第十四話 名ばかり生徒会
行きはトートバッグにクリアファイルに書類を詰め込んだだけで身軽だった……のに、今は肩がもげるくらい重い。これでもかというくらい詰め込んだのに入りきらなかった。宿題に関係ない教科書は後日郵送してもらうことにした。
「凛ちゃんって寮じゃないよね?」
「どこも空いてなかったので部屋を借りました。最寄り駅は『東風公園前』だったような」
確かそんな名前だったはず。わたしとて最寄り駅くらい覚えた。「東」に「風」と書いて「こち」、一風変わった呼び方は音の響きで記憶した、はずなのにどうしてか、結月も赤城もおやっと怪訝な面持ちを浮かべる。
「そこの近くって確か殺人事件があったよね」
はい、そうですよ。わたしの家はその事故現場で暮らしてますよ……とは口が裂けても云えず、そうなんですかとわざと戯けてみた。殺人事件、未解決となれば意気揚々と話すわけない。案の定二人とも口をつぐんだ。「もしも知りたいことがあれば生徒会を訪ねるといい」と赤城がわざとらしく話を逸らした。
「生徒会なんてあるのですか」
「名ばかりだけどね。でも今の会長さんは優しい人で、内部生にも親身になってくれる優しい人だよ」
「ってことは会長は外部生?」
「そっ、苗字がかっこいいんだ。八月朔日って書いて『ほずみ』っていうの。聞いたことない? これこれ」
結月が懐から取り出したのは先ほど半身だけスマホだった。役所を出てから散々と目にした幅広のスマホ。先ほど職員室だからと咎められたスマホ。
はぁ、と嘆息して項垂れる担任と鋭い視線を飛ばしてくる他の教師。わたしは「あはは」と愛想笑いをするしかできなかった。地獄のような状況にも全ての元凶は物怖じせず、会長さんいるかもしれないから行ってみよう、と、わたしの腕を引っ張った。
「あぁ! まだ宿題の免罪符もらってないのに!」
「そんなのいくら待ってももらえないよ。それじゃあ失礼しまーす」
効率よく職員室を賑やかにする結月に関心しながら職員室を後にした。
生徒会室はさっき通った部室棟のうんたらかんたらにあると説明されるも意味がわからず。自分の不得意はゴミ箱に捨てて、とりあえず八月朔日会長の話を訊いた。
先ほどの結月が持っていたスマホも『Hozumi』製。偶然の一致ではなかった。
「所謂大富豪の御子息なのですね」
「眼鏡かけててもじゃもじゃ頭だけど、親の七光りじゃないんだ。頭がすっごく良くて、秋からロンドンに留学するの」
「もじゃもじゃは悪くないかと」
職員室と教室がある本館と部室棟は渡り廊下で繋がっており、本館と比べて単調な内装ながらピカピカの設備が整っていた。防火扉にカードキー、どこかの研究室を歩いているみたい。
「ここだよ。かいちょー、います?」
生徒会室と思しき部屋の前に到着すると結月は我が物顔で躊躇なく扉を開ける。
あのオンボロ旧校舎の「お助け部」でさえ洒落ていたから生徒会室はどれほど豪華なのだろうと内心期待していた。でも扉の先にあったのは擦れた文字で埋めつくされたホワイトボードと「コ」の字形に並んだ折り畳みの会議デーブル、紙の書類で埋め尽くされた棚――よくある学校の一室だ。そして奥深くでパイプ椅子に腰掛けて書類を見つめる生徒がいた。噂通り、髪の毛がもっさりとしている。
「はいはい、なんの用かな、結月ちゃん……と、そちらは?」
「転入生の天塚凛です」
「転入生とは珍しいね。僕は蒼月学園の――名ばかり生徒会長をしてる八月朔日桂馬です。っても短い付き合いになると思うけどね」
自笑気味に笑う会長に僅かばかりの悲壮感を抱いてしまった。
突然の訪問に加えて仕事の邪魔したにも関わらず、適当に腰掛けてと歓迎してくれた。別にわたしは要件もなければ早く家に帰って荷解きしたいのに、案内役の結月が乗り気になっては帰ることもできず。彼女の案内なくては迷宮の踏破は極めて困難だ。
「どこから来たの?」
「東京です。……その、いろんな事情があって――」
「や、みなまで云わなくたっていいさ。ここはいろんな事情を抱えた生徒も少なくない。話したくなければ云わなくていいよ」
「……分かりました。えっと、他の生徒会の人は?」
