそれなりの時間を消費してしまった。パトカーが引き上げた頃にはすっかりお腹が空いてしまい、無関係の二人を巻き込んだ天罰からか「ぐぅ」とお腹が鳴ったのを聞かれてしまった。


「そういえば昔お世話になった喫茶店がここらにあったような。そこのナポリタンが絶品なんだ。行ってみるか?」

「わぁ、イタリアンなの? ピザあるかな」

「そこのマスターが昔シェフやってたんだ。その縁で撮影の指導してくれたり」


 イタリアンってことは……うぇへへ、当然ラザニアはあるよね? あれ、日本に来ても時々恋しくなるくらい大好きなんだ。特においしージュースと飲むと格別。あぁ、あの味を想像しただけで涎が……、おい、ちょっと想像に酔いしれただけだ。そんな怪訝な目つきを向けないでくれ。


「――こはん、勿体ぶらず、さっさと連れてってください」

「そこまで行きたいなら連れていくけども、一つ聞かせろ。あの鞄、どうやって取り返した?」

「どう、と云われても聞いてませんでしたか? たまたま近くで捨てられてたのを見つけただけです」

「わざわざバイクで引ったくるやつが、足がつきやすい現場の近くで証拠を捨てるとは思えない」

「けど引ったくりをするようなやつがそこまで考えられると?」

「でも――」

「はいはーい、そこまで。ひとまず鞄が見つかったんだし、いいじゃない。それより早くナポリタン食べに行こう」

 結月の云う通りだ。どうも春夏冬を前にするとイラついて喧嘩腰になってしまう。結月がいなければヒートアップしていたかもしれない。これから春夏冬と話す時は結月を連れて仲介人になってもらおうか。どうせ有名人なんかと気が合うとも思えないし。

 



 ……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ春夏冬雅を見直した。コイツの味覚だけは信用できるようだ。

 最先端技術を詰め込んだ灰色の大都市だと異彩を放つが、プラハの一角を切り取ったような煉瓦造りの建物が見えてきた。外からでもコーヒーの良い香りが漂ってくる。焦茶色の扉を押せば、からんからんとドアベルが鳴り、エプロンを下げた白髪混じりの男性がカウンターで新聞を広げていた。他の客の姿はなく、ピーク時を外した来客者に戸惑っていた。しかしサングラスを外し芸能界で培ったと思われるスマイルを向けると「いらっしゃい」と歓迎してくれた。メニューにラザニアがなかったのは非常に残念だったけど、代わりに注文したジェボベーゼがこれまた絶品。次に食べる機会があれば人目を気にせずジュースを飲みたいな。


 多忙続きだったとはいえ、一日がこんなにも短いと感じたのは久しぶりだった。昼食の後は腹ごなしにと再びモールに戻り映画を堪能した。漫画が原作の実写映画でネットでも評判が高いみたいで、原作さえ知らなかったわたしでもそれなりに楽しめた。終わった後は娯楽を詰め込んだ施設を歩き回り、外に出た頃には夕暮れだった。


「今日はありがとうございました。これで明日から頑張れる」

 別れも待ち合わせと同じだった。セントラルの時計台の下で志保と、ついでに春夏冬にもお礼を云う。いえいえと微笑むのと対照的に乾いた笑い。どうせ「お前は来なくてもいい」と思っているのだろう。会長と約束したのだし、それに昼間のひったくりを捕まえるのでガラス玉はすっかり色褪せてしまった。会長からの感謝を少しでも回収しないと。


「私も明日は部室にいるから、よかったら一緒にお昼食べよう。パンが美味しいところあるんだ」

「ん、分かった」

「じゃ、また明日! 今日も送ってってね、雅くん」


「「はい?」」

 珍しく春夏冬と意見があう。そんな話はした覚えがない。


「可愛い女子高生を一人で帰らせるなんて危ないし。雅くんなら大丈夫。昔は少年スパイやってたから」

「いや、それ映画の話」

「冗談はさておき、あの事件の犯人が捕まるまで誰かと行動した方がいいよ。ただでさえ事件現場に近いとこ住んでるのに」


 志保の云うことにも一理ある。これまで必死にかき集めた感情の粒子もすっからかん。これまで通りのペースでも再び奇跡を起こせるのは半年以上先だろう。犯人が次の犯行を起こさないとも限らないし、自分の目的を果たすためにもこれ以上の消費は許されない。


 だが天塚凛としてのプライドもあった。わたしを気に入らないのならなおのこと、にっこりと作り笑いを浮かべてやり過ごせばいいものを、わざわざ悪態をついてくるだから。こんな性格の悪い奴、初めて会った。


「結構です。もうわたし一人で帰れますから。それに駅から家近いですし」

「本当に大丈夫? ちょっと試してみよう」


 と、なぜか志保が背後に周り、唐突にわたしの目を覆った。訳もわからず「ゆっくり歩いてね」と視界を塞がれたまま朧げな足取りで時計台を一周させられた。


「はい、帰り道分かる?」

「ばっ、バカにしないで! こっちだ!」

 小学生でも分かるとかいうレベルではない。生物としての根本的な能力を試されたような気がして腹立たしい。堂々と指差して帰ろうとした……のに後ろから嘆息が重なって聞こえてきた。

「雅くん、お願いね」

「方面を間違えるなら兎に角、どうしてバスターミナルの方を選ぶんだ」


 ――ヒューマンエラーって言葉知らないのかな? 選んだ方向が九十度違っただけで、北か南かと問われれば余裕でセーフなのに。ほら、スイカ割りだって視界を塞がれて目が回れば感覚を失うだろう? だから二人揃って失望の眼差しを向けるのは勘弁してほしい。

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