「生徒会といってもここは普通じゃなくてさ、会長の役職こそ先生からの使命だけど、生徒会に権限もなければ形骸化しただけの空間。一応は部活扱いだから在籍してるのは、ひいふうみい……五十人くらいか」
「ご、五十人⁉︎」
「だけど僕以外に来てくれるのは一人だけ。他はぜーんぶ幽霊部員。帰宅部の隠れ蓑になってるんだ」
それはまぁ御愁傷様。部活を促進している学校なら帰宅部になる抜け道なんて真っ先に潰しそうなのに、どうして生徒会なる組織が存在しているのか。
学園の生徒は強制的に部活に属さなければならない。内部生ならさして問題にならないが、外部生の場合、学園とスタジオを行き来する忙しい身分。部活なんてする時間がない。特待生にさらなる特例を設けるとなると内部生からの反発も起きる。学園側は苦肉の策として「名ばかり生徒会」を用意したのだ。
部員名簿にはそれはもう、テレビやネットで毎日見かける顔ぶれが連なっているそうだ。……なんて結月が意気揚々と語るも、わたしは誰一人としてピンとこなかった。なんせ日本に住み始めて四年目、尚且つテレビも家にないし興味もないから有名人なんてほとんど知らない。かぶりを振っていると逆に心配されてしまった。
「そうだな……凛ちゃんでも知ってそうな人……春夏冬雅くんは?」
「誰ですか、それ」
そう答えた瞬間、後方からドサっと物音が聞こえた。振り返るは床に散らばる書類、そして部屋の外で呆然と立ち尽くす男子生徒。扉は開いていたのに、なぜか部屋に入ろうとしなかった。
「あ、どうも」 よく分からないが、とりあえず挨拶。再び正面を向くも、会長が気まずそうな顔をしている。
「あ、雅くんだ。ちょうどいいところに」
「雅って、今話に出た……『あきなす みやび』?」
「誰が『あきなす』だ!」
わっ、びっくりするから急に大きな声を出さないでほしい。なんだコイツと睨みつつ、優しいわたしは足元に落ちている書類を拾ってあげた。
気を取り直して笑顔で渡すも彼に愛想がない。名前を聞き間違えたのはわたしが悪いけれど、有名人なら社交辞令の笑顔くらいないものか。
「会長、コイツ誰です?」
わたしが気になるなら直接訊けばいいのに。
「転入生の天塚凛さん」
「わたしたちと同じクラスだよ」
わたしと結月は同じクラス。目尻がくっきりしていてツラがちょっといいだけの無愛想な彼と結月も同じクラス。ってことは……うげぇ、最悪だ。
「ふぅん、こんな時期に転入生、ねぇ」
とすん、とテーブルに書類を置くと近くのパイプ椅子を手繰り寄せ腰掛ける。その瞬間もわたしを力強い眼差しで値踏みしてくる。彼のお眼鏡にかなったかは定かではないが、ふぅんと鼻を鳴らしながら会長の方を向いた。
結月に赤城、会長――昨日の刑事を抜きにして――と立て続けに優しい人に出会ったから、学園生活も順調かな、なんて思った矢先に嫌なやつが現れた。どれくらい有名なのか分からないけど、今ここで検索にかけてアンチスレを読み上げてやろうか。さほど名が売れてなかったら目の前で貶してやってもいい。好んで人間を好き嫌いしないわたしが、初めて第一印象で距離を置きたいと思った人間こそ、春夏冬雅だった。
のちに彼が結構な有名人だったことを知り、彼の知名度を後ろ盾にわたしが好き勝手にするのはまだ先のことである。
「で、話が逸れたけど二人はなんの用で?」
あぁ、そうだ。作業中の会長の時間を割いて相手してもらっているのだ。勝手に連れてこられたけども、このまま帰るのも悪いなと思い適当に相談を投げてみた。
「部活を探していまして」
「凛ちゃん?」
「何方かと言えばゆったりした空気でのんびりできる、二学期からでも受け入れてくれる文化系の部活があれば紹介してもらえないかなと」
「凛ちゃん凛ちゃん、そんな部活がちょうどあるじゃない」
「会長さんは知りませんかね?」結月の声は華麗にスルー。
「結月んとこがあるな」
空気を読めない雅もスルー。八月朔日会長だけは気付かぬフリをしてくれて、棚から「部活名簿」と書かれた分厚いファイルからいろんな部活を探してくれた。むむぅと頬を膨らませる結月をぷにぷにとつつきながら、あーでもないこーでもないと探した。
「書道部はどう? チームを組んでダンスしながら文字を書くパフォーマンス部門ってのがあるんだ。女子部員も多いし、華やかで――」
「字を書くのは得意ではなくて、ひとまず保留で」
「なら放送部とか。今年は期待のエースが入ってきて注目――」
「毎日活動あるのはめんどう……、いえ、ちょっと大変かなと」
「言い直したって隠せてないぞ」
「うーん、天塚さんはボードゲームとかやる? 卓上ゲーム部なんてあるけれど」
「わたし、ボードゲームアレルギーなんです。サイコロとかコマとか見ると蕁麻疹が止まらなくて」
「どんな体質だよ」
「さっきからうっさいな。わたしだってなりたくてなったわけではありません」
「お助け部なんてどうかな?」
「結月さんも黙ってて」
――と、適度にお邪魔虫に妨害されてしまい部活は決まらず。決してわたしが我儘なわけではない。これ以上は会長の業務の邪魔するわけにはいかず、こうなったら最悪、お助け部の手を借りるとしよう。
親切な会長はピックアップした部活をリスト化してくれた。詳しく知りたければ学園のホームページに活動中の写真や紹介文が載っているとか。
「今日はありがとうございました。じっくり考えてみます」
スマホの画面を確認すると十六時を回っている。家の片付けもあるし悠長にしている場合ではない。ぺこりと頭を下げ、結月を連れて引き上げることにした。
「ね、凛ちゃんって昨日越してきたばかりだよね? だったら明日、蒼月を案内したげるよ」
「本当ですか。ありがたい話です」
「会長と雅くんはどう?」
「ごめん、明日は予定が入ってて」
「俺も明日は事務所の手伝いが――」
「じゃ、明日の十時、セントラルの駅で待ち合わせね。雅くんは遅刻しないでね」
「おいおい……ったく、しゃあないなぁ」
なるほど。コイツは真っ向から反論するより雑に扱った方がいいのか。この手の輩はちょっと上目遣いで強請ればちょろそうだ。メモしとこう。
「凛ちゃんも時間、大丈夫だよね?」
「えぇっと、メモメモ――へ? なにか訊きました?」
「『お助け部に入部』でいいよね」
「はい、構いません……ん?」
「やったー、言質取った! 会長も雅くんも聞いたよね?」
「ちょっ、今のすり替えズルい!」
やり口があまりにも卑怯だ。手段を問わない姿勢は嫌いではないけれど、あくまでも自分が被害者でない場合に限る。公平なジャッジを求めるも、一部始終を見ていた会長は引き攣った笑みを浮かべ、雅に至っては呑気に「いいんじゃんか」と軽口を叩く。ったく、余計な面倒ごとを焚き付けやがって。
「だったら取引。チャラにする代わりに、わたしのことは結月じゃなくて名前で呼んで。あと敬語もいらない」
「うぅ、……これは貸しにしておくから」
普通の人とは違うわたしは他人と一線を引いている。地上において気遣いが良くない方に左右することも把握している。
むかし国語の授業で「ハリネズミのジレンマ」という言葉を習った。とある冬の日、ハリネズミは身体を寄せ合って暖を取ろうとしたが、互いの棘が刺さってしまって近づけない。何度も近づいては離れ、離れては近づいて適度な距離感が分かった、というショーペンハウアーの寓話に由来するそうで心の葛藤だそうだ。それと少し似ている。
ただわたしの場合は他人よりも数倍長くて切れ味がある棘。下手に触れれば他人の人生を壊しかねない凶器。わたしだけがなにも被害がないのもタチが悪い。他人との境界は世のためであり、自衛でもあるのだ。
他人との境界の証の一つが敬語だった。言葉という不可視のバリアを張ることで一定の距離感を保とうとしていたのに……仕方ない。この貸しはいつか絶対に返そう。
◇
「そういえば雅くんは私になんの用事があったっけ」
「あ、あぁ、えっと、夏休みの自由研究どうすんのかなって」
「人探しがどうとか言ってなかった?」
「しっかり覚えてるじゃねーか。……いーよもう、解決したから」
クラスメイトが和気藹々と話している間、会長の日々の愚痴を聞くことに。
なんと来週には日本を離れてロンドンに行ってしまうのに、真面目な会長は引き継ぎのために生徒会室で資料の整理をしていた。見知らぬ土地に向かうというのは存外に勇気がいることで恐怖は当たり前。この作業も平静を保つために必要なのだろう。健気に振る舞う彼の不安を払拭しようと、わたしも遠回しに励ましてみる。
「ロンドンはいいとこですよ。ご飯がまずいなんて云われてますけどマクドナルドとケンタッキーに通えば問題ないですし、調味料はアジアンマーケットで揃えて自炊すれば生きていけます」
「詳しいね。住んでたことあるの?」
「日本に来る前にロンドンで一年ほど。ヨーロッパには七、八年住んでましたかね」
「へぇ、でもその割には日本語が流暢だ」
「両親が日本人なので家でのやり取りが日本語なんです」
「グローバルな環境で羨ましいよ。僕なんて英語の筆記こそはできるけど、実際のコミュニケーションとなると難しいもん。訛りが聞きづらくてしょうがない」
「日本の授業で聞く英語って綺麗ですものね。確かにあれで慣れてしまうと大変かも。特にロンドンみたいな大都市だといろんな英語が飛び交いますし南部訛りもしょっちゅう。『ブック』なんだか『バッグ』なんだか」
会長の顔色がみるみると青くなっていく。あれ、もしかして余計に心配を焚き付けてしまったかな。「んん」と春夏冬からワザとらしい咳払いが聞こえるあたり、会長もナイーブになっているのだろうか。面倒くさがりなのは重々自覚しているわたしだが、困っている人を見かけたらできる限りのことはしたい。まして親切にしてくれた相手には礼儀の限りを尽くさないと。
「ロンドンに行くまでに、引き継ぎは終わりそうで?」
「ううん、どうだろう。この調子だとギリギリ間に合う、かな」
「……あのう、これ以外にも文化祭の件が」
ばつが悪そうな顔で挙手する春夏冬雅。全てを悟った顔で「間に合わないみたいだ」と観念していた。
「だったらわたし、手伝いましょうか。どうせ暇ですし」
どのみち学園に慣れなきゃいけないんだ。内部生とか外部生とかややこしいしきたりを覚えないといけないし、道のりも覚えないといけない。それに困っている人を手伝えば感情の欠片を回収できる。いいとこ取りのこの状況、一石二鳥というやつだ。
当然ながら「それは悪いよ」と断られる。でもわたしとて目の前に金塊が転がっていれば簡単に引き下がれず。涼しい場所で資料の片付けなんて極楽以外のなにものでもない。
「その気持ちはありがたいけどさ、生徒会でもないやつが手伝えるわけないだろう」
「だったら、名ばかり生徒会に入部します」
三人とも、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしてる。どうせ幽霊部員だらけの機能してない組織。ぐうたらできるなら籍の一つや二つあげたって構わない。
突然の宣言に室内が静まり返る。緊張を最初に打ち破ったのは結月だった。
「お助け部は!」
「ゆったりのんびり方向音痴も大歓迎って勧誘文句、間違いない?」
「……間違いないよ」
「だったら入ったげる。掛け持ちは認められてるんでしょう。これから毎日しつこい勧誘を断ると思うと面倒だ。今からわたしは生徒会兼お助け部の一員です」
言質を取られたら取り返すまで。第三者がいる場で嘘偽りではないと認めた以上、あとからいくらでも契約破棄できるし。結月の誘いに乗るも断るも今しかないと思った。
「わぁい! よろしくね、凛ちゃん!」
嬉しさのあまり、結月が抱きついてくる。笑顔を溢して喜びを表現する彼女に文句は云えなかった。
◇
「あ、そろそろ帰らないと。本当に明日も明後日も一人で?」
「きみだって引っ越してきたばかりで大変なんだ。無理強いさせられないよ。それでも手伝ってくれるっていうなら……来週の月、火の午前から来てもらおうかな」
「はい、分かりました」
金曜日の朝には日本を発つというのに、火曜日まで仕事詰めとは大変だ。まして教師から無理やり押し付けられた役職で、必ず八月朔日会長がやらなきゃいけない仕事ってわけでもないのに。責任感というか頼まれたら断れない性格なのか、それとなく会長の人となりが分かってきた。
会長と春夏冬に向かって頭を下げ、迷宮の先達の手を握って生徒会室を離れようとした。結月の親切で明日の予定が埋まったことだし、そろそろ帰って荷解きして、せめて私服を入れたダンボールを探さないといけないし。
「春夏冬くんもこの後、予定があるんだろう? せっかくだから送ってってあげなよ」
「予定はなくなったんでこの後も手伝います。それにわざわざ家まで送るとかお嬢様じゃあるまいし。それに結月もいるでしょう」
「これから急いで凛ちゃんの入部の準備しないと。雅くん、お願いっ」
顔の正面でパチンと手を合わせて頭を下げる結月。人が謝っているのに面倒くさそうに頭を掻く春夏冬くん。同じ面倒くさがりでも親切心がないとか、わたしと全然違う。
「手伝うとか大見得切って仕事増やしてるじゃないか」
「なにか文句でも?」
「なら校門までな」
「……えっ」
「いや、十分だろう。家までの帰路が分からないわけじゃあるまいし……だよな?」
悪かったな、高校生にもなって方向音痴で。心の中では憤りを募らせるも、実際は正反対の満面の笑み。
だって仕方ないじゃないか。今日は午前中役所に行ってたわけで、タクシーに乗って来たんだ。わたしもバカじゃないから一度往復すればなんとなく覚えられる。けど学園から家までの道のりは未経験なわけであって、初めての場所なら人間誰しも迷うのが道理。わたしは悪くない。
「クラスメイトと親交を深める良い機会じゃないか。……それに殺人事件もあったから、しっかり家の前まで届けてね」
わたしとて「あきなす」に送り届けてもらうなんて大変不本意だ。だけども客観的に自分を振り返れない愚か者ではない。会長の心遣いもある。彼も八月朔日会長に命令されると文句を云わず、生徒会室を出て結月と別れた。本館を出るまでに連絡先を交換し、昇降口で結月と別れることとなった。
「また明日ねっ! 行きたいとこあったら教えてね」
結月の明るい振る舞いがあったおかげでなんてことなかった空気も、春夏冬と二人きりになると気まずくなる。少なくとも同じ一組である以上、仲良くするフリをしないと。
「一組の雰囲気はどんな感じです? なんでもここは厄介なしきたりがあるとか聞きます」
「他のクラスと比べると仲がいい方かな。三組は身なりだけ一端のやつらが集まってて、逆に四組は優秀なだけで性格悪いやつばっか。波長が合うやつらを集めたようなもんだ」
職員室で聞いた話とほとんど同じだった。
転入が決まってからクラスについて説明はなかったが、とりあえず無難なところに放り投げてくれたようである。これで外部生だらけのクラスに入れられたら面倒くさいどころの騒ぎではなかった。
――ん? ふと思った。推薦でもなく蒼月出身でもないわたしも外部生? それとも内部生? 一応転入という正当な手段で入学してきたわけだけれども。そんなささやかな疑問を外部生に尋ねてみた。
「……どっちだ、お前」
「分からないから訊いてるんですよ」
顎に手をやりながらジロジロとわたしを見つめてくる春夏冬雅。負けじと彼の鳶色の眼に踵を返す。有名人ということもあって、そんじゃそこらの生徒より顔が整ってらっしゃる。気恥ずかしくなって顔を背けようとするも、今回の勝者はわたしだった。
「転入生なんて滅多にないからな……どっちにも属さないから『アウトロー』とか?」
「ふふっ、なんですか、それ」
アウトローとはまた物騒だ。とて、代案があるわけでもなく、こうして天塚凛は中立な立場のはぐれものになってしまった。これを機に会話がスムーズになり、あれやこれと話が弾む。
「へぇ、昔はテレビで引っ張りだった子役が芸能界を休止して蒼月にいるとは」
「本当に知らないみたいだな。学園には無知のフリして近づいてくるやつも多いのに」
のちに知ったことだけど、春夏冬雅といえば芸能界の最前戦で戦ってきた百戦錬磨の子役。ある時は下駄を温め出世して、ある時は討幕を企み、またある時は名探偵に扮して爆破テロから東京を守ったり。役柄を列挙すると人類の浪漫をありったけ詰め込んだ存在、それが春夏冬雅。ちなみに芸名でなく本名だそうだ。
「ならもう役者を引退したと」
「いや、またやる。今はただの休暇中だ」
わたしには理解できない。人前に立つだけでも恥ずかしいのに、演技している姿を映像として残すだなんてとんでもない。それに好きなことって普通はやり続けるものではないのか。
休暇ってことは疲れて嫌になって限界がきたって悟ったんじゃないの? なのに「またやる」なんて意味が分からない。どんなに苦労したって報われる保証はないのに